F先からの手紙

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2012年12月12日
 液状化する近代
 これまでの日本は官僚や行政という後見人的な力に頼っていれば安全という暗黙の了解があった。しかし、東日本大震災で後見人は便りにならない機能不全であることが白日の下にさらけ出されました。震災が起きたときに目まいを感じたように、秩序も目まいを起こしたのではないでしょうか。私はそれを「液状化する近代」と表現しています。そこでは、もう後見人にはすがれず、様々な悩みは自分で背負わなければならなくなりました。
 だからこそ、もう一度自分の内側を見つめ直し、これまでの幸福の価値観、幸福の方程式を考え直すことが必要なのです。これまでの幸福の価値観とはたとえば、他人を出し抜いて、いち早く情報を入手し、できる限り自分の利益を拡大することとか、合法ぎりぎりのところで人がやれないことをやってもうけることです。ある種のゼロサムゲームが当たり前になり、唯一の倫理は自己責任でした。こうなると個人に負荷がかかるし、社会の存在感は低下する。震災後に、皆が絆をスローガンのように言ったのは、社会が大切だと気づいたのです。社会の破れやほころびをもう一度立て直そうとしたのです。絆を言い換えると「しがらみを持とうとすること」です。
 例えば、「しがらみ」とは、本当にしんどい人は「しんどい」とは言わないのだが、そういう人の隣にそれに気づく「誰か」がいて、手を差し伸べる社会になっていることが多いです。

 私たちが目指すべきものは何だろうか。私にとってそれは貧困や自殺に追い込まれない社会であり、一人一人の力が発揮される条件を整える包摂型の社会である。
*ゼロサムゲーム・・・・・参加者の得点と失点の総和(サム)が零(ゼロ)になるゲーム。拡大余地のない市場におけるシェア争い。