福先最後の授業

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2013年3月10日
 表現としての国語
 

 大学時代から始め35年続けた塾でした。千人を超える生徒との交流があり、その過程で生み出してきたものが“表現としての国語”の授業でした。塾の営みは生徒が来る午後五時から始まるのではありません。お客様を迎える前に料理の準備をするように、午後二時から授業の準備をしました。様々な科目を担当しましたが、一番独自色を出せたのは、国語でした。
 そして授業では自分が読んで感動したものしか教材としては扱いませんでした。偏っていたかもしれません。いや偏っていたでしょう。でも私は心を動かされたものしか、生徒の前には出せませんでした
 塾に通ってくる生徒達は学校もバラバラ、動機も様々なので、授業に集中させるのには苦労しました。

 そこで考え出したのが、“表現としての国語”です。
 まず、厳選した教材と生徒を出会わし、生徒の心の中に事件を起こします。そして生徒は事件によって動かされた心模様を文章にします。やがて生徒は文を書くことによって、自分の心を見つめていきます。次に書き上がった生徒の作品は、基本的には私が声に出して読み上げます。読み上げることによって、生徒ひとりひとりの感性や考え方の違いがよく分かり、生徒同志の関係が深まります。そして私との関係も。読み上げる時には、文に手は加えませんし、その表現に上下はつけません。むしろ、つけられません。
 この方法で、丹誠塾では自分の思ったままを表現していいのだということを生徒たちは理解します。そしてリラックスします。

 これは故・遠山啓氏のいう“序列主義・点数主義を越えた教育”の実現だと思います。だから授業を希望する生徒はすべて受け入れました。
 ところで、以前、塾で講演したいただいた方に、無着成恭さんがおられます。教育者、無着成恭さんの教育実践に“山びこ学校の生活つづり方運動”があります。それは、生徒に現在の生活をつづらせることによって過去を探り、今現在をとらえさせ、そして未来を切り拓くきっかえをつけようとした試みでした。すばらしいものでした。

 しかし、私たちが塾を始めたころは、もはやつづるべき生活というものが生徒の間では希薄になりつつありました。これは無着さんが授業をしていた現場が山形県の山村であり、戦後すぐという時代の違いも関係するでしょう。塾を始めたのは、1977年で、乱塾時代という言葉が登場し、教育の中で数値化できる部分が一番に取り上げられる状況がありました。学校では競争が当たり前に存在し、子どもたちが日々の生活をつづるという余裕はどんどん無くなっていった時代でした。

  そこで私は“表現としての国語”を通して、体験の共有化を企てました。これを“国語的空間づくり”と呼んでいます。

 この空間さえ出来上がれば、もう授業はほぼ終了です。場の空気があたたまり、みんなが笑顔になります。

 このような授業を作っていく中で、生徒からは様々な作品をもらいました。

 私の宝物となっています。

 さあ、本日もこの公会堂で“国語的空間づくり”に挑戦してみましょう。では、テキストを開いて、えんぴつをご用意下さい。

本日のメニュー

       扱う作品

    1. まど・みちおの詩

    2. 永六輔のラジオ番組で生まれた本“逢いたい”

    3. 山村暮鳥の詩