F先からの手紙

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2012年9月19日
 セカイ系
 “自分って何だろう”って考えたことがあるかな?
 私は思春期(高校生の頃)によく考えていた。よく考えていたが、その答は見つからなかった。
 最近になって“自分って何って”考えることは、自分をとりまく世界を考えることなんだなと思っている。自分が生まれたのだって、自分の意志ではないのだから、父、母。兄弟のことは、自分を考える上では、まず第一に必要なことだ。
 自分という存在は、父、母という自分以外のものにまずは規定されている。赤ちゃんの時期を含め、自分の意志で決定できない世界がまず、自分のまわりにはある。
 自分のことはすべて自分で決めているようで、初めの数年間は、父、母を含め、家族という名の他人によって規定されて存在する。
 高校生になるまでには、となりのオバちゃん、オジさん、、近くのタバコ屋さんや酒屋さん、あるいは文房具屋さん、駄菓子屋さんにもお世話になっている。地域の人といってもいいかな。
 そして、小学校、中学校、高校へと世界は広がっていく。
 私は小学生で東京オリンピックを経験し、中学校でAPOLLO11号がつきへ行ったTV映像を見ていた。
 日本、そして世界へと私の意識は拡大していった。

 高校生になって“自分って何だろう”って考えるようになり、社会を強く意識するようになった。高2の頃に、文化祭で公害問題“水俣”をテーマに西尾君(西セン)と出会い、国の責任なんかも気になっていた。
 このように、私は段々と自分と自分以外の世界を意識するようになってきたように思える。

 ところで、最近塾生に「将来の夢は?」と問うと「世界制覇」と言い出した事があり、気になっていた。
 自分→家族→地域→社会(世界といってもいい)という意識の広がり方から、自分→世界と一気に飛ぶ傾向を感じる。このことは言いかえれば、家族、地域の衰退と言ってもいい。学級崩壊→家庭崩壊といわれたのもこのころだ。つまり、自分の身近に楽しい世界がなくなり、一足飛びに世界に行ってしまうのである。自分→世界とすくいってしまう。
 
これを“セカイ系”と名づけよう。
 名はカッコイイが、いい傾向とは思えない。世界が縮まってしまったのだ。身の置き所がといってもいいだろう。
 これに拍車をかけているのが、インターネットを含めたIT革命だ。自分とセカイをすぐにつなげてくれるように気になってしまう。そしてセカイは孤立化モヤシ化する。自分→世界が世にあふれるが、誰もそれをつなげられない。
 つなげる手段で唯一考えられるのは、世界を話題にする議論だけだが、テーマが大きすぎて深まらない。ハーバード大学の白熱教室の流行もこの流れの中にある。

 やっぱり、家族、地域というこやしがなければ育つのはモヤシばかりで、骨太な人はできない。

 少し前に、本物のヘビを見たこともないのに「ヘビを知っている」と言い張る子がいた。塾のキャンプで本物のヘビに出会ったときに、ビビっていた姿がなつかしい。
 映像や本で見たヘビを「ヘビだ」と言い張っていただけだったのである。

 モヤシだモヤシ。

 モヤシになってはいけない。