山下由美子の山森(やまもり)ばなし



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2012年12月30日
 「2012年、お付き合い下さり、ありがとうございました」

 2013年は新しいことがスタートする年。
 良い年になりますように。
 これからも山森(やまもり)ばなし、細々ながら、続けたいと思います。

2012年12月28日
 「F先からの手紙
 遊学会の上石神井事務局ホームページに新しく展開しているコラムです。ただ、コラムというより、彼の授業報告といった方が適しているかと思います。
 
 これはこんな風に生まれました。
 
 なかなか、自宅療養で授業できないが、本や資料を読む時間はたくさんある。感じることも、伝えたいことも、どんどん湧いてくる・・・・。そんなとき、高校生たちに手紙を書こうと思い立ったフクシマは画用紙に大きな字でタイトルを書き、その裏に紙芝居のように手紙の内容を書きました。
 受け取った高校生は手紙ごとに音読者の指示があり、みんなの前でタイトルを見せながら、内容を音読する授業です。島田さんや日江井さんの協力も有り難かったです。

 まだ、2回しかアップできていませんが、なんとかヤマシタが最終回までやり遂げたいと思っています。
 「F先からの手紙」を、一度のぞいて見て下さい。(また、山森(やまもり)話も遊学会ホームページでもダブルでアップしております。)

2012年12月25日
 「親ばかのイブ」
 娘の生き生き働いている姿を見て、安心して帰ってきました。娘の用意してくれたシュトーレンを2つ持って。
 クリスマスにコースを予約するなんて、初めての経験でした。渋温泉の後は松戸のZOPFでランチ。休日らしい休日を満喫しました。お腹をすかして参戦したものの、ブイヤベースでもろくも撃沈。サイドにある各種パンはほとんど持ち帰りでした。そして夕食はパスして就寝。本当に食べられなくなりました。
 画像を紹介。 
瑞々しいハンギング まずはドイツビール 三色のテリーヌ 濃厚なブイヤベース ほほ肉のパイ包み クリーム、ベリーonサバラン

2012年12月22日
 「渋温泉あれこれ」

 一度行ってみたいと思っていた「あこがれの渋温泉」に行って来ました。道中の運転を考え、連泊することにしました。
 行く前から1日目と3日目のランチの場所を吟味して、どちらも長野市のイタリアンとすることにしていました。1日目は「ジョイア」、3日目は善光寺近くの「こまつや」。どちらも合格点でしたが、「ジョイア」の方が味、雰囲気とも上かな・・・、という感想です。(なぜ、イタリアンかとお思いの方は、一度旅館の連泊をなさると分かりますよ。)
 2日目のランチは渋温泉街の蕎麦屋「玉川や」さんで、ここも期待以上の旨さで、私の好きなクルミだれの味に大満足でした。今回の温泉旅は毎日ランチが大当たりでした。

 宿泊したホテルは「千と千尋の神隠し」のモデルの一つとなった老舗ホテル。木造4層の建築は毎日、建物説明会があるほど、由緒あるもの・・・。ここのお湯の特徴は4つの自家源泉を持ち、大きなお風呂以外にも、予約フリーの貸切風呂を5つも配置している点です。部屋に温泉がついてない私たちのプランでも、たっぷり貸切湯が楽しめました。お湯の好みはそれぞれで、熱好きの私たちはちょうど良い温度にされてしまうと、ちょっと物足りないのです。そんなとき貸切湯でたっぷり源泉を注ぎ入れると熱々のお湯が出来上がるのです。これに朝夕夜、何度も入りました。
 ただ、この老舗ホテルの残念な点もありました。朝の10時から午後3時まで、ホテル内のどのお風呂も清掃のためクローズなのです。その説明を聞いてなかったので、10時にお風呂に行った私を待ち受けていたのは「外湯へ行って下さい」という冷たい言葉でした。察すると、あまり連泊者がいないホテルなんでしょうね。連泊しても外の観光に出かける元気な人たちなんでしょうね。ですので、連泊して湯治を楽しむ私たちがリピートする宿ではないことが判明。(実際、部屋に温泉が付いてるプランですと、この憂き目にはあいません。しかし、3万近くのプランで二人が連泊すると思うと財布がぞっとします。)

 でも、気を取り直して、外湯へ出かけました。ここでも残念なことが、ほとんどの男湯がテレビの撮影のため、クローズだったのです。私は「大湯」に入れましたが、フクシマは足湯だけ。半分以上撮影でクローズで、後は清掃中が2つ。入れる外湯は3つくらいでしたが、そのうちの一つは50度以上。外湯体験はさんざんな結末でした。まあ、玉川やさんの蕎麦でへこんだ気持もなんとか持ち直して、宿に帰りました。う〜ん、こんなにマスコミに媚びる温泉街も珍しい、日帰りを拒否し、ひたすら泊まり客を大切にしていたプライドのある温泉街と、前々からすごく、尊敬していたのですが、実際に来てみると意外な実情に絶句しました。お湯がいいので、あまり悪口は書きたくないのですが・・・。(今は日帰りもやっているそうです、大きな駐車場も完備されています)

 もう一つ、宿について、残念な点。私たちの滞在の午前中、連休や年末年始を控えて、大掃除をされてしまいました。はたきがけをしている女性陣と、一年間のほこりがうずたかくつもった廊下を見た時は目を疑いました。チェックアウトの10時〜チェックインの3時までの間でですが、私たちは滞在中なのです。内湯にも入れない私たちはほこりの舞う館内を移動することもできず、エレベーターも使えず、結局、自室に籠もるか外湯巡りをして、時間をつぶすかの選択を余儀なくされました。あ〜、結局悪口になってしまいました。これは平日に温泉に行ける幸せを知り、甘受すべき試練なのでしょうか。

 コラムの方向が変な方向になってしまいました。こんなことで渋温泉のお湯を過小評価してないで下さいね。お湯は別です。

 話は戻ります。昼にちょっと入った「大湯」があまり良かったので、今度はフクシマもと、二人で夕方から再び出かけ、9番「大湯」を体験しました。。鉄分を感じる濁り湯で、熱々です。改装工事で湯船が浅くなったと、ご老人たちの評判は芳しくありませんが、私たちはお湯の濃さに感激しました。宿の前が「大湯」なので、翌朝6時にも行きました。宿の内湯より気に入ったかもしれません。他は7番「七操」が良かったです。湯宿や沢渡の湯を思い出す、さらりと馴染む気持の良いお湯でした。もし、次回があるとすると、外湯をもっと、じっくり廻ってみたいと思います。

 結局、渋温泉については、お勧めは「大湯」の近くのリーズナブルな宿に1泊だけして、お湯を楽しむことでしょう。その時、テレビの撮影がないかどうか、予約の時に尋ねることを忘れずに。

 
一日目のランチ「ジョイア(gioia)」長野市居町のイタリアン。これは前菜。どれも逸品。超お勧め。 手長エビのパスタ。殻の隅々までしゃぶりつきたい美味しさ。自前の箸で食べ尽くしました。 ヤマシタには無縁のデザート。色を楽しんで、ほとんどフクシマへ。 帰りに雪の戸隠中社へ。ミント干し、農園収穫の必需品を買い足しました。 渋温泉街のコンコンぞうり。中芯は藁ではなくPPロープなので洗濯OK。 夕方になるとライトアップされる老舗ホテル。

2012年12月16日
 「こんな年末は初」

 12月16日にして、換気扇とレンジ廻りの掃除を完了しました。こんな年末は初です。
 
 40代の年末はこんな風でした。
 クリスマス前に田舎の母が上京。これで台所を預けて仕事に専念できると、ヤマシタの年末はスタートします。息子が家に帰っても電気が灯って部屋も暖かいや〜、おばあちゃんがいるからな〜と言っていた、その時期です。
 そのころは遊学会でクリスマススキーとお正月スキーと春スキーを企画していたので、私たちにとって、年末年始はありませんでした。クリスマススキーの担当になったヤマシタは家事を母に、塾をフクシマに任せて、苗場に行きます。ゲレンデで初心者とつきあい、1時間ほど早く帰って、全員の食事を作ります。夜は翌日のお米を仕掛け終える12時ごろから、運転の伊藤さんのお酒のお相手を少しして、深夜に就寝。翌日は全員の朝ご飯を作って、またゲレンデへ・・・。
 クリスマススキー、年内の冬期講習が終わると大晦日と元旦のみ休んで正月2日から正月スキーの買い出しをして、3日早朝より、再びスキーツアー。

 こんな年末では大掃除なんて、どのタイミングで・・・という有様でした。

 ところが、近年、特に今年は違います。12月2日に遊学会の体験活動を終えてから、実に週末をゆったり過ごしています。先週の週末は実績報告という仕事がありましたが、今週は何もありません。家を綺麗にすることだけです。
 染め物企画でそろえた染め材料を個人の趣味のモードに戻しました。大きな鍋は収納し、見本などの布も仕舞いました。染色の引き出しをこしらえて、いつでも作品が取り出せるようにしました。また、今年編む予定の毛糸を揃えて、いらない毛糸は収納の奥へ。処分するTシャツを細かくカットして油ふきに。

 フクシマも長年の教材を片づけています。35年分の教材、スクラップ、資料・・・。収納スペースを捻出するために、収集した貝殻やビーチグラスを今度、館山に戻しにいく予定。暑さ寒さにめっきり弱くなったフクシマですが、1日のほとんどを教材の整理に費やして、その合間に買い物をして夕食担当をしてくれています。卒業生の有志がなにやら、フクシマのために楽しい企画を考えてくれているようです。(彼の希望は授業)

 本日は投票のあと、レンジ廻り掃除をして気分もスッキリ。午後は農園に行きました。葉物がどんどん出来て、小松菜は最終で、ほうれん草は収穫スタートです。農園の先輩が「霜が降りるとほうれん草が美味しくなるよ、もう取ってもいいよ。」と教えてくれたので、収穫して、ごま和えにしました。ブロッコリー、カリフラワーも充分、成長しました。他には人参、ねぎ、白菜、大根、ラディシュ、水菜、チンゲンサイ・・・・・・。年末までにほぼ収穫を終えないと、正月以降は鳥がくると農家の指導者は言います。食べきれるでしょうか?

 とりとめもない、報告です。初めてテレビの、「今年の汚れ、今年のうちに〜♪」のコマーシャルが素直に聞ける心境です。
シンクに洗濯用の洗剤をとかし、油ものを浸けておくと綺麗になります。 一度取った油を再び器具に戻さない工夫さえすれば、楽々です。 ほうれん草、ブロッコリー、水菜を洗っています。 大きめにカットしたブロッコリーを固くゆでました。 今年最後のミントの収穫。お茶にしたてて保存するつもり。 教材の整理。これをやりながら、フクシマは来年のラスト授業の構想を。

2012年12月11日
 「原稿、お便り、有り難いです」
 
 前号の塾通信をお届けしてから、我が家にお便りや最終号の原稿が届けられています。封書やはがきが多く、文章を塾通信で掲載してもいいですかと尋ねると「そういうつもりじゃないので・・・」とおっしゃる方もいらっしゃいます。

 フクセン引退・・・と聞いて、一言伝えたい言葉がある・・・・、なんと教師冥利に尽きることでしょう・・・・。

 本日も夕方、卒業生から近況と労いのはがきが届きました。うれしい、懐かしい名前はもちろん記憶に深いです。イメージはいつまでも小中学生、でも、文面からは想像もつかない大人の配慮が伝わります。卒業生の成長を感じる幸せです。

 皆さん、ヤマシタ編集の塾通信は来年の2013年冬号でおしまいです。再度、呼びかけ。
 ただいま、原稿をお受けしています。塾の授業に関すること、塾の行事に関すること、もちろん、私たち講師たちについて・・・、何でも書きたいものを送って下さい。一応、期限は年内。もちろん、掲載しないで、お便りにとどめておきたい場合も有りです。その旨、お伝え下さい。

 お待ちしてま〜す。

 このコラムも考えています。遊学会の上石神井ホームページがスタートしていることは以前、報告しました。新年からは、そこに徐々にコラムを引っ越ししようかと考えています。最初に同時にアップして・・・・。フクセンが長年書きためた文章をヤマシタが整理して、何らかの形にしたい・・・・という希望もあります。

 2013年は新しい風が吹くことは確かです。

2012年12月2日
 「サザンカ終了」
 あと一つが終了しました。
 今年はサザンカが散るのが遅いうえに、昨年のスポットがきつい剪定をした結果、ほとんど花が着いてないので、心配で本日までハラハラしていました。フクセンが散歩の合間に気にかけて拾ってきてくれました。それで、なんとか間に合いました。結構たくさんの花びらが必要なんです。子どもたちはワイワイ花びらを揉み出していました。

 画像で色鮮やかなサザンカの花びらを紹介しましょう。
これだけを集めるのも一苦労。 揉み出しているところ。 しぼりをほどいて、可愛い模様を確認しています。

2012年11月25日
 「あと一つ」
 本日「赤い紅葉で染める@」が無事終了しました。この準備に約二日を要しました。染め液と布の準備です。サクラは当日も拾いますが、それは体験の一貫。実際に作品を染めるには足りないので、スタッフの一人と一緒に液を準備しました。事前に拾って、煮出し、ペットボトルに入れて持ち寄るのです。それに布は市販のスカーフの他にいろいろオプションがあった方が楽しいので、ヤマシタが自作しました。帽子、巾着にお稽古バック。希望の大人には絹100パーセントのストールも実費でお分けしました。
 実にサクラは不可解な染料。こちらの少ない経験で「可愛いピンク」と思っていると、「濃い褐色」に出来上がったり、その逆も・・・・。
 
 一方、今年も瓶に一杯、落葉サクラを入れて浸けています。ただいま発酵中。来年の2月まで。気長に待って、染めるつもり。

 2012年のNPOイベントはあと一つを残すのみ。助成金の採択段階で淘汰されると思っていた企画が幸い全部採択されたので、こんな忙しい秋になりました。それも来週の日曜で解放されます。終わったら、3ヶ月ぶりに普通の週末が復活します。あと、一つ頑張ります。

 我が家の柿もどんどん落葉して、鳥たちの来訪も激しいです。
出来上がって、絞りをほどいた後。 中央のむくどりが分かりますか?

2012年11月18日
 「柿、豊作」
 今年はたくさん柿がとれました。一箱は千葉の姉に送って、あとはどうしようかと考えています。手前が渋のない柿。後ろの籠に入っているのが、たまに渋の入った柿。いつもはヨーグルトにいれて食べきってしまいますが、今年は干し柿に挑戦してみようかと思っています。
 昨日、二人で柿取りを敢行。
 そして、本日はビーチコーミングがさっき、無事終了。潮騒の中にいるのに、いつもながら、貝殻に集中して、自分が海のただ中にいることを忘れる時間でした。

 今週は健康診断で休みもなく、干し柿がいつ加工できるやら・・・。
 

2012年11月16日
 「家族考・・・・弁当箱から」
 
 最近の話ではないので、書いて大丈夫だろうと判断。

 あるNPOイベントで昼食の時間。参加の小学生がコンビニの袋からあんパン様のふわふわしたものを取り出し、食べはじめました。それだけのランチ。さすがにビックリしました。そのイベントは朝がそれほど早くありません。7時に起きれば、充分おにぎりくらいは作れると思い、その子の家庭事情を考えてしまいました。お隣の小学生たちは普通にお弁当箱に詰めた昼食を取っていましたが、中に一人、これもコンビニの袋からおにぎり、真空パックの照り焼きチキンを取り出す子がいました。固い包装をナイフや包丁なしでどうやって、取り出すのかと、見ていますと、器用に歯で包装を食いちぎっています。その慣れた様子に、「いつものことで、コンビニおにぎりに真空パックのおかず」がその家庭の定番弁当なのだと知りました。実にたくましい。が、実に痛ましい。とても強く記憶に残っている光景です。
 そのランチの場では、幼児から使っている木製の弁当箱に入れてる子もいれば、あんパン様のもので終わる子、固い包装を食いちぎってオカズにありつく子ども・・・・実に様々でした。家庭も様々、お弁当箱も様々。ここで、わたしが「だいたい、最近の母親は……」と展開するとコラムが冷めてしまいます。いろいろ事情があり、一度くらい手をぬくこともありでしょう。ただ、どんな内容でも、いったんは弁当箱に入れてほしいなと切に思っています。コンビニの袋でランチを始めるのは、今もとても抵抗があります。

 以前、「家族とは保護を必要とする構成員を中心に結束した血縁の集合」なんて、堅苦しい定義をしたように思います。細かい表現は忘れてしまいましたが、その保護が必要な分だけ結束は固くなる傾向があるようで、新生児ケアをピークに結束は下がっていき、思春期には保護より距離感が必要になります。
どんどん結束は低下しますが、もっと進んで、親が老人になると、立場が逆転して、結束の必要性が上がります。
 ただ、最近は老親の世話は家族だけの任務ではなくなり、社会的責務へと移行して来ているようです。子育てもしかり。少子化に歯止めをかけるため、社会で育てる……という側面が遅まきながら、制度にも盛り込まれるようになりました。
 ただ、残るのは家族の情。我が家の場合。家族4人は昨年の4月以降、全員が社会人となり、構成員に保護を必要とする人がいなくなりました。ここで家族は一旦解散しました。もちろん、情の部分は別です。そして、昨年10月、フクセンの闘病が始まりました。ここでちょっと家族が再結集。しかし、私とフクセンの二人生活は続き、再び3人以上で生活するには至りませんでした。こういう風に程度の問題で家族は離合集散を繰り返し、拡大したり再生産したり終焉したりしていくようです。今後のことは分かりません。しかし、『子どもを18才で家から出す』と決めていた私達の子育ては案外有効だったのではないかと思う最近です。二人とも外に出て、保護されてきた自分と出会うチャンスがあったからです。(娘は4年遅く22才で追い出しました)

 家族の情を育てるのは幼いときから「一緒に過ごした時間」に起因すると思います。我が子への深い愛情(無自覚な執着)に基づき、膨大なる手間をかけて、子育てを行います。子どもという存在は徹底的に親の時間を奪います。親の心配も深めます。そして膨大なる手間のおかげで、子どもは育ち、最後にはその無自覚さ故に、「誰の世話にもなってない、一人で大きくなった」と豪語して、親元から巣立って行きます。そう言わせるのが、私たち夫婦の子育ての最大目標だったように思えます。
 「尊敬するのは両親。感謝してます」なんて、我が子に言われたら、子育ての失敗を宣告されたような気分になると思っていました。幸い、二人の子どもから、そんなセリフを聞いてないので、まずまず及第かなと思っています。

 無自覚だからこそ、コントロールが難しい部分なのです。○○せずにはいられない・・というのが親の心情なのです。子どもがイベントに行く・・・、おにぎりを作らずにはいられない・・・・、そういう流れで小学生の弁当箱が成立しているわけですが、コンビニの袋一つで「行ってらっしゃい・・・」と送り出せる光景がチラホラ出現して来たことは「無自覚に手間をかけない関係」が出現してことを意味するでしょう。

2012年11月12日
 「山は冬支度」
 週末、苗場山荘へ行って来ました。修理したイスを運んだり、リビングの北西に書棚を設置したりの整備のためです。夜に着いたので紅葉のすすみ具合はわかりませんでしたが、早朝明るくなって森をみると、唐松の紅葉が黄金色に輝く季節になっていました。遠い山はもう落葉の後で冬の景色が始まっていました。

 書棚はちょっと予想より幅広く、後々には作りつけのものを設置するので仮の姿です。1977年からのアルバム、塾通信のバックナンバーや原稿、歴代の配布物などなど。今では誰も手に取ることのない歴代保存版たちを福島自宅に保管していました。それを山荘に移してゆっくり思い出に浸ろうという趣向です。読むのは福島、私や西尾氏に限られるかもしれませんが、卒業生もやってきてくれるかもしれませんから。

 設置終わって、並べながら、古い記録を読みふけってしまいました。第一号の塾通信も発見。次号(ヤマシタ編集最終号)で披露しようかなと思っています。
右手前がFFヒーター。スッキリしましたが、書棚の左がちょっと窓にかかってしまっています。1993年7月オープンの苗場山荘ですが、こんなにゆっくり利用できるようになったのは2012年からです。丹誠塾の子らの声の響かない山荘になってから、初めて実現した空間です。いつも、行事の後は慌ただしく帰宅するのですが、今年からは「あそこもここも・・・・・」とやり残している仕事が一つ一つ片づいていく充実感があります。1階の6畳間のカーテン、風呂場の足ふきマット、ボイラー室の整理、キッチンの収納の内容、暖炉の後ろの整理・・・・・。こんなに懸案があります。
 もっともっと綺麗にして、使いやすくしていくつもり。

2012年11月7日
 「労務担当」
 新しいことを習うのは年齢を重ねても楽しい。
 今まで経理担当だったヤマシタが労務も一部担当することになったので、勉強中です。労働法はたしか大学4年・・・・。一番記憶に薄い科目で、塾を開業したばかりの多忙な4年次のことで、何も残っていません。仮に残っていたとしても役に立たないかもしれません。法令の改正の激しい分野のようです。
 その勉強中に興味を引かれることが多々あります。

 ハーズバーグの2要因論。施設や事業所の方針、賃金水準、作業環境といった要素は不十分なときは不満を引き起こすが、充分であっても職務満足につながるとは限らないという「衛生要因」とされ、一方、仕事そのもの、承認、成長といった要素は、充分だと職務満足は高まるが、不十分であっても不満の原因となるとは限らない動機付け要因とされる。だから衛生要因と動機付け要因、どちらか一方のみを満たすだけではダメで両方同時に必要だという理論。

 ヤマシタ風な解釈は働き手が会社をやめたくなる要因とこの会社に骨を埋めたくなる要因は必ずしも一直線上に存在しないということで、給料が安い、休みが取れない・・・・という不満はやめたくなる要因だが、そうかといって給料が高く、休みが容易に取れるだけで、この会社に骨を埋めるまでの気持にはならず、やめる不満を減らす要因に留まる。それより、仕事の達成感、上司からの労い、仲間とのコミュニケーションなどの方が一生この会社でがんばるぞとモチベーションを揚げる要因となる。なるほど・・・・と思います。人は給料の額、休みの多さだけで会社を評価しているのではなく、やり甲斐、上司からの信頼、部下からの信頼、仲間との交流などが大きな職務への動機付けとなるということです。

 今までは子どもの発達心理、共依存などの家族内の心理的問題などは本で読んだり、話を聞いたりしてきましたが、こういう分野の心理的洞察は新鮮です。「衛生要因」は労務の仕事、一方「動機付け要因」は人事の仕事と分けられるようです。いかに人の心を理解して人事を行うことが大切かを専門家は説きます。給料や休みなどの労働環境を良くした上で「やり甲斐」という気持に支えられて、「自分が正しく評価され、必要とされ、意見を傾聴してもらっている実感」を味わいながら、職務を行っていくのが理想なのだと理解しました。

 実は今から、都心に研修に出かけます。ラッシュが苦手なので、最寄り駅からの始発を狙って早々に自宅を出発しましたが、この電車はあと20分しないと出発しないので、車中でこれを打ってます。今夜帰ってから、アップする予定。
 

2012年10月27日
 「来年度の更新」
 農園を来年度も続けて契約しますかというプリントが回ってきました。もちろん、続けます。3万円の出費は大きいようですが、その中に『苗、種、道具、肥料に指導料』が含まれているとなると大変、お得なのです。夏はほとんど野菜をスーパーで買うことはありませんでした。トマトが大収穫。茄子、きゅうりも毎日漬けものにしました。枝豆、トウモロコシの上手さったらありません。
 そして秋の収穫・・・・。発芽時期に猛暑で毎日水やりに通った人参(50本)が立派に育って屹立する様は圧巻です。我が家のキャベツやブロッコリーは植え付けてすぐ、青虫にやられ全滅。見かねた農園の園主さんが新しい苗を植えて下さいました。だから、他の区画より収穫は遅くなります。ゆっくり他の区画の収穫を見ながら、追っかけて収穫していきたいと思います。11月初めから、3種類の大根、2種類のカブが食卓に。11月半ばにはブロッコリー、カリフラワー、スティックセニョール、キャベツ、白菜、人参、ねぎ。年末からはほうれん草、小松菜、水菜、ラディシュなどの各種葉物野菜が収穫できます。
 本当に贅沢な農園生活です。これにタマネギ、レンコン、ゴボウが加われば、ほぼ完全ですね。

 そして本日、ご紹介するのは「里芋」。水が枯れたせいで、どこもさんざんの状態のようです。うちも昨日収穫しましたが、ほんのちょっとしか、とれませんでした。地上部分はどうしようかとフクシマと相談して、会津でやってたように干すことにしました。「里芋」の茎を干して、縁側に並べていた光景を思い出します。薄い記憶を便りに凧糸を通して、ベランダの物干しに干してみました。育ちも悪く茎も短いですが、仕事をやり終えた満足感が漂っているように見えるのは気のせいでしょうか・・・。

 最近とみに料理の腕をあげたフクシマが昆布だしでつくる里芋の煮物は絶品でした。昨夜お代わりして楽しみました。本日はこれに昨年の野生キノコを入れて煮込もうと思っています。昨年のキノコはもうないとあきらめていましたが、冷凍庫の霜取り掃除をした際に出現したものです。秋風が吹いたので妹に「急ぎません、いつでもいいよ」と言って「牛すじとツラミ」を注文したところ、さっそく肉屋のおじさんが送ってくれたようなのです。そうなると霜のついた冷凍庫は具合悪いので、昨夜一晩かけて霜取りを実行しました。
 だんだんとこれから、ストーブに鍋をかけて料理する季節が到来します。楽しみです。これが一番ですね。豚軟骨を煮込んだり、牛すじを煮込んだり、おでんの下ごしらえをしたり・・・・。料理の香りとともに部屋がじんわり暖まります。家で過ごすことの多いフクシマのためにベランダの網戸を見えないところに収納し、柿がよく見えるようにしました。吊した里芋の茎も見えます。退院した病気療養中のフクシマに幼なじみたちが持ってきてくれたクリスマスローズも夏を越え、元気に育っています。これもガラス越しに毎日楽しむことができます。
 「家を居心地良く」。これが最近の我が家のテーマです。
里芋の茎。干してみそ汁などの具にするという。会津のえびすやさんはどうしているかなと干しながら思いました。 部屋から見える柿はとらないようにしようと思います。野鳥が来るのが楽しいから。本日、二人で柿取り敢行。2種類のうち、1種類が渋にかえり気味。焼酎でぬくつもり。 藍の次の企て。何だと思いますか?・・・・・・。そう「紅花」です。秋まきの紅花にチャレンジ。本葉が数枚になったら、大きなプランターに移します。

2012年10月24日
 「ラスト水晶」
 キャンセル待ち5人となったラスト水晶は無事終わりました。希望者は全員連れて行きたかったのですが、マイクロ定員の関係で涙を飲んだ方もいました。本当に最後のわくわく体験でした。
 今年はブドウシーズンがまだ終わっていない勝沼、塩山界隈でしたから中央道の渋滞は半端なかったです。子どもたちは慣れたスタッフと車中ではおしゃべりやゲームに興じていました。帰りに車酔いする子がいないのは、いつもです。たんまり拾った水晶をリュックの中に入れ、帰ったら洗って輝きを楽しむぞ、とみんなニコニコでバスに揺られていました。
 水晶山は、がれた斜面がほとんど。現地までも登りが続きます。小学校低学年も必死で歩きます。
 途中の水晶神社で安全をお祈りし、キラキラ光る水晶をつい拾ってしまいます。スタッフに「今は拾わないで、もっと上まで我慢しょう。もっといいのがあるから」と声をかけられても、やっぱキラキラに誘惑されます。何度か注意されて、やっと登りはじめました。最後の斜面に着いた頃にはスタッフの言っている意味が分かって、「最初の水晶は、くずいよね(くずだ)」と小2が言います。スタッフも「そうだ、くずいよ」と答えています。

 最後に玉宮小で披露の会。一人一人自慢の水晶を持ってエントリー。審査員はフクセン、のりとくんと私。3人で2秒で決まったのは小1の男の子。小さな結晶が全面にあるこぶりの水晶でした。最後のクリスタルキングは名前を呼ばれて「えっ誰?」と狐につままれた感じで、回りを見渡していました。「あっ僕か」言ってぱっと顔が明るくなりました。

 この瞬間、彼以外の子どもたちは大きなため息。本当にし〜んとなって、自分の手の中の我が宝石を見つめていました。
後ろの富士山見えますか 木漏れ日の神社前 足もとは全部水晶 フィールドは斜面 のどかなブドウ畑 キング細かい結晶が逸品

2012年10月14日
 「どんぐりイベント」
 地味なイベントが楽しく終わりました。田無から西武園って、本当にすぐなんですね。こんな身近に本格的な雑木林があるのです。
 昨年のデータを参考にどんぐりの落ちる日を考えました。そして本日、どんぐりで一杯のトトロの森を歩くことが出来ました。お天気の心配もなく、紫外線を気にするフクセンにも優しい曇り空でした。ほとんど、行き交う人が年配者。子どもの集団はいなかったです。近所にこんな雑木林があれば、毎日行くなと思いながら歩いていました。1日歩いて、歩行数は12000歩でした。

 皆さん、八国山緑地、是非お勧めします。
 
画像は珍しいアート。乾燥したことで不思議な模様を作っているクロイグチです。 6種類以上のどんぐりが落ちていました。 分類しながら、どんぐりの種類を調べています。決め手は殻斗(帽子)。あれば、葉っぱ。
 ☆☆☆先日の「フクセン引退の記事を読んだ、驚いた!」と、卒業生や塾関係者、多くの方から電話をいただいております。有り難いです。夜は無理だからランチでもしようか・・・などと旧交をあたためているケースもあります。ほとんど田無の塾にはいませんので、ばったり塾を訪ねても不在です。自宅(03−5991−●●85)へ電話してくださいね。お便りは上石神井4-30-20へお願いしますね。

2012年10月9日
  「終わるということ」 
 連続日曜日イベントが続いています。フクセンは日光に当たらないよう、疲れないよう、気を付けて参加しています。こんなにたくさんの体験活動をするつもりはなかったのですが、成り行きでこうなってしまいました。ヤマシタは助成活動の企画、運営、報告書作成の部分を全面的に担っていますので、この2学期は本当に休みがありません。介助事務所にて組織改編が進み、今までの部署以外に他の仕事も加わっての10月となっていますので、体調を壊さないよう気をつけています。助成活動をなんとか元気に、12月の第一日曜までやりきりたいと思っています。
 
 来週はどんぐり拾い。たぶん参加者はそれほど見込めないので、ゆっくり八国山の雑木林を歩いてこようと思っています。クラフト用にどんぐりや小枝を拾ってくる予定。このコラムをお読みの方でたまたま、10月14日あいていたら、ご一緒しませんか?おひとりでも・・・。お弁当を朝から作って、森を歩く・・・・。こんな贅沢なことはありませんね。
 
 また、今年度は水晶山を歩く最後の年となりました。オーナーの方から「山が荒らされて困るので入山禁止にしたい」と言われてしまいました。団体として入山を許された唯一の存在でしたが、例外ではなくなってしまいました。もう20年近く通っていたフィールドです。残念です。今年のクリスタルキングが最後のキングとなります。
 
 何事にも終わりはあるのですね。明日発行の塾通信で「フクセンの引退記事」をお届けします。来年の3月でフクセンは丹誠塾から離れま、ヤマシタも塾通信編集の任を解かれます。あと1回発行(来年1月の冬号)を残すのみとなりました。寂しいようなホッとしているような・・・。
 
 何事にも終わりはある・・・・・、子育て中、よく思ったことでした。特に息子。凝り性な性格で、次々と興味の対象が変わる度に「卒業」していきました。う〜んと凝って凝って、ある日突然、卒業します。一言で言うと「やりつくした・・・」って感じ。凝った対象は今覚えているもので・・・・・。キラと呼ばれるレアカードが入った戦いのカード(名称失念)、ガンダムプラモ、こま回し、ミニカー、デアプロ(PCゲーム)、マジギャザ(大人盤の戦いのカード)、麻雀(これは卒業はないか)。現在は、日曜になると父と情報を交換しあっている競馬(これも卒業してないか)。
 終わりがあるから、安心して凝っていられる。終わりがあるから、それまで頑張れる。
 
 母の臨終をみとった早朝、フクシマに電話した時、「今年の初詣に母のために健康のお守りもらったのに亡くなったよ。あんなお守り役に立たなかった」と嘆く私に、彼はひとこと「亡くなるって悪いことなの・・・・」。『なんてこと言うのか』とその時は思いましたが、ちょっと気持ちが楽になったことも事実です。
 
 終わりを受け入れるには「やりきっている」という条件がつきます。凝って凝って集めきって、やりきっているから、ある日突然、卒業できるのでしょう?

 フクシマとこれから、いろんな事を卒業していくことになります。塾という営み、会計管理、塾通信発行、体験活動の企画運営、書類作成・・・・。最後に残るものは何でしょう。これから始まるものは何でしょう。それらを時間をかけて探していきたいと思います。

2012年9月30日
 「台風の最中に」
 今、台風は愛知県東部に上陸したようです。我が家でにはさっき、庭の植木鉢を下に寄せて、雨戸をしめて備えています。

 本日は化石発掘体験。朝から空を気にしつつ、発掘しましたが、思ったより雨にたたられないで、たくさん体験することができました。解散の時だけ、台風前を思わせる雨となりましたが、充分、発掘体験を楽しむことができました。

 フクセンは久々のフィールドに興奮気味でした。ほとんど「はじめまして」とスタートするNPO遊学会のイベントに参加してくる子どもたちとの交流です。はじめは緊張している小学生もフクセンの雰囲気に影響されるようで、構えている力が抜けるのですね。このことを少し考えてみました。

 きのう、29日土曜は小学校の隣にある農園で運動会の放送を聞きながら、農作業をするはめになったヤマシタですが、そのアナウンスに辟易してしまいました。
 「元気」「がんばる」「楽しい」・・・が溢れたアナウンスの中にいて、耐えられなくなったのです。理由は「力をいれろ、入れろ・・・」と子どもを誘導する「意図」に神経が耐えられなくなったのです。
 「学校」って、ゆるんでいることを許してくれない場所だったと、思い出しました。そして苦しくなりました。いつも「元気」でなくても、「がんばらなくても」「楽しさをもとめなくても」いいじゃなか・・・と叫びたくなりました。
 
 本日のフクセンの有り様はその逆でした。「元気じゃなくても、がんばらなくても、楽しいっていわなくてもいいよ」・・・そういう存在です。それが彼なんだな・・・と、今まで気がつかないで当たり前としていましたが、実感しました。それに驚きました。

 10年ほど前、台風で家に閉じこめられた小学1〜2年生の塾生が「フクセンに手紙を書きたくなった」とお母さんから伝えられたことがありました。灰谷健次郎さんの作品の中にもあります。台風で閉じこめられた子どもが担任の先生にその時の感じを手紙に書いている詩(?)があります。そのお母さんからフクセンに手紙を書きたくなったという話を聞いたとき、同じだなと思ったのでよく覚えているのです。共通しています。台風という異常空間に置かれた小学生が「○○先生に今のこの感じを手紙にしたい」と思った話です。

 フクセン考になりますが、なぜ、彼の元に子どもが寄ってくるのか・・・・。
 一つは害を与えない人だ・・・、という直感が子どもにある。
 一つは発見を一番に伝えたい人だから、それは、きっと一緒に発見を喜んでくれるという確信があるから。

 今、東京の小学生が台風の最中、家にこもり、時折吹いてくる激しい雨風の中、誰に手紙を書きたいと思っているか、または誰にも手紙なんか書きたいと思ってないのか・・・・、知りたくなりました。 
牛乳パックなどを利用した化石標本。本日たくさんのサメの歯が出ました。 指導の福嶋徹氏を紹介するフクセン(右) 増水を気にしつつ、化石発掘体験は行われました。この時期はまだ、平穏な、お天気。

2012年9月23日
 「親ばかの極み」
 娘のポストカードを作りました。娘が中学生から描きためた作品の中から、本人に10枚を選ばせました。そして、フォトグラファーのななこに撮影、プリントを依頼しました。最初は娘を知る方々に差し上げようかと考えていましたが、一つの作品として評価して下さる方に、有料でお分けしょうと考えるようになりました。
 手にとってご覧になりたい方は声をかけて下さい。そして、気に入ったら、ご購入下さい。
 10枚で2000円が高いか、安いかは、その方の評価だと思います。ななこは色や質感にもいろいろ、気遣ってくれて、丁寧に仕事をしてくれました。こんな小さな面倒な仕事にも手を抜かない姿勢が有り難かったです。
 私がタックシールで自作したオリジナルシールは娘に即座に却下されてしまい、シンプルな装丁で作品を包みました。今回の販売に当たっての告知も娘の注文で「お母さんのMAX謙虚モードで」という取り決めになりました。左に画像を紹介します。
 娘の才能をななこのセンスと親ばかの極みでくるんだものです。いかがでしょう?

2012年9月12日
 「賢治なら、どう考えるか」
 先週やっと休みがとれ、東北方面へ出かけてきました。長々と珍道中記を書きたいのですが、仕事が忙しくて・・・。忘れないうちに、一番印象に残ったことを書いておきます。

 盛岡での話。
 盛岡駅からバスで中心街へ移動していた車中には、小学生とその引率の先生が乗っています。子どもたちはたぶん4年生くらい。男女あわせて20数名というところ。車中で大きなおしゃべりもなく、比較的おとなしく過ごしていました。先生はバスに乗るとき、「1班と2班がバスに乗ります」とはっきりした発音と良く通る落ち着いた声で子どもたちにアナウンスしていました。車中でも降りる前、「こちらに寄ります」と例のはっきりした良く通る落ち着いた声で指示します。つまり、降りる人を先に下ろし、子どもたちは端に寄っていて、その後、降車させようとしていました。そのアナウンスの仕方が見事で、声の落ち着き、内容の的確性・・・・。大変好感を持って印象に残りました。
 何で「乗って下さい」「寄ってください」といわないのか、「乗ります」「寄ります」の方が、子どもたち主体の動きを誘うからでしょうか?小学生を引率する先生にとっては非常に有効な言葉の技術です。
 思わず、フクシマと「宮沢賢治の国だから、何事も正しくて、すがすがしいね・・・」とバスを降りた後、話しました。

 岩手の方はいろいろなトラブルに立ち至ったら、「賢治ならどう考えるか・・・」という視点で考えるようです。賢治の考えを基本にして問題を解決するのですね。それだけ宮沢賢治が尊敬されていることなのでしょう。バスの引率の先生が賢治を尊敬しているかは、定かでありませんが、あのキリッとした姿勢に「賢治」を見るのは私たち旅行者の勝手な妄想でしょうか?

2012年9月5日
 「お知らせ」
 遊学会の上石神井事務局ホームページができました。一度、ご覧ください。
 今のところ、秋のイベント案内のみアップしておりますが、徐々にいろいろなページを充実させていく予定です。開いて見てくださると分かりますが、イベントの問い合わせの方法がWEBから飛んでいくのではなく、「とにかく電話してください」から始まります。アナログでしょ。電話にはフクセンが出るかと思います。
 
 葉脈標本づくりからスタートする秋の活動です。皆様、興味のあるものがありましたら、電話して、しおりを請求してください。HPの場所はココです。

2012年9月2日
 「季節の変わり目」
 やっと降りましたね。農園の種まきや植え付け時期なので、毎日5時30分に起きて水やりに行っています。6時前の農園はたくさんの人で「おはようございます」が行き交っています。8月は全然雨がなかったので、里芋の収穫は望み薄です。
 そこへ、先日からのお湿り。ゴロゴロ空が鳴って大粒の雨が落ちてくると、心の底から嬉しさがこみ上げます。やっと季節が変わってきたのですね。
さてクイズ。包丁を研いで、これから何をするつもりなんでしょう?ヒントは→
 答は夏の終わりのお決まりの作業です。一つは完熟しなかったトマトのソースづくり。トマトソースづくりには包丁を研いで挑みます。もう一つは庭に繁茂しているミントとバジルの乾燥作業です。今年はジェノベーゼではなくで乾燥バジルにしました。春に100円で購入したバジルの苗は一夏中、料理に貢献しながら、この時期、立派な保存分を収穫させてくれるのです。今回は松の実やニンニクの準備がないので、簡単に乾燥させてみようと思い立ちました。ついで大量のアップルミントもお茶に仕立てようと先日、全体量の9割をばっさり刈り取りました。
 梅干しを干すザルでバジルを広げて乾燥させています。ネットで調べると日陰に干せという方と天日に干せという方が両方います。さてどうしたものかと考えましたが、天日に干せという方の文章の方がヤマシタの感覚に近いので、天日干しを選びました。1日で結構ぱりぱりになりました。もちろん多くのサイトは電子レンジで乾燥させよとありますが、我が家には電子レンジがないので旧式な方法で乾燥させることになります。あと10日以上は乾燥させて、細かく砕いて保存しようと思っています。いつでも簡単にバジルを振り入れることができます。ジェノベーセに仕立てるより、お手軽かもしれません。
りんごもぎ籠に収穫されたアップルミントです。知り合いにお茶にして差し上げたら、利尿作用があるのか、自分の身体にあう・・・・と大変評判が良かったので、夏の終わりに刈り取る時もお茶にしようと考えていました。乾燥すること2週間で元の5分の1以下の量になります。我が家は他のお茶の中に少し入れて煮だし、冷蔵庫で冷やして飲んでいます。場所を選ばす、毎年繁茂するエネルギーを少しでもお茶にして分けてもらうわけです。 柔らかい葉っぱの部分だけを摘んでいく作業は夜の仕事。約4時間かかって全体を葉っぱだけにしました。これも梅干し干し用のザルに一杯になりました。
 さて、いよいよトマトソースづくり。きっと、そのまま食べてもトマトの味はするとは思いますが、木で完熟させた、あの味と比べてしまうと残念なので、ソースにします。農園で「トマトの収穫は8月19日までに終え、次は白菜と大根の土作り」と指導され、青いまま収穫したトマトたちです。我が家のトマトは5〜6段実をつけ、大収穫だったので、期限になっても、まだまだ実があったのです。収穫後いつしか色づきましたが、味はのっていません。スーパーのトマトで美味しくないのではこうやって青いうちに収穫されたもののようです。 よく切れる包丁で十字を入れ、熱湯にくぐらせ、皮をむきます。包丁が切れないとできない作業です。
サイコロ状にざくざく切って、加熱します。途中で味をみると酸味はしっかりあります。 半分の量まで煮詰め、塩こしょうで味をちょっと付けます。あまり味をつけないで、後日の料理の時に任せます。
あら熱を取ってるところ。
薄手のタッパーに入れて冷凍庫へ。完全に固まったら、適当な大きさにして、ジップロック袋で冷凍保存します。一人分のパスタなどに便利。

2012年8月28日
 「南国の味」
 日曜日に野菜が届きました。卒業生のTくんからです。メッセージもなく、ただ色々不思議な野菜たちが入っていました。フクセンが電話をして事情が分かりました。奥さんの実家が指宿で南国の野菜たちをフクセンのために送ってくれたのです。野菜に混じってフルーツも混じっていました。さっそくいただいてしまったので映像が残っていなくて残念です。それはパッションフルーツと呼ばれる「とけいそう」の実でした。真っ二つに切ると甘酸っぱい粒々が美味しいです。「とけいそう」はよく知っていますが実がパッションフルーツだとは初めて知りました。それだけでも驚きでしたが、驚きはまだ続きます。
 まず、ヘチマ。たわし状にして身体をゴシゴシする植物だという理解だけで、皮をむいて炒めて食べると美味しいとは知りませんでした。つぎに南国のさつまいも。これから料理方法を勉強します。山川漬けと呼ばれる固いたくわんはとても酒のお供になりました。昔、有機野菜のトラックでよく買っていた「寒漬け」に似て、食べ出したら止まりません。

 Tくんはもう小学2年生のパパになっているとか。山荘建設時は確か中3だったように記憶しています。ですから33才前後。独特の笑いのセンスでフクセンとはウマがあっていたようです。今も病気療養中の彼を気遣ってくれる言葉が有り難いです。山荘の毛布の多くは彼のお母さんが寄付して下さった品です。新品を買って少しずつ塾に運んで下さいました。暖かい応援でした。

 さて、南国の野菜たちを見ていて思い出すのは「指宿」という地。もう7年になりますが、塾の有力スタッフのブチくんの終焉の地なのです。私達二人が指宿に出かけたのは6年前。ハイエースで兵庫県の妹宅を中継地点にして、高速道路を走り継いで鹿児島県の南端に到着しました。長崎鼻という突端の地でした。そのとき指宿の休暇村で1泊しました。枇杷が名産で天ぷらまで枇杷だったことを覚えています。
 明るい土地で彼はエンディングを迎えたのだなぁと感じました。北方には特攻隊の基地「知覧」があります。その歴史は聞いているだけで体温が低下するほど、悲惨なものでしたが、指宿での時間はそれも忘れるくらい、とても明るく住みやすそうな土地だなと思って帰ってきました。
 
 縁あって、その野菜たちが我が家にやってきたので、コラムに記しておこうと思いました。
手前がヘチマ。向こう側がゴーヤ。真ん中にはさつまいもと茄子。 寒漬けに似た山川漬け。薄くスライスしていただきます。 我が家農園の最終のトマト。完熟で収穫できなかったので、後日ソースに。(次の作付けのため、赤くなる前に収穫。)

2012年8月21日
 「お暑うございます」
 連日、猛暑が続いております。フクセンは東京の気温にヘロヘロになり、今まで2回、苗場に避暑をしました。しかし帰ってみると、同じ変わらず猛暑。療養中の身体には健康人の何倍も暑さがひびくようです。昼間はエアコンの部屋にいて、外出をさけています。夜はあまりぐっすり眠れないので、苗場での快眠で生き返っていました。早く秋風が吹くことを祈っています。
 さて、8月も半ばを過ぎました。ぼちぼち9月以降のNPO活動のイベントの準備をしています。まずは9月16日の「葉脈標本作り」から。8月24日にしおりを塾に持参しますので、夏期講習中で渡せる方にはお手元に届けられると思います。日江井、島田さんらによる懇切丁寧な科学教室です。

 また、イベント告知用に遊学会の上石神井事務局のホームページを近日、公開する予定です。また、ここでお知らせしますので、ちょっと立ち寄りくださると幸いです。

2012年8月10日
 「藍染めました」
 先日、プランターの藍を刈り取り、そのまま生葉で染めてみました。
 フードプロセッサーにかけた藍の葉っぱを洗濯ネットにいれて、ゴシゴシ絞りながら、染めます。液からあげて空気にさらしたり、水で洗ったりして、酸素で青い色を出すようです。緑がどんどん青っぽくなっていく工程はわくわくします。絹のストールを染めました。

 先日、居間のエアコンが壊れたので3日ほど苦しい日々を送っていました。物いりでしたが、新しいのに買い換えました。最近のエアコンは優秀ですね。温度、湿度管理を完全にやってくれます。電力的にも省エネらしいです。
この色のまま、とどまる訳じゃありません。 ごしごし絞っているところ。 洗濯ネットも染まりました。

2012年7月29日
 「風が吹けば・・・・」
 以前、「風が吹けば、桶屋が儲かる・・・」の話をここでしました。娘が、大学4年のころのことでしたね。(2011年2月3日のコラム参照)
  
 今回もネズミが登場します。我が家の隣は駐車場になっています。その南側のアパートが外壁工事をここ3週間ほどトンテントンテンやっていました。暑い中、大変だなと思っていましたが、その工事もやっと終わりました。
 10日ほど前、ベランダをネズミがチョロチョロと走るのを見ました。よく見るとベランダの端っこにたくさんの枯れ葉などの溜まりができています。糞らしきものもたくさん。なんと、ベランダで育っていたプチトマトが囓られています。ショック!
 ネズミはその翌日もチョロチョロ、ベランダを走り回り、部屋に侵入されては大変と網戸にするのも勇気が必要となりました。あの工事でネズミが引っ越ししたのでしょうか?2〜3日したら、フクシマが柿の木を伝って、ベランダに侵入するネズミを目撃。柿の枝が伸びて、ベランダの手摺りにかかっているのです。「あ〜、これが進入経路か。柿の枝をカットして、進入経路を絶たないと・・・・。」と思いました。
 そこで二人でベランダを掃除して、柿の木を散髪することにしましたが、なんせ、この陽気。おりしも血圧が高くなってしまったピンチのフクシマです。これは息子に頼もうとメールしてました。彼は「次の日曜なら帰って手伝うよ」と言ってくれました。
 それが今日のことです。朝9時に帰ってきた息子はまず、ベランダの物をすべて家の中や玄関に移動。物干しも移動して、ネズミのすみかを確認します。糞がその後増えている様子もなく、ネズミの痕跡はありませんでした。綺麗に掃除して、必要なものと処分するものに分別して、今度は柿の枝のチョキチョキが始まりました。高枝切りはさみで容赦なく枝をカットして、ベランダに枝が届かないようにしました。その枝に柿の青い実が付いているので、私はそれをはずして、みんなで枝を束ねました。小さく枝を束ねるとゴミ収集してくれるので、多少手間でも束ねました。この作業も息子が最後までやってくれました。
 そして、画像の作業。そうです、柿渋作りです。昔は一般家庭でも作っていたという柿渋。7月末から8月にかけて作業するそうです。そして1年かけて完成させます。防腐剤や染料として優れた特性を持つ柿渋。自分が作ることはないだろうと思っていましたが、あまりの量に挑戦してみました。来年の今ごろ、何かを染めているかもしれません。
 今回はさしずめ、『ご近所が工事すると柿渋作りに挑戦する・・・』です。
まずヘタを除きます。 4つにカットしてフードプロセッサーへ。少量の水を入れながら、どろどろに。 こんな状態を布でこして、1週間置く。その後、1年保存して柿渋の完成。

2012年7月26日
 「育ってます」
 種まきが遅かったせいで、双葉を虫などにやられてさんざんだった藍がやっと、成長してきました。画像を紹介しましょう。4つのプランターにすくすく育っています。もう立派な本葉。虫などにもびくともしません。苗床をつくったり、虫を除いたり、日照の確保のために一等地に置いたり、苦労して育てました。あとは水やりを忘れずに大きく育て、生葉で染めてみる作業が待っています。楽しみです。
 友人と8月中旬前橋の染料植物園に行く予定です。小さな染め体験にも参加するつもり。この暑さでキッチン染めができないストレスを発散してきます。
 
 「は藍より出でて藍よりし」
 青という青色の染料は、藍という原料から取れるが、原料の藍より、加工して染料にした青の方が鮮やかに青い・・・・・という意味で、弟子が先生より優れているということのたとえらしいです。出藍の誉れも同じような用語であるみたいです。ふとこの言葉を思い出し、どんな青が出るだろう・・・と想像すると楽しくなります。(実際には生葉なので加工するわけではありませんが)
 調子に乗ってネットで調べると荀子の言葉のようです。ふ〜ん、藍を加工して青にすることや水を低温にして氷にすることは、人間に当てはめると「教育」や自分を変えようと「努力」すること。『プロセスの積み重ねによって、その性質がより深化醇化されていくのである。人間の本性が悪であるからこそ、そのままではいけない、努力しろ、学べと荀子は叱咤激励しつづけるのだ。・・・・』と書いてありました。ふ〜ん、そういう意味だったのか〜。
 我々は藍のままではいけないのだ、にならなければならないのですね。

2012年7月14日
 「蓮の姿」
 友人と真蔵院へ蓮を見に行ってきました。お盆で住職はとても忙しそうでした。奥様にすこしご挨拶をして、また蓮のハチノスや茎などをいただいて帰ってきました。どういう風に使おうか、飾ろうか思案中です。蓮の見頃は1〜2週間らしいです。朝7時ごろが最高のようです。
 
 小金井公園はフリーマーケットの開催日。友人と少し歩いて冷やかしてきました。フクセンはかき氷を食べて、待っていました。その後、武蔵境の武蔵野プレイスへ行ってランチにしました。みなさん武蔵野プレイスをご存じですか?駅の南口1分のところにある、図書館や市民センターが集まったようなフリースペイスです。レストランもあり、過ごしやすい読書コーナーもあります。近隣の方、一度のぞいてみて下さい。
早朝の収穫。取れたてをゆがきました。枝豆は早播きのは収穫終了。最近は野菜をスーパーで買いません。 赤くなって収穫するので、味が濃い。トマトはどこにもお裾分けしません。毎日食べて、余ったら、極上のソースになります。 10時まで待っていてくれた大賀蓮。「和」の感じがしないのはなぜでしょう?

2012年7月8日
 「家の灯り」

 通勤の途中など。、幼い子どもを見ると昔の息子や娘の当時を思い出すことがあります。ふとしたキッカケで乳幼児時代、保育園時代、小学校時代が蘇ります。子どもはすっかり忘れ去り、その時代は親のものになっています。介護事務所の若者たちは、今子育ての真っ最中。まだ寝不足の親たち、学校での子どもの適応に心を配る親たち・・・・。当の本人たちには現在進行中の待ったなしの現実ですが、端でみている子育て卒業者の私としては、すべての話が微笑ましいです。うんと困って、うんとパートナーと話し込み、うんと楽しむといい・・・・・と思います。

 田舎の母と息子の昔むかしのエピソード。
 息子が小学生の頃のことです。
 母が私に「今日な、○平ちゃんが、こんなこというねんで」と話しました。「・・・・、ああ〜おばあちゃんがいるから、よかった。家の電気が点いてる。鍵も開けなくていいし、家もあったかい。家に電気が点いてると、オレ嬉しいよ・・・・・」母は普段は自分で鍵を開けて、暗い家に帰ってくる息子のことを想像して、かわいそうだなと感じていたのかもしれません。でも、『そう言われておばあちゃんも嬉しいよと伝えた』ことだけを私に話してくれました。
 母は子育て中は仕事を持ちませんでした。昔の女性は家を守るものという時代の話です。ですから、田舎で暗い家に帰った記憶がない私は暗い家に帰ってくる息子のことを想像していませんでした。母に言われて、ちょっと切ない気持になりましたが、「でも、働いている母親を持つ家庭なのだから、ここは子どもに適応してもらおう」と心の中で結論していました。娘は一人で家に入ることを隣の母(当時元気だったフクシマの母)が嫌っていたので、一度隣に帰宅して、夕方自宅に帰ってくることが多かったです。
 田舎の母はクリスマス前から正月の松が開ける頃までは東京で過ごすことが常で、20年近く、その習慣は続きました。子どもたちにとって、年末年始は二人のおばあちゃんと過ごすことが当たり前になっていました。

 フクシマが入院しているときは灯りの消えた家に帰ることが身にしみました。普段は気にもならない消えた灯りですが、「この家に自分以外の人が、今夜は帰ってこない」と感じると、特別意識して、外から我が家を眺めるている自分がいました。我が家は空き地に囲まれていて、暗闇にぼーと建っている全景が見渡せるのです。
 今はというと、毎日フクシマの灯した明かりが出迎えてくれます。嬉しいことに食事担当も半分以上は彼が担当します。おいしいと褒めると同じものが続く現象はありますが、料理の腕も徐々にアップしていっています。
 灯りを付け合い、その安心の中で、人間は共同生活をしているものだと感じます。

 真蔵院の大賀ハスが咲いたそうです。1〜2週間が見頃のようで、この土曜日にでも、友人を誘って鑑賞に出かけたいと思います。

2012年7月3日
 「法事」
 父の27回忌の法要で田舎に帰りました。東京を離れること2回目です。しかしこれは法事なので、レジャーではありません。といいながら、途中下車の京都で少し楽しんで高砂へ向かいました。
 
 父は生前は石材採掘販売を営んでいました。19歳の時に家業を受け継いだ2世でした。お札の向きをちぐはぐにされることを嫌い、「ゼニ勘定」を生業とする商売人でした。私は高校生の頃から勘定の日(給料日)には一緒に山の事務所に行き、電卓をたたいて父を手伝っていました。電卓はそのころは大変貴重で、いわゆる電子計算機というやつでした。父の性格は非常に大人しく、争い事を好まず、娘3人をこよなく愛して、晩年は妹のアッシー君となって暮らしていました。

 息子が1歳の誕生日を迎えたころに56歳の短い一生を終えました。それから26年。採掘していた山の中腹で新幹線を見ながら、夫婦で眠っています。母の甥が経営する墓地です。新幹線は東京の象徴。遠い娘に思いをはせながら、いろんな話をして、過ごしているかと思います。 月命日には妹が墓参してくれています。私たちは父を送ってからは3人で母の生活を支えていたので、何事も3等分で負担できるよう「母の基金」を作りました。恩恵も3分の1。負担も3分の1。姉妹で仲良く母をみていく鉄則でした。その名残で法事に必要な交通費はその基金から支給されます。一度東京で法事をしたときは関西からの妹たちの交通費、東京でのお食事などは基金から充当されました。法事の度に「次まで元気でいようね」と確認して別れます。

 昨日は新幹線に乗る前3時間ほどを昔の恩師と親友に逢っていました。何事も分析好きの恩師。明るく物事をはっきり言う親友。3人で話していると自分が2012年を生きていることを忘れます。変わらずにある人間関係がこんなに心地よいものかと実感しながら、飲茶を食べていました。

 今日から日常が帰ってきました。休む前のことを全部リセットして始動した感じです。
東寺の門前の骨董屋で保存のいい白布を3反買ってしまい、荷物が増えました。京都だと思うとがぜん購買意欲が。 友人が予約してくれた三条河原町の料理屋「くいしんぼ」。甘鯛のとろろ蒸しが旨かった。女将さんの人柄が人気の素。 京都ではエレベーターは東京と同じ左側に。河原町あたりの表示によると「片側を追い越すな」と。新しい風なのかな? 大雨の中の読経。直前は雨は上がっていたのに。終わると小やみに。母の名前の「龍」が嵐を呼ぶのか? 妹の手料理。冷凍してあった生のカニとさばきたてのハモ。雑炊セットを翌日、持ち帰りました。あまりの旨さに。タマネギの方がハモ用の鍋。 中1からのお友だち。食事のあと、お茶をしているところ。彼女といると時間があっという間に過ぎる。チャーミングな写真を紹介。

2012年6月24日
「初めての電車旅行」
 5月の連休もずっと大人しくしていたので、日赤の担当Dr.のお許しもいただいて、秋田に旅行してきました。
 もちろん、長距離の運転はだめなので、初めて新幹線、バスを乗り継いで、遠出しました。宿泊は1泊目は岩手、国見温泉。2泊目と3泊目は乳頭温泉の「鶴の湯」でした。友人からキャリーバックを借りて、ゴロゴロ引いて行きました。

 まずは前夜の嵐。日をまたぐ頃が一番のピークだったでしょうか。寝不足のまま、新幹線に乗ろうと上野へ行こうとしたら、高田馬場で山の手線が混乱していました。しかたなく、西武新宿まで行って、中央線で東京駅へ向かい、予定の新幹線に間に合いました。「台風の影響が東北までないといいね」といいながら、盛岡で一端下車。いつもの駅地下「清治郎」でランチ。同じチェーン店でも、他店よりこのフェザン店の方が旨いような気がします。貝類に目がないヤマシタは安心して「貝の3種盛り」や「珍味」を頼むことができます。白魚軍艦にホヤを自分でトッピンして味わって大満足していました。
 そして、国見温泉。緑の石油臭ぷんぷんの温泉は遠くからやってきた甲斐があります。湯の底を踏むと白い湯花が舞い上がり、一瞬白濁します。濁り湯の中でも緑濁の代表だと思います。成分が濃いので、ぐらぐらになります。お湯がいいので連泊するという、ご婦人の温泉談義をききながら、入浴していたら、他の方とも次々と話が広がり、「自遊人」の雑誌を貸してあげたり、交流が広がりました。
 翌朝、宿の主人のワゴン車で、雫石駅まで送ってもらい、主人に促されるまま、「道の駅」で休憩したりしてたら、中途半端な時間に駅に到着してしまいました。盛岡へ行く人は1時間20分、田沢湖へ行く私たちは2時間余、新幹線を待つことになりました。主人はそんなこと一言もいわずに、さっさと引き返して行きました。内心、「道の駅」によらなければ、もう1本早い盛岡行きに間に合ったのにな・・・・と思っていました。そうしたら、盛岡から田沢湖行きの新幹線に乗れたのですが・・・。なんだか、きつねにつままれたような感じでした。そこでは次は青森へ行くという、ご夫婦と温泉談義の続きをして、時間を過ごしました。

 田沢湖駅へは宿を出発してから、3時間後に付きました。車だと20分の距離です。在来線はほとんどなく、新幹線も5時台から11時台まで飛んでしまうという状況なので、雫石の人たちは鉄道なんて、当てにしてないで暮らしているのでしょうね。
   白魚軍艦ホヤのせ
    田沢湖線はほとんど、ない。新幹線は単線。  乳頭温泉「鶴の湯」へは『アルパこまくさ』というバス停で待っていると宿の車が迎えに来てくれることになっています。まず、田沢湖駅に着くと宿に電話して「○○のバスに乗ります。お迎えをお願いします。」と伝えることになっていますが、何度かけても、電話が通じません。仕方なく、お昼を早めに食べることにしまして、次のバスに乗ることにしました。
 「駅前食堂」という吉本新喜劇に出てきそうなネーミングの食堂で、ランチにすることにしました。私たちが注文を終えたら、どかどかと9名のお客さんが入ってきました。見るからに関西のおばちゃん7名と2名の添乗員らしき男性。おばちゃんが「ねえ、うどんにご飯のついてる定食できる?」と尋ねています。店の方は「いいえ、そのメニューにあるものだけです。」と答えています。別のおばちゃんが、「姉ちゃん、1時3分の新幹線に乗るから、急いでね」といきなり言っています。そのくせ、注文をまとめる様子もなく、店の人が困っている様子が見受けられます。「定食にしてくれへんねやんて」とまだ、不満をいっているおばちゃんが2名ほどいます。
 その中のおばちゃん頭と見受けられる方が「いなにわうどんって、定食じゃないの?」と。どうも、いなりとうどんという風に理解しているようです。他のおばちゃんが「何いうてんの、いなにわうどんって有名なうどんよ。」と、ちょっとバカにしたようにいいます。頭のおばちゃんは、それにひるんで、それじゃと他のうどんを注文しました。
 面白かったのは、しばらくたってから、その頭おばちゃんが、注文を終えたあとなのに、おそるおそる「おいなりさん、ある?」と尋ねていました。もちろんメニューにありません。店の人の答は「NO」。きっと、いなにわうどんはいなり寿司とうどんのセットという考えがアタマを占めてしまったのでしょう。確認せずにおかない好奇心には脱帽ですが、おかげで面白すぎて、こちらのランチの味がぶっとんでしまいました。
    なぜだか、2時間以上もいた雫石。この駅に降り立つことはもうないかも。
    トラウマのアルパこまくさ  やっと宿と連絡が取れて、早めにバス停で座って待っているとアタマにヘルメットみたいなものをかぶった、半身が不自由な方がやってきました。私たちが先頭の場所を譲って、「こちらにどうぞ」と声をかけてたのが、キッカケで30分弱、その方といろいろ温泉談義に花が咲きました。彼は長崎から、病気療養でこちらに来ているとか、「八幡平のお湯はもう最高!」を連発します。若い頃、秋田駒に登った話、スキーの話、九州の温泉の話に花が咲きました。バスは定時にやってきて、たくさんの人たちが行列を作っていました。その行列の最前列は私たち3人でした。彼のキャリーバックをフクシマが持ち、私が二人分のキャリーバックを持って、ヨッコラショとバスに乗り込むことになりました。これが大変でした。乗り込んでからも、キャリーバックの置き場がなく、彼の話もずっとバス中も続いていたので、途中の停留所でヨッコラショと彼のキャリーバックを降ろしてバイバイしたときは、ほっと一息つきました。それから『アルパこまくさ』まで、すぐでしたが、霧の中でおろされたときはボーとして、思わずベンチに座ってしまいました。ベンチに座っていれば、宿のマイクロがくるだろうと考えてのことです。しかし、定期バスの陰から、うっすら見えるのはたくさんの人を乗せたマイクロが出発する姿でした。霧の中なのでよくわかりませんが、車体に何か書いてありましたから、置いて行かれたことに気が付きました。「まさか!、定期バスの陰にいたなんて、お迎えに上がりましたとか、声をかけずに、停車1分で出発するなんて、想定外だ!」と思いつつ、バスの後を追い、「まだ、乗ります!」なんて叫んでいました。後ろではフクシマがその私の姿を見て、笑っています。
 ええい、と携帯で宿を呼び出し、まだ乗ってないのに出発しました、と伝えました。私はしばらく、待たされて再度迎えてくれるか、悪くすると、1時間待たされるか・・・と思っていましたが、予想外に「引き返させます」との返事。待つこと10分。再び、車体に「鶴の湯」とあるマイクロが戻ってきました。ほっとした私達は、車中の方々に平謝りに謝って、席につくことになりました。定期バスに一緒に乗っていた人とバスで知り合いになっていたら、きっと声をかけてくれたと思いますが。長崎からの方と話し込んでいたので、こういう成り行きになってしまったのでしょう。いまも「アルパこまくさ」と聞くとトラウマで胸が騒ぎます。
 テレビもなく、電気もオレンジっぽい電灯一つの部屋は快適でした。6畳でしたが、古いものに手を入れ直して使っている贅沢感があります。食事もイワナ、根まがり竹、みず、山芋中心の素朴なものです。朝は7時からで、7時1分に行くと「もう満員だから、もうちょっと後にして」と言われてしまいました。「鶴の湯」では、みんな早め早めに行動するので、要注意でした。至る所で温泉談義。どの人も「大人の休日」利用のシニア世代。それも、日本中の有名どころの温泉をめぐり回っている猛者でした。「鶴の湯」の常連さんとも知り合いました。地理的に昨日の宿や明日の宿は「玉川温泉」や「後生掛け温泉」が多かったです。「後生掛け温泉」はヤマシタの大好きな温泉の一つです。東京、神奈川、埼玉からの人が多く、東北県からの旅行者とは会いませんでした。
 ヤマシタは連泊の中日は手縫いで紬生地をベストに仕上げていました。夜になると灯りが充分でないので、昼間の窓際で朝から夕方まで、縫い仕事をして過ごしました。疲れたら、温泉。まったりしたら、また縫い物・・・。
 →はそのできあがりです。アイロンがけのみ、帰宅してからやりました。初めて、本を見て、服を縫いました。着物からのリメイクのソーイングはとても楽しいレジャーでした。この生地はフクシマの母が残した着物で、大島紬とかいてある部分をアクセントに使いました。布を裁断するときは図形の問題を解いているような気分でした。

 「鶴の湯」のお湯のことは言わずもがな・・・。4つの源泉を持ち、すべてかけ流し、24時間入湯可能。白湯や黒湯に入ると皮膚がピリピリします。特に宿泊者専用の内湯が最高でした。3日間で合計15回も入りました。(角館の藍染めの主人に温泉に行って来たかと当てられました。きっと硫黄のにおいがぷんぷんしていたのでしょう。)
    リバーシブルのベスト
    浴衣で過ごす3日間(鶴の湯)  最終日には遅れまいと早々にマイクロバスに乗りこみました。
 トラウマのアルパこまくさでもまた、一悶着ありました。乗り継ぐバスが満員で乗れそうになかったのです。ここから乗るのは「鶴の湯」からの客ばかり。30名はいます。全員がすごい険悪な顔をして、停留所案内のおじいさんに質問します。実はたった今「田沢湖駅」行きの空のバスが出発したばかりなのです。どうも、そのバスが乗れなかった場合の臨時便だったらしいのですが、連絡不足で空で言ってしまったのです。そのことを30名が口々になじります。おじいさんは事情がよく分からないで、あたふたしています。結局、その臨時便が戻ってきて、遅れはしましたが、無事全員乗ることができました。そのおじいさんは最後に「こんな事で秋田を嫌いにならないでな、またきてくなっせ」と、にこにこして言っていました。とても好感が持てました。心の中で「こんなことで秋田を嫌いにはならないよ。ただ、何事もだまって進行するんじゃなく、みんなに分かるようにアピールしてほしいな。」と思いました。

 田沢湖周辺では昔話のイベントがあったようで、昔その会のメンバーだったフクシマはいろいろ当時を思い出していたようです。

 田沢湖駅から角館までは15分ほどでした。新幹線の立ち席は「大人の休日」切符を見せて自由に乗車できます。角館は車では2度ほど来ていますが、電車では初めて。またもや出遅れた私たちは駅前のコインロッカーの大型のものが満員で、キャリーバックを預けることができません。困ってコンビニの店員さんに聞くと、旅行案内所で預かってくれるというので、そこへ向かいました。こういう時、先回りをして人を出し抜くという行為が旅情を壊す・・・と思ってしまうので、できないのです。角館も観光地、そのへんは考えてくれているもので、助かりました。
 角館では樺細工の工芸館を片っ端から見て回りました。日用品と飾り物の間の感じがして、結局購入したのは塗りの回りに樺細工を施した器ものを2枚でした。茶筒もお盆も値段的に踏み切れませんでした。その代わり、藍染めの大型テーブルクロスを購入して、本日タペストリーに仕上げました。これは掘り出し物でした。樺細工を見続けた目に藍染めが新鮮に映っただけではない、小紋の細かい仕事に参ったのです。フクシマも「娘の絵をどけてタペストリーを掲げよう」と提案したくらいです。
    稲庭うどんパスタ、薄味で旨かった(角館)
 そして、夕方になり新幹線の改札を待っている時の話。アナウンスで「こまちと熊がぶつかって、ただいま34号は停止中。運行の見通しが立っていません。」が〜ん。よりによって熊とぶつかるとは・・・。熊を線路からどけないと走れない。でも、他にまだ熊が付近にいるかもしれないので、そう早くことが運ばないという状況のようでした。
 それからは情報が全然入らない秋田ということで観念し、各所にメールを打って「面白話」を提供したり、フクシマのI−PADで遊んでいました。

 結局、1時間弱の遅れで東京に帰り着きました。

 面白かった4日間でした。車の旅より、ずっと人と袖擦り会うことの多い電車の旅。キャリーバックの威力に頭が下がりますが、バスのみは不便。座席に入らないし、通路に置くと迷惑だからです。フクシマはふくらはぎを圧迫され続け、足はバレリーナ状態で耐えていました。この4日間、たくさんの見知らぬ人と話をし、東北人とくに秋田人の特異性を感じました。一見ぶっきらぼうにみえても、つつくと話し出す。人情に厚いが、最初からは分からない。思っていることを顔にだしたり、口にだすことが極端に少ない。心情を吐露するのは特別に心を許してから・・・。社会的な面では、表示してみんなに告知することが下手。大勢に対してアナウンスすることが下手。

 困ったことは多いけど、きっと私たちは何度も、秋田へ行くと思います。
    あこがれていましたが、乗ってみると普通の新幹線でした。
 

2012年6月17日
 「藍 危うし 」

 植物染めがこうじ、埼玉の友禅の作家さんから、種をいただいてしまいました。
 藍の種のことです。
 むかし、絵本に付いていた種を播いて育て、「いつか藍を染めたい」とずっともくろんでいました。その苗はきちんと毎年花を咲かせ、結実して、翌年の種を残してくれました。その循環を7年近く行っていましたが、結局、きちんと染めることなく、子どもたちの夏休みの自由研究になった程度で、循環が終わりました。簡単に育って、種を残してくれた藍の記憶があり、5月に友禅の作家さんにだめもとでメールを送ってみたのです。とてもいい方で、ギリで間に合うかもと送って下さいました。それから、私の「ソワソワ、ドキドキ」が始まりました。
 通常なら、4月に藍の種を蒔きます。それを5月に挑戦。発芽温度に不足はありません。これはいけるかも・・・・とタカをくくっていました。前にも育てていたし・・・・と思っていました。

 いただいてすぐ、プランターに播きました。毎日、毎日、出勤前にチェックすると10日もすると、もこもこ土を盛り上げる可愛い双葉が出現。
 キャー、やっぱり、私と藍は相性がいい・・・と喜んでいたいのも、つかの間。小さな虫にやられました。ゾウムシをシースルーにしたような小さな虫です。何でしょう・・・・。これは、10年前に買った毛虫とりの液で撃退し、用心して毎日プランターをのぞき込んで、見つけたら、即つぶしの刑に処しました。そして、5月下旬、ちょっと油断したときに、ナメクジにやられました。ねっとりした液の軌跡を見た私は、深く後悔しました。そういえば、この2〜3日、チェックしていなかった・・・。油断大敵。

 結局、ナメクジの赤ちゃんに7〜8割をやられ、深く落胆しつつ、6月を迎えました。どうしよう・・・・・・。
 今年の種は今年の内に発芽させろということらしいので、だめもと第二弾で、プランター、ピートモス、そして自然のこけのある植木鉢に種を播いてみました。それが、6月の第一週。

 一番先に発芽したのが、こけのある植木鉢でした。その発芽した双葉をこけごと移植したり、ピートモスの日照時間を確保するために、朝に夕に、場所を移してみたり・・・。再度挑戦したプランターも遅まきながら、発芽を確認。でもまた小さい虫がやってきますが、今度はナメクジ対策が万全なので、ごっそりやられることはないはずです。

 シソはミントと仲良く、虫から無縁に育っている我が菜園ですが、藍は勝手が違うようで、ちょっと過保護に育てています。
こけに生えた双葉 仕切り直しのプランター。このまま育ってくれますように。

2012年6月11日
「まねごと・・・」
 
 最近の趣味「植物染め」に伴ってミシンかけをすることが多くなりました。フクシマの亡き母のミシンがとうとう調子が戻らなくなったので、新調したことは以前報告しました。そのニューアイテムで白い胴裏(骨董市で手に入れた絹地の裏地)で夏パンツなどを縫って染めています。先日はちょっと新作に挑戦しました。今、愛用しているウインドブレーカーをそのまま型にとって、同じものを胴裏で作ってみたのです。そして、四度目のセイダカアワダチソウで染めてみました。雨の中収穫したセイダカアワダチソウは上部はまだまだ若々しいです。5月と同じような濃い緑は望めません。貯めておいたカマボコの板ではさんで模様もつくりました。フードは濃くしたかったので、そこだけ何度も染めました。
 
さて、どうでしょう。最後に、ファスナーではなく、フクシマの母が残した貝殻のボタンを付けました。その後写メを友人に送ったら、「実物から型を取って作るのは北京の市場のバラックの仕立て屋と同じだ」と返って来ました。もちろん、みんなやるわけではないです。洋裁をきちんと習った人なら、そんなことはしませんね。こういうことを平気でやるのは素人だからでしょう。
 
 実物から型をとって、簡単に縫っていた田舎の母のことを思い出したことが、ウインドブレーカーを作るきっかけとなりました。
 
 亡くなりましたが田舎の母は2度、この芸当をやってくれました。編み物はプロ級だった母ですが、洋裁は他の人に任せていて、「私は洋裁ようやらへんから・・・・」といつも言っていました。ところが、私が小学6年生の夏に何を思い立ったのか、古いノースリーブのワンピースから型を取って、見ている前で同じようなワンピースを縫ってくれました。私は母は洋裁ができないと思っていましたので、すごく嬉しかったです。その夏はそのワンピースを着続けて、白っぽくなって秋を迎えたことを覚えています。作りながら、母は「おかあちゃんはな、洋裁なろたことがない、それでも、本物があったら、マネはできるんや。おかあちゃんはサルどしやろ、サルまねはじょうずやねん。」と説明していました。
 
 もう一度は私が大学1年の時でした。新宿suzuyaで買った薄手のジャケットを着て帰って来た私は、「これと同じものを他の柄で作ってほしい」とお願いしました。母は「そんな洋裁でけへんで〜」といいましたが、私は「小学6年生の時、夏のワンピース上手につくったやんか、ご飯は私が作るからやってみて〜」と強引にいうと、また母は作ってくれました。今度は襟も袖もあるジャケットです。あちこちひっくり返して、まねごとでジャケットを仕上げてくれました。気に行った柄で身体にフィットするジャケットを着て、私が東京へ、ルンルン帰ったことはご想像がつくでしょう。
 
 今、思うと母は洋裁を一度も習ったことがないというコンプレックスがあったようです。村には花嫁修業に一度は洋裁の手ほどきを受けていた女性もいたようで、母は「自分は洋裁はだめ」と思っていて、その分編み物なら負けないという自負がありました。しかし、夏に娘にワンピースでも縫ってみたくなったのでしょうね。まねしてみたら、できちゃった。数年してこんどは娘がジャケットをつくれという、できないと思ったけど、やってみたらできちゃった。なんと器用な人だったのだろうと思います。
私もそのまねごとをして、ウインドブレーカーを縫ってみましたが、サルまねのそのまねごとです。やっぱり母の方がずっと上手だったと思います。
 
 この作品見ていると、なんだか、ちぐはぐな感じです。絹のウインドブレーカーが基本的にないのかな?貝殻ボタンがあわないのかな?

2012年6月3日
 「ビーチコーミング終了の夜」
 本日はNPO企画の「ビーチコーミング」。前日に病気欠席の3名はありましたが、マイクロバスに20余名を乗せて、早朝より館山のフィールドへ出かけました。雨の覚悟で出かけた海岸でしたが、やはりヤマシタは晴れ女。くもりどころか、晴れました。フクシマの病気にさわる・・・・と、紫外線を気にするくらい晴れました。
 
 写真はカニに刺激されて赤い液を出すアメフラシです。子どもが水槽に入れて、そこへ参加のお母さんが綿のハンカチを入れました。そうしたら、赤紫に染まりました。植物染めにぞっこんの現在、ちょっと範囲を広げて動物染めに・・・・。タカラガイもそっちのけで、染まり具合が気になるヤマシタです。こんなに染まっても、媒染しないと、もとに戻るな・・・・と考えていました。そして、液は持ち帰ることにしました。(生体は逃がしました)
夜、食事後、染めを続行しました。お母さんの綿は媒染して色が白っぽく戻りましたが、我が家の胴裏(絹)は可愛いピンクに染まりました。今乾かして、次の胴裏(もうちょっと大きめのもの)に挑戦しています。液も能力を失って、どんどん、うす赤紫になっています。植物染めの友人に写メを送ると「確かに染まっているけど、若干きもち悪い」という感想でした。
 
 みなさん、アメフラシというと、どんなに可愛いピンクでも、気持ち悪いですか?

 そして、「ピンポーン」と代引きの音。京都の実山椒です。今年は1キロを注文していました。染めと同時にアク抜くも実施。あ〜あ忙し〜。これで1年分のぴりっが確保されました。ヤマシタの台所仕事の傍ら、フクシマはサッカーに夢中です。時々、うなったり、びっくりしたり・・・・。私には全然、遠い世界です。

 本日はスムーズに解散できたので、イベント後も染めたり、アク抜きしたりの余裕がある夜なのです。←このまま一晩寝かせます。

2012年5月28日
 「退院後初の山荘」
 土日、山荘へ行って来ました。病気になってから初めてです。行きは交代で運転して、水上の共同浴場に浸かってから苗場に向かいました。久しぶりに水上から猿ヶ京に抜ける山道を通りました。今から17年ほど前、この道を「きのこの先生」Mさんを案内して通ったことを思い出します。Mさんは葉留日野山荘が開催したきのこツアーの先生でした。フクシマと私は「この人を私達の山荘にお連れして先生になってもらおう・・・」という魂胆のもと、食堂で席を隣にして楽しく会食をしていました。朝になって、「実は・・・・・・、」と切り出し、午後から一緒に苗場にいってくれないかと頼みました。Mさんは快く引き受けて下さり、水上から猿ヶ京に通じる山道を私達のシャリオのあとをついてきてくれました。猿ヶ京あたりで休憩しているMさんの顔を見ると、実に心細そうでした。これではいけないと思い、励ましながら「みんなが待ってます」といいつつ、山荘まで案内しました。
 Mさんは待っていた山荘のメンバーが全員若かった(小学生からせいぜい30台後半まで)ので、驚いていました。「わしはこんな若い人ときのこ採るなんて思いもしなかった・・・。嬉しいよ。」それから24時間はMさんの一人ステージでした。それ以来、毎年春は山菜、秋はきのこの指導に山荘まで来て下さいました。いろいろな事情でツアーは昨年度で一区切り、各自の自由なツアーに任せることになりました。おりしもフクシマの闘病と重なって、いい潮時だったのかなと感じます。

 さて、山荘。ほんの少し残雪があり、虫が出てくる前、山菜は、やっとふきのとうが終わり、細い山うどが目立つ頃でした。歩くのに快適な時期。ヤマシタは山荘内でスミレを摘みました。あとは二人で落ちたサクラやななかまどの枝を持ち帰りように束ね、我が愛車に積みました。ラウムは後部座席をフラットにして荷物満載です。ハイエースの時代は終わり、二人で近場に出かけるラウムの時代になりました。山荘の遊び方も新しくなりました。夜はフクシマは早めに就寝。ヤマシタはリビングで遅くまでミシンをかけていました。新調した電子ミシンは持ち運びができるのです。山荘で好きなだけ、好きなことをやって、日曜の午後は再び、猿ヶ京の共同浴場で一風呂浴びて帰路につきました。
ことしはスミレジャムを作りましたが、ちょっと煮詰めすぎました。紅茶に入れて甘みの代わりにすると、液の中でスミレが揺れます。 フキです。実はこれが一番の山菜かも。今から、冷凍庫の実山椒と一緒に煮る予定。 今年の実山椒は収穫が送れているとか。これは去年の冷凍。一年をかけて、実山椒を料理に使いえる幸せ。

2012年5月18日
 「ブランド山菜」
  もう今年は山菜が食べられないと諦めていたら、事務所の若者が北海道からクール便で送ってくれました。帰省して山に入ったようです。
 山ウド、タラの芽、行者ニンニク、ふき。
 山ウドの穂先とタラの芽は早速天ぷらに、行者ニンニクは醤油漬けと挽肉味噌炒めに、ふきは山椒と煮てきゃらぶきもどきに。山ウドの本体は少し湯通しして、水につけてあります。本日フクシマが何かと炒めて行者ニンニク醤油漬けで仕上げる予定。

 北の大地の山菜はきれいです。クールで送ってくれたこともあり、傷みもなく、山にあるようにやってきました。ブランド山菜を味わって大満足しています。

 先日の外来の結果は○。数値が良いので少し、薬が減りました。フクシマの食養生のたまものです。
根っこの赤い部分をとって、下処理します。 どんなお肉とも相性が良い行者ニンニクです。味噌味にしました。餃子の具にしてもいいね。 左は大根とたけのこの煮物にたっぷり木の芽。右は農園レタスの上に行者ニンニク炒めをかけたところ。もちろん一杯やります。

2012年5月15日
 「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」
 セイダカアワダチソウは花粉症を引き起こす悪者ではありませんでした。それはブタクサと混同されることから、そして花粉を飛ばす様からの勝手な人間の思いこみでした。とちらかというと煮汁はアトピーによく効くそうです。ただ、繁茂状態が激しいので、虫が他の花の花粉を運ばなくなる弊害はあるようで、いいことばかりの「いい子ちゃん」の草ではないのも事実です。
 しかし、植物染めの世界では貴重なグリーンを難なく染められる「いい子ちゃん」なのです。

 その後、友人知人から「どうしても・・・」と頼まれたストールを染めました。1番煎じ〜3番煎じの染め液に3〜4回染め→媒染を繰り返し、好きなグリーンが出たところで止めました。できは上々、5月中にもう一回、夏のパンツを染めて終了にしようかと思っています。染材料は隣の空き地にわんさかあります。虫の出る前に、まだ若葉のうちに、様々なグリーンを染めて、次の植物にいきたいです。

 農園は葉物の収穫を終え、トマト、キュウリ、ナスなどの夏野菜の植え付け、支柱立てを終えました。今は野菜管理という段階です。フクシマはキャベツにいた青虫を家で飼っています。わたしが踏みつぶそうとすると、「ちょっと待って、家に持って帰るから・・・・・」と葉っぱに包んで袋に入れていました。

 遠くの温泉に行くこともなく、夜遅くまで仕事することもなく、早寝早起き、塾で明るいうちに2日ほどお手伝いをして、病院に検査と外来にきちんと通い、部屋を掃除し、紫外線をさけて図書館や買い物に行き、夕食を準備する・・・・。そんな日常の中でフクシマはゆっくり体調を回復していっているように思えます。

 今週は日赤の外来。いい数値が出て、薬が少しでも減ることが、我が家の一番の願いです。

2012年5月6日
 「GW後半・・・植物染めは楽し・・・」
 GW後半は納骨と農園、植物染めで終わりました。お天気が安定せず、晴れたり、荒れたり・・・・。トマトやキュウリのヒモかけが大変でした。

 セイダカアワダチ草を再度チャレンジして、工夫の結果、下の画像のような抹茶色を得ることができました。花粉がトラブルを起こすこの外来種の雑草ですが、染めの分野では貴重なグリーンを出す植物なのです。本日、友人宅へ成功した抹茶色を見せに行って来ました。彼女はハスのハチノスで可愛いピンクを出していました。我々の無手勝流の染色生活はただいま、勢いづいて、「もう、どうにも止まらない」状態です。

 納骨は初めて「お骨ルーム」を見ることができました。霊園使用者の名義変更により、東京都より改めて埋葬者のリストを知らされました。フクシマの亡き父から始まって、血縁以外の、縁深い方も眠っていることを知り、その決定をした祖母や母の気持ちを初めて知る機会になりました。納骨は紫外線を考え、短く決行。大きな、大きなイベントを終えた感じがして、その後の会食は大変軽やかに終始しました。移動がすべて息子の車というのも、生まれて初めての経験で「なんと楽」というのが、フクシマとの感想でした。会食場所は大多摩ハム直営のレストランでした。レーベンブロイとソーセージ、東京エックスの料理が好評でした。

 そして、染め。初めに報告したように、「準確定申告」という書類仕事の合間に、グリーンを出すことにリベンジ。煮たり、計算したり、媒染したり、書類に記入したり。いつものように、2系統のアタマで仕事が進みました。結果、うまく行きました。干している絹ストールを見て、フクシマが「いいね、この色でのれんを染めると蕎麦屋だね」と。
真蔵院からいただいた大賀ハス。染め物の材料にもハチノスも使っています。発芽して水槽に定植したあと。葉っぱが広がり、浮いています。 息子の車で霊園へ。画像はお骨を持つ娘。小平霊園に納めて一つの区切りへ。 本物は渋い抹茶色。画像は外からの光を受けて白けています。外の柿の新芽に負けないくらいグリーン。

2012年5月2日
 「GWいかが、お過ごしですか」
 ヤマシタはカレンダー通りのGWを過ごしています。塾は間を休みとさせていただいて、貴重な充電期間をいただいています。

 さて、前半は天気が良かったので、久々にギャラリーしおさいで染め物をしました。材料は真蔵院さんからいただいた大賀蓮のハチノスやギャラリーの庭の雑草です。ハチノスを細かくして、湯にかけ、1番〜3番の煎汁をとりました。なぜかお寺のような薫りが漂います。庭の草はドクダミとオニノゲシです。ハチノスは炭酸カリウム、ミョウバン、鉄の3つの媒染を試しました。蓮は媒染による違いもはっきり、おもしろく染まりましたが、草はもっと、グリーンがでるのかと思っていました。理由をいろいろ考え、友人は翌日シロヤマブキで挑戦。私は隣の空き地のセイダカアワダチ草で挑戦しました。やっぱり思ったようなグリーンにはなりませんでした。今後の課題がいろいろ見えてきました。

 農園は収穫が始まっています。まず、ラデッシュ、小松菜、サニーレタスです。とりたて新鮮を味わっています。クワをふるう作業は終了して、あとは野菜管理という段階に入るそうです。2日に1回は収穫に行きたいねと話しています。フクシマは紫外線を気にしつつ、収穫を楽しんでいます。

 GW後半は法事です。小平霊園に母を納め、今後の生活の仕切り直しとなるはずです。お世話になるお茶屋さんは卒業生。そしてお経は蓮のハチノスをいただいた真蔵院のご住職です。姉がよく言います。「あなたたちは人脈が財産ね。」と。長いおつきあいのできる幸運を感じます。

 みなさま、楽しいGW後半をお過ごし下さい。
オニノゲシを細かくしているところ。綺麗なグリーンが途中で変化・・・・。 わが農園。一番手前がじゃがいも。次がキャベツ、その次が葉物。向こうのマルチにはトウモロコシ、えだまめ。鳥よけにマルチをかけています。

2012年4月26日
 「長いおつきあい」
 我が屋に娘が生まれたのが約24年前。その時、友人二人からお祝いでいただいたのが、スパティフィラムという植物です。今ごろ白い花を咲かせ、室内にあう観葉植物です。田無の団地、上石神井の古屋、そして今はその隣のアパートの2階へと引っ越しの度に一緒に引っ越した植物です。途中、株分けをどんどんして、友人知人に差し上げた時期もありました。でも、ちっとも他家では続きません。枯れてしまうというのです。私の家でほったらかしにするのがいいのか、元気にずっと育ってきました。最近は株分けをしないで、1つの鉢で楽しむだけです。そのスパティフィラムが「お祝いの主」がいない我が家で立派に咲いています。「お祝いの主」とはもちろん、娘のことです。花は4つめを確認しました。この植物とともに娘は育って来たと思うと深い感慨があります。
 さて、次の画像は一気に芽吹いた柿です。紅葉はさくらより柿が好きだとフクシマは言います。柿の芽吹きはスピードとボリュームに圧倒されます。みるみるうちに我が家のベランダからの視界が変化していきました。空き地を隔てた隣家が見えなくなり、窓を開けても、柿のカーテンができています。
 そして、ミント。14日に紹介したミントの乾燥ザルは今は一番小さいザルのものです。左のは2番に摘んだミント。手前は本日摘んだミント。プランターじゃなく、直に発芽した穂先なので、ボリュームもあり、量もあるので、梅干しを干すザルを出してきました。乾燥を2週間もさせると、本当に少なくなります。それを再びお茶にすると、香り高く、アップルミントの甘く、しゃっきとしたお茶になります。しそが成長するのに邪魔だと、例年ばさばさ刈り取っていたミントですが、今年からは「お茶」として活用したいと思います。

 今はしその発芽の時期です。半端なく出てきています。本当に苗の欲しい方、声をかけて下さい。
娘と同い年のスパティフィラム 柿のカーテン 梅干しのザルで干しています

2012年4月14日
 「わさびのツンツン漬け」
 例年、4月には沢を歩いた時に野生のわさびをみつけることがよくありました。根っこは細く、主に葉っぱや茎をいただきます。切り口が黒ずみ、いたみが早いので、ほんの2〜3株ほどで充分です。以前は知り合いに醤油漬けにして差し上げていましたが、ここ近年は自家分のみ加工して楽しんでいました。山を歩いて帰ってきてから、台所で作業する体力がなくなってきたからです。
 今年は沢をあるく機会もないだろうと、初めてネットでわさびの茎を買いました。どうせ送料をかけるならと、わさび漬けのセットも頼みました。
 業者さんの栽培したわさびは野生の何倍も立派です。茎の断面がすごい太くてびっくりします。それを「ツンツン漬け」と「わさび漬け」に料理しました。「ツンツン漬け」を成功させるには、タッパーに密封したわさびを激しく揺することが大切です。こうして、わさびを怒らせて、ツンツンを倍増させるのです。一晩寝かせると、ツンツンした美味しいわさびの醤油漬けができあがります。ネット業者のレシピ通りに作ると、ちょっと私には甘めにできあがります。ほとんど甘くしない醤油漬けが好きなのです。下にグリーンの画像を紹介。
←洗って、塩をして寝かせ、刻んで酒粕を混ぜる。根っこのみじん切りも加えて混ぜると刺激に富むわさび漬けに。 ←密封して冷蔵庫に寝かせる時間が大切。ツンツン力が増す。

キープの食堂で習ったミントティーづくり。穂先のみを干しています。→

2012年4月10日
 「体験農園その後」
 やってます。マルチを張ったり、畝を作ったり、初めてのことにワクワクものです。
 先日はサトイモを植え付けました。深く耕すのが一苦労でしたが、身体がなれてきたようです。小松菜、ほうれん草、ラディシュの発芽が見られ、可愛いです。余った種を家に持ち帰り、ベランダのプランターにもまきました。こちらはマルチ、カンレイシャなしです。毎日見ることができる楽しみがあります。

 塾は通常授業がスタートしたようです。フクセンは本日からちょっとお手伝い程度に顔を出す予定。NPOの体験活動の年間予定を4月中にお届けしますので、是非ご参加下さいね。こちらの活動はヤマシタが従来通り、運営することになっています。今年は染色と科学教室がたくさん登場します。こうご期待!
ガンバレ、キャベツ。 カンレイシャの中をデジカメでのぞくと・・・。 ベランダに引っかけたプランター。手前がほうれん草、むこうが小松菜。間引きが必要か。

2012年4月5日
 「春合宿終わりました」
 去年は震災後で涙をのんで中止した春合宿を今年は無事終えることができました。
 場所は約束の地「清里のキープ自然学校」。空間といい、食事といい、私達のために用意された場所でした。

 プログラムはのりとくんとななこむらやーまによる「光画」の授業。光で画かれたものが「光画」で、写真といわないところから話は始まりました。進行役ののりとくんの軽妙なテンポに助けられ、ななこの目論見がどんどん子どもたちの中に落ちていきました。彼女の手ほどきにより、カメラの世界に入った幸運を何年か後には感謝する子どもたちは多いでしょう。
 ななこはまず、シャッタースピードを教えます。夜景モードにして動くものを撮らせたり、動きながらシャッターを押すとどんな画像になるか、実験させます。子どもたちは言われたとおりにすると、今まで知らなかった世界を目にして時間を忘れて、シャッターを押し続けます。
 次は「絞り」です。ピンホールからのぞかせたり、ぼける画像の撮り方を手ほどきしました。おもしろいほど子どもたちはどんどん習得して自在にぼかすことができるようになります。「ピントがくる」という表現が定着していきました。
 シャッタースピードと絞りの存在をしった子どもたちは外に出かけて、清里の自然を、仲間を、とり続けました。自前のデジカメを駆使して挑戦する子、塾のデジカメを友だちと融通しあって撮影する子。どの子も最後には2枚の自信作を提示して、発表会に臨みました。なぜこの画像を選んだかを一人一人発表します。その時の顔の晴れがましいこと。

 よく練られた完成度の高い、圧倒的に心揺さぶられる授業でした。

 本日は青梅に梅を観に行って来ました。練馬区ではサクラもどんどん開花していますが、フクシマとヤマシタは梅派なのです。梅にあってサクラにないものは何かご存じですか?それは香りです。花粉症のヤマシタも車のウインドウを開けて、梅の香の中をドライブしました。最高のアロマテラピーでした。

 春合宿の画像はのりとくんのブログでいち早く紹介されています。フォトパーティーと言われるジャンプの画像を是非ご覧下さい。ヤマシタは本日の梅を。香りがお届けできないのが残念。
梅のグラデーションは最高。サクラにはないでしょう? 紅梅より白梅の方が香るみたいです。 我がラウムに舞い降りた紅梅。

2012年3月26日
 「体験農園」
 新しいことを一つ。
 練馬区の企画で農業を体験できるものがあります。区内の農家さんの協力により、1年間、農業指導つき農地の貸し出しです。有料ですが、区民には練馬区から助成がつきます。農地は3メートル×10メートル。昨日までに2回の指導日があり、1回目はキャベツとじゃがいもの植え付け。昨日はほうれん草、小松菜、ラディッシュ、ねぎ、レタスの種まきや植え付けでした。クワを使って農地を耕すだけで汗が出ます。フクシマは農作業はちょっと負担なので、マルチを張るなどのお手伝いくらい。カンレイシャも張りました。
 暖かい日に2時間ほどの農作業・・・・。いい運動というより、重労働です。

 収穫は全部、我が家のものとなり、苗や肥料、器具などはすべて農家さんが準備して待っていてくれます。素人がたくさん日曜日に集まってきて、互いに教えあい、コミュニティーが広がります。練馬区では今年で15年目の企画で、1年に1軒ずつ協力農家が増えてきて、今年新たに15軒目の協力農家となった、Tさんが私達のお師匠さんなのです。
この区画が我が家に与えられたもの。手前がじゃがいも、むこうがキャベツ。 可愛いでしょう。キャベツのライン。 カンレイシャをかけたところ。保温、保湿、鳥よけなどの効果があるとか。支柱の立て方がうまいとフクシマが自画自賛。

2012年3月17日
 「忘れない」
 震災から1年が過ぎました。この1年間、生活上でいろいろな変化があり、それは震災に原因していることだけではありませんでしたが、やはり2011年は震災を抜きにしては語れない1年でした。いつのまにか、そんな怖い経験もあったな・・・・と記憶の彼方になってしまうのでしょうか?
 
 震災の当日は確か、若い人と東京大空襲の話をしていたように覚えています。3月10日は10万人が犠牲になったと伝えられる、東京が大きな爆弾攻撃を受けた日です。私はうっかり、記憶違いをして12日と話して、10日と訂正されたように記憶しています。そう、1945年3月10日は東京大空襲の日なのです。

 話は変わって、フクシマの敬愛する人物に永六輔さんがいます。ラジオでお馴染みの彼の文章が毎日新聞に紹介されています。「永六輔その新世界」。ラジオのタイトルが新聞のコラムのタイトルでもあります。本日の内容はまさに、その東京大空襲と震災から1年の文章でした。

 彼はフクシマと同じく体調を崩して、その中でラジオの仕事を続けている様子。最近涙もろくなったと話し、東京大空襲のことを伝える際、泣き声だけの放送になってしまったという。リスナーは理解できなかったのではと心配している文章。続いて11日の震災1年のくだり。下に一部を紹介します。

     そして、当日3月11日僕は東北に向かっていた。町ごとに「慰霊祭」、「追悼の会」、「一周忌」という看板が目立った。向かった先の寺で東京     大空襲の話をした。本堂は遺族でいっぱいだったが、シンシンと冷えていた。
     「寒かった」と住職に言ったら、「永さん、1年前のあの日、私達は津波の水の中にいたんですよ」。
     ゴメンナサイ、語り伝えます。

 
 いたく心を動かされたフクシマが今朝切り取ってコラムを見せてくれました。

 本日17日は長い塾生活に一区切りの日です。ヤマシタは最後のパーソナルクラスで塾のクラス担当を離れます。もちろん会計などは担当しますが、「今、見てる子がね、」という表現はなくなります。淋しいような、ほっとしたような・・・・。フクシマの体調を見て、私が出した結論です。今夜は「お互い、ごくろうさん」の意味をこめて、彼イチオシのリクエスト「とんかつ」の予定。

2012年3月7日
 「忌中と喪中」
 忌中と書いて「きちゅう」と読みます。よく忌引き(きびき)という言葉を使いますが、忌中はあまり日常的には使いませんね。どちらかというと喪中、たとえば、喪中はがきなどと喪中という言葉がよく使われます。今回の母の送りごとでこの言葉の違いを始めて知りました。知ったかぶりして、ここに披露しましょう。そんなこと常識とヤマシタの不見識をお笑いなる方も多いかと覚悟しつつ・・・・。
 
 「忌中」とは近親者の死亡に際し、遺族がこもって弔いに専念する期間を言い、通常死後49日間を指します。この間に閻魔様の評価を受けるのです。遺族は慶事への参加や神社への参拝を控え、大きな社会的な行為も控えます。死を穢れと受け止めるのには少し抵抗がありますが、遺族の心情が穏やかならない時期なので大きな決定事を慎むという戒めはよく理解できます。
 一方「喪中」とは忌中を含め、故人に対する冥福を祈る期間であり、社会通念上は、一周忌までを指します。『喪中につき新年の挨拶を失礼します』とハガキが来るのはこのためです。

 フクシマは徐々に母の送りを完成させてきています。最初は近所の弔問の方、母を知る幼なじみの方々の弔問を受けるたびに、その時代に戻り(母の生きた時代)、不安定な自我で毎日を生きていました。そして胎児が羊水の中で系統発生を繰り返して成長してくるように、57歳のオッサンの時代まで、ほんの近くまで戻ってきています。精神的な混乱は毎日服薬している薬のせいばかりとは言い難く、最愛の肉親を送る心の振れも大きいと、そばで見ていて感じています。この土曜日に四十九日の法要を予定しています。白木の位牌から塗りの位牌にバトンタッチされるようです。お母さんの閻魔様の裁定はいかがなものでしょうかか?忌中によく供養をすると、閻魔様の覚えがよいと信じ、遺族は心を弔いに専心します。大いなる心の安定を白木の位牌を前に得ている期間です。

 いかがですか?ちょっと物知りになりましたか?

2012年2月26日
 「あなたが大切だ。」
 本日、確定申告にめどがたったので、のりとくんから頼まれていたホームページ(募集要項)の更新をしました。新年度は新しいクラスもあり、単科制を本格的に導入したこともあり、老眼をこらして、罫線と格闘しました。チラシの文章も入れました。お客様の部屋をごらん下さい。
 
 「あなたが大切だ。」・・・・・・子育ての原点です。
 食卓で、リビングで、玄関で、子ども部屋で・・・・。親はこれを伝え続けています。
 大切にするのは我が子だけではなく、結局、ご縁のある社会の方々も大切だとのりとくんは説きます。それは仕事を通して、みんなお互いを大切にしていると・・・。本当に良い仕事に触れると嬉しくなります。消費者としての私が大切にされているという嬉しさです。

 2012年度の新規募集はスタートしました。この小さな舟の行方を応援して下さると有り難いです。

2012年2月12日
 「3ヶ月待ったサクラ・・・」

 母を送って2週間。フクシマはご近所や知人の弔問をいただき、過去に生きていました。故人を思い、故人の生きた時代にしばし、タイプスリップ。そして、また日常にもどり2012年を2人で生き始めました。

 私は最近の趣味、植物染めに戻りました。今日は3ヶ月冷たい水に浸けていたサクラの落ち葉の出番となりました。紅葉の赤はすべて冷たい水の中、探り探り、染めました。温度は30度から50度で、シルクのストールや骨董市の正絹を染めました。媒染は炭酸カリウム、灰のアクの成分です。

 下に画像を紹介。活動場所は「ギャラリーしおさい」。今号の塾通信で報告したヤマシタの新しい活動拠点です。
ギャラリーの常滑瓶に保存した紅葉のサクラ 非常に濃い液が溜まっていました カリウムで媒染中の色は可愛いピンク この後、最終的には肌色に近いオレンジピンクに 娘からの誕生日プレゼント「カセクリ器」 こんな風に使います。カセ→毛糸玉

2012年2月1日
 「納棺師」

 ご報告になりますが、フクシマの母が先日亡くなりました。7年間の千葉での生活に終止符をうち、お骨になって我が家に帰ってきました。母の強い希望で、家族だけの密葬で、社会的な行いを一切しませんでした。今はご近所の親しいかたの弔問を受ける時期になりました。夕べもお隣の老夫婦と娘さんが3人でお線香をあげにやってきて下さいました。30分ほど故人を偲んで昔話に花が咲いていました。幼なじみの娘さんはフクシマが子ども間のリーダーで近くのおじさんに「とんちんかん」という字(あざな)をつけていたことなどを懐かしく話していました。本人も忘れているエピソードです。

 フクシマと決めていたことは旧知のご住職にお世話になろうということです。小金井公園横の真蔵院のご住職がお子さんを通じて長くおつきあいしていただいています。田舎の父母の法事もお願いしたことがあります。その関係で葬儀社は「多摩式典」となりました。本当によい運営をして下さいました。セレモニーホールで全てまかなうという関西のやり方が東京でも普通になっていました。
 別
れの中で、一番印象に残っているのが「納棺のセレモニー」でした。送る気持ちを一つ一つ形に表し、その都度、丁寧に納棺師の方が説明してくれます。納得、納得の連続で形から遺族は故人を送る身体ができあがっていきます。故人の装いが整うと徐々に遺族の「送る身体」も整います。田舎の母の時にはなれなかった冷静な自分がいます。だから、ゆっくり納棺師の所作を観察できたのだと思います。彼女(美しい妙齢の女性)のもの言いは柔らかで温かく、てきぱきとしています。もの言い、所作のどれもが無駄なく、丁寧で、本当に関心しました。
 映画で一躍脚光をあびましたが、本来は地味な職業です。セレモニーの陰の担い手としての「納棺師」さんと始めて出会った母の葬儀でした。

 フクシマは寒さと別れのためか、少し体調が低下しています。しばらく、静かに過ごさせてあげたいと思っています。

2012年1月19日
 「ネズミモチ」
 植物で染めることに夢中です。染めたら、日用品をミシンがけして作っています。周りの人たちにうざがられない程度に差し上げています。箸入れの次は正方形の巾着。裏に絹っぽいものを使っておしゃれにしています。若い人の誕生日に差し上げました。

 実はこの2週間、ネズミモチに夢中でした。初めて耳にされる方もいると思いますので、少し説明しましょう。ネズミモチは庭や公園で見かける常緑樹。比較的暖かい所、主に太平洋岸に生育するそうです。葉は厚くて楕円形、初夏に白色の花がたくさん付き、秋に1cm弱の楕円形・紫黒色の果実を付けます。この果実を「ネズミの糞」に例え、葉の質感がモチノキの仲間に似ていることからネズミモチと和名が付いたのだといわれています。今時、ネズミの糞を見たことがある人も珍しいでしょうが、意外とネズミの害に悩まされている都会人も多いと言われています。何を隠そう、私たちも古屋を解体する際には悩まされました。
秋にはこんな風に実を付けてます。 今は結構、乾燥してカチカチです。 本当にネズミの糞みたいでしょう。 左が炭酸カリウム、右がミョウバン。(媒染のことです) 緑の色を残したくて、何度もチャレンジしました。 でも、干すとどんどん灰緑となっていきます。
 
 炭酸カリウム媒染の緑色を残したくて、書類仕事の合間に染めていました。今までは書類の仕事の合間は料理だったのですが、最近は染め物です。本日、3度目の挑戦。でも、やっぱり思ったような緑は出なくて、卒業しました。
 次は友人と採取して、冷水に浸しているサクラの落葉です。3ヶ月浸せとあるので、2月の中旬、トライする予定です。植物で染めるようになって、毎日、きょろきょろして歩いています。公園も人様の庭も気になって仕方ありません。花小金井駅前のサザンカは大変楽しませていただきました。2012年は植物染めの年となりそうです。

2012年1月8日
 「やっぱりうまい」「丹誠塾手芸部」
 今朝、フクシマが急に「久しくZOPFのパンを食べてないから、買いに行こう」と言うので、連休の中日、外環を三郷南へ走りました。約1時間で行列の並ぶ、「娘の勤務地」に到着。私たちも並びました。並んだのは約12分。店の中はたくさんのパンが焼き上がっていました。娘が食パンを並べにやってきたので、ご推奨のパンを尋ねながら買いました。きびきび働く娘にも安心。たくさんの自慢のパンを積んでお昼前には家に帰ってきました。ランチはコフィアのコーヒーに野菜スープとZOPFのパン。「やっぱりうまい、満足が違う・・・・・」これが二人の感想でした。

 昨日はUちゃんのお母さんと我が家でこんこんぞうりを編みました。彼女は早くから布の準備をしてくれていましたが、フクセンの入院でずっと待っていただいてました。昨日やっと約束が果たせてほっとしました。
 こんこんぞうりは半年ほど前、夢中になって「お年寄り」から手ほどきをうけたものです。でも、稲わらを調達するのが困難でPPロープで代用するのでミシンがけ作業が大変なのです。やっとこさ、3足ほどを自作して、そのままになっていたのです。彼女が編んでみたいと申し出てくれたので、布を準備する段階をお願いしていました。さっそく布をミシンがけして、待っていてくれただけあって、彼女は飲み込み早く、実にさっさと編み上げていきました。教える私がもたもたするので、時間は1時から始めて5時くらいまでかかりました。1足編み上げるのはなかなかの重労働です。彼女は配色を考えて、もう一度挑戦してみますと、帰って行きました。頼もしい限りです。今後は彼女にこんこんぞうり熱をバトンタッチして、私は別の道(草木染めなど)に行こうかと勝手に考えていました。
 でも、1月7日は2人で「丹誠塾手芸部」を旗揚げした記念の日となりました。

 そして、画像はZOPFのパンと続きます。噛んで噛んでアゴが鍛えられるくらいのパンが好きです。
まずつま先から編みます。洗濯はさみが便利。配色はやってみないと想像がつきません。 どうです?スリッパ状になるぞうりはこんこんぞうりくらいでしょう。最後にヒモを引く瞬間がいい。 レンコンがたくさんはいったパン。密度が濃くて、レンコンが香ばしい。 あんマーブルの食パンは人気でなかなか買えません。ほんとは抹茶が欲しい。週替わり。 名前は忘れましたが、ドライフルーツがどっさり入ったパン。比較的薄めにスライス。 これは芋のパン。どれも値段が安い割に満足感が最高。

2012年1月7日
 「今年もよろしくお願いします」
 
 昨年のコラムを古いフォルダにお蔵入りさせ、気持ちも新たに2012年のファイルを作りました。

 一年前の年始には想像もしなかった大災害が日本を襲い、原発事故に行く末を憂い、力なく暮らす日々が続きました。震災に前後して誕生した新しい命のエネルギーのおこぼれで、徐々に日常を取り戻して行きました。彼らはもう歩きはじめています。

 2012年は長年の課題を一気に仕上げる年になりそうです。塾の舵取り、山荘運営・・・、これからの生き方をクリアにする年にしたいと思います。これからもよろしくおつきあい下さいますよう、お願い申し上げます。

このコラムは2001年1月から続いています。過去の保存版を読みたい方はきのこをクリックして下さい。
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