山下由美子の山森(やまもり)ばなし
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2009年12月27日
 「帳簿の整理」
 この土曜日、日曜日は家でずっと塾の帳簿の整理をしていました。
 2月の終わりに確定申告に向けて、やっつけ仕事をするための基礎帳簿です。本当はこの調子で大部分を仕上げていくのがいいのですが・・。2009年一年間の日々の出金を見ていると莫大な量の図書を購入しているのが分かります。塾の棚に残るのが図書費、子どもの家庭に行くのが教材費と分けています。ほぼ毎日、何かの図書を買っている感じです。その合間にカードやボードゲームなどの変わり教材が登場します。DIGでは岩石とかミラクルフルーツとか授業のバリエーションが分かる伝票が登場します。帳簿をみるだけでも丹誠塾の授業の色彩が分かります。ウーロン茶や紙コップが登場するのはみんなでお茶でもしたときでしょう。

 さあ、これから2月の契約更新や新規募集にむけて、たくさんの文章を書いたり、書類を作ったりします。その大仕事の前に確定申告の仕事量を測っておこうと帳簿の整理をしました。助成金の実績報告も、3月末には提出期限が来ます。こちらも年内に仕事量を測っておこうと思いますが、なかなかはかどりません。

 塾のブログがコンスタントに更新されていくので、私のコラムも更新したつもりになっていました。今朝見ると10日前で終わっていました。書きたいことはたくさんあるのですが、短時間にまとまらないので近況報告にとどめています。時間をとって「思うこと」をしっかり書きたいです。
 

2009年12月16日
 もう、今年も2週間となりました。今年は大きな仕事を一つなしとげました。隣の解体です。実際の作業は、解体前の古屋の片づけですが、50年以上も使ってきた家はたくさんのものを飲み込んでいました。約3年かかりました。最初の一年は大きなものを片づけ、その後は長い休日に課題を決めて、最後の年は細かい休みも使って、コツコツ片づけました。練馬区の粗大ゴミに申し込んだ回数は11回。
 解体前にフクシマのコレクションをバサバサ片づけた話はここに書きましたね。
 
 さて、その古屋跡の更地も昨日から重機が入って駐車場にする作業が始まりました。コンクリなどで固めて、車止めを作ってフェンスを張って・・・・。また、違う姿が隣に登場してきます。

 不思議だったのが、更地になっても、まだ古屋があるような気がして、あの部屋には○○があるはず・・・と思っている自分がいたのです。でも、明日からは新しい駐車場がその幻覚を消してくれることと思います。

 明日から、総勢10名(1人はのりとジュニア)で春合宿の下見に行ってきます。千倉の旅館で本番と同じような料理を出してもらい、その回りの自然をいろいろ回って、何をしたら一番楽しいかを探ってきます。2年前のえびすやさんもそうでした。ただ、その時は若者が風邪で倒れて、「地味なメンバーになったな」とのりとくんがつぶやいていた年末でした。

 さあ、つぎの春は・・・、千倉の地は・・・、どんな出会いを用意して待っていてくれるでしょう?
 暖かい日の準備を寒い時にしているようです。

2009年12月9日
 フクセンネタを一つ。

 きのう、車で移動中、イスラムの方々にある地元の人たちがカレーを振る舞ったら、そのカレーの中の肉が豚だったので、食べることができないという話になり、急遽、豚肉を除いて魚肉ソーセージを入れて、皆さんに食べてもらったというニュースを聞いていました。
 「でも、カレーの中に豚の脂が溶けているだろうにね。いいのかな?」と私が言うと、
 「あまり厳密じゃなくていいんじゃないの?」とフクセン。

 「昔、セポイの反乱で原因になったのは脂で、イスラムは豚で・・・・、たしかインドでは牛がだめだったけ?」と私。
 フクセンは「そうそう、ヒンギュウ、イスブタ・・・・・、だもんな。」

 「ええ、何、何のこと?」
 「知らないの、ヒンズーは牛、イスラムは豚がだめなんだ。」

 ヒンギュウ、イスブタって・・・・!!!
 
 ここで、私はあまりに爆笑しすぎて、咳が止まらなくなるくらいでした。
 そうなんです。フクセンは何でもゴロで記憶するのです。たくさんの彼のゴロを紹介しましょう。役にたつかも。

     *いろいろ(1616)あったが、しんじゃった。徳川家康とシェクスピアが没した年。二人は同時代だった。
     *いざ尊氏散髪(1338)。足利尊氏が室町幕府を開いた年。散髪をして天皇に会えという意味らしい。
     *しんくう、てんさい。真言宗は空海、天台宗は最澄。
     *むくきひよはい。ムク鳥は黄色にくちばし、ヒヨドリは灰色。(野鳥を見るとき便利な識別法で、日ごろ私はゴロは使わないといいながら、無言で口走っ      ていて、フクセンに口元を読まれて、あんたも使ってるじゃないかと言われたことがある。)
     *そして、極めつけ。ふくどうけいめい、58歳郵便局員。英語文法で副詞は動詞を、形容詞は名詞を修飾する。58歳郵便局員はだたの勢い。

 その他、たくさんありますが、今思い出すのはこれくらいです。大昔、塾講師全員で4級アマチュア無線を受験したときも奇妙なゴロを考えていました。無線の知識と共にゴロも記憶になくなりました。使わないゴロは消えます。

2009年12月6日
 「スロー中のスロー」
 娘が先日、酒粕と酒を持って帰ってきました。さすが、醸造科。娘の時間割を見ると「ビール酵母学」「ワイン学入門」「発酵@」「蒸留酒学」「清酒学」・・・・・・と楽しそうです。こう思うのは飲んべえだけでしょうか?
 前期には酒粕と味醂と味噌を持ち帰り、家であっという間に消費してしまいました。まろやかな味醂は市販のものとは別物でした。確か、スペアリブの味付けにも使ったような記憶があります。(もったいなかったなぁ・・・)
 今回は酒粕は粕鍋にして味わいました。本当は具は鮭があうと見込みましたが、良いのがなくて、鶏のつくねとなりました。酒粕の香りが漂い、芯から温まる鍋となりました。初めての粕鍋に夜遅く食事するフクシマは大満足でした。
 お酒はほろ甘く少しにごっています。日曜の朝に飲んだら、1日仕事にならない濃厚なお酒です。味見だけにして画像を撮りました。

 スロー中のスロー・・・。娘が作った発酵ものを紹介しますね。彼女は来週から、2週間くらい、栃木の酒蔵に実習に行きます。大学の単位となるそうです。なんだか法学部で大勢の学生の一人として講堂みたいな教室で講義を受けてた私から見たら、娘の大学生活は凄く贅沢。私もできることなら、酒蔵に実習に行きたいです。

 それから、先日のコラムにビーチの画像を入れました。こんなところでビーチコーミングするのか、と想像して下さい。参加者の一人である野路滋さん(中高生企画でお世話になった動物写真家)が撮ってくれた画像です。*参加したご家庭でもっと画像を見たい方はヤマシタの携帯にメール下さい。
しぼりたて ゆるい酒粕 粕鍋

2009年11月30日
 「今年ラストの野外活動」
 11月最後の日曜日は千葉の館山にビーチコーミングに行きました。時々薄日の差す、曇りがちの天気でしたが、子どもも大人も存分にビーチを堪能しました。久々のビーチ参加のDスケくんはタカラガイの名前がすぐ出ないのでメダカラから出発していました。しょっぱなにSちゃんがウッキーをゲット。続いてヤマシタがニセサバ、のりとくんがアジロ・・・。レアものが続々の前半でした。
 12時になったので浜の入り口でお昼にしました。風が吹くと寒さを感じる浜辺でお弁当を広げ、早々と食べ終えたら、フクセンに同定してもらう子どもらの姿がありました。12時30分ごろから第二ラウンド開始。今度は入り口東側の浜をエリアにして、ビーチコーミングが再開されました。どんどん満ちる潮に子どもたちは浜辺を大声をあげて走り回っていました。タカラガイがすぐ見分けれるようになった子どもたちは家に持ち帰り、スクラップを作るとか標本にするといって、メダカラやキャイロキヌタをたくさん拾っていました。ナシジダカラの姿がいつもより見られなかったです。最後にYちゃんが程度のいいカバホシを見つけました。最後まで集中の切れない小学2年生でした。今回もUちゃんは黙々と探し、サメを二つも拾い満足していました。Iくんの弟T君はブラックのサメをゲットして回りの人をうらやましがらせました。その妹Aちゃんはホシキヌタの程度のいいものを早くから拾っていました。
 メダカラから初めたDスケくんはフクセンのオワリ!の合図に「えっ〜これからなのに」と抗議していました。
 2時10分に富浦インターに入り、浜崎橋の渋滞も軽く、解散は4時40分となりました。

 これで、2009年の野外活動は終了しました。来年はクラフトや紙飛行機の企画が少し残っていますが、バスを仕立てて遠方に行くのは終了です。来年度の舵取りを思うと、先日の事業仕分けで「子どもゆめ基金」が「廃止」と判定された経緯を考えると今までの形での実施は難しいと予想します。

 ただ、これからも変わりないことは「おもしろいもの」「ほんものの体験」を子どもたちと一緒に私たちも楽しみたいということです。
ビーチコーミングに飽きた子用の磯道具を運ぶITO君。でもほとんどの子が集中。 寄せては返す波。波ができるわけを小2に説明しましたが、あえなく玉砕。 ニセサバを得意に見せるヤマシタ。左は初心者から再出発したDスケくん。 きれいな貝殻がいっぱい。根本はやっぱりナンバー1。 こんな風にして拾う。背が低い方が有利か!浜ではあっという間に時間がたつ。 海をバックに記念写真。でも全員集合ではない。いないのは誰?小さすぎるか!

2009年11月26日
「連休あれこれと氷頭(ひず)」
 11月は面談月間でフクシマものりとくんも日常の授業の他にお母さんお父さんと会ってお話をする時間がほぼ毎日ありました。人と話をすることは楽しい反面エネルギーを使う仕事で、フクシマは夜おそくヘロヘロになって帰ってきていました。

 だから連休は山荘の整備(寝具の整理と網戸の補修)を終えたら、大好きな松之山に行こうと計画していました。松之山はいつも子どもたちと行っているキョロロがある場所です。キョロロと碧の湯によく行くので年に数回は行っていますが、泊まるのは2度目です。ほとんどのスポットを知っているので今回は宿のみ初めての場所になりました。
 ところが、21日の土曜日夕方、娘から「熱が出たー死ぬー今から家へ帰る」とメールが来ていました。授業をしていた私は6時になって気が付いて家に電話すると娘のしんどそうな声がします。娘は「足あっためて水飲んで寝る」と言います。私はすぐ帰るよと答えて超特急で買い物をして帰りました。
 帰宅して検温すると37度7分。ヒヤー、これから熱が上がるか・・・・。「茶碗蒸し作るけど食べられる?」と聞くと「欲しい」という。急いで鰹だしをとり、冷凍庫から蟹汁を出して、常温のだし汁を作り、薄味の蟹風味の茶碗蒸しは瞬く間に出来上がりました。フーフーと言いつつ、娘は「うまい、うまい」と茶碗蒸しを食べきり、私の買ってきたゼリーも食べて、再び寝ました。『食欲はあるんだな・・』と安心して、明日からの山荘行きは断念すると山荘の西尾氏に連絡しました。
 翌日になると娘の熱はほとんど平熱になっていて、これで松之山はキャンセルしなくてすむとホッとした親たちでした。

 幸いインフルエンザではない熱だったのでこんなに見事に下がったのでしょう。我が家はいつも熱が出ると足をあっためて水を飲んで寝る・・・・というのが鉄則で小学校の頃から娘も息子もやっています。15年近く前、仕事から帰ってきたら2階から息子が下りてきて「熱が出たから、家に帰ってきて、足あっためて水飲んで寝てたら、夕方にもう熱が下がっちゃった。お腹すいた。」と言います。風邪の早い展開と我が子の手のかからなさに驚いたことを覚えています。

 日曜日朝は娘に稲庭うどんの熱いのを作って、親たちは荻窪に買い物に行きました。久々にブックオフで200円の単行本を15冊買い、タウンセブン地下でぷりぷりの海老を買って、夕食はピリカラ炒めにしました。こんな魚屋さんが近くにあればと思いました。午後からはまぼろしに終わりそうな22年度の助成金の計画調書を作成してその日は終わりました。

 そして翌日月曜日、予定通り新潟方面に向かいました。新潟市は関越、北陸道を300キロいった場所です。市内のパーキングに車を入れ、昔言った加島屋本店に行きました。2階のレストランは40分待ちの状態。名前を書いて階下で品物を見て回りました。キングサーモンの切り身、昆布巻き、スモークサーモン、コロッケ、シャケかま・・・・・。もちろん池袋のデパートで大受けの瓶詰めコーナーもあります。ここの鮭茶漬けは田舎の母が大好きでした。生前、「鮭は加島屋のにしてな、お母ちゃんな、加島屋以外のはいらんから・・・」と贅沢なことを言うので妹があきれていました。陳列ケースの品はどれも旨そうで、みんな買って帰りたくなります。大きな保冷庫を車に積んでいるので、何でも買えます。食事を済ませた後、約5000円分のお土産がその保冷庫に収まりました。シャケかま(たくさん)、スモークにしん、瓶詰めの粕漬け、松前漬け、打豆、にしん粕漬け、コロッケ・・・。そして氷頭を買いました。氷頭と書いて「ひず」と読みます。シャケの頭で上部の軟骨を指します。これが一つ100円で二つケースにありました。食事を終えて売れていたらあきらめようと思って、再びのぞいてみると二つ残っていたので迷わず買いました。「あの料理に挑戦するぞ」と保冷庫に詰めました。

 余談中の余談です。私たちは19年前にもここに親子で訪れています。それは佐渡の太鼓イベントの帰りで、加島屋の本店、そして海辺のレストランと回った時のことです。貧乏自慢じゃありませんが、旅費をだすのが精一杯で、本店に行ってもお土産を買えるほどの余裕がなく、フクシマが何も買わないと言いつつ、入店してシャケのかまを一つ買っていたのを苦々しく見ていた私がいたな・・・と思い出しました。そのシャケかまは本当においしくて(しょっぱいんですが・・・)、彼は19年間ずっと加島屋本店に行ったら、シャケかまをたくさん買おうと思っていたらしいです。19年前は一つ買うのもやっとだったのに・・・・とケチケチ旅行の私たちを思い出していたやましたでした。お金がなくても子どもと行くとどこでも楽しかったなと思います。
 (旅行の帰りには青梅の息子のアパートに寄ってシャケかまを投げ込んで帰りました。きっと記憶に残る味になると思います。)

 松之山の宿は「ひなの宿−千歳」で、料理も温泉も絶品の宿でした。私はチェックインからアウトまで合計6回湯に浸かり、フクシマは5回でした。2人とも夕食の棚田米や鯉こくにうなってしまいました。有田焼の器も素敵で、料理の一つ一つが今も目に浮かびます。これをゆっくりした・・・というのでしょう。ブックオフで買った本を読んで湯に浸かり、おいしいものを食べて湯に浸かり・・・。湯の力で頭がオフになります。松之山の湯は独特の臭いでその湯の濃さは半端じゃありません。だから翌日も翌々日も朝、起きると、ほこほこの温泉効果がまだ続いていると実感します。

 そして、本日、塾の授業料管理、郵便伝送などを自宅でやりながら、あの料理に挑戦しています。「氷頭なます」です。氷頭をスライスして塩を抜いて酢につけてから、なますに仕立てている最中です。福島の母がよく作ってくれました。びんに入れた合わせ酢の感じが絶妙でした。フクシマが一度まねをして挑戦しましたが、汁も濁ってとんでもないものができました。だからそれ以後は作っていません。
 私は作るのは初めてです。しばらく時間がかかるので、また感想は後日。
ここが氷頭の部分 久々に出刃を出しました 塩を抜いています 今酢水に静かに眠っています

2009年11月17日
 「今年の出会いNO.1・・・Gさん」
 砂金採りでお世話になったGさんに来年度も砂金だけでなく、もっといろいろ関わりを持ちたいと願い、お話をしたら、「黒曜石も面白いですよ・・・・」ということになったので、企画をスタートさせることにしました。本来は来年度の企画なので、4月以降に下見に行くのが、助成金をもらう立場から言えば都合がいいのですが、彼にも会いたいし、早く黒曜石の現場を見たいので、本日、下見に行ってきました。
 Gさんは約束通りに待っていて下さいました。今年は例年より、早く雪模様になりそうなので、ご自分の車にスタッドレスを履いて準備してくれました。彼の車に乗り換えた私たちは目的の黒曜石のフィールドに向かいましたが、あいにく本日より冬期閉鎖期間に突入して、フィールドの直前で通行止めとなっていました。あと、10分でフィールドでしたが、結局、実際の場所までは行くことが出来ませんでした。 責任を感じたGさんは現地の様子をもっと詳しく話してくれたり、サンプル用の黒曜石を下さったり、いろいろ協力してくれました。私たちは場所を特定し、東京からの距離、休憩場所、マイクロ駐車場所を下見するのが目的なので、ほとんど目的を達成しているのですが、彼は気の毒に思ったようなのです。
 いただいた黒曜石は実に美しく、来年の秋にしおりと共に子どもたちにイメージ作りの助けとなる「輝き」をはなっています。

 来年10月初旬に予定していますが、春に雪が融けたらすぐ行きたくなるくらい「きれいな石」です。

 下見が実現しなかった我々を気の毒に思ったのか、Gさんは飯盛山登山口の野辺山にも連れて行ってくれました。「ここの輝石もきれいですよ」といって紹介された場所も想定外の雪。積雪10p以上でした。やましたにはヒザのリハビリ完成を試す雪の挑戦斜面となりました。下に画像を紹介しますね。Gさんの説明によると野辺山付近は気象的には特別な場所で自分の住まいと300メートルしか標高の差がないが、気象が複雑に変化する場所のようでした。下見を断念した峠より、急に雪が深くなって、本当にびっくりした野辺山でした。この輝石もいつかイベントにしたいと思いました。

 
いただいた黒曜石 いつかフィールドにと、雪の飯盛山登山口付近。 輝石の入る石
 そして、Gさんとの楽しい時間は続きます。雪景色から解放され、以前きいていた「お化けくぬぎ」に連れて行ってもらいました。これは今後のイベントというより、興味があったからなのですが、本当にびっくりしました。田んぼの近辺のくぬぎは昔から成長するとカットされ、おかしな方向に成長しています。その理由はくぬぎの葉っぱをしごいて田んぼにまき、肥料にしていたことに由来しているようで、そのあたりのくぬぎはある一定の場所から背の高さが抑制され、こぶこぶになったり、横に伸びたり、「お化けくぬぎ」と呼ばれる状態になっているのです。
 そして、そこに昆虫が集まることになるようです。Gさんはここで樹液が出てきている音を再現します。本来はそんな音は聞こえませんが、くぬぎが巨大過ぎて、そんな音がするようです。自然界の虫もこれには驚きます。今では、ここで発表するのもはばかるような貴重な昆虫がたくさん集まるスポットとなっています。いや、なっていました・・・というべきかもしれません。
 残念なことに、この貴重な情報をどこかで手に入れたマニアが、くぬぎの幹をこそげ取っていった跡をGさんが怒りをこめて教えてくれました。そして、レアスポットはネットなどで全国に飛び、あっという間に、個人の鑑賞、又は販売の対象となって、本来のくぬぎの姿をどんどん削ることになったと彼は言います。Gさんは自費を提供し、くぬぎにプレートをかけています。「このまま保全しましょう」と・・・。
お化けくぬぎ 幼虫ごと、ごっそり削られ、持ち去られた幹。マニアの部屋で飼われているのか? 傷つけないでとプレートをつけるGさん。
 マニアとは・・・を考えるきっかけとなりました。私たちはこどもたちに昆虫採集の楽しさを誘います。こどもたちが昆虫をひと夏、採集したって、大きく自然を変えるとは思っていないからです。重機を使って大がかりな工事をして、環境を変えることに比べたら、比較にならない微々たるものだと考えるからです。人が成長する過程で自然に興味を持ち、時には荒々しく、時には残酷に自然の生き物に接したとしても、何の関わりも持たず、生き物の存在も知らず育つより、いいと判断しています。ただ、虫かごで無為に死なせてしまう状況は多くあるので、東京に持ち帰るときは、頭を冷やして考えてもらうのがいいとは思っています。サマースクールの最終日にたくさんとれたミヤマクワガタのメスを森にリリースする姿を見て安心したりもしています。
 個人的な趣味で言うと、山下は山菜もとるし、きのこも採ります。ただ、それが自然を壊しているという実感はありません。それは自分の食べる分だけ採る・・・・というラインがあるからで、そこには来年を見越しての採集があるからです。山荘のまわりやいつも行く慣れた場所の採集を根絶やしてしまうのは、楽しみをなくす行為だからです。
 ただ、そこへ業者が出現してきます。群馬の山が根絶やしになったら、新潟の山にやって来ます。、苗場山荘の山菜を根絶やしにされた経験や、大きな籠に収穫物を一杯にして帰るきのこの業者の所業を思うと「個人の採集」との量的な差を感じて、憤りも感じています。
 山下の結論は「私が食す」という基準に限り許されると思っています。それでも絶滅の危惧のあるもの、特別扱いする必要のあるものは、採りません。

 昆虫もしかり・・・。昆虫マニアは山菜きのこの業者と同じく、「自分の満足」のみで動きます。ここの基準はこれから、はっきりさせないといけない所です。まずは「昆虫は売りものではない」ということ。昆虫の売り買いは原則なし。
 そして、次の段階は「自分の死んだ後を思う」こと。
 自分の死んだ後の「くぬぎの状態」を想像をした結果、「自分の満足」で行動するのはどうなのかと・・・・と検証してほしいと思います。

2009年11月8日
 「ナメコが出た!」
 2008年の4月3日に菌打ちをしたナメコが出ました。えびすやさんがそのためにサクラの木を1本切ってくれました。その木をみんなで運び、大学生のS君とN君が電動ドリルでサクラの木に穴を空け、みんながコンコン菌打ちをしました。あのナメコです。
 3本いただいて1年と7ヶ月・・・・・福島の古い家でずっと眠っていましたが、この10月解体作業のため、隣の今の福島家の小さい庭に移されました。山下はいつも水をかけて様子を気にしていました。福島が立てかけてあったのを移動の際に横たえてしまったので気になっていました。ほんの3日前には何の変化も見つけられませんでした。
 ところが今日の午後、小さな花壇にパンジーの苗を植えたり、その脇にチューリップの球根を埋めたりして、「さて、ナメコでも見て家に入ろうかな・・・」と思ってのぞいた時、な、な、なんと・・・。出ていたのです!
 思わず、道行くご近所さんに声をかけていました。「2年越しのナメコが出たんです!」
ピンクがかってるかな?

2009年11月6日
「我が家に地デジがやってきた」
     仕事が押せ押せにならない秋のうちに大きな買い物をすることにしています。本当はパソコンを買い替えたいのですが、ここのところ物入りなので、テレビを2011年対応にしようと思いました。
  ボーナス商戦が始まる前に・・・と思って、先日、吉祥寺のヨドバシカメラへ行ってきました。20%ポイント還元の意味を知り、その後のエコポイントで還元される額,、リサイクルのことも確認し、家電を買うとはこういうことか・・・と学習をして現物の到着を待ったのが3日の夕方でした。その日には古いアナログテレビは我が家からなくなり、かつアンテナ接続に失敗した居間には、映らない大きなテレビが幅をとっていました。そして昨日再びヨドバシにお世話になって業者さんがやってきて電波の状態やアンテナ接続の具合を調整し、ちょちょいと設定もやってくれました。イベントのDVDを複数コピーして 家庭に貸し出すので、ハンディカムと相性の良いDVDリコーダーを買う必要があったので、うちのはスゴ録でした。だから今回はテレビもソニーとなりました。ブランド志向の少ない我が家ですが、こうなってしまいました。
 ハイビジョンって、話には聞いていましたが、毛穴や吹き出物までクッキリ映りますね。女優さんの皺がリアルで気の毒です。文字もクッキリ、ハッキリです。ここまで必要かと思うくらいです。だた、DVDで撮ったものは接続に3色のものを使っているので粒子が粗いです。今度、HDMIケーブルとやらを買うとDVDのものも同じになるそうです。
 
 22年度の子どもゆめ基金の計画調書の提出が迫りつつ、まだまだ余裕がある・・・・と思って、今のうちに日常生活をのグレードアップしようと企んでいるやましたでした。新しいテレビで映画を観るのはいつの日か・・・。

2009年10月26日
 「人気一番イベント 水晶採り」
 早朝5時に起きてしまいました。雨の音で目覚め、比較的冷える朝。昨夜フクシマと2人疲れて9時ごろ就寝したせいです。娘がいつ帰宅したのかも知りません。疲れとは快い疲れで、水晶山に上ったためでした。
 水晶採りはおおよそ12年前から続いています。最初のうちは2〜3年に一度でしたが、この7年くらいは毎年行っています。理由は人気のイベントでいつも希望者が多く、キャンセル待ちをしてもらっていますが、なかなか全員を連れて行けず、来年ねといってしまうからです。毎年山の所有者の方に許可をいただくのはフクセンの役目。安全にマナーを守って入山することを約束して許可をいただきます。
 さて、今回もたくさんの子どもたちが集まり、化石体験と同じようにマイクロバス一杯になりました。スタッフもベテランをかき集め、バスの中から「安全にやりたいのでスタッフの注意を聞けない子はヤマセン(ヤマシタのこと)と水晶神社で待機させます」と言い渡しました。子どもたちは水晶の魅力と待機の恐怖で「超いい子」で行動しました。運転のエネルギー温存ののりとくんとヒザの靱帯を伸ばしているヤマシタの2人は神社付近のガレ場で待機し、前言どおり、注意を聞けない危険な子の到着を待ちます。結局、リタイアは一人もなく、メンバーは全員急坂を登って、上の採石場跡へ行きました。小学2年〜3年生にとってはチャレンジの斜面です。そこで例年になく、大物を子どもたちは手にして山を下りました。一つ一つが自分の生涯の宝ものとなります。

 少し遅めのお昼を山を下りた小学校の庭でとらせて頂きました。先生や野球チームの父兄らが出入りする庭なので、自然と話を交わしました。主に話をきいたのはのりとくん。それによると、このあたりの家の人は必ずどえらい大きいな水晶の結晶を持っていること・・・。1日丹念に探すと大きな結晶を一つは見つけることができる・・・。小学校では高学年が山に入って挑戦している・・・・。水晶山とはすいしょうやまと読むらしい・・・・。などなど。晴れた日には富士山が見える、のどかな小学校の前庭でした。

 昼食後は水晶披露会です。参加者全員が一列に並んで審査員の前を通過します。審査員は6名。最後にイチオシの一人を発表して推薦人数の多い人が今年のクリスタルキングに輝きます。
 最初の審査員のりとくんがイチオシと推薦したのはI.アオイちゃんのローズクオーツっぽい水晶。次の宇和島さんもアオイちゃん。これで2票になりました。次の伊藤くんはT・カンタくんの小さな結晶の集合した水晶。これは結晶が小さいものの数が半端なく多く、それに透明度が非常に高いのです。実はヤマシタもこれに悩みました。さて、票は分かれました。次の青木くんはK・リキマルくんを推薦。リキマルくんの水晶は大きなくっきりした六角柱に横にオレンジの縞模様が美しい水晶でした。ヤマシタもリキマルくんに1票を投じました。最後のキタさんがカードを握ります。う〜んと迷って「私の選んだのはリキマルくん!」というと大きな歓声が上がり、今年のクリスタルキングはK・リキマルくんに決定となりました。その後が象徴的な場面が展開されます。クリスタルキングを逃したアオイちゃん、カンタくんが残念がるのは分かりますが、推薦にも上らなかった参加者ほぼ全員が悔しがっているのです。本当に自分の宝が選ばれるかも・・・・・と全員が思っていることがハッキリ分かる光景でした。それだけ大切に思って水晶を披露していたのです。

 ヤマシタは審査しながら、数値化して記録していました。結晶、透明度、大きさ、希少性・・・などがポイントで数字を1、2、3とつけました。これも私の主観なのですが、リキマルくんと同じタイプでオーソドックスな六角柱の結晶が美しいのがI.タケルくん、S.コウスケくんの水晶でした。この3つに関しては好みの問題でどれも素晴らしいと説明しました。

 興奮の水晶披露会は終了し、2時過ぎには帰路につきました。東京は雨でも塩山付近は薄日のさすまずますのお天気。活動には支障なく、落ち葉の前の水晶拾いに適した時期でした。フルーツ観光が終了し紅葉前というのが水晶企画の定番なのです。雨のため昨日の人出は低調、おかげで比較的渋滞が軽かったです。およそ5時前に解散場所に到着した子どもたちはお迎えのお母さんたちに重いリュックを見せながら、楽しい話をはじめていました。

 フクシマとヤマシタは大きなイベントが終わってほっとして家路につきました。フクシマ曰く「自分があの急坂を上れなくなったら、もう水晶企画は終わりだね」と。でも、皆さん心配しないで、彼はまだまだ上れますから・・・。早朝からの動きにデジカメを忘れ、画像の報告ができないのを、お許し下さい。後日宇和島さんが画像を届けてくれますので、そうなったら、アップします。

2009年10月22日
 このコラムを、もう10年近く続けています。1週間に1度くらい、思い出しては、山、子ども、食などなどを書き連ねてきました。コラムと呼んでいるのは10年前はブログなんて言葉もなかったからです。コラムとはギリシャ時代の円柱形の柱を意味し、新聞などの空いた細長い隙間を短い簡潔な文で埋めたところから発しているらしいです・・・。私のこのコラムは簡潔な文とはほど遠いとは思いますが、ホームページのある部分を埋めていることには違いはないと思ってこれからもコラムと呼んでいこうと思います。
 実はブログに変身しようかと密かにブログの使い勝手を試していたこの2週間でした。無料のブログを借りて「山森ばなし」を書いていました。誰にもURLを知らせてないのに卒業生が見つけてコメントを書いて、リンクを張ったりしたので、きのう急いで解約して結論を出しました。「ブログには変身させないで、このままコラムでいく」と。

 ブログを考えたきっかけはコラムを書き進めると古い時代の文章を保存する際のアナログな手順に閉口していたからです。しかし、試行していて分かったことはブログになると文章の保存そのものがもっと危うく、ネット上のトラブルがあれば、どこに保存されているのか不安な事でした。書く度に手元に記録を取る方法も考えましたが手間がかかり過ぎます。ブログとは保存より消費を目的に書く場合に適していると思いました。もっとこの世界に詳しいとブログ上の保存も簡単にできるのでしょうが、私のスキルではコラムで古くなった文章を新しいフォルダを作って倉庫にいれて保存していくアナログな方法が一番あっていると思いました。それにブログのコメントという慣習は思うに結構煩わしさを伴いそうです。ギャラリーを超意識しつつ、社交辞令を纏い、常連の内輪話になっているコメントをよく拝見しますから。
 このコラムへのコメントは口頭や電話で伝えられることが多いです。最近の指摘はフクシマへの攻撃が理不尽だという内容です。一理あり、謹んで拝聴して参考にさせていただいています。

 さて、隣の旧我が家は、とうとう更地になりました。先日お向かいのご主人が朝声をかけてくれました。「やあ、すっかりなくなりましたね。なんだか、寂しいですよ。僕の想い出の家ですから・・・・」と言って足早に職場に行かれました。へえ、そうなんだ・・・・、と私がびっくりしてしまいました。夜にフクシマにその話をすると、一つ年上の彼はよく小さい頃遊びに来ていて、自分の家は早く2世帯住宅に建て替えたので、うちの家が懐かしいのだろうと説明していました。築50余年・・・最近見ることができない立派な基礎の家だったと工務店の方が評価してくれました。
 
すっかり更地に・・・45坪は本当に広〜い もと井戸の場所・・・ガスが発生した場合のパイプだという お清めの塩・・・残った塩と酒は工務店の神棚に供えられているらしい。

2009年10月15日
 きのこツアー無事終わりました。今回は2ファミリーに山荘を楽しんでもらえました。後はいつものミムラさんやフクセン、のりとファミリーの総勢14名でした。山下が前日、当日作ってきた料理や夕方みんなでつくったきのこ汁などで楽しい宴となりました。

 翌日は近くのダムサイト脇で簡単な散策を行い、きのこを探しましたが、結局山荘前の切り開いた道に一番たくさんナラタケを探すことができ、青い鳥現象がここでは見られました。ミムラさんがお土産にと、収穫して下さったブナハリタケ、ナメコ、クリタケ、ヌメリスギタケモドキなどを軽く湯通ししてパックにしました。正午あたりに解散となり、ミムラさんと一つのファミリーとは山荘でバイバイをして、後のメンバーは六日町の八海山泉ビレッジというレストランや釣り場のある場所へ行きました。もっと先にいくとトミオカホワイト美術館があります。

 休日で混み合うレストランを待つ時間は川の近くの芝生であっという間に過ぎていきました。幼児から小学5年が走り回る光景は八海山を背景にのどかなものでした。(塾のブログに紹介があります。私はデジカメの存在を忘れていました)

 帰ると解体後の我が家が待っていました。昨日今日は搬出作業です。8時ピッタリに作業が始まります。まだ、木材や土台が残る段階で見ても、『我が家はでかかったな〜』と感じてしまいます。
現在の我が家(2階)から見た搬出作業。木材の一つ一つに生活があったんだなあ・・・・と思って見ています。

2009年10月4日
 先週は1日が都民の日で「化石発掘体験A」がありました。仕事の合間となって、そのうえ参加人数が多く、しかも6名も小学2年生がいるという構成で大変、緊張を要するイベンとなりました。スタッフのおかげで無事、ケガもなく終了し、福島と「年々本当に体力がなくなるね・・・。交通機関がすいてて早く解散したのが一番ありがたい」といって夕食を食べていました。

 フィールドは群馬県吉井の鏑川の河原。雨もなく、暑くもなく、水も割と少なく絶好のコンディションでした。小学2年から6年までのこどもたちがマイクロの定員一杯に集まり、ハンマー片手に、防塵メガネをかけて、サメの歯に挑みました。昔昔、海の底だったと想像しながら、この石を割れば何か出る・・・・という信念を持って・・・・。
 
 しかし、開始40分で回りに石を投げつける子どもがいました。この朝初めて顔を合わした初対面の小学5年生です。ハンマーをその辺の岩にたたきつけてこういっています。「イライラする!もう何もでない!・・・」と言いながら、手当たり次第、岩を叩き、憤懣を表しているのです。私は『こうも早く切れるのは珍しい・・・・、ちょっと特徴のある子かな・・・』と思いながら、そばに行きました。回りの子どもは形勢を察して近寄りません。彼は一緒に参加した友人とも離れて一人で「イライラする・・・」と不満をまき散らしているのです。自分以外の誰も目に入らない状態です。私が『誰にいらいらしているの・・・。』と話しかけました。彼は「何だよ。知るか!何もでてこねえよ・・・。」と毒づきます。私は『たった40分で、そんなにイライラして回りに当たり散らしたりするのは最低。もっと辛抱強くやらないと化石があっても掘り出すことはできないよ。一人で勝手に怒って岩を投げたり、ハンマーで岩を乱暴に叩いているなら、危ないから別の所で待っててもらおうか・・。それともお母さんにこんな状態ですけどって相談しようか・・・。』と言いました。彼はお母さんの言葉が出たとたん、「だってとれないんだもの・・・」とトーンは落ちてきました。

 それからは「だめだよ、何もないよ」という彼に『口から出るその言葉は重要だよ。本当になってしまうよ、だからこの辺に何かある気がするって言ってごらんなさい・・』と私が何度も何度も声をかけると、突然「ここから何か出る気がする」といってコンコンやり始めました。私も一緒に近辺を掘りました。そしてヤスリツノガイと思われる破片が混じっている石を「これ、ここから出たきたから先生に鑑定してもらっておいで」と言って、彼に渡しました。彼は素直に飛んで行きました。遠くで「すごい!ヤスリツノガイ!○○くんが出しました!」とフクシマの叫ぶ声がしました。彼は得意になって帰ってきて、『どうだった?』と尋ねる私に、鑑定されたラベルを見せながら「やった、これがオレの最初の発見!」と叫びました。内心「私が出したのに」と思いましたが、『そうだね、あなたが言った場所から確かに出たから、あなたの発見だよ。良かった良かった。』と終わりました。

 その後も彼のテンションは何とか続いて、「ここから何か出るか知れない・・・。」といいながら、あちこちでコンコン挑戦していました。残念なことに「これがオレの最初の発見」以後はラベルに記入するほどのものは出なかったようですが、満足して帰って行きました。

 何はともあれ、無事化石採りは終了し、夜ビールを飲みながら、NPO行事の常として「初対面の子どもたち」と1日を共にする大変さを感じていました。日頃一緒に付き合っている子どもだと前々から保護者さんから子ども情報をいただけるのですが、NPOの活動の場合、電話一つで申込みを受け付けます。初対面の場合、一度事務局にお子さんを連れてきて、引率の大人と参加の子どもを引き合わす慎重な親御さんもいますがが、ほとんどは活動の朝、初顔あわせということになります。待ったなしです。
 開始して40分で切れたこのお子さんははやり、事前に保護者さんから一言ほしい例だったと思います。一度だけ1日だけ預けられ、子ども情報を共有することなく、すれ違う家族が増えるたびに、「子どもの意思で参加が決められているか」「親の都合で預けられてないか」、と気になっています。

 特徴のあるお子さんの場合は事前にひとこと情報をいただけたら・・・と願っています。その子にレッテルを貼るマイナス面もありますが、一人スタッフを配置する体制も作れるからです。とくにハンマーを持つ化石採りや落石の場でガレ場を歩く水晶採りはお願いしたいと思います。シビアな話のあとは楽しい画像で終わります。 
コツコツ静かに掘り出して、いくつも持ち帰っていたAさん 別の場所で拾ったフクセンのとペアだったサメの歯 山下が最初に見つけたヤスリツノガイ 本日ナンバー2の大きさのサメの歯 大きなサングラスはサメの歯を自力で掘り出したIくん ルーペで確認する福嶋徹さん

2009年9月27日
 最後、最後・・・といいつつ、本当に最後の掃除、ゴミだし作業をしました。
 午前中、塾通信の編集をリビングでしている私に福島は「隣で片づけしてくる」と言って、でていきました。私は内心『もう、後は解体の業者さんに頼むといってたのにおかしいな、それにしても、畳にバラバラ広がった状態が一向に改善されないけど、あれは全部検分された結果なのかな?・・・』と思いました。編集もそこそこに休憩に帰ってきた彼に「私も一緒に最後のゴミ入れを手伝うよ」と言いました。なんだか、すべてを検分しないで彼が解体にGOサインをだしている気がしたからです。
 それからが大変。可燃ゴミ8袋、不燃ゴミ5袋・・・・。ほとんど私が包みました。福島は何をしていたかというと今日まで砂と土のコレクションの処理を決めかねていたのです。私がこれは?これは?と次々質問するので、「それはいい・・・」「それは捨てて・・・」と繰り返している内に肝が決まったようなのです。大量の瓶や容器に入った砂、土を庭に捨てて、容器をゴミ袋に入れました。

 私は福島の趣味、教材以外の膨大な家庭の諸々を処理して、先日、一件落着!と思っていました。しかし、彼は人の力を借りないと、自分の分野の処理が出来なかったようなのです。本当に今日一緒にやってよかった。唯一残したものは「昆虫標本づくり」に欠かせない展翅板などがありました。その他の趣味・教材の類はほとんど廃棄となりました。塾の収納に限りがあるのもわかっているので、決断が下せないのはわかりますが、初めてオープンするみたいなダンボールが10以上あったのは驚きです。管理能力の無さを指摘すると「面目ない・・・」と一言。少なくとも、全部のダンボールは検分していると思っていました。しかし、どうも彼は保存、処分という判断を後にゆだね、想い出を確認する作業を何日もやっていたようなのです。いらないかも知れないけど、多分処分すると思うけど・・・と思いながらダンボールの蓋をしめ、そのとたん記憶からなくなって、何日たっても、畳の荷物が減らなかったのです。

 午後の作業が長引き、彼のTシャツに汗が滲んでも、最後のダンボールまで、そして全ての畳が現れるまでやめるつもりはありませんでした。私が牽引する形でやっと可能な限りの整理が出来ました。家より持参した掃除機であらかたの埃をとり、解体される家に最大の敬意をはらって掃除機をかけ、2人の作業は終わりました。

 仕事を終わって、福島は「君の働きは素晴らしい。本当によく働くよ。」と言います。私は「そんなことはないよ。いつもの手法で、相手を実力以上に高めて、自分の低さをカモフラージュする気ね。自分をスタンダードに持って行くんだよね。私は普通よ。」と、続けて「今日私が頑張らないと、大事なものまで業者さんに処理されるでしょ。」と答えました。

 こんな風に想い出の我が家の「本当の最終日」が過ぎました。10月5日から解体作業が始まる予定です。

2009年9月23日
 私たちのシルバー連休は月曜日からスタートしました。
 予定通り、隣家の最終ゴミ出しです。この土曜日にラスト粗大ゴミを引き取ってもらい、これで築50年余の家とはお別れです。夏は涼しく、そのかわり冬は半端なく寒かった家でした。娘は1歳から、息子は4歳から、福島も4歳からそこで育ちました。私は大学時代初めて訪れた時の古めかしい洋間の空間を忘れることができません。コーナーにどっしりした三角の収納家具があり、家族の写真が飾ってありました。洋間の応接室は狭いながらも、生活を大事にしている感じが伝わりました。(今その収納家具は息子のアパートにあります。)

 私の昨日の仕事はお勝手の小さな電灯をはずすことでした。先週は壁掛けの黒電話をはずしました。そして建具の寸法を測って千葉の姉に報告することも仕事の一つでした。想い出の品々をできるだけリフォームで使おうという考えです。建具は残念ながらサイズ足らずで再生されることはないようです。夏、冬と建具を入れ替え、夏はすかしの見事な網戸、冬は雪見格子と贅沢な生活空間を作っていた建具は廃棄されることになりました。

 仕事を終えてフクシマとへろへろになりながら、隣家に鍵をかけていると、門扉の端に立派なシソが育っていました。1本ながら相当の量の葉っぱと穂が収穫できそうです。土のある日当たりの良い庭側のシソより数段立派です。抜いてみるとワサビみたいな太い根が張っていました。コンクリートのすき間にかろうじて育った1本のシソ。逆境がシソをこんなに強靱に育てた・・・とも言えるし、強靱なDNAを持つからこそ逆境を跳ね返した・・・とも言えます。両方かもしれません。
 
 家で根を洗っていると何だか良い気分になってきたので、画像を保存しました。想い出の我が家も紹介しておきます。
想い出の我が家 お勝手脇の出窓の下。「かくし」と読んで子どもたちが家の鍵を隠していた場所。 2階への急な階段。てすりをはずし再生したかったがビクともしない。残念。 お勝手の小さな電灯。帰るとすぐヒモを引っ張れる場所にあった。すかしがいい。 2階の壁掛け式の黒電話。受信はできるが、これからはかけることができなかった 強靱なシソ。根ごと収穫したのでこのDNAは受け継がれない。あとで気付く。

2009年9月14日
 達者だな・・・と思う作家さんに桐野夏生さんがいます。
 
 福島は参考書、問題集、話題の図書を新刊で毎月購入します。それは彼の仕事上の必要からで、毎日新聞の書評欄をチェックして切り取って、付き合いのある書店に頼みます。一方、私はブックオフの単行本200円コーナーで好きな作家を購入します。大雑把にいうと仕事上の経費と余暇の支出の違いです。
 
 話はその余暇のために私が200円で購入した桐野夏生さんの本の中にあった表現です。「おやっ」と思ったので、しおりをつけて読み進みました。話の流れとそれほど関係ないので、しおりをつけないと絶対戻れない文章だったので、そうしました。私には作品より、その部分が光って、おかしな執着を伴っていました。
 原典を説明します。本は「光源」という平成12年9月・・・だから、今から9年前の作品。
 その「光源」は映画制作の世界の話。プロデューサー、監督、撮影監督、脚本、助監督、俳優・・・・・・・映画制作の舞台裏を描いた作品でした。映画は妻を亡くしたことで人生に絶望し、自殺する男を主人公にして、物語はスタートします。その制作の過程で
たくさんの人間の思惑が絡みます。主人公の男性には人気の男優が起用されます。私のイメージは『役所コウジ』さんかな?その男優の人物描写の場所に登場した桐野夏生の卓抜した「キリキリした文章」です。

 自分は幼児に似ている。高見(人気の男優)はまだ四歳になるかならないかの娘と遊んでいて、そう思ったことがあった。愛されている者の自信、あるいは愛されていないと思う不安、甘やかされている者の傲慢、自己中心的なる者の奔放、愚かなる者の率直、感情的なる者の勇気。これら幼児の性格はすべて自分という男に当てはまった。いや、俳優という職業に当てはまるのかもしれなかった・・・・・・。・・・・・

 私はこの男優の精神状態にはさほどの関心もなかったですが、何度も、何度も、このくだりを読み返しました。
。愛されている者の自信、あるいは愛されていないと思う不安、甘やかされている者の傲慢、自己中心的なる者の奔放、愚かなる者の率直、感情的なる者の勇気。・・・・・これって日常の自分(私)だな・・・と。

 プラスイメージとマイナスイメージの中で翻弄される自分があります。

 作家の感性のすごさだと思いました。

 愛されている者の自信、あるいは愛されていないと思う不安、甘やかされている者の傲慢、自己中心的なる者の奔放、愚かなる者の率直、感情的なる者の勇気・・・・・

 これっって?。

、思わず、何度も何度も、読み返してしまうのはなぜでょう?

 

2009年9月6日
 すでに2学期がスタートしています。先日パーソナルクラスでちょっと背が伸びた子どもたちと再会しました。インフルエンザのこともあり、これからの2学期の塾の運営もいろいろ考えないといけません。トイレに消毒剤をおいていますが、私はタオルを撤去したら・・・と提案しましたが、DIGの実験などの際、小学校低学年にタオル持参を徹底させるには、時間がかかるのではと思う気持ちもありました。
 この夏休みはほとんど隣のゴミ出しや2学期以降のイベントの下見などで過ぎました。隣の庭にどんどんシソが育つので百枚単位で収穫して醤油漬けにしました。下にこの夏一押しの我が家おにぎりをご紹介。
普通ににぎる。 シソ醤油漬けをまく。 そのうえから海苔を。



 イベントの下見で、去年のカヤノ平に行ってきました。アサギマダラも1頭飛んでいました。フジバカマもたくさんあるので、今頃がピークかも知れません。1500m級の管理棟付近は立派なブナ林で、清涼な空気の中、ふかふかの森を歩きました。もちろんキノコもスタート。今回はヌメリツバタケモドキ、各種のヒラタケがたくさん顔を出していました。これも画像を紹介。
ヌメリツバタケモドキ ウスヒラタケ アートなカワラタケ フジバカマ・・・これにアサギマダラが来る




 本格的な休日は3日〜4日でした。山荘で過ごし、お天気が良かったので、キノコの具合を見に森に入りました。まだ早いと管理人さんはおっしゃっていましたが・・。森にはブナの実がたくさん落ちていました。ただ、拾ってみると、どれも実がはいってなく、薄っぺらなものでした。早く落ちたからこうなのか、今年は不作なのか・・・、と福島と話して歩きました。森のブナの実の出来不出来が熊の出現と関係すると三村さんがよく説明してましたから、気になりました。
 
 帰りに新潟の妻有大地の芸術祭トンエンナーレに滑り込みで行ってきました。松代〜松之山を巡ってアートに魅了されました。同行した娘たちは初めてだったので、農舞台からスタートし、脱皮する家〜夢の家と回りました。平日にもかかわらず、たくさんの人が訪れていました。彫刻刀で刻まれた柱や床の間、梁や床は見ていて愉快になりました。かぼちゃを買って帰って思い出しています。
実の入らないブナ 白い花(?) 脱皮する家の床 コロッケハウスから アートなかぼちゃ
 ご無沙汰の分、画像をサービスしました。

2009年8月15日
 「激しい夏風邪」
 敗戦の日に私も白旗をあげています。
 この10日(月)より1週間近く夏風邪で伏せっていました。3日間は熱が下がらず、やっと熱が下がったかと思うと咳が切れませんでした。お医者さんで「夏風邪」といわれ、薬を飲んで大人しくしていました。5日目にやっと、睡眠が戻ってきました。いままで熱と咳で1時間きざみの睡眠しかとれなかったので、寝た気がしません。とくに早朝の地震などに遭遇すると体調不良の分ダメージが強かったです。
 原因は苗場の気候にやられたのと、休みなく動いた疲労の結果だと思っています。無理のきかない体になったという証拠です。気持ちは4日間楽しく料理を作っていたのに・・・。睡眠時間6時間弱で前半は1日に2時間くらいは休憩を取っていたのですが、中盤からは仕事が押してほとんど動きっぱなしだったのです。来年の課題です。力の使い方を考えよう・・・・、そうしないと帰ってからが仕事になりません。

 珍しく食欲もなく、ひたすら眠りたいと思う1週間を過ごし、『体が資本だ』とはよくいったものだと感心してしています。
 
 明日もう1日グダグダして月曜からはリセットしたクリアな頭で仕事したいです。

2009年8月7日
 無事、苗場のサマースクール3つが終わりました。今年も自然体験の4日間に山下はスタッフとして参加しました。もちろん食事担当です。今回の主役は例年通りの卒業生家庭協力のお肉と那須のトマトでした。メイン料理は1日目が鶏の唐揚げ、2日目は牛丼、3日目はポークカレーでした。それに那須のトマト、キャベツ、茄子などが色採りとして加わりました。私たちは自然体験サマースクールの前々日に休憩を兼ねて、那須に行って鹿の湯に浸かり、新鮮な野菜を仕入れていたのです。

 今回はお天気に恵まれ、外遊びが充分でき、たくさんの動物にも出会うことができました。たくさんの昆虫、うさぎ、たぬき、猿・・・・コウモリをフクセンが捕まえて、しばらく観察していましたが、最後に死んでしまって野生動物のナイーブさを子どもたちは感じ取ることになります。外遊びの子どもたちはフクセンの指導でたき火をしました。そこでマシュマロを焼いたり、いろんなものを焼いていたようです。初めてマッチをつける子どももいました。2階のリビングに煙がやって来て急いで窓を閉めるシーンが毎日ありました。
 中で遊ぶ子どもたちも少数者ながらいました。テーブル卓球をしたり、カードゲームや将棋などに興じていました。見るとリーダーになる子どもが出てきたり、しゃべり続ける子どもが回りから、「うるさい」と逆襲されていたり、初めての子どもに経験者が卓球を教える姿があり、それらを見ながら、山下は料理をずっと作っていました。

 ヤマドリハラという場所があり、雑木林や山野草の豊かな森を保護している場所です。そこを歩いてネイチャーサインを探しました。最後には執念でフクセンが貯めフンを探してきました。赤谷の森を守る指導者の方が来て下さって、一緒に歩いてくれました。

 夜には暗くなってから、近くのダムサイトにクワガタを採りに行きました。ここは有名になってしまってライバルが多くなり、そう簡単には手に入らなくなりつつあります。千葉からキャンピングカーでクワガタを採りに来てる家族があったようです。すごいスポットとして名前が広まってしまったのですね。

 最終日の朝に早起きをした子どもたちとフクセンがタマゴダケを取ってきました。夏から秋にかけて雑木林に出る「高級なきのこ」です。最初は白い卵から始まって、最後には真っ赤なきのこに成長する美しいきのこです。味は・・・・淡泊で柔らかい感じです。コンソメやポタージュなどのスープに適しています。

 のりとくんもブログでまた別アングルからリポートしてくれるだろうと思います。下に山下の記録を一部紹介します。
ブヨにやられて手当をしてもらう子ども つゆでシャブシャブして隣の鍋に移す牛丼 今年もバイキング、残食なしの約束 湯むきのトマトが大好評、野菜が一杯 早朝に取ったタマゴタケ、いいタイミング 今夜タマゴタケをミキサーでポタージュに

2009年8月2日
 家の外壁塗装をしました。足場がかかり、家全体をすっぽり養生シートで覆われた生活は異常な体験でした。戻ってきた梅雨前線の影響で作業がはかどりません。ストレスの一番のピークは先々週の木曜、金曜あたり。あまりの風のなさに夜中に養生シートを少し破りました。7月30日にめでたく全行程を終え、すっきり塗られた我が家を朝出勤時に見ることができました。「家はまめに手を入れて長持ちさせるものよ」、との姉の忠告に従い、塗装工事を決めました。補修の必要個所も発見されました。階段下の鉄部から水が侵入し、木材が腐食し、よく見るとアリの食った跡もありました。隣のボロ屋もこのお盆休みに片づけが終了します。あとは業者さんが壊してくれます。50年分の思い出のつまった家を整理するのはとんでもない作業でした。いろんな時代のものがでてくるからです。でも、これで大きな課題から解放されるわけです。フクシマも仕事をやりながら、よくやりました。息子や娘もできる限り労力を提供してくれました。なんだか、我が家の節目が確実にやって来た感じです。
シートをかぶった我家 足場が不用心 鉄部裏の腐食 全体像・・右が古屋 ☆最近特に気に入っている酒器

2009年7月21日
 少し時間ができたので、自宅の棚の整理をしました。塾通信の原稿を年度順に整理したり、助成金の申請手引き書で古いのを捨てたり、棚がすっきりしました。その作業の途中、3年前の社会科の教材が出てきました。最初は文章に覚えがなかったのですが、読んでいくと、ぼんやり記憶が蘇ってきました。そうだ、都立の入試発表が終わって、問題を解くことから解放され、テーマ学習になるタイミングでいい文章を探したけど、どれも「帯に短し、たすきに長し」で、自分で文章を書いて教材にした時のものでした。

 よくできてると、我ながら思ったので、教材のファイルを探すと、データが残っていました。さっそく「山森ばなし番外編」を作ってみました。長いです。お時間のあるとき、をクリックして、飛んでお読み下さい。

 今は土曜日のパーソナルクラスを担当するだけになった山下ですが、毎週中学3年生と社会科を勉強していた時代が懐かしくなりました。

2009年7月18日
「神さんが通る・・・」
 「熱湯を捨てる時、流しにダイレクトに流さないで水で薄めるなど、あらかじめ冷ましてから捨てて下さい。配管の耐熱温度は60度です・・・」と注意を喚起する文章を読みました。なるほどこう説明すればいいのか・・・と関心したので、書くことにしました。
 
 私は関西の出身で子どものころから、熱湯を流しに捨てようとすると、年配者に「ああ、その下を神さんが通るで〜」と注意されていたことを思い出します。神さまと言わないで関西ですは神さんです。豆類はまめさん、祇園祭もぎおんさん、なんだか「さん」をつけると身近で親しげのある言葉になります。おっと、脱線・・・。その「神さんが通る」という言い方が「熱湯をむやみにすてること」をタブーとして、戒めていた言葉だったのです。私は子ども心に「神さんが通るから、熱湯をかけるとバチがあたるんやな・・・」と理解していました。その当時の関西では、当たり前に通用する表現でした。

 ところが、十数年ほど前から、山荘でみんなで料理をしている時、中学生のみならず大人までも、平気で熱湯を流しに直接捨てようとするのです。私は「ああ、ちょっと待って、水を流しながらやって。」と注意します。みんな、素直に水を足しながら流してくれるのですが、ある時大学生が「なぜですか?」と私に聞いてきました。私は内心「神さんが通る」では通用しないかもしれない、もっと、合理的な理由を言わないといけないな・・・・と一生懸命考えて、やっと「配管が痛むと思うよ」と答えました。大学生は納得して「ああそうですか」と言ってくれました。
 あの時、合理的な理由だけじゃなく、熱湯を捨てることを神さんという存在を使って戒めている「何か」文化的理由があると、うすぼんやり思っていました。それを伝えることはできませんでした。今もよくわかりません。
 
 ただ、最近読んだこの注意を喚起する文章は合理的な根拠を数字を挙げて展開している。これもまた、これで素晴らしい。
 
 どなたか、なぜ関西では「神さんが通る」なのか、文化的な側面で説明しているものをごぞんじありませんか?

2009年7月11日
 「はじめての選挙」
 もちろん、娘のことです。最近は自治体も親切なことに、初投票に備えて「心配ないよ」という内容のハガキを送ってきます。投票日前に通知が来るから、それを持って近くの投票所にいけばいい・・・・というものです。可愛いイラスト入りで投票というものを、気軽に明るく演出しようとする感じが伝わります。
 娘はチラッとハガキを見て、「お母さん、私、誰がいるかわかんないけど・・・・」と言います。今度の都議選です。私は「どっかにポスターあんじゃない・・・」といって話はそのまま終わりました。

 その後、ある日の夜、娘が部屋から出てきて、「お母さん、びっくり。高校時代の友達から電話かかってきて、お兄さんの知り合いの○○さんがいい人だから、次の選挙で入れて・・・と言うのよ。高校時代、そんなに仲良くなかったし、ずっと話してなかったのに、選挙のために私に電話してきたのかな?」と興奮して言います。このへんが我が家の子らしい。一切の偏見がないというか、情報不足というか・・・。今もたまたまお兄さんの知り合いが選挙に出て、今回のみ意を決して、古い友人に電話かけているのか・・・・と半信半疑で迷っています。でも、おかしいとセンサーがピピッと反応しているから、母に尋ねてくるのです。
 私は公民の先生のように淡々と説明しました。日本には常に選挙前に動員をかけられて、知り合いという知り合いに熱心に投票を依頼するグループがあること、それはある宗教の信徒で、日頃からの繋がりが強く、みんなで助け合い、グループでその宗教と関係の深い政党を常に全員で支持していることなどを、信教の自由、人権、参政権という観点で説明しました。
 娘の最後の一言「そんなことを繰り返していると、あの子友達いなくなっちゃうよ・・・」でした。

 数日前、新聞の広告に紛れて選挙公報が入っていました。私は娘に渡して「これで考えたら・・・・」と言いました。
 前の木曜日、期日前投票に行く私は娘に声をかけました。「私はこの日曜日に投票場に行けないから、前もって投票にいくけど、あなたは日曜日に行く?」と。娘は「私も用があるから、一緒にいく」という答。2人で期日前投票に出かけました。地区センターまでの道のり、娘は投票する人を2人に絞ったあと、書く直前で決めるという私の手法に乗り、その絞った2人の名前を唱えながら、忘れないように自転車をこいでいます。娘は投票場のブースで私の書いている人をチラッと確認して、そうじゃない人を書いたと言っていました。なぜかと聞くと「私の独自性を出すため」だそうです。絞るところまでは黙って聞いて、流れにのったくせにと思いました。

 私は塾で公民の授業をしていた時代が長かったです。その中でいつも言っていた事は「選挙に行かない人とは口、きかないよ(つまり、付き合わないよ)」でした。選んでこそ文句が言える。人任せにした政治状況には文句は言えないからです。今の政治家が悪いから、投票する気が起きないとか、誰がなっても同じとか・・・・甘ったれて、聞くに堪えない、ぶっさいくな言い訳です。
 また、選んだ結果はずっとあとあとの人に影響がでることが多いです。選挙に行かずに選ぶことを放棄することは将来の人々にとって死活問題です。選挙に熱心な一部の人が日本の未来を決めている状況は恐ろしいことです。「選挙に行かない人は子どもを作ってはいけない。」激しい意見です。少子化を助長する考えですが、本心です。今も、卒業生で私の前でおおっぴらに棄権したと話す人はいません。なぜって、私はその人と口をきかなくなってしまうからです。

 影響を強く受けた西東京市の市議(当時は田無市)の存在がきっかけで、選挙に関わることが多かった時代があります。塾で知り合いになった人にも、私の立場を明確にしていた時期でした。その方もなくなり、その後を継いだ友人の市議選までは市外から応戦をしましたが、その友人が引退してからは、西東京のことは西東京の人が考えるだろうともっぱら、静観しています。その関連で山下の政治的な考えをぼんやりみんなは知っていたのか、前出の宗教団体の方から声をかけられることはめったにありませんでした。たった一度20代の塾関係者から電話をもらったときは、本当にびっくりして、「残念だけど、私はその政党には入れないから。これからは電話かけないで。」と答えていました。

 ちょっと、書きながら熱くなっていました。このコラムを読んで下さっている卒業生の皆さん、誰に投票するかなど興味外ですが、きちんと投票しているか、興味をもって見ています。どうか、これからも口がきける関係が続くよう願っています。 

2009年7月4日
 助成金の08年度の確定や09年度の決定通知をいただいて支払いを待つ状態となり、都庁の事業報告や法務局への登記申請も郵送して、ここで一息ついているところです。塾通信も昨日、印刷しました。

 こんな時にしかできないのでコラムの最新版を軽くすべく、古い時代のものをお蔵にいれる作業をしました。2001年1月24日からずっと続けている「山下由美子の山森ばなし」ですが、お蔵にいれたファイルはこれで9個目となりました。最近のブログと比べると意外とアナログな作業をしていると思われるでしょう。古い時代のものは、この最新版の巻末に縦に並べてリンクをつけました。横に並べるには数が多く、見づらくなったからです。お時間のある時はのぞいて下さると嬉しいです。

 さて、考えるとどなたが読んでくれているかわからないコラムに、せっせと文章を書く私の動機ですが、やはり自分の来し方を振り返る一つの道具として・・・が大きいです。それとどうしても山森といいながら、子育てがテーマとなりがちなので、同じ時代に同じように親として心迷う仲間に向けてのメーセージでしょうか。あと一つ、これが一番かもしれませんが、いつか我が子が親になったときに、このコラムで等身大の母と出会って欲しいということがあるのかもしれません。何も公開の場で・・・・と思われるかも知れませんが、なるべくフェアーな文章にしたいので、ギャラリーの客観的な目を意識して書けることろがコラムの長所です。やたらとハッピーや感謝を繰り返したり、逆に書き進む内にどんどん被害妄想の穴に陥るような、独りよがりな文章になることを防止できます。感情がほとばしるような文章はだれとも共有しにくく、これこそ一人ゆっくり日記に記し、温度が下がった後、読み返すと自分洞察の良い機会になるのです。また、私の場合は高温で湯気が立っている状態の時は回りにしゃべって温度をさげているみたいです。だから、私の文章はおしゃべりの分だけ、冷却されていると思います。ぶつけられるフクシマはたまらないでしょうが・・。 

 さあ、1学期もあと約1週間。夏は3つのサマースクール合宿と8月末の田無教室でのサマースクールがあります。若手の起用で少しフクシマに余裕ができると良いのですが。今は将来に向かって種を蒔いている丹誠塾です。

2009年6月28日
 「私らしい選択」
 コーヒー豆の抽出した残りを乾燥させて脱臭剤として使っています。車の中の脱臭にとても威力を発揮します。
 先日、出かける前にこのコーヒー豆カスを入れる袋をちゃっちゃっと縫っていこうと思い、ミシンを出しました。足踏みミシンを電動に改良したフクシマの母から譲り受けたミシンです。重くて持ち運びが大変ですが、私は気に入ってこの5年ほどはこのマシンでいろいろ制作しています。そう、ミシンはマシンからきた言葉なのですね。
 ところが、上糸が何度通しても切れてしまいます。しかたなく色目が違ってしまいますが材質を変えて糸を設定しました。多少ましにはなりましたが、3pしては切れ、5p縫っては切れして、何度も糸通しをやる私の目はほぼ限界。原因は下糸と上糸の調整と布との相性でしょう。ただ、急いで朝縫ってるので気持ちはあせるばかり・・・・。ええっとやっつけ仕事をして、「安いミシンを買おうかしら・・・・」という気持ちがむくむく湧いてくるのをおさえながら、駅に向かいました。
 それが一昨日のことでした。
 
 昨日の午前中、今のミシンをネットで研究しました。そして購入するなら、15,000円の電子ミシンにするか40,000円くらいのコンピューターミシンにするか比較していました。考えあぐねて、念のため、母のミシンを取り出し、糸を調節し、いろいろな布でゆっくり縫ってみました。重いのは出し入れには不便ですが、使用時にはこの重量感が安定を生んでいます。力強いリズミカルな音で針が進みます。こんな感覚はコンピューターミシンはあるのかしら・・・と思った時、気持ちは決まりました。
 ハンディさや即戦力を求めると別ですが、きちんと糸や針を布に合わせれば、快適にに縫えます。便利さも重量感もと、オールマイティーを求めても所詮、そこは機械。人間がキチンと準備をし、ある程度メンテナンスをして使うのが私らしいと思いました。やっぱりミシンは鉄のかたまり。重いミシンを私は好ましく思っているのでした。

 結論。不便は時には安心につながる。2〜3ヶ月に一度しか出さないミシンだから、重くてもいい。でもその時はうんと時間をとって、縫う布に糸や針をきちんとあわせて、心穏やかに縫おうと決心して、価格ドットコムの比較表を全部捨てました。

2009年6月18日
 「今やることから逃げる」
 今日は書類仕事の仕上げのためにとってあった日なのですが、朝起きた時から、なんだか気が乗らず、かといって本を読んで1日を終えてはいけないと戒めていました。
 台所で、とりあえず買ってあった山たけのこをゆがく作業から始めてみました。これは今日やらないといけないことだったので。
 
 気がつくと庭のシソをゴミ出しのついでに100枚ほど摘んで手に持って台所に帰ってきました。洗って、2枚のタオルを使って水気を切って、あれれ・・・・、手が勝手に一箱500円で買ってきて完熟にしたトマトを洗っていました。トマトソースです。十文字に包丁を入れて、へたを取って、大きな鍋がグラグラ煮たっているところに落とし、網ですくって冷水へ・・・。ツルリと自ら皮を脱いで、トマトが「早くソースにして!」と言ってきます。この辺でゆっくりトマトを刻みたいのですが、「今日は書類仕事をやるから、」と心を鬼にして、フードプロセッサーを取り出します。ニンニクをすって、オリーブオイルで炒めて、次々とフープロからはき出されるトマトソース予備軍を鍋にいれていくと、あっという間にソースの仕込みが終わりました。あとは半分ほどに煮詰めるだけ・・・・。終わっちゃった・・・・。
 だから、もうパソコンに向かわないと思い、こうやってコラムの更新に逃げています。

 天気が良いと庭の草むしりをしてから、書類に向かうのにな・・・と思いつつ、画像をつけようかと考え中。

 そうそう、先日のチマキを各所に差し上げました。以前差し上げて好評だった方、初めての人にも少しずつ、味見に差し上げました。リピーターの人は丁寧に感謝の言葉を贈ってくれます。初めての人で気に入った方は、それぞれの言葉でやはり伝えてくれました。なんの感想もいただけない人はたぶん、食べてないか、お口に合わなかったという表現だと受け止めて、無理じいしないように、そっとリストからはずすことにしています。
これだけで500円  (千葉の道の駅) しそは醤油だれにつけているが、毎日収穫がある 十文字に包丁をいれると後が楽 自分でツルリとむけたトマト フードプロセッサーはあっという間に・・・ これで半分に煮詰めて冷凍の予定

2009年6月14日
「特別の料理」
 サマースクールの下見が中止になったので、家でのんびり日曜日を過ごすことになりました。しかし、この際だから、料理をしようと思い立ち、息子が前々から希望していた「中華ちまき」をつくることにしました。
 「中華ちまき」は約15年前、友人のNさんに教えてもらった「特別の料理」なのです。なぜ特別かというと材料がなかなか揃わないので、準備段階が長く、満を持してつくる・・・・・という感じの料理だったからです。
 一番手に入りにくいのが、竹の皮。なるべく長めの方が巻きやすいです。次は高額で手に入りにくいのが干し貝柱と干しエビ・・・・。そして、普通にスーパーで手に入る食材は干し椎茸、クコの実、松の実、なつめ、干しブドウ、クルミ・・・・・・。地方に行った時に手頃な値段のものを少しずつ揃えて、一年に一度くらいの間隔で作っていました。しかし、この5年、どういう訳か、めっきりご無沙汰の料理となっていました。
 つい3ヶ月ほど前に群馬でクコと松の実を見かけて、何とはなしに購入して、冷蔵庫の隅で保管していたのを、息子がめざとく見つけ、「おかあさん、あれ作ろうとしているね。久しぶりに食べたいよ・・・。」とリクエストします。「そうね、ずいぶん作ってないね。こんど東北で貝柱を安く買ってくるから、作ろうね。」と話したことがありました。
 一方、介護事務所の友人はこの一年、ちまき用にせっせとわたしの机に包装用の竹の皮を置いていってくれます。竹の皮ももう、購入していた30枚を入れると、50枚以上になりました。

 そこで本日断行。早朝6時より干し貝柱と干しエビを焼酎(本来は酒ですが、私はもっぱらJINRO)に浸す作業からスタート。餅米や干し椎茸はもう、昨夜より浸してあります。先日より焼き豚も自作してスタンバッテいます。はっかくの香りがプンプンします。

 友人Nさん指南、山下アレンジの我流「中華ちまき」レシピを披露しましょう。
15年前のメモが頼り。味つけは塩こしょう、醤油とシンプル。 ごま油で、きざみしょうが、ネギと餅米を炒める。半透明になると実などを入れる メインをはる焼き豚と貝柱は包む時に登場する。 包みスタート。こんな風に正三角形をつくようにする。 手前に引いて、しっかり包む。 ここまでくるとフィニッシュ。
 息子はできあがりをメールで問い合わせてきて帰宅し、2個を熱いうちに食べて、20個を持って、帰って行きました。蒸し器がないというので、簡易に鍋を蒸し器に変身させるグッズをあげました。(息子も電子レンジはない様子)
 
 「中華ちまき」を作り終え、大きなイベントが終わった感じになりました。さあ、次は何年後に作るかな?
タコ糸できっちりまく。固結びにはしない。 蒸し器で30分以上。 熱いところを召し上がれ。

2009年6月8日
 「覚醒の一歩前}
 目が覚めて、ハッキリ意識が整う直前の瞬間を言っています。ここ一ヶ月、ちょくちょく、この瞬間を意識することがあるので書いてみたくなりました。

 この瞬間は自分が何者かも分からない、もちろん今日が何曜日か、今日どんな仕事が待っているかも意識していないホンの短い時間なので、いつもいつも感じられるとは限りません。とくに寝不足の時や眠りを妨げられた形で起きると、これを感じることは困難です。睡眠のリズムと覚醒のリズムが良い感じでハイタッチして交代したあと、ゆるゆると目が覚めた時に多く発生します。(私の感覚です)いまのところ、良い感じで覚醒の一歩前を感じて起きている私ですが、辛い覚醒の一歩前もありました。

 それは昔昔、小学1年生の娘が学校生活に1ヶ月で疲れて果てて、不登校になった時期でした。前夜は元気に学校の支度をして就寝する娘は朝になると隣のベットでしくしく泣いて朝が始まります。私たち親は最終的には同伴登校という形を取って、娘の適応を見守った経緯は「悩める者の部屋」で報告させていただいていますが、とにかく、月曜日には娘は水分のきれた植物のように、しおれて学校生活にギブしていた時期のことでした。
 そんなとき、目覚めてすぐは「シーン」と自分が何者か、今日は何曜日かも意識のない「覚醒前」の頭でいますが、「ジーン」と現実が1秒ほどかけて蘇ってくるのです。その感じが本当に辛くて、「あ〜、またこの感じ・・・・〜」「娘のことで困ったことがあったんだ〜そう娘が心配〜」「そうだ、今日も学校を怖がってしおれているかな〜」「ちょっと隣のベットをのぞいてみよう〜」とこんな風に朝が始まっていました。実際、「シーン」と意識がはっきりしないタイミングを意識しているので、その後の「娘の心が心配〜」という意識が蘇ってくるのが本当に「ジーン」と辛いのです。
 この表現わかりますか?わかりにくいですよね。万人にわかるように表現できないのが私の才能の無さなのですが・・・。でも、不思議なことに、その後出会った同じ不登校の相談で見えるお母さんは分かってくれるのです。
 だれにでも、この「覚醒前」のことを話すわけではありませんが、「この人は正直だな〜」と感じる人には、思わず尋ねていました。「朝起きたとき、じわっと子どものことが意識に蘇ってきて辛いでしょう?」と。ほとんどのお母さんは不意打ちをくらったような顔をして涙を流してしました。やっぱり、同じ思いの人はいるんだと内心、思っている自分がいました。

 最近の「覚醒前」感覚はこれほど辛いものを伴っていません。きっと、子どもたちは成人して、自分のことは自分で困って自分で考え、自分で進退を決めるステージに進んでるせいでしょう?

 最近の「覚醒の一歩前」感覚は本当に不思議で、「シーン」として、自問自答している時間なのです。「さて、私はだれ?何者だったけ?」「そうだ朝だ。そう私は私。」「今日は○○曜日」「仕事は○○」「う〜ん何時かな?」この間たぶん2秒くらいでしょうが、私にはずいぶん長く意識されています。その後不思議な感じで「やましたゆみこ」になって日常が始まっています。

 心のステージに大きな懸案ごと、たとえば塾の次年度の規模を決める契約時期、ガン検査のあとの結果を待つ時期、助成金の役所が監査の時期をすりあわせた来た時期、その他気がかりなことがある時期だと、こうのんびりな覚醒前は味わえないとは思います。「シーン」からすぐ「ガーン」と現実が押し寄せてくると思います。

 ・・・・・書いたことを読み返して、分かりづらくてアップするのをやめようかと思いますが、読んで下さった方で、もしかしたら何%かの方が共感持って下さるかもと思い、残すことにしました。

 「シーン」、「ジーン」、よりによって「ガーン」なんてね。表現力が貧困ですよね。どうも申し訳ない・・・。

2009年5月30日
 「相性のよい食材}
 季節毎に好きな食材はたくさんありますが、今イチオシのものが「山椒」です。
 木の芽も好きですが、実も好きです。今までに庭で2度、植木鉢の山椒の木を育てたことがありますが、結局、2度とも失敗して枯れてしまいました。今度は直に植えようと苗を探しています。
 
 昨年、事務所近くのPというスーバーで実山椒の佃煮と出会いました。大変気に入って、少し高めですが、なくなったらまた買って、計7回ほど買っていました。あるとき、890円の商品を960円とレジで打たれたので、間違いを指摘すると、「もう値上がりしてこの値段になります、」と店長らしき男性の言葉。そんなバカな〜。「商品の店内の表示はどこにも960円とはなってない。890円の表示を残しているから、消費者が間違うでしょ。レジで値上がりしましたと高い値段を請求するのはおかしい。表示通りで売って下さい。」と私は当然、主張します。その男性の対応はグズグズで、わたしの言葉を適当に聞いて、方針をはっきり出さないまま、私を待たせ、店内表示とレジの値段が食い違っている原因を探し始めました。「今することは、それかな?」とあきれてしまいました。私は「早く、この値段で売って下さい」と再度、声をかけました。本来こんなことをお客がいわなければ、ならない状況が情けなかったです。
 
 待たされながら、私は内心「こんな管理する人が接客のイロハを知らない、Pというスーパーの人材不足が知れるな・・・。品質管理もずさんなものだろうな。上級指向ぶってるが、そのじつお粗末な内実なのかな?」と思っていました。もちろん、最終的には890円の値段でレジは通りましたが、店の対応にとても不快感が残りました。その後、Pでは必要最小限の買い物だけしかしていません。
 この下りを長々書くとただの愚痴なのですが、さあ本題はここからです。
 
 私は実山椒の佃煮がとても気に入っていたのですが、Pから購入するのはやめようと思っていました。だから、ネットで実山椒を手に入れようと考えたのです。そして材料を買って自分で佃煮にしようと・・・・。探すと京都の業者が実山椒を販売していましたが、5月の連休明けくらいからの販売ということでした。あと半年近くあります。わたしはその業者に予約を入れて、実山椒の到着を楽しみに待っていました。
 春が過ぎ、梅の実もふくらむようになって、やっと連絡がありました。そして、実山椒が届いたのがこの木曜日でした。夜8時以降にクール便で届いたその実山椒は初めてみる新鮮な緑でした。香りがハンパなく高く、実にフレッシュなのです。さっそく指南書通りに洗って、ゆでて、水につけてアク抜き作業が始まりました。ピリピリ感を残すにはあまり水につけ過ぎないこととネットにありましたので、金曜日夕方仕事が押して帰りが遅くなったときは、気がきではありませんでした。「早く水を切って処理しないと・・・。」と雨の中急いで帰ってきました。私はあのピリピリが大好きなのです。

 それからは夢中で山椒味噌、山椒醤油、佃煮を見よう見まねでつくっていました。一番楽しかった作業は実と軸をはずす作業でした。比較的大きな枝毎になっている実を小さなパーツに分けてペーバータオルで水気を取ります。そして小分けに袋詰めして冷凍しました。まるで編み物をしているような細かな作業ですが、なんだか実山椒を購入したのはこの作業のためかと思うほど楽しかったです。そばで見ていた娘も私が何も言わないで楽しんで手を動かしているので「手伝おうか」とも言わないで自分のことをやっていました。
 そうこうして、2キロの実山椒はほとんどは冷凍庫に、あとは味噌、醤油、佃煮となって冷蔵庫に収まりました。

 これから、一年、次の5月まで、イワシやサンマを煮たり、じゃこと合わせたり、擦って味噌と合わせたり・・・・料理のバリエーションを拡げてくれる、私ととても相性の良い食材として、我が家で大きな位置を占めることになるでしょう。

 Pスーパーのグダグダの店長に感謝かな?
さっとゆでています 水洗いをしっかり 半日ほど水につける ゆでた汁、香りがいい。何かに使えないかな?(業者にメールで尋ねてる最中) 軸を取ってこれからすり鉢で擦ります 佃煮にしているところ

2009年5月20日
 「偶然の出会い」
 フクシマが「人に酔う状態」になってきたので、自然や源泉を求めてやはり火曜日は遠出してきました。朝早く起きてお弁当をつくって目指したのは万座温泉。白根山ルートが開通しているだろうということで、火口付近のあのスケールのパノラマを見て源泉につかり、1週間の鋭気を養おうというもくろみ。
 ところが本庄児玉から藤岡ICの間5キロ通過が2時間以上という事故が直前に発生。急遽、本庄児玉ICで一般道におりました。榛名山南麓を草津に抜けようとナビが誘ってきたからです。

 その406号沿いにその店はありました。フクシマと私はそこの農産物の駐車場でお弁当にしようと降り立ったのです。すぐ店の奥から年配の女将さんがにこやかに声をかけてくれます。みるとたくさんの山草が並んでいます。立派な行者ニンニクが目立ちます。よく見ると下の白い部分があまりありません。そこがおいしいのにな・・・・と思っていると、女将さんが「行者ニンニクの醤油漬けよ。召し上がって」と近づいてきました。いただくと大変おいしい行者ニンニクです。私が「白い部分がありませんね」と尋ねたのがきっかけで、女将さんとの長いお話が始まりました。

 自分は金沢の出身で子どものころから山野草に非常な関心があり、牧野先生の本を少しずつ買って読んだという。結婚して群馬に来てからはここでみょうがを育てていた。しかし水耕栽培のみょうがが他県から入ってきて、みょうが栽培はすたれてしまった。今は農作業をしながら、自分の山で各所から苗をもらって、野生山草の栽培をしている。その行者ニンニクは秋山郷の農家からもらった苗で増やしたもの。私は絶滅している山野早をなんとか繋いで育てている・・・・。ざっとこんな内容。

 山菜ツアー間近なこともあり、買い物は適度にして、万座に向かおうと思っていた私たちの足を止めるには充分な人物でした。その後、話の合間に女将さんが私たちにごちそうして下さった品々を書きます。山のくるみ、山菱、20種類の葉を刻み煮出したお茶、自家栽培のなめこなどの味噌汁、黒豆味噌で味つけた行者ニンニクと挽肉椎茸の炒め物、きゃらぶき、たくわん、さっきの行者ニンニクの醤油漬け、梅の砂糖漬け・・・・・などなど。持参したおにぎりに行者ニンニクと挽肉椎茸の炒めたのをのせて食べたフクシマはご満悦。「オレの好きな味。どれもホンモノの味・・。」

 そこに2時間近くお邪魔していたことになります。「ここはどこですか?今度来るとき、迷子になりそうだから教えて下さい」と地図を差し出し、荻生というところだと知りました。お土産に黒豆味噌や行者ニンニクを買いましたが、女将さんからもらった山菜のほうが多いのはもうしわけないくらいでした。結局、私たちは万座までは行かず、草津の大滝の湯に浸かって帰りました。お土産の品々とともに・・・。

 女将さんの画像も紹介したいのですが、次回訪問したらコラム掲載の承諾をいただいてからと思い、山菜や料理などを紹介するにとどめます。サクランボやインゲンは榛名山南麓の農産物店で購入したものです。この農産物も良かったです。
行者ニンニク 梅の砂糖漬け 女将の貯蔵蔵 黒豆味噌 女将に言われて酢の物にしたシドケとウド 今朝の作業の結果

2009年5月14日
 「山菜ツアー」
 春の進みを調べに山荘へ行ってきました。月曜日の深夜に出発して、火曜日の朝からたっぷり山歩きをしてきました。
 管理人さんの話によると4月22日あたりに雪がたくさん降って再び冬に逆戻りしたそうです。そのせいか去年より春の進みは若干遅めでした。かぐらスキー場もまだ営業しており、駐車場は半分くらいうまっていました。今年は24日あたりまで営業する予定みたいです。
 山菜の進みはフキノトウが終わって、黄緑のコゴミが立派なシダ植物になっている段階でした。残念ながら、コゴミのタイミングには間に合いませんでした。山ウドはあと2〜3週間くらいかかるかな?という感じです。(やっと山森ばなしっぽくなりました)

 タイミングがバッチリあったのがスミレです。薄紫のタチツボスミレという種です。山の幸料理の大先輩である「湯ノ小屋温泉」の「葉留日野山荘」の女将さんから、20年ほど前に貴重なジャム作り方を教わりました。ズバリ「スミレジャム」です。「葉留日野山荘」ではこのジャムを紅茶に入れて朝食の後に出していました。紅茶の色がジャムで薄くなり底にスミレが可愛く沈んでいるラブリーな紅茶でした。

 レシピは簡単ですが、ジャムにするほどスミレがありません。ところが今年は山荘回りだけで十分な収穫ができるタイミングで、私は山歩きの最後はこのスミレ摘みに没頭してしまいました。一つ一つ軸を短く残して花だけを摘み取っていきます。摘んでも摘んでも1割も減った感じがしないほど、たくさんの群生があちこちにあります。本当に山荘のまわりだけで軽くざる一杯になりました。

 他に山菜としてミヤマイラクサ(アイコ)、ウワバミソウ(ミズ)、ヨブスマソウなどが沢スジにたくさんありました。デジカメを忘れたのでお見せできないのが大変残念。トリカブトと並んで猛毒とされるハシリドコロがきれいな花を咲かせて、これも群生していました。う〜ん、紹介したかったです。私は以前山菜採りを始めた頃、この二つの毒草の鉢を庭に置き、毎年新芽から育つまでを観察して、どんな小さな状態からも、毒草の区別がつくように、眼で学習していた頃がありました。だから、ハシリドコロは新芽のころから区別ができます。花が咲いてしまうと100パーセント識別できますが、新芽の頃は紛らわしいのです。

 さて、山歩きに満足した福島と私は今イチオシの石窯パンを目指して六日町まで行き、イタ飯も堪能して帰路につきました。帰ってすぐやったことはもちろん、スミレジャム作りです。これは画像を紹介します。出来上がったジャムは喜んでくれそうな熟年のご婦人たちに分けて、残りは次の山菜ツアーに取っておくことにしました。ツアー後は山荘の冷蔵庫にいれて、利用者に自由に楽しんでもらおうと思っています。
←良く洗い、平標山の雪解け水、グラニュー糖、レモン汁でスミレを煮るだけ ←30分ほどグツグツさせて煮詰めると出来上がり→

2009年5月6日
「一つの区切り」 
 隣の古屋を片づけています。
 友人から貰った器などでずっと使ってなかったもの、自分の陶芸の初期作品、結婚するとき書いた文章、友人の結婚パーティーを仕切ったときのプリント、古い手紙や写真などなど・・・・。捨てる行為は時期を区切ることと知りました。こんな時もあったな、これは処分、これはもう少し保存・・・・と判断していき、炭カルのごみ袋が10袋ほど出来上がりました。まだ23区は有料化されてないので、有り難いです。
 福島は幼児から住んでいる家なので、大量の想い出と大量の教材の山と格闘しています。大きなダンボールから出てきた「子どもたちの絵本」。○だけを使って色と台詞をつけたもの・・・。それが非常に面白いのです。福島は「あのときの授業には自分に熱があったから、子どもたちも乗りに乗って絵本を作った。今は自分にもそんなエネルギーもないし、子どもにも、あの当時の子どもたちの集中力はない・・・。こんな傑作はもう二度と描けないな。」としみじみ言います。2〜3見ると確かに素晴らしい作品ばかりです。一つの○が仲間作りについてつぶやいている中に当時の作者の人間観が現れます。結末も哲学的な課題を残しています。私は福島に提案しました。「一度、作品を披露する会をして、1頁ずつ画像に残してから、処分すれば・・・」と。
 ミニ四駆のコースも出てきました。32年間の間に2回ミニ四駆の流行があり、教室の一つを使ってコースを作りました。子どもたちは競ってマイカーを走らせていました。その話を聞いて家庭からコースの寄贈があったりしました。そして塾から運んで福島が保管していたコースです。のりとくんに「ジュニアにどうか」と連絡し、置いておくことになりました。

 東北旅行は一つの区切りを私たちにもたらしました。長距離の移動の限界を感じたことです。帰ってきてから、1日腰痛で寝込んでいましたので、もうこれからは移動時間を短くして、一つの場所でゆっくりしようと・・・。宮城蔵王の「峩々温泉」と出会ったのもきっかけとなりました。本当にいい温泉でした。チェックインからチェックアウトまで「峩々温泉」を演出している宿の姿勢には頭が下がります。値段は休暇村よりちょっと高いですが、連泊したくなる宿でした。
眼前の崖を見ながら、温泉に浸かったり、食事をした峩々温泉。骨董的なボンネットバスも健在。

2009年4月25日
 「新企画・DIG土曜教室} 
 今日は冷たい雨が降っています。午後からは強風という予報です。DIGの土曜教室の初日なのに、あいにくの天候となりました。彼らはきっと雨天バージョンで活動していることと思います。この教室はDIGの在籍生のみを対象とした日江井・島田の新企画なのです。日頃いけないフィールドや星の観察、博物館めぐりに焦点をあてて年間5回を予定しています。今年の成果によっては、将来の丹誠塾の企画の中にどっかり根を下ろす「定番企画」になる可能性大です。
 雨粒を見ていると、ふと日江井さんとの出会いを思い出したので、少し書きたいと思います。
 
 日江井・島田コンビは丹誠塾の科学教室を担って10年を越しました。もう少しで20年になるのりとくんの次に古いメンバーです。
 最初の出会いは15年程前に遡ります。今はっきり何年と覚えてませんが、当時、本郷を中心に活動していた「私塾の会」というグループがありました。その中のメンバーが持ってきた1枚の文章が縁となりました。それが日江井さんの文章でした。私塾をやっている人ではなく、研究者として「マルハナバチの研究」について書いた文章が、どういうわけか、フクセンの手元にやってきたのです。
 フクセンは「面白いな、こんな人を子どもたちに会わせたいな・・・」と思ったそうです。当時私たちは次世代の授業者育成に取りかかってきた時代で、失敗に次ぐ失敗に慎重になっていた時でもありました。声をかけた当時は日江井さんはまだまだ研究の真っ最中。奥多摩奥の丹波山にフィールドを持ち、ワイルドな生活をしてマルハナバチの研究をしていました。日江井さんは最終的にはつれあいの島田さんも引き入れて、丹誠塾の授業をバックアップしてくれることを決断してくれました。最初はムリのない範囲で、だんだんボリュームを上げてくれて、今の重大な担い手になるまで、付き合ってくれています。充分な知識に裏付けされた高水準の授業を展開してくれています。
 
 この土曜教室は2人中心で企画運営されるものです。なぜなら、私たち3人(フクセン・のりとくん・私)は同時間にパーソナルクラスをやっているからです。だから、スタッフは彼らが選んで彼らがしきる形で配置されます。日江井・島田と若いスタッフとのコラボの舞台です。きっと万事現地で考えるフクセンたちとは違って、きっちり計画を考えて挑むタイプのしきりとなると思います。どうか、ご家庭でも新企画についての関心を持って頂いて、いろいろご協力をお願いしたいと思います。

 初日の冷たい雨は天からの「気を引き締めてやれ」という啓示なのでしょうか?それとも、単に2009年度は土日に雨になる周期だということなのでしょうか?いや〜、今日は晴れて欲しかったな・・・・。

 来週中盤からは、年に一度の長期休みをいただき、東北方面へ行ってきます。WE LOVE AOMORI(青森)なので、初っぱなは蔦温泉。リピーターです。あの底からコンコンとわき出る湯に浸かって、トドになってきます。

2009年4月18日
 「季節の節目」
 「穀雨」という言葉をご存じですか。二十四節気のひとつです。今年も4月20日だそうです。「穀雨」とは「雨が降って百穀を潤す」という意味からきている言葉で、百穀を生じる春雨が降る季節、種まきの好機のようです。
 10年ほど前、車で五日市街道を走っていて、玉川上水沿いの樹木が、昨日までとは様子が変わっていることに気付いたことがあります。昨日から今日への新芽の成長が半端なくすごいのです。緑がぶあっと萌えだした感じです。その日が「穀雨」に当たっていました。
 季節には節目があり、ぶあっと緑が萌え出す日、銀杏の枯れ葉が風もないのにバサバサ音を立てて落ちる日・・・。そんな節目の日に外にいて、「目撃者」になりたいとかねがね思っているやましたです。
 
 我が家には猫のひたいにもならない小さな花壇もどきがあります。毎年、シソが顔を出します。母がせっせと世話をしていたからか、今も夏の食卓を助けてくれているシソです。そのシソが今年もたくさん顔を出しました。「穀雨」より先んじること10日です。そのころ、この時期にしては珍しく乾燥が続いていたので、私が朝に夕にその花壇に水をまいていたのです。主にパンジーやチューリップに水をあげていたのですが、地面に待機していたシソの種がこの水をどうもプレ穀雨と感じて発芽してきました。画像を紹介します。あまりに可愛くて美しいので出勤前の私の足を確実に止めています。しばらく、発芽した双葉を眺めて、そして同じく顔を出し始めた雑草の若芽を抜いてから駅に急ぎます。
 毎年、発芽して一本立ちにしたシソの苗を知り合いに差し上げていますが、新居で適応して育っている苗は少ないようです。
プランターに発芽したシソの双葉 地面からも発芽 水苔から植木鉢に植え替えた四つ葉 八重のチューッリップ 同時期の柿の若芽 隣家庭のナメコ(左)と椎茸のほだぎ

2009年4月7日
 「2008年度終了」
 本日、子どもゆめ基金の実績報告を提出しました。これですべての2008年度の仕事が終了〜。あっ、NPOの都庁への報告がまだか!でも、これは6月末までの仕事なので、ここで一息。
 
 春合宿は総勢67名の子ども大人が楽しみました。2度目のえびすやさんは昨年以上に協力的で、食事がまた最高でした。中でも1日目の夕食の肉じゃがは逸品で、帰りに地元の豚肉を買って帰るほどでした。特別のブランド豚というわけじゃなく、普通に流通している豚なのですが、味が濃いのです。じゃがいもはえびすや農園ブランドです。これは帰りにお土産にたくさんいただきました。種芋にもなるメークインのダンボール3箱です。日江井さんは「これは授業で使う分・・・」と別に保存していました。野菜は全部自家農園というえびすやさんの食卓は水準が高いです。
 とにかく春合宿のテーマはくたくたになるまで身体を動かすこと・・・・。疲れ果てて夕食となり、入浴したら、バタンと寝る・・・・という子ども時代のあの感じです。一日目は郡山の活動館や体育館でハードな遊びをやりました。2日目は裏磐梯でスノーシュートレッキングです。山ではリフトなしで歩いてフィールドを登りました。普通の歩行の10倍疲れるというスノーシューを終えると今度は雪遊び。子どもたちはたくさんの雪玉をこしらえてオブジェを作っていました。へとへとで宿に帰ってくるので、あとはみんな大人しく遊びます。ケンカやトラブルがとても少ないのは昼間にエネルギーを放出している証拠でしょう。

 今年トラブルが少ない原因のもう一つはスタッフが大勢いたということも言えます。高校生もスタッフとして役割をふっているので、小中生44人にスタッフ23人・・。保育園以上に厚い配置です。スタッフの中心は20歳前後です。25歳を過ぎるともう若年寄です。我々熟年組は対外的な顔つなぎや危機管理、金銭管理くらいで、後ろで構えていました。のりとくんはコントをやって笑いを取っている若者に軽いジェラシーを感じていたと言います。

 さあ、来年の春合宿の構想が始まっています。スタッフの反省会の最後は次への構想です。今度は「海」という事だけが決まっています。これから「海」を念頭にいろいろ出かけては、可能性を追求しようと思います。 

2009年3月30日
 「春の使者」
 桜が咲きました。この1週間、花見の近くを車で通ることはやめようと今朝、フクシマと話しました。
 春の訪れは桜ばかりではなく、我が家の隣の空き地には「つくし」がたくさん顔を出しました。小学6年生の時から「つくし」を見ると摘んで料理していたわたしですので、今朝早くから大量の「春の使者」を摘みました。冷え切った身に、ストーブがありがたかったです。
 何かの参考にと料理法を記します。
 さて、ハカマを取ります。次にざっと水で洗い、軽く塩ゆでしてから水にしばらくさらします。用意してある、鰹だしの汁に入れて、軽く沸騰させます。
 これを今朝やりました。娘がハカマとりを手伝ってくれましたので、助かりました。

 時間がないので、画像だけでも・・・・と思い、更新しました。
←こんな感じに料理します。なかなか珍しいかも。
摘んできたところ 左が摘み頃、右は遅い ハカマを取ったところ 残った大量のハカマ ゆでた後だし汁で

2009年3月19日
 「医者めぐり」
 あまりお医者さんと縁がない私ですが、今回の目のかゆみなどに困り、介護事務所近くのお医者さんを訪ねました。
 まずは定番の耳鼻科。私の「朝くしゃみ、鼻水が出ます、一番困るのは目のかゆみとゴロゴロ感です・・・・・」の言葉に鼻の奥とまぶたの裏を見たお医者さんは「あなたは耳鼻科にくる患者ではないみたいです。アレルギーはありません。きっと黄砂なども飛んできているので、一時的な目の不快感でしょう。」と言って目薬を処方されました。私がアレルギーの検査を希望するとお医者さんは「結果が全部ゼロで出てもいいのですか?5〜6000円しますよ」と検査に消極的なので、「かまいません。ゼロならゼロで確認できますから」と積極的にアレルギー検査をお願いしました。結局腕から血液を採って1週間後に聞きに来ることで話がつきました。(余談ですが、採決の場所がツベルクリン反応の場所より少し内側で翌日ひどくアオタンになっているのでびっくりしました)
 調剤薬局で薬剤師さんが「耳鼻科の先生がこの目薬だけ出すなんて何かの間違いじゃありませんか?」と私に問うので、なりゆきを話して間違いじゃありませんと言い、目薬を貰いました。その目薬はアレルギー性結膜炎治療用「ゼペリン点眼液」でした。

 検査の結果が出る前に眼科にも行きました。良い眼科の先生が西荻にあるのですが、時間がないのでまた事務所近所の眼科医を選びました。私が症状をいうと「花粉症ですか?」と尋ねます。私は内心『それはあなたが決めることでしょう』と思いましたが、「いいえ、わかりません。去年までは大丈夫でしたが、今年からなったかもしれません・・」と答えました。眼科医はいろいろ調べて「ドライアイです」と結論しました。意外に思って「ドライアイなんですか?」と聞き返すと眼科医は「この目薬で症状が消えたらきっとドライアイです。全然効かなかったら、1週間後にまた、来て下さい」と言います。こんどは2種類で、角結膜上皮障害治療薬用点眼剤「ティアバランス」とフルオロメトロン懸濁点眼液「オドメール」を貰って帰りました。

 私の角膜は最初にこすりすぎたのか、左右に眼を動かすとシワが寄るような症状が出ていました。もちろん、もうかきませんが、眼科の目薬を言われた通りに点眼して、耳鼻科の結果を待ちました。

 そして、今週の月曜日です。
 「スギでした」と初診の半分くらいのテンションで耳鼻科医が伝えます。検査表によると11種類のうち、スギの花粉に反応している「クラス3」の立派な花粉症の数値を出していました。これで帰るのもシャクなので、「私は何科を受診すればよいのでしょうか?」と尋ねると、お医者さんは「耳鼻科でいいですよ、眼科でも、内科でもいいですしね・・・。」と言います。どうも、この私はこれから続けて通ってくる患者じゃないと感じてるのか、素っ気なさを伴っています。ずいぶん嫌われたもんだなぁ、自分の見立てが100パーセント外れたからショックなのかな・・・・と思って耳鼻科を後にしました。

 今思うと、一番最初に事務所の若者が勧めてくれたアレルギー専用点眼薬「AGアイズ」が一番効きました。ただ、素人判断は禁物でしっかりお医者さんの判断を待って治療しようと思って珍しく、医者に行きました。市販薬は高いからという理由もありました。

 結論です。医者の判断は必要だけど、何科のどの医者を受診するのかが大切ということです。
 たくさんの患者さんを次々こなすあまり、目の前の患者の全体をみていないのでしょう。総合的に「私の困った症状」をしっかり聞いて欲しかったです。耳鼻科医はその時、鼻の症状がもっと出ていれば違ったのでしょうし、眼科医はそこはドライアイの患者が多いのでしょう。私はコンタクトもつけてないのに・・・。両者に共通して、駅近くで患者が多いです。
 アレルギー科があれば、良かったのでしょうか?それより、近所だからという理由でお医者さんを選んだからこうなりました。子どもの医者は厳選に厳選を重ねたのに、自分のは仕事の合間に30分で帰ってこれるから・・・と、この横着さが災いしました。お医者さんを選ぶのが「運を天に任せて・・・」となるのは心許ないです。遠くても時間を作って信頼できる所に行こうと思いました。
目薬のオンパレード→
家にあった目薬 市販薬 AGアイズ 耳鼻科の目薬 眼科の目薬

2009年3月16日
「ものとの別れ」
 わたしはペットというものが苦手なので、ペットとの悲しい別れは経験がありません。そのかわり食器などの器が好きなので、好きなものを毎日使って、ある日ガチャンと割って、悲しい別れをすることがあります。
 今回は前にも紹介したことのある切り子様のロックグラスです。田舎の妹の家にあって気に入ってもらってきたもので、ほとんど毎日使っていました。これも以前紹介した正倉院ブルーのグラスと競って、私の寵愛を受けておりました。
 この切り子様のロックグラスに小さなヒビを発見したのが約1ヶ月前。ある日洗ってふせていたそのグラスの縁に0.5oほどの欠けとその下のヒビを発見。誰が洗ったのか分かりません。たぶん私だと思うのですが、覚えがないのです。こんな時、私は「誰が・・・・・・」という詮索はしないことにしています。骨董市の食器を普段に使っていると、欠けたり、割れたりして、いちいち誰が・・・と追求しているとカッコ悪いからです。
 私の判断はこれからも欠けたまま使おう、でした。以前にも増して毎日ロックグラスを使いました。ヒビはどんどん下方に回り、まっすぐ底面に届きました。これが2週間くらい前。底面を斜めにカットして対極の面へ。そして上方へ。どんどんカラスが自然にカットされていきます。そっと負荷を加えないように使い、洗いして約1ヶ月。とうとう先日、パカっと二つになりました。そのカット面の美しさ。思わず、デジカメに納めました。
 悲しいというより、いさぎのよさにびっくりです。割れてもなお、新しい面を見せてくれて、美しさを伝えるのです。古い唐津焼きの陶片を見て思ったことをロックグラスにも感じました。割れてはじめて現れる美しさ・・・・。

 ここまで書いたのですから画像を紹介しますね。
いかがです?

2009年3月6日
 とうとう、敗北宣言です。
 きのう母とフクシマの確定申告を役所に出しに行ってきました。データは比較的早くできていたのですが、なかなか清書するタイミングがなくて、きのうになりました。練馬と西東京を自転車でまわったものですから、2時間きっちり、いろんな空気をすったからでしょうか・・・。帰宅する前から、目がかゆくなりました。もちろんショボショボしますし、クシャミもついてきます。
 家で洗顔とうがいをして、掃除機をかけて、目薬をしました。症状はぐっと落ち着きましたが、「とうとう敗北宣言か・・・」とはっきり自覚しました。ここ2〜3年は春先に1日か2日、目や鼻がちょっと過敏になるくらいだったのですが、こうハッキリと症状がくると「あらなんだろう???」ではすまなくなりました。おそらく何かに過敏に反応してのことでしょう?

 確定申告が終わって、次は一年間の体験活動の実績報告の時期になります。なんだか集中をさまたげられそうで難儀しそうです。一番困るのはかゆみですね。まぶたがシワシワになりそうです。お化粧をする人はかゆい時どうやっているのか、人ごとながら思ってしまいました。
写真は保湿のティッシュと目薬です。

2009年3月1日
 あっという間に2月が終わっていました。この間、ちょっとずつ確定申告用の基礎帳簿を作っていました。

 きのう1ヶ月ぶりに息子が帰ってきました。2時間半かけて自転車で帰宅した彼は夕食を静かに待ち、手早く作ったレンコンや椎茸のテンプラなどを約3人分食べて満足していました。
 寝室がないので、リビングに寝た彼は上石神井の暖かさに驚きながら、早朝風呂に入っていました。「こんなあったかいなら暖房いらない・・・」という感想です。石神前は思ったより寒さはきつくない・・・・ということですが、練馬区は暖か過ぎるということで、さすが4年間の宇都宮在住経験は寒さに耐性を作ったようです。
 料理を持ち帰りたいという希望をメールで伝えて来たので、4ヶ月ぶりにマリネや南蛮漬けをつくってあげようと準備していましたが、彼はそれも食べたいがサンマの圧力鍋でつくる梅煮を強く希望します。「でも、最近安いサンマを見かけないよ、あればそれもつくるけど・・・」というと、執念でサンマを見つけてきました。それも10尾。妹には例のバナナパウンドケーキを頼んでいました。

 料理が完成した12時過ぎに3人でハイエースで出発しました。送っていくという約束だったので・・・。車には大量の食料と愛車の自転車を積んで・・・・。
 青梅に行くまでもたくさん買い物をして、1週間の宮仕えに備えます。息子は車は欲しいが経済が許さないという現状で、もっぱら通勤や買い物は自転車です。

 私たちはただ、息子可愛さで青梅まで送ったわけではなく、梅の進み具合が気になっていました。息子のアパート前は咲き始め。梅の公園は満開ちょいと手前、つぼみは色が濃くで新鮮です。良い感じでした。総じて5分くらいの進行です。多分来週がピークかと思われます。(帰りは五日市街道経由で帰りましたが、こちらの農家の梅は見事でした。)

 息子のアパートに入るとブーンといい香りがします。ユーカリです。中学生よりアロマテラピーをやっている妙な23歳です。福島が「梅の香りで充分なのにアロマの必要があるのか、」と疑問をもらしていました。息子の部屋は彼のイメージ通りに整えられ、とても住み心地が良さそうです。建物東の小川と竹林、そして前面の梅林はいつ来ても、超うらやましいです。こんな所に住める人はきっと選ばれた人だと思ってしまいます。

 受験の発表や塾の生徒募集の行方というナーバスな時期は続きますが、春は確実に進行し、着々と春合宿や新学期の準備が進んでいます。
 
 私たちは4月末からの連休をイメージして仕事に励んでいます。また、東北に行く予定。We Love OAMORI ですから。
朝7時から料理開始 希望の品々 色が重なる風景 寒い中の菜の花 紅梅の迫力

2009年2月19日
 最近は塾や介護事務所以外の時間は家で帳簿仕事をやっています。確定申告というやつです。やり出すと数時間、平気で経過してしまうので、身体が固まってしまいます。だから、トイレに行くとき、「やべぇ・・いてて・・・」となってます。
 塾の継続書類も出そろい、新規募集が始まった頃は毎年そうなんです。福島の支出したレシートや残した帳簿記録からパズルのような作業が始まります。日頃は現金出納帳を週1でチェックしているのですが、必ず不足額が出ています。追求する時間がないので、この時期、領収書などを手掛かりにきちんと会計帳簿に仕立てているのです。今年はまた飛びっきり難題です。本日、2つほど「やっちまったな!」級のミスを発見。処理を考える局面になりました。

 2月はずっと、そんな日曜、木曜を過ごしています。ただ、火曜日だけはなんとか、息抜きを・・・と梅の進行を偵察に行動しています。
 先日は牛久回りで栃木「蔵の街美術館」に行きました。茨城、栃木の農家の梅を見ながら、どんどん進む春を実感してきました。
 下は喜多川歌麿の肉筆画「女達磨図」です。気に入った作品などを紹介します。

 ねえ、いいでしょう?
「女達磨図」 「家族」鈴木賢二 「夏の巡礼」福田恒太 茨城の梨園? 塾生0を連想した鯉 「イエズス会(近所)の梅・・咲いてます」

2009年2月12日
「停電ツアー ・・・忙中閑あり・・・?」
 塾の新規募集、確定申告、助成金の実績報告、介護事務所の決算、そして春合宿・・・・と4月初めまで次々と追い込み仕事がやってきます。その前に1泊で苗場の山荘に行ってきました。私の介護事務所の仲間たちと。
 2月のこの時期、山荘を開いた当時は豪雪のため行くのを自粛していました。豪雪と雪崩で新潟から東京まで12時間かかったことがあったので、2月の雪には懲りていたのです。ところが十年余経って、暖かい今年、久しぶりに2月の山荘行きを企画しました。4歳児をつれたお父さん(この方は維持会員)、若いカップルと福島の計6名です。

 順調に関越道を下りて苗場の金六イレブンという、いつもお世話になっているレンタル屋さんで手続きをしているときにそれはおきました。だいたい、10時前でした。急に店内の電気が消えたのです。そのときは特別気にもしないで、山荘に向かいましたが、山の方をみるとゲレンデのリフトが止まっているのです。それで「停電」していることが分かりました。「あれって・・・。リフトにこのまま待たされるかな?大変だな?」と自分たちにこれから起きてくることも知らず、リフトやゴンドラの搭乗者に同情していました。
 管理棟について管理人さんから情報をもらおうとしましたが、停電が起きたばかりで理由も復旧予定も皆目分からず、山荘に向かいました。さあ、それからが大変。
 冬期は到着後すぐ「通水」という作業をやって入居します。しかしその作業はライラックという機械で行うので電気が通じないと「通水」もできないのです。つまり山荘は水道も電気も使用不可なのです。唯一ガスのみ可能です。底冷えのする木の固まりである山荘を瞬間に温めるにはFFの大型ヒーターが活躍しますが、それもできません。水もでません。

 でも、とにかく温かいものを身体に入れようと考えました。その後のことはあとで考えようと・・・。
 わたしはこのツアーの食事全般を受け持っていたので、なるべく彼らにたくさんのスキーや遊ぶ時間をあげたいので、作り置きのできるものは、事前に準備して出発していました。だから、うどんの玉とダシからつくって味付けしてあるつゆ、湯がいたほうれん草があるので、ガスをひねって温かいうどんをつくりました。暖房はアナログな暖炉です。充分あたたまるまで半日かかります。私たちは白い息を吐きながら、防寒コートを着て、あたたかいうどんを食べました。その間、福島は管理棟へ行って、一缶水を貰ってきました。水洗トイレ用です。私は「このまま停電が長引くとトイレ排水の逆流防止の水分が凍るな、」と心配になり始めました。凍結防止のコイルが巻いてあるのですが、停電でそれが作動しません。停電が深夜に及ぶと宿泊も危ぶまれるので、なんとか不凍液を用意して山荘を後にしょうと判断していました。
 そして日頃使わない、石油ストーブにオイルタンクから小出しした灯油を補給し、使い始めました。また、福島がレンタルスキーやリフト券を今日明日入れ替えて使用させてくれと金六さんと交渉し、オッケイとなったので、次は明日の昼の予約を入れていたイタリア料理店に本日への変更を連絡しました。こうやって、明日と予定を入れ替えて、行動することになりました。
 その後は六日町に向かって雪の中移動しました。田代スキー場はスキー客が引き返したのか、駐車場が閑散としています。三俣スキー場の駐車場はすでに到着組の車で7割ほどスペースが埋まっていました。どのスキー場も停電の影響が色濃い感じでした。湯沢に着くと電飾の看板などが作動してます。移動中に管理人さんから、停電解消の一報が入りましたので、通じたあとだったのかもしれません。。約2時間電気が止まっていたことになります。後で分かったことですが、原因は送電線にヘリコプターが接触したこと、停電は沼田、月夜野、湯沢一帯に渡ったこと、スキー場のリフト客はポールなどで救出され、リフト・ゴンドラが復旧したのは4時間後だったようです。
 
 六日町の八海山の泉ヴィレッジについたときは雨になっていました。ガラス張りの個室で6人は思い思いの料理を楽しみ、山荘でのうどんの影響もなく、120パーセントの満腹で泉ヴィレッジを出発しました。もちろん、石窯食パンやたくさんの美味しいものをしっかり、お土産にして。

 以後は予定通り。参加者の希望の牛すじのお好み焼き、千葉のお土産の安房地ビール、日本酒「くどき上手」などの夕食を楽しみ、電気のつく、水の通った山荘を充分味わって夜は更けました。日頃、当たり前と思っている便利さを身にしみて感じた夜でした。極寒の地ではいかに人間が非力か、石油ストーブのように灯油さえあれば用が足せるシンプルな道具が非常時にはいかに役に立つか、水洗トイレは多量な水を1回で消費していることなどを認識しました。
 
 明けて昨日、朝食は7時30分スタート、その後てきぱきと支度をして若いカップルと福島はドラゴンドラ、幼児とお父さんはチビッコ用のゲレンデに向かって出発しました。天気は快晴。私は山荘残留で2時間半かけて、順番に掃除機をかけながら、寝具の整理をしました。次の山荘使用に向けて寝具の枚数などを確認したり、クリーニングした布団にカバーをかけたり、寝具の出し入れをスムーズにするために、よけいな座布団や毛布などを3階から1階に移動したり・・・・。荷物を頭にのせて階段を10往復したら、少しヒザが参ってきました。
 みんなが帰って来たのが12時45分。残りものの昼食が終わり、水抜きをして2時過ぎには山荘を出発しました。
 途中、猿ヶ京のいこいの湯でひとっ風呂あび、早々に関越道に乗り、渋滞は一切なく東村山の親子を降ろしたのは5時30分前でした。
←親子が作ったリンゴ雪ウサギだるま
 
 これで閑あり・・・といえるかどうかは分かりませんが、緩急ありの思い出深い停電ツアーでした。 

2009年2月2日
 やっとしばしの母業から解放されました。
 きのう晴れて息子は辺境の地「石神前」に引っ越しを完了。これで5時30分に起きることも、いろいろ料理を作りおくことも必要なくなりました。ホッとしたような、気が抜けたような・・・。
 きのう、最後の荷物と本人の移動に協力したあと、ちかくの蕎麦屋で昼食をとりました。これが辺境の地と思えないほど「いい蕎麦屋」だったのです。福島は初めてはっきり蕎麦の香りがわかった・・・、と感心しきり。青梅マラソンの舞台となる青梅街道沿いで「わせいろう」という蕎麦屋でした。もちろんお酒は澤ノ井です。なんで酒蔵近くで飲む澤ノ井はこんなに美味しいのでしょう?
 日本酒の話で繋がりますが、息子から「夏子の酒」というコミックを借りました。引っ越しまでに読んでというので、急いで読みました。実におもしろかったです。特に「つけ香」といって吟醸を仕込む時のいい香りを取っておいて、下級の酒に添加する場合もあるという下りがびっくりでした。このコラムでも最近紹介させてもらった本にも、同じ事がコーヒーにもおこなわれているらしいことが書かれていました。インスタントコーヒーの新品の封を切ったとき、プ〜ンと香るあの香りはどうもアロマを封じ込めたようなのです。一回きりのプ〜ンのようです。私は昔からコーヒーの粉から香ると思っていました。偶然、同じ時期に読んだものですが、日本酒といい、コーヒーといい、ずいぶん香りでだまされているんだな・・・と思います。自分の舌を頼りに「いいもの」「よくないもの」を選り分けていくのは、基準が自分なので、孤独な作業です。私はまだ、未熟なので、最初の香りで「きっといいもの」と決めてかかるところがあります。その逆で最初の印象で「苦手」と決めて、そのあと軌道修正が下手なこともよくあります。人物評価にしても・・・。
 蕎麦屋の酒から話がそれましたが、内省することの多い今日この頃という結末でした。

2009年1月27日
 今日は休日。珍しく温泉ではなく、美術館に行ってきました。
 ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が改修工事のため休館する機をとらえ、コレクションを世界に貸し出す企画があり、世界に先駆けて日本で公開されたものです。場所は渋谷のBunkamura。「20世紀のはじまり、ピカソとクレーの生きた時代」と題して、23作家の名品を展示してありました。
 平日なので、空いていました。私と福島は文字をほとんど読むことなく、説明の器具を借りることもなく、自分のペースで回りました。絵は感じるものと考えていますから・・・。
 所々に座っている女性以外に、仁王立ちのガードマンがたいへん目立つ空間でした。作品はピカソがほんの少しで、クレーは最後のエリアに十数点ありました。今回は、ピカソ・クレー以外の作品の中にも、心に響くものがあり、新しい出会いとなりました。フランツ・マルクの「3匹の猫」はもう一度引き返して見に行きました。それとミロの赤、白、黒もやはり心惹かれるものがあり、カンディンスキーもいいなと思いました。そして最後のクレーのエリアでは小さいながら、「直角になろうとする茶色の三角」がとても気に入りました。本当にクレーの作品は好きです。
 帰り道、福島に「ピカソとクレーというわけじゃないね、いろんな作家があったね。」というと、彼は「日本人はピカソやクレーが好きだから、そう銘打った方が人が集まるからじゃないか。実際俺たちもそれに惹かれて見に来たしね。ノルトライン=なんたらかんたら美術館所蔵というテーマじゃ、人目をひかないからね」と答えていました。

 その後私たちは渋谷駅から歩いて子どもの城付近のパン屋に向かいました。福島が雑誌でチェックしておいた評判のパン屋で、せっかく渋谷まで来たから、是非行きたいと彼がいうのです。途中おしゃれなビルのおしゃれな店をながめながら、田無の花屋で1200円で買ったチューリップの鉢が、同じ大きさで、おしゃれに演出されて6500円で売られているのを発見し、「へえ、渋谷にくると、この鉢は5倍以上に跳ね上がるのか・・・・」と感嘆しました。

 さて、目指すパン屋は青山通りの喧噪から入った所にありました。私はパン屋に入った時、店の臭いにいつも注目しています。美味しいパン屋はいい香りがします。いままで一番ひどい臭いのパン屋は軽井沢にありました。焦げ臭がひどくて、どんなに美味しそうに並んでいても、購入意欲がなくなりました。
 そのパン屋は臭いがほとんどなく、小さい店なのに小麦の袋が無造作に積み上げていたりして、何かを演出しているようでした。入店するとすぐ、小さく切ったサンプル用のパンを渡され、「○○です、どうぞお試し下さい」と若い女の子がかしこまって言います。
口にすると淡泊なパンで、どれも酸っぱい感じが残ります。内心「ここははずれかな?」と思った私ですが・・・。
 福島にチョイスを任しましたが、彼もグズグズ迷っています。決め手に欠くのです。ベルフルールではあれもこれもトレイに載せて買っている彼ですが、どうもパンの選択に迷っています。理由は二つで、数が少ないのと、べらぼうに高いのです。那須のベル・フルールのカンパーニュが800円。ここでは同じような大きさで1400円です。小さなベーグルが300円、小さなかぼちゃのパイが550円です。どうもベル・フルールの約2倍の値段です。ベル・フルールが西東京のパン屋より1.5倍くらい値段が高いとすると、このパン屋は西東京の3倍の値段になります。
 福島はこの店の雰囲気、レジから見渡せる厨房の感じから「この値段に見合ったパンなのか」「そうすると、今まで出会ったことのない、初めての味と出会えるのでは!!」「でも、さっきのサンプルは・・・・」などと考えて、時間がかかっていたのでしょう。

 結局、カンパーニュ(独名:ラントブロート)を半分、ベーグルを2つ、パイを1つ、その他のパンを3つ買いました。これで2782円。立派な値段です。私たちはその後、半蔵門線大江戸線を乗り継いで自宅まで帰りました。外食をしないで、未知のパン屋の味に投資しました。

 帰ったら、大学の試験期間で自宅にいた娘にかぼちゃのパイを食べさせました。何の先入観もない娘は一口食べたトタン、「こんなパイ作って欲しくないな。へんに味をおさえている。かぼちゃの味もしない。甘くないクッキーをたべてるみたい。美味しくない。」辛辣な言葉です。私も食べてみました。かぼちゃパイだけじゃなく、他のパンも。噛むほどに味が出るはずのドイツパンの良さが一つもなく、ただ、そっけない無味無臭の感覚が口に広がるだけなのです。確かにパンなのに、パンじゃない。昔イベントで作ったどんぐりクッキーを思い出しました。

 福島はそこまでの酷評はなく、「まあ、いいんじゃないか。でもあの値段じゃないな。それに酸っぱい感じがずいぶん残るパンだな。酸っぱい系の天然酵母を使っているのかな?」と普通の評価でした。

 あとで調べたことです。
 原料はすべてオーガニック、酵母は小麦、自家製粉全粒粉と天然水、天日海塩だけで何年も培養した自然酵母サワー種を使用。スタッフ全員がマクロビオティックを実践し、その考えに基づき、砂糖などの甘味料、動物性食品を一切使用しない、徹底して安全を追求する店だったようです。
 信念でパンを焼くとこうなるというケースでした。
←一番左が娘から辛辣な評価を受けたかぼちゃパイ

2009年1月22日
「仕事の専門性について」
 
 ねえ、ちょっと聞いてよ・・・。とこんな感じで書いてます。

 きのう、練馬の区民事務所へ電話をして、「1月末に転出する者ですが、同時に国保や国民年金から共済組合に変更になるので、その手続きも一緒にしたいので、持参するものを教えて下さい。」と言いました。国保の係と年金の係に回してもらい、結果@新旧保険証A年金手帳B新しく共済組合に加入した日付の分かるもの(新保険証でOK)という返事をもらいました。転出届けについては窓口に行くのは母親ですというと、もう同一世帯と判断して本人確認書類のみで委任状のことは言及されませんでした。夕方に、息子が「同一の住所だけと世帯は別だから、念のため委任状持って行って」というので、これも持参しました。ここまで書いて、もうこの役所っぽい言葉に嫌気のさしている方もいらっしゃると思いますが、もうしばらくご辛抱を。

 さて、さっき雨の中、電話した区民事務所に行ってきました。一階で委任状と転出届けを出して、本人確認をして「国保から共済組合に変更」と告げると、「まず2階に先にいってから、ふたたび来て下さい。」と言われました。2階に行って、国保から退会する手続きを終え、「年金はどこで手続きしますか?」と尋ねると「練馬区本庁舎に行って下さい」と言います。「ええ、電話で問い合わせたら、ここでできると答えられましたよ」というと「ここじゃないところに電話したんでしょう」と。「いいえ、ここは○○区民事務所ですよね」というとその担当者は「はい、じゃ、一階に行ってきいて下さい。」とあっさり。
 一階に下りて、ふたたび本人確認をされて、転出届を出して、「ここで年金の手続きもするのですね、どこにいけばいいですか?」と尋ねると「会社でやってくれますから、ここではできません。」という答え。「それは民間の場合でしょ、共済組合の場合は役所で手続きと聞きました・・・」と私が言うと、「ちょっとお待ち下さい。」と年配の男性は引っ込んで、年配の女性が出てきて、「これは転出先の社会保険事務所です」と、また別の情報を言います。わたしはまた、ぶったまげて、きのうのメモを示し、「ここへ電話したらこんな風に教えられて来ました。なぜ、電話の人はこの区民事務所で手続きするといったのでしょう。こうなったら、あなたも間違っていて、私がふたたびこの区民事務所に出向くことになる危険性があります。そうならないように、はっきりした結論を教えて下さい。」と言いました。
 年配の男女は「少々お待ち下さい。」と、引っ込んでしまいました。待つこと15分、「転出先の担当者が電話に出てます。直接話をして下さい。」と子機を渡されました。電話に出ると「○○市(転出先)の年金係の○○です。国民年金から共済への手続きはこちらに転入してから市役所で行って下さい」という内容でした。
 二転三転した手続き場所もこれで決着しました。最初、区民事務所→練馬区本庁舎→新規の職場→転出先の社会保険事務所→転出先の市役所と回り回って、息子の職場で手続きされることなりました。

 びっくりの連続で、やましたの言葉も少なめでした。

 誰も、知らないんじゃないか? 全体を見通して理解している人は誰もいないんじゃないか?みんな、自分のわかる範囲で決められた処理をしているだけなんじゃないか?競馬馬のマスクみたいなものをはめられて、狭い視野で狭い裁量で・・・。
 そういう仕事のやり方はどんどん感覚が麻痺し、やり慣れたあげく、傲慢な態度を生みます。役所の人は書類に不慣れな一般区民を上から目線で眺め、書類の不備をいつも指摘していればいいのです。言葉使いは丁寧ですが、顔つきは傲慢です。今日みたいにレアケース(担当者の言葉)で、にっちもさっちも行かなくなった時、自分の頭で考えるトレーニングができてないので、とても不安な顔になって、行き場を失うのです。それでも、悔しくないのでしょうか?そんな不完全な知識の自分がいることに・・・・。

 車で待っていてくれた福島にもちろん、疑問や憤りをぶつけました。 曰く、「塾じゃ、ありえないな。言ったら、責任が生じるからな。」

 私の結論。仕事の専門性と総合的にものごとを把握できないこととは、全くべつもの。

 帰りつつ、私も会計や税務においてはなんとか視野をもてるが、労務関係などは弱い。これからはここも視野に入れて、もっと謙虚な人間になろうと思いました。それを福島に言うと「いい勉強になったじゃないか・・・。」と。 

2009年1月19日
 一年で一番寒い時を迎えています。インフルエンザの話を方々で聞くようになりました。
 塾も新規書類をお届けする時期となり、一年の中で一番ナーバスな時期になりました。
 まず、今いるご家庭にこの一年のことを振り返ってもらい、来期も続けて通って下さるかを問い、新たに2009年度の契約をかわします。丹誠塾の通信簿をつけてもらうのです。もちろん多くのご家庭から信任していただけることとは思っていますが、やはり評価を受ける身としては謙虚な気持ちで期間を過ごします。だいたい継続書類が出そろうのが2月の初め、期せずして私の誕生日の直後くらいが締め切り日です。(誕生日は2月の5日です。)この仕事を30年以上しているので、ゆったり自分の誕生日を迎えたことがないです。
 その儀式が終わると新しい家庭に向けての宣伝が始まります。今年も広範囲に一度だけ、チラシを配布する予定です。今回のチラシの巻頭は日江井さんの文章です。私は裏側に文章を書かせてもらいました。のりとくんの文章がないチラシも本当に久しぶりです。

 正月は玄関に飾ったろうばいの香りを楽しんで過ぎました。次はいよいよ真打ち登場・・・梅のシーズンです。梅の香がこんなナーバスな時期の救いとなっています。息子のアパートの窓からまだ固いつぼみの梅林が見えます。これが咲き誇る頃にはきっとたくさんの新しい出会いがやってくるだろうと、先日引っ越しの手伝いをしながら、思っていました。
←ろうばい
我が家の梅(昨年)
←息子のアパートから見える梅林

2009年1月8日
 お正月の松飾りもとれ、日常が戻ってきました。
 我が家では今日から娘の大学が始まり、息子は6日より出勤しています。1月末までは自宅から通うというので、毎朝の弁当作りが復活しました。7時前に出発する息子にあわせて、6時前には起きて弁当を作っています。これで生涯息子に弁当を作ることはないかな・・・・と思いながら、詰めています。

 思えば、小学1年の学童保育の弁当がスタートでした。就学したてのころは、顔に黒い筋を一本つけて帰宅した息子に「どうしたの?顔黒いよ」と尋ねても、しらんぷりの様子。どうも学童の上級生にいじめられて、泣いたようです。泣いたなんてプライドが許さないのでしらんぷりしているみたいなので、私もしらんぷりすることにしました。身体が大きいのでよく目立つらしく、何かと言われていたようです。
 ある時、学校の担任から電話があり、「学童への途中、息子さんが自転車と接触して脳外科の病院に運ばれました」と言います。私は「ええっ、息子のケガはどの程度ですか?」と尋ねると自転車に乗っていた人が入院し、息子は無傷だという・・・。救急の脳外科に駆けつけ、慌てていたため、同姓の別人に謝ったものの「自分は昨日入院した者だけど・・・」と言われて、本当の病室を探した記憶があります。
 息子が生まれたとき、やきものの師匠から「あなた、男の子を授かったら、自分がやったことじゃなくても、息子のやったことで頭を下げる場面が必ずあるよ。男の子は方々で迷惑かけるからね。あなたは三姉妹で想像もつかないでしょうけど・・・。」と言われたことがありました。本当にそんなシーンがやってきました。親になるってことはこういうことだな・・・と病室で新たにお詫びとお見舞いを言いながら、師匠の言葉を思い出していました。

 その後も息子はいろいろと事件を起こしました。やはり学童の帰りに友達が繋がれている犬にちょっかいを出し、紙を口にいれたようで、息子は、その紙を取ってやろうとして、ガブッとやられました。犬のキバがちぎれたくらい激しく手をかまれた息子はその後10日ほど、私と外科に通い、化膿しないように養生しました。手にはグルグル包帯を巻いて生活しました。

 こんなことを思い出しながら、弁当をつくっている「しばし母親業」のやましたです。


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