山下由美子の山森(やまもり)ばなし
        


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コラムについて  この「山森(やまもり)ばなしは2001年1月から始まって現在まで続いています。当時より私塾「丹誠塾」の講師、山下由美子が塾生や保護者、卒業生にむけて、塾での日常や体験活動などの報告、子ども観、教育観などを気ままに書かせていただいておりました。
 2013年4月よりはホームグラウンドをNPO遊学会におき、引き続き、「山森(やまもり)ばなし」を公開させていただきます。内容は山下由美子の日常から教育論まで。
山下由美子について NPO遊学会の上石神井事務局担当者。自然体験、科学体験担当。
他に重度障害者介助事務所にて事務職員として勤務。

2014年12月30日
 「穏やかな暮です」
 コラムの更新がないので忙しく年末を過ごしているとお感じの方もいるかと思いますが、存外ゆっくり過ごしています。
 28日には農園に年内収穫を終え、我が家のガラス磨き、カーテン洗濯、天井のすす払いを終えて、29日には久留米の市場や西荻の鶏屋さんで正月買い出しを終えました。本日はクリスマスリースを正月バージョンに変身させました。その他の時間は家で編み物三昧です。
 昨年のシーズンでは「生糸」がマイブームで、いろいろな糸を購入し、桜や藍で染めて編みました。春になって編み始めたベストは身ごろが完成したら、タイムアウト。新しい企画「グリーフケア」がスタートしたら、編み物どころじゃなくなりました。
 秋風が吹いてもなかなか、気が向かず、、編み途中のベストにも手を付けないで、11月に至りました。カニの解禁とともに、毛糸に目が向くようにやっとなりました。今年はイタリアの毛糸に夢中になってしまいました。それも2号の棒針。時間がかかりますが、その分、繊細なものが出来上がります。画像が全部残っているわけではないことが本日わかりました。残念。
 2014年シーズン。今までの作品は知人へのネックウォーマーが2つ、フクシマと息子の帽子。幼児の帽子が3つ。そして、重い腰をあげて、年末は昨シーズンのベストを仕上げています。最後のひと目ゴム編みのところが時間がかかります。ボタンホールの目算がはずれ、危険なやり方でやり直しを敢行。
 今年最後のコラムはマニアックな編み物事情です。最近は編む方も減って、なんのことが???の方も多いと思います。

 穏やかな暮。
 編み物をしつつ、お正月の食べきりお節の算段をして過ごす幸せを感じつつ。

 皆様、良いお年をお過ごし下さい。
これは設計図。物差しと電卓が必需品。亡き母の遺品で編んでいます。目の増減法も母の伝授のまま。適当に計算して実際と合わせます。 近所に住む卒業生の男児と女児へ。幼児の帽子は約1日で完成。今年夢中になっているイタリアの糸です。 昨年、藍で染めた糸。麻とコットン混紡。ボタンホールを無理矢理、移動したところ。ごまかしきれるか?

2014年12月15日
 「年内最後のグリーフケア」
 13日の土曜日に年内ラストの十住堂でのグリーフケアが終わりました。4月にスタートした時は一家族の参加でしたが、年末には4家族の参加があり、「大人のたまご」の時間のために、真蔵院の本堂横の応接間をお借りして行いました。いつもの部屋では狭すぎるのでした。
 さて、「子どものたまご」は針金のクラフトとリース作りでした。フクセンはこのために約半年間、弦や実、葉っぱを集めて生活していました。一番の収穫は「ふうせんかずら」。近くの神学校の森になっていました。中を割ると3つの種があり、ハートの模様が入っています。模様を利用してお猿さんを描く人もいます。八重桜の散る頃が蒔き時。成長するとグリーンカーテンとして仕立てることもできる「つる性の植物」です。そして夏が終われば、結実したものはリースの材料となります。大変優れモノの植物で、フクセンはこれを見つけたとき、「もうこれでリースは成功した」と思ったそうです。
 画像を紹介しましょう。
 遊学会主催のグリーフケアは来年3月まで。4月からは一般社団法人エッグツリーハウスが本格的に活動を開始する予定です。
十住堂の庭にある「ヤマボウシ」を少しいただきました。 幼児が作ったリース。シンプルな出来上がりが斬新。 手前がヒイラキ。向こう側が「ふうせんかずら」 針金クラフトを説明しているところ。 ワンちゃんをつくりました。 傑作。カブトムシ。

2014年12月11日
「還暦祝い」
 田舎の二人の妹からフクシマに還暦祝いが届きました。
 一週間ほどまえLINEで「兄さん、もう誕生日来た?」と尋ねてきたので、来たと答えると「還暦祝いまだだった、何か欲しいものある?」という話がありました。送ってきたものは「赤い文字盤と革バンドの腕時計」と「チェックの赤が一部入る暖かいワークシャツ」でした。
画像はさっそく使っているところ。春ごろから腕時計が欲しい、携帯じゃダメなんだと言っていたから、とても喜んでいます。
 ところで、みなさん。還暦には何か贈りあう習慣ありますか?
 うちの田舎では「赤いもの」「長いもの」を贈る習慣が残っているそうです。今回は妹たちがその習慣に習ってプレゼントを送ってくれました。来年は私の番だそうです。今から何が欲しいか考えておいてと言われました。嬉しいやら、お返しが大変かなと心配したり・・・・。でも、「還暦を迎えるほど、生き続けてこられて、おめでたいね、これから良い生活をおくり、長寿でいようね」という意味を込めて、プレゼントしあう習慣があるって、豊かだなと思いました。私の母は妹たちと一人が還暦になる度、旅行に行っていましたものね。全員が近くに住んで、生活環境も同じだったから実現したものと思います。

 思い出すと母は還暦の前に「赤いパンツに申と書いてプレゼントして」とリクエストしてきました。そうすると、将来、下の世話にならずにすむといわれているそうです。猿じゃだめで申だそうです。言われた通り送ったのは娘で私一人で、妹たち二人は送ってこなかったと不満そうでしたが、妹たちはきっと、「赤いパンツなんて」と思って、もっと実用的で高価なものを贈ったのでしょう。

 みなさんのところはどんな習慣がありますか?

2014年12月3日
 「師走の寒波」
 やっと、寒くなりました。東北・北海道は大雪のようですね。きのうまで東京は10度を切ることがなく、暖かい冬を過ごしていました。本日からは寒波到来。冬本番です。
 ヤマシタはこのシーズン新調したパタゴニアのフリースを着て出勤する予定です。買うか買わないか、3年悩んだパタゴニアです。
 フクシマも先日、瑞穂の好日山荘で外出用のダウンを新調。ステロイドもゼロになり、先日の日赤外来では、また一つ薬が減りました。順調に病気療養状態から脱しつつあります。そこで、真冬の外出をさけていたこの3年でしたが、そうもいかなくなりそうなので、外出用のダウンコートを奮発しました。
 試着した時、フクシマは「これは暑すぎ、着てられない」と遠ざけます。「だって、まだ今は秋だし、ここは暖房もしてるから、これから寒波が来て外出となると、これが威力を発揮するよ」と進めて購入したダウンです。
 
 長靴を買って、雨の日を待つ子どものように、彼も新調のダウンコート着用を楽しみに寒波到来を待っていました。

2014年11月23日
 「ご老人の下ネタ」
 きのうは早朝から近所の桜並木へ、ちり取りと箒をもって行きました。木曜日に本降りの雨になったので、桜の落ち葉はまだまだ湿っています。落ちたばかりの葉っぱだけだと量がすくないので、箒でなるべく乾いたものを集めていました。
 そこへ早朝散歩のご老人が声をかけてきました。
 「何をやってるの、落ち葉を肥料にするの?」
 『いいえ、染め物にするんです。』
 「へぇ〜良い趣味だね。」
 『お金のかからない趣味なんです。』

 なんて、なんて事ない話をしていますと、ご老人は足を止めて、ご自分のことを話し出しました。自分はお金のかかる趣味をたくさんし過ぎて、今罰があたってる。中央区に住んでいた頃は海が近かったので、船を所有し、釣りが趣味だった。船でいろんな場所に行って、好きに釣りをしていた・・・など。どんどん話が続きます。引っ越した練馬区は海もないし、最近は医者にいろんな事をとめられて、面白くないという話に。

 「医者が車に乗るな、船に乗るな、自転車にも乗るな、女にも乗るな・・・なんていいやがる、こうなったら楽しみがないよ。昔、遊んだバチがあったんだ・・・・・」

 早朝のご老人の下ネタに思わず、ドン引きした私でした。桜の葉っぱを集める作業を再開し、『お散歩、お気を付けて』という言葉を最後に離れた場所へ移動しました。急に話し相手を失った老人はしばらく残念そうにしていましたが、私が熱心に距離を取って作業を始めたので、あきらめて歩き出しました。

 ・・・・・あれが女じゃなくて女性という表現なら、柔らかかったかな?イヤ。やっぱりイヤだな。なんで、あの年配の男性は露悪的なことをかっこいいと勘違いしがちなんだろう。人格を疑われることが分からないのかな?男尊女卑の最後の生き残りだからなのかな?現役時代はお金にものを言わせて、セクハラめいた事も許されていたのかな?・・・・・。

 思わず、下ネタに引いた自分の反応にも驚き、早朝から、あれこれ考えて、予定以上の葉っぱを拾ってしまいました。
今が落下盛んの桜落ち葉。赤いものだけじゃなく、いろいろ拾います。 ざっと洗って、ザルにあげているところ。外の作業も寒くありません。 いつもの常滑の壺に三ヶ月漬けます。どんどん葉っぱから桜色が溶け出すはず。 玄関脇に春まで置いておきます。なぜだか、一度水が上がってきます。 隣に測量が入り、この柿もばっさり背を低くする日が近づいてきました。 庭に立てかけていた椎茸のほだ木。出ていることを知らず、ジャンポ級の椎茸が。

2014年11月18日
 「はじめての切干大根作り」
 咳をしてても農園の野菜は成長します。今年は大根の出来もよく、二股になってるのは1本のみ。あとは立派に育っています。一気に育つものですから、スが入る危険性があります。そこで考えたのが干して保存すること。ネットではいろんなやり方を紹介しています。ゆでる場合もあるのですね。本当は沢庵に挑戦したかったのですが、種類が違うらしく、もう少し細い大根が良いようです。
 また、この時期、来年の1月〜3月のエッグツリハウスの子どものたまごの時間の計画ができました。フクシマが試作したりするのをヤマシタが記録保存していきました。
 来年の1月は「バードケーキづくり」。小麦粉や実などで鳥のごちそうケーキを作ります。葉っぱを落とした木々につるして、野鳥を誘うのです。
 2月は「雪の結晶」を切り取ってアートする時間です。古くからの文様に魅了されます。来年も大雪の日があるのでしょうか?
 3月は「傘袋ロケット」。丹誠塾の科学教室のヒエセンに情報をいただきました。簡単にできて、安全によく飛びます。

 11月も後半。希望は11月のうちに台所の換気扇を掃除すること。これをやれば、大掃除への弾みがつきそうな感じがします。
地面からニョキッと育つ我が家の大根。瑞々しいです。上部はサラダで、下部は煮物で。 これだけ、二股になった失敗作。これを干してみよう。 右は切干大根乾燥中。左は収穫した柿を日に当てているところ。二階のベランダは干場です。 鳥たちの目を誘うごちそうケーキ。 昔の人は雪からいろんな文様を発想しました。 十住堂の天井を飛び交う姿が目に浮かびます。

2014年11月13日
 「咳と熱」
 みなさん、ご注意ください。
 1週間ほど前から、秋の花粉症かな?のど、鼻、くしゃみ? でも目のかゆみが皆無だな・・・。なんて思っていたら、金、土、日とどんどん体調が低下し、日曜日にはお客さんが来ても、自室にこもる状態になってしまいました。
 夜は無意識で咳をしていたらしく、朝起きたら、腹筋が痛くてたまりません。寝返りを打つのも痛いくらいで、そっと咳をするようにしていました。職場の人が「咳で肋骨骨折することがある」というので、背筋からほぐして、腹筋がつらないように生活していました。
 そこへ、解禁のカニがやってきました。私が最低限、さばいて、後は家人に任せました。毎日、少しずつカニをほぐして雑炊を食べていました。ダメージの胃腸には豆腐とカニは大切な友だちでした。助かりました。
 週明けに行ったお医者さんは、いつもより、たくさん薬を出して、「5日間飲んで様子を見てね」といわれました。本日で4日目、たぶん、金曜日にはなんとか、回復しているはずです。
 みなさん、熱が一度出て、下がっても油断しないで、養生してくださいね。ゆめゆめ、秋の花粉症発症と思うなかれ。
 画像はカニ雑炊と梅干し。これが極上の食事。

2014年11月8日
 「アイラブ 青梅」
 昔むかしの話。
 娘が生まれて3ヶ月となり、やっと首が据わったころ、3歳の息子とフクシマと4人で奥多摩へ行って川べりでお弁当を食べました。水の流れを見ていると、心がホッとゆるむ感覚が忘れがたくて、待ちに待って青梅線に乗った覚えがあります。その後、足繁く4人で奥多摩へ通いました。沢井の駅を利用するたび、駅北の保育園が目に付き、こんなところで子育てをしたら楽しいだろうねとフクシマと話していました。一時、貸家を調べたことがありましたが、当時の塾の生活では、移住を実行に移す決断がつきませんでした。
 あれよあれよと20年がたち、練馬区の今の住まいを終の棲家として、自転車で5分の場所にある体験農園を楽しみつつ、都市の生活をおくっています。これはこれで充足しているのですが、フクシマが毎週息子のところへ料理を届けつつ、青梅情報を手に帰ってきます。小曽木地区の空き屋情報などです。
 昨日は私も一緒に出かけて行きました。

 多摩川の上流は谷がぐっと迫って、清流が一段と目に飛び込みます。空気が清涼で気持ちがいいです。息子のマンションは八階なので、遥か西方の山並みが見渡せます。こんな環境で生活できる彼が羨ましくなります。
 何の縁か、昔むかし、両親が恋いこがれた青梅に息子は住んでいるのです。

 帰りに足を伸ばし、奥多摩町の「丹三郎」という蕎麦屋でランチしてきました。いつも通り過ぎてしまう店だったのですが、今回は入ってみました。
 古い民家の隣に出した蕎麦屋さんでした。蕎麦屋の店舗も古いつくりです。玄関に火が起こされて、懐かしい薪の香りが漂います。蕎麦は細くて繊細な部類。澤ノ井の酒蔵の近くだけあって、大辛口の芳香の強さに驚きます。口開けから中高年で繁盛している奥多摩の蕎麦屋です。「古里」から歩ける距離なので、山歩きの軽装の方々もチラホラ。駐車場のナンバーは都心のもの。石神前の「わせいろう」も好きですが、「丹三郎」も気に入りました。

 実は「気になる店はまず行ってみよう」という気になった出来事がありました。私たちの住まいの近くに長い間やっているメキシコ料理店がありました。塾を始めた当時にはすでにあったと記憶していますので、40年近く開業していたことになります。この店の前を通るたびに「いつか行ってみよう」と話していました。通るたびに健在なので、安心しきっていたようです。そして、この夏、いざ行ってみようとネットで調べたら、昨年の暮れに閉店していました。残念。間に合いませんでした。どうも経営不振で閉じたわけではなく、高齢化のためのようです。この教訓から「気になる店はいっておけ」となったのです。 
わさびの三種。これだけあれば、満足。大好物。 そばがき。暖かくボリュームあり。 沢ガニの唐揚げ。エビの方が食べやすいかな。 繊細な蕎麦にちょうど良いつゆでした。 そば善哉。これはフクシマの領域。甘みが上品だそうです。 ヤマメの塩焼き。抹茶塩で。

2014年10月30日
 「キノコのシーズンは終わり」
 今年は10月に2回糸魚川のきのこの先生の所にお邪魔して、キノコ狩りをしました。ヤマシタはもっぱら、採集直後の下処理(虫だし、水洗い)に力を注ぎます。料理をすることを考えるとやってしまうのです。冷凍庫にはブナハリタケ、ナラタケ、ナメコ、オイロイシメジ、ムキタケが一年分眠っています。
 糸魚川以外では、山荘周りのナラタケを収穫した程度です。それでも楽しかったです。
 そして、ぐっと冷え込んだ昨今、山には雪がやってきました。これから、遠出をする予定もありません。わたしたちのキノコのシーズンは終わりました。
 2回も挑戦できた糸魚川。白馬、雨飾、焼山などキノコのスポットがたくさん。それに先生付きで山歩きができる幸せ。
 
 先生と夜は楽しく語り合い、早朝には出発して、妙高などの温泉に浸かり、帰路についていました。フクシマも体力がついて、遠出が楽になりました。

2014年10月23日
 「新しい料理」
 昨夜、夕食後、新しい料理に挑戦しました。
 娘のケーキの型を借りて、ベーコンを敷き詰めました。肉を混ぜ、ネットの方々のレシピから私流の「好いとこどり」をして、材料をフープロにかけました。肉650グラム、塩はその1.1%で、7.1グラムです。お酒はワインはやめて、ラム酒やティラミスの時の余った洋酒にしました。さて、何を作ったとお思いですか?
画像を撮り忘れ、焼き上がって重しをしている所です。これで、荒熱が取れたら、冷蔵庫に一晩。
 料理名はパテです。テリーヌとも言います。娘の最初の修業の場であるパン屋のカフェでもよく出されていました。帰ってきた娘が「パテね。うちはピスタチオ入れて色にしてたよ。お母さんは?」と聞くので、「間引きの人参、生食と普通の。黄色とオレンジの色だよ」と答えました。
 さて、出来は?今朝一番でカットしてフクシマと食しました。
 う〜ん。もう少し、娘の言うとおりスパイスを効かせた方がいい、まったりした感じはレバーかな?お酒ももっときつい方があうな・・・・。全体的にまとまって、一応成功です。これをもっと改良して、作り置きの大勢の料理に完成させるつもりです。家族の感想が良ければ、来年のお節のラインナップに加わるかも。
焼き上がりはベーコンの薫りが漂います。 切った断面。人参の2色がなぜかオレンジ1色に。

2014年10月19日
 「化石発掘体験は楽し」
 本日、無事に化石発掘体験の後期が終わりました。小学2年から大人まで大勢の親子が多摩川の河原で楽しいひと時を過ごしました。場所はモノレールの柴崎体育館から徒歩で30分。広い多摩川の露頭のむき出しのフィールドです。2度の台風に洗われ、貝が表れている場所もあります。広い多様な発掘のフィールドがあり、160万年前の貝、植物、火山灰などを確認できました。
 心配した日差しですが、木陰もないのに、風が爽やかでちょうどいい感じで活動ができました。
 私は福嶋さんが同定した化石のラベルを渡す仕事をやりました。ヒメシラトリガイがたくさん出て、中には完全な標本となるものもありました。他にアカガイ、メタセコイヤの葉などがどんどん、掘り出されていました。
今回のフィールドは広く平らな部分が多く、安全に発掘できました。台風による増水も心配したほどではありません。 大きなアカガイ。先生はお寿司屋さんで現生のものと比べてみましょうとアドバイスしていました。 最後にみんなで記念撮影。これから、藪をこいで駅に向かいます。

2014年10月16日
 「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」
 最近、わけもなく、ぞっとすることがあります。本当はわけがあるのでしょうが、直接思い当らないので、わけもなくと表現しています。

 私は周期的に震災後の原発事故の報道を思い出します。私にとっての大きなトラウマなんだろうと思います。「東京電力福島第一原子力発電所では・・・」という言葉から始まるアナウンサーの声にビクビク、緊張していたことを覚えています。
 「ベント」「炉心」などという言葉も聞きなれた言葉になり、枝野さんの怒ったような顔の会見を固唾をのんで聞いていたこともありました。日本中が「もう、これで東日本は崩壊するかもしれない・・」と危機を覚えていた時期でした。私はいつも行くお医者さんに精神安定剤や眠剤を処方してもらって、なんとか眠っていた頃でした。とても苦しく思い出します。

 その恐怖の日々から、まだ、3年と半年しか経過してないのに、何事なかったように、日常が過ぎていきます。震災復興に周辺は業績を伸ばし、東京オリンピックに向けて、景気の良い話が飛び交います。その逆に風向きの悪い業種も多く、ますます富の格差が生まれています。

 こんなんで、いいのか?本当に安心な生活と言えるのか?経済優先で原発の再稼働にGOを出していいのか?私の胸のざわざわは結局、ここから生まれているのだと思います。

 今朝のテレビで太陽光発電で生まれた電気の買い取りを電力会社がストップ(当面は大口)と言ってきてると報じられていました。目的は原発再稼働への布石でしょう。本当に再稼働という結論を出して、次の世代の人に受け継いでいいのでしょうか?いろんな情報から電力会社の権力構造を知ったときは、ぞっとしました。多くの人が「東電さん」と敬称をつけて呼ぶのは、利害関係者の末端にいるなのでしょう。そういう人は思ったことがハッキリ言えないとしたら、「東電さん」と呼ばなくてもいいスタンスにいる私などは「何か」を言わなければならないのかと思ってしまいます。とりとめもなく。

2014年10月12日
 「バーベキューは楽し」
 昨日はお天気もよく、清々しい空気の中で、バーベキューのイベントが行われました。これが10月のグリーフケアとなりました。いつもの十住堂ではなく、隣の小金井公園で大人も子どもも一緒になって美味しいものを楽しみました。
 一つ報告。
 先日エッグツリーハウスは一般社団法人として産声をあげました。これからは遊学会とは別の法人がグリーフケアに特化した活動をやっていくことになります。でも、今年度の助成活動で、すでに遊学会として交付決定をいただいているものは、このまま遊学会が担っていくことになります。来年度以降は遊学会はグリーフケアに特化したエッグツリーハウスを子どもの活動において、側面から応援することになりました。

 さて、昨日のバーベキューは大盛況でした。グリーフキャンプに参加下さったファミリーはほとんど、やって来て下さり、久々の友好を温めていました。一つの寝室で雑魚寝をして、深夜までママ話に花が咲いた真夏の空間が再現。ピクニックシートの上でママたち、パパたち(ドリンクも入って)の輪ができていました。
 ファシリテーターは早くから準備し、たくさんの料理を提供しました。参加者の方から「浪江焼きそば」の差し入れもあり、大好評でした。豚肉ともやしと麺。シンプルでしたが、とても美味しい焼きそばでした。バーベキュー統括リーダーの石川くんの用意したものは、ローストビーフ、フランクフルト、網焼き野菜きのこ各種、枝豆の蒸し焼きなどで、どんどん参加の皆さんのテーブルに運ばれて行きました。ヤマシタはバーベキューの焼き待ちのお腹の足しにと、自宅より「チキンカレー」を持参しました。これも、最後には無くなっていました。
 森の教室5泊6日をやりきった「かまどリーダー」のカンノさんは本当に火付けが上手く、条件の限られた中で時間通りに火の調整を達成していました。そのお陰で焼き待ちという時間も発生しませんでした。

 画像では楽しいバーベキューのファシリテーターの様子をご紹介しましょう。
刻んだ材料や道具などを台車にのせて、ユーカリ広場へ向かうファシリテーターたち。 差し入れの浪江焼きそば。太麺で特にソースが旨い。ピーチが入っているとか・・・・。 石川くんが習得した着火法。網の下から、脇から酸素が供給されて、すぐに炭がおこる現象。 焼きそばの時は火力が勝負。強い火で一気に水分を飛ばしたい。でも、強いと焦げ付く心配もあり。 参加者、ファシリテーター総勢40名近い人数。初めと終わりにサークルを囲むと大きな輪ができました。 大きなテントを撤収して、バーベキューはお開きに。これからファシリテーターは東小金井で二次会。

2014年10月7日
 「山森の話」

 先週、新潟の山に行ってきました。噴火警戒レベル2に怯えて「草津白根山ルート」で万座温泉に行くことはあきらめ、山荘を経由して糸魚川へ行きました。
 初日はゆっくり前橋(クワイテルメ)で温泉につかり、創作料理の店(オー・ドゥ・ピュール)で舌鼓を打ち、山荘についたら、周りのきのこを探しました。ナラタケが出ていましたが、他のきのこはまだのようでした。藍の花も咲き、この次は種の収穫だなと思っています。
 翌日は早朝より「山の湯」につかり、ほくほく街道で糸魚川を目指しました。
 
 糸魚川には私たちのきのこの先生M村さんがいます。最近は年に2回は彼のお宅へ泊めていただいて、山菜・きのこ狩を楽しんでいます。
 あいにく到着した日は糸魚川は雨だったので、ランチのあと先生とフクセンの二人がレインウエアを着て山に挑戦。ずぶぬれになりながらも、みごと大量のナラタケを手に入れて帰ってきました。「手ぶらでは帰れない」と二人で歩いていたそうです。
 待ち構えていたヤマシタはキッチンバサミできのこを選別していきます。痛みそうな場所はカットしてきれいな部分を塩水につけていきます。1〜2時間付けると、ほとんどの虫は浮いてきます。そのきのこを何度か洗ってギュと絞ります。大量の冷凍用のタッパを持参していますので、帰ってから使う分以外は冷凍保存です。
 そして、本日、事務所にて野生のナラタケと帰りのJA(信州中野オランチェ)で買った栽培きのこの「具だくさんなきのこ汁」を若者たちに振舞っています。お安いけど美味しいお土産となりました。 
山荘前のやぶのナラタケ。ちょっと形が悪いけど、傷みはない。よいダシが出ます。 クイの向こう側が藍。手前は西尾氏が育てているブナの木。 ナナカマドの実が赤くて、目を引きます。山荘周りは秋の色で美しいです。

2014年9月28日
 「ファシリテーター養成講座終了」
 3日間に及ぶ養成講座無事終了しました。最終日は農園講習と重なったので、ヤマシタだけ遅れて十住堂へかけつけました。秋作の最終の講習だったので、盛りだくさんの内容で、追肥・間引き・葉物の種蒔き・消毒・・・・・・とボリューム満点。
 やっと1時前に終了し、さっとシャワーと昼食を済ませ、田無駅から「はなバス」に乗りました。どうも停留所が1つなくなったとかで、小金井公園の遥か北方で下ろされ、勘を頼りに最短の公園入口を目指しました。思い通りに入口が見つかり、ま北から南の正面入口まで、最短距離で歩きました。
 本日の小金井公園は祭り状態。芝生には色とりどりの家庭用のテント。紫外線からキッズを守るために、家族単位で簡易はテント持参です。人の多さに辟易しながら、正面入口に着くと、五日市街道の殺人的渋滞。十住堂の一角だけが、静寂の空間でした。貴重な場所を使わせていただいて、感謝しながら、お堂に向かいました。
 
 ファシリテーター養成講座の参加者は二分されていました。還暦後のキャリアを積んだシルバー組とほぼ20〜30台のこれからキャリアを積む若者。両者とも「野口体操」でほぐれた身体で3日間をやりぬきました。地方に帰って、この経験を活かす人もいれば、将来のエッグ ツリー ハウスの戦力となって下さる人もいると頼もしく思いながら、講座は終了しました。

 さて、ニュースで御嶽山の噴火が報じられていますね。御嶽山の北麓の温泉に行ったことがあるので、気になってみてしまいます。また、この週末、キノコシーズン到来かと新潟に行くのですが、その前に草津白根山超えで万座に寄ろうとしています。草津白根山は現役の活火山。最近、噴火警戒レベルが1から2に上がったところです。車で山頂までいけるのですが、今は途中駐停車禁止です。
 今、どうしようか、迷っているところです。

2014年9月24日
 「遊学会のグリーフケア」
 ファシリテーターって言葉を簡単に使っていますが、本当はいけませんね。今まで十分共有してきた言葉じゃない「新しい言葉」を使う場合はきちんと言葉の説明をしないと迷惑ですね。

 今年は私にとって、とても新しい年です。たくさんの方々と知り合い、考えることが増えました。それは、あの大雪の日からスタートしました。大雪で交通機関が乱れる予想があるにも関わらず、大勢の方が集ったグリーフサポートの集いでした。その中で平気で「レジリエンス」という言葉が飛び出してくるのをみて、「私はこの世界と縁がないな〜」と感じて白けていたヤマシタですが、その後の十住堂でのみなさんとの出会いがきっかけで「遊学会のグリーフケア、エッグツリーハウス」に少し軸足をのせるようになりました。

 そうそう、ファシリテーターという言葉でしたね。ネットによると管理・運営者、観察者、援助者などと出てきます。
 私は、大人にあっては「喪失体験でダメージを受けている人の言葉を受け止め、時間を一緒に過ごしてあげる人」。子どもに対しては「思いっきり楽しいことを提供したり、一緒に遊ぶことで、安心な気持ちを与えられる人」かなと思っています。
 そして、この秋、ファシリテーターの第二回目の養成講座が開かれます。

 どんなみなさんと出会えるか楽しみです。もちろん野口体操もたっぷり予定に入っています。私は二日目の夜の懇親会の係なので、今からフクシマと献立を考えています。

 2014年9月15日
 「3年ぶりの実踏」
 2011年の10月初めの三角山の実踏を最後にフクシマは病に倒れました。紫水晶をもとめて群馬の山に登ったのが最後。頂上付近はクサリ場。厳しい岩山でした。荷物が軽いせいか、このヤマシタがスイスイ頂上に立ったのに反して、フクシマはフーフーいってクサリを握っていました。上からみていた私は意外な感じがしました。自分が健脚なのか、フクシマが衰えたのか・・・・、と。もうその時すでに過度な紫外線がフクシマの病の発病ボタンをONしていたのです。
 
 さて、闘病3年でなんとか寛解に至りました。病がこれ以上進まないという状態です。よかったです。

 敬老の日の本日、3年ぶりの実踏にいってきました。むさしの化石塾の福嶋さんの案内で茨城の阿字ヶ浦から霞ヶ浦までの二つのスポットを歩いてきました。2015年以降の子どもの体験のためです。さて、どういう切り口で子どもたちに提示できるか・・・・・。
 
 とにかく、フクシマは終日の実踏に耐えるまで回復しました。
白亜紀の地層がくっきり。この海岸の前に「ホテルニュー白亜紀」という看板あり。灯台の下。 随所にある避難用の掲示。海抜20メートル以上の丘にいざなう。 カサガイの種類も豊富な平磯海岸。ビーチコーミングもできますね。運がよければ、アンモナイトを拾えるかも。 干潮時にじっと乾燥に耐えるイシダタミ。けなげな姿に感動。平磯海岸の母岩は非常に硬い。 霞ヶ浦崎浜にて。12万年前のマガキの密集化石。縄文時代の横穴もある。ここに子どもたちをつれていきたいなぁ。 ビジターセンターの学芸員の方に教わった化石のポイント。貝殻化石がざくざく。

2014年9月9日
 「ニシンという食材」
 姑が元気なころはたくさんの料理を作ってくれました。チラシずし、手鞠り寿司、豆ごはんとカツオ、ブリ大根、氷頭なます、しらこ煮、黒豆のおこわ、ホウレンソウの白和え、手作りがんもなどなど・・・。その中でも秀逸だったのが、昆布巻きです。大晦日には大きなタッパーに入れて、持ってきてくれました。お重にはいれ切れない分は冷蔵庫に入れて長く楽しみました。
 そんな昆布巻きはもう一生涯食べられないとあきらめていました。ところが、最近フクシマは料理の腕をあげたばかりか、食材調達に広く足を延ばすようになり、市場に出入りするようになりました。その結果、身欠きニシンや各種昆布を目にすることが多くなり、先々月「一度、二人であの昆布巻きを作ってみようか」という話になりました。さっそく、身欠きニシン、昆布を用意して、試作しました。
 できは姑の味にはほど遠いですが、「もどき」ができました。これから試作を重ねて、暮れには「懐かしの味」の再現ができればと思っています。

 そして、その身欠きニシンを煮物の材料にしてフキ、タケノコ、こんにゃくと炊いた煮物が彼のレパートリーに登場しました。ニシンという食材と出会った2014年夏です。
「身欠きニシンの煮物」 一日おくと味がなじんで、また、旨いです。緑はダダ茶豆を散らしました。

2014年9月2日
 「涼しい季節になりました」
 蝉の声はまだしますが、朝夕めっきりしのぎやすくなりました。昨年の猛暑の9月とは大違い。
 農園は大根、白菜、葉物の種蒔きが終わり、今、収穫中はナス・ピーマンの一畝のみです。先週、先々週と、耕す→畝づくり→マルチ貼り→植え付、種蒔きと農園作業のピークでした。
 7月23日亡くなった中学高校時代の親友のお別れ会が先日、行われました。場所は馬車道のギャラリーです。総勢90名を超える人々が集い、彼女の話をして過ごしました。スピーチの他にダンス、歌、ギター、サックスなどなど芸達者な方々がお別れの会を盛り上げてくれました。私は中高時代、いかに彼女が男の子にモテてたかの証人として登場し、スピーチの一番手でした。スピーチが終わったら、みなさん近づいてきて下さって、彼女の亡きあと、彼女が縁の知り合いがたくさんできました。多くは野毛界隈で飲み歩きをした親友夫婦の飲み仲間。みなさん気持ちよく初対面の私を受け入れてくれました。
 娘もお世話になったおばちゃんへとアップルケーキの差し入れ。前半で30ピース近いケーキは完売。お子様連れやノンアルコール派の方々が目ざとく見つけてつまんでいました。「あら、おいしいそう、○○さんにも、」と2つ持っていく人も。娘の作品が選ばれているのは親ばかでとても嬉しいものでした。
記名したコップで。まずはシャンパンで献杯。この時は彼女のつれあいさん以外は誰も知り合いは居なかった。 ギャラリーなのでディスプレイはお手のもの。チャーミングな遺影が並びます。 手前が娘の作品(アップルケーキ)。次々と登場する料理は一人の男性の手によるもの。味もボリュームも満足。トコブシが美味しかった。

2014年8月26日
 「やっと、お湿り」
 これで長い長い猛暑が終わったと喜んでいいのでしょうか?それとも昨年のように猛暑の9月がまっているのでしょうか?願わくば、このまま秋の風が吹いてくれることを願っています。
 さて、秋の農園作業が始まっています。この前の週末はフクシマと二人でキャベツ、ブロッコリー、カリフラワーなどの定植作業を終えました。新宿の画材屋に勤めるようになった娘は土日が仕事なので、農作業は手伝えません。娘が蒔いた人参が誇らしげに育っています。これからの作業は大根、白菜、ホウレンソウなどの葉物の種蒔きです。
 8月の間お休みだった、グリーフケアも9月からは再開です。9月の末には二度目となるファシリテーター養成講座も開かれます。今年の3月からたくさんの新しい方と知り合い、この7月にはみんなで力を合わせて、グリーフキャンプを実施しました。この年になって新しい友人が増えることが有難く、新しい刺激をいただいていることを感じます。この9月にもどんな、新しい出会いがあるか、期待して待っています。若いファシリテーターがたくさん育つことを願っています。もちろん、老人隊も頑張ります。
これが最後のトマトの収穫。ことしのトマトは全部我が家で消費しました。保存はソースで。 順調に成長している人参。来週あたり間引きがスタートします。 知り合いにいただいた「サギ草」。白い可憐な花が美しい。画像は柿の木が背景で、鮮明でないのが、残念。

2014年8月17日
 「自分の蒔いたタネ」
 あっという間に雑草は育ちます。農園でも、我が家でも。分かっているけど、日々の仕事に追われ、小さいうちに抜いておけば楽だと分かっているのに、目立って、「もうこれ以上放置できない・・・・」という段階で、草引きにとりかかることが多いです。草引きとは関西の方言のようで、あまり、皆さん「草引き」とは言わないようです。
 さて、大きく育った雑草は手強くて腰に来ます。この一週間はフクシマと協力して駐車場と庭の雑草の一掃作戦を敢行しました。太陽が高く上がる前に、蚊取り線香、首タオルスタイルで、せっせと草を引きました。一時間ほど、草引きをして仕事に行ったこともありました。
 そこで、我が家の庭で、雑草が姿を消し、浮かび上がってきたのが、「藍」と「バジル」。
 4月の初めに蒔いたものです。なかなか思うように発芽しないので、心配して、いろいろ試していましたが、気温が上がってからは順調に育ち、定植してからは、ヤマシタ工夫の「水やりシステム」が功を奏して、水枯れすることなく、順調に育ってました。「藍」はまだ一度も染める機会がなかったので、繁茂状態。「藍」と「バジル」を見るたび、もやもや・・・。「何とか、染めたり、ジェノベーゼに加工したりしないとな・・・。」「これ以上、繁茂させるのも、まずいな。」と、ヤマシタの心は穏やかじゃありませんでした。

 染めたいが時間がない、焦って染めてもいい作品はできない・・・。悶々とした日々の中から、あることを思いつきました。「生葉染め」「すくも」以外の染め方がないだろうか・・・ということです。まったなしの時期限定の生葉染めだと、ことしの藍は間に合わないかもと心配してのことです。もちろん、すくもに育てて藍を建てるなんて、ありえません。
 ネットで調べたら、ありました。それは「沈殿させて泥藍を作るやり方」でした。もともと、「琉球藍」を使って行われていたようで、太陽の光を利用するので、南国が適しているみたいです。東京でも猛暑の折には、「蓼藍」で挑戦している人もいるようです。第三の藍の処理法を見つけて、小躍りしたヤマシタでした。「泥藍」の作り方は水に藍を漬けて、太陽にあてて発酵。その後葉っぱを引き上げて、消石灰をいれて攪拌し、上澄み液をすてて、固形の「藍染めの素」をつくるというものです。カレールーのような固形の藍なんて、なんて凄い技術なんでしょう。

 晴れた日が二日以上続くのが、必要な条件なので、早速、8日の金曜の朝からやってみました。仕事に行った後はフクシマに水と葉っぱの混ぜ作業を頼みました。
 これで「藍」はよし。次は「バジル」
 本日、庭の「バジル」2キロを刈りました。葉っぱだけにすると800グラムくらいになります。それを松の実、ニンニクと一緒にフープロにかけて、ジェノベーゼソースに仕立てました。充分一年分あります。あとから収穫するバジルはもう「ドライバジル」にすると決めました。

 これで平穏な気持ちで我が家の狭い庭をみることができるようになりました。

 これが本当に「自分の蒔いたタネ」です。
金曜日:水に藍を漬けました。おおきな寸胴鍋で水を15リットル近く入れました。 土曜日:太陽が当たって、うっすら液が青くなってきました。何度もひっくり返してみました。 日曜日:葉っぱを取り出して、消石灰を入れて攪拌したら、青い泡がたくさん出てきました。 バジルの葉っぱ、フープロ、オリーブオイル、松の実とニンニクです。 ジェノベーゼ専用の冷凍容器です。少量ずつ取り出せるので便利。 久々に染めました。これは、生葉染めです。緑を狙って玉葱で染めた絹布を使いました。

2014年8月12日
 「本葉の出現」
 台風11号、よく降りました。我が家の応急処置の雨どいも大きな音をたてて仕事をしていました。自然の力の凄さに驚くだけです。
 さて、前回もお知らせした人参です。見事に本葉が登場、やっと人参らしく整ってきました。

 朝に夕に、フクシマとたまには娘とで、協力して水やりをした甲斐がありました。
 これから間引きを繰り返し、握りこぶしくらいの間隔になった後は秋以降の収穫を目指して、地下でぐんぐん育っていくことになります。土作りから丁寧に作業した成果はでるでしょうか?今年の出来はいかに・・・・。収穫中ながら、1月には農園の区画を返すことになるので、数本ずつ新聞に包んで、階下の冷暗な場所に保存します。そして4月ごろまで「我が家製の人参」を楽しむことになるのです。総数100本くらいかな。

2014年8月8日
 「人参の発芽と台風接近」
 7月27日に人参の種をまいて、猛暑の中、朝夕に水をやりに農園に通っていました。ほとんど、フクシマが担当していましたが、私も早朝5時に起きてしまったときは、水やりをしました。熱帯夜でぼけた頭には、ちょうどよい作業でした。朝の空気の中、発芽を確認しながら、やさしい水流で湿らせる作業です。
 台風11号の影響でやっと、本日は雨がぱらつきました。なんと、連続、12日間雨が降っていなかったことになります。九州や四国、中国地方などは降りすぎの場所もあるのに。天候ばかりは思うようになりませんね。
 私の勤務する介護事務所の元代表の新盆もやってきました。小豆島に眠る彼女にお供えを、と調べましたが、小豆島には「花とみどりのギフト券」が使える花屋さんがなかったので驚きました。新盆のために小豆島に渡る予定の人が台風接近で飛行機が飛ぶのか心配しています。

2014年7月28日
 「梅を干しました」
 26日〜28日と梅を干しました。一緒に赤しそも干してみました。
 「実に美しい!」と4年前にも絶賛した「干されている梅の姿」です。
 梅干しは梅酢に戻すバージョンとそのまま保存のものに分けました。明日から、前々から欲しいと言ってくださっている数名の方にお分けします。赤しそはもう少し干して、「ゆかり」にするつもりです。
干し始めの梅。どんどん柔らかさが増す感じがします。干すと固くなると書いてあるサイトもありますが、うちのは柔らかくなりました。 ベランダの枠に乗せるには大きいので大事をとって、小テーブルを出しました。3日間照り続けました。 半分の量の梅干しが梅酢に帰りました。昔の母のやり方はこれ。母はこの上に生姜を入れて、紅ショウガを作っていました。 梅酢に戻されない梅干し。これで出来上がり。総量6.5キロ。160個の梅干しができました。 赤しそ。いま、「ゆかり」に向かって乾燥中。塩がふいてくるのが面白い。 今年も人参の種まきです。猛暑の中、娘と2人で蒔きました。今年は生食ようも作ります。

2014年7月24日
 「大きな喪失」
 中高時代の親友がなくなりました。多感な時期を一緒に成長し、家にもよく遊びにきて、妹たちとも交流が深かった人でした。

 彼女が高校一年生の時(私たちは中高一貫のミッションスクールに通っていました)、家庭の事情で東京に引っ越すことになり、どうにかして「一人暮らしして姫路に残れないか」をいろいろ画策しましたが、願いかなわず、彼女は東京に引っ越していきました。最後の思い出に夏休みのキャンプに参加して、快速と新幹線(当時は新大阪から)で旅立ちました。姫路のホームで見送ったことを今も思い出します。
 そして高校3年、大学を選ぶ段階で私は東京を選びました。関西の大学はひとつも受けず、東京のみに挑戦し、希望の大学が不合格だったので、予備校生活を東京で送ることになりました。
 別れ際の約束「大学に東京に出てくるから、一緒に暮らそう」を果たすべく、上京し、彼女がルームメートとなりました。彼女がいなければ、今の東京での生活、人間関係はありませんでした。

 その後、彼女は節目節目にやってきて、悲しいこと、うれしいことの報告をしてくれました。山荘を建設した時は、維持会員となって、支えてくれました。山荘では静かに聞き役になり、ふとんを干したり、掃除したりと、私の仕事を手伝ってくれました。
 
 4年前に代官山のレストランで食事をしたのが、健康な彼女との最後の思い出です。
 フクシマが病に倒れて年賀状に「ステロイドが○○ミリに減りました」と私が書くと、電話してきて、「何のことよ、腎臓移植でもしたの?大変なこと知らなかったよ」と聞いてきました。この2〜3年はフクシマの療養中心だったので、会うこともなく、彼女の病気のことは全然知りませんでした。一度でも会っていればと悔やまれます。

 今年の年賀状で「癌になりました」の書き添えに、ぶっ飛んで連絡し、会う約束がことごとく、キャンセルになり、入退院を繰り返す彼女のことを常に気にしてました。
 春になって、いよいよ会わなければ、そして様子を知らなければと思い、「馬車道」まで、出かけていきました。顔をみると普通な状態じゃないことが明白でした。これは最後まで見守らないと、少しでも彼女の希望にそったターミナルを実現させないと・・・と感じて帰ってきました。事態が急変しても、彼女のメールしか知らないようなら、不安です。おつれあいの方とメールアドレス交換しようとしたら、facebookをしてるというので、「お友達」になって帰宅しました。
 西尾氏から紹介された、「ひとりで死ぬのだって大丈夫」(奥野滋子著)をおつれあいに送りました。ターミナル医療の一つの形、こんな迎え方だってあるのだということを彼女に知らせたかったのです。

 その本の情報を生かす余地なく、その後の展開が早く、坂道を転げるように、容体は悪化していきました。余命1か月宣告を7月18日に受け、グリーフキャンプ中にそれを知った私は「可能な限り早く病院に行きます」と伝えました。
 火曜日のうちに仕事を調整して、約束どおり、水曜日の午前中に病室を訪れた私を彼女は認めて、辛そうな泣きそうな顔になりました。発声すると痛いのでもう話はできません。目でお互いを確認して、私は思わず「○子、もうこんなになっちゃったのね」と声をかけていました。腫れている手を触り、温かい感触に触れていると、小さなろうそくの炎が頼りなげに揺れてる感じを受けました。「あ〜、もう○子の命は尽きるんだな〜」と思いながら、見ていました。
 その後、彼女はトロトロまどろむ状態になりました。私はおつれあいと彼女のお母さんと話をして、病室を後にしました。「これで、お別れとなってしまうな、次は急変の知らせをうけるのかな。相手がわかる段階で面会できてよかった」と思いながら、帰ってきました。その夜、彼女は永眠しました。

 「東京に出る」という私の大きなターニングポイントを作った親友でした。
 
 キャンプ後に私のしたことは、田舎の友人たちに電話して、彼女の今を伝えることでした。亡くなってから知るより、今息があるうちに知ってほしいと、なぜか強烈に思ったからです。幸い、姫路にネットワークを持つ友人がいて、高校一年で転校していった彼女なのに大勢の人が覚えていて、英語の先生は中1の時の彼女を「英語のよくできる子」として記憶してくれていました。私の妹にもメールして、二人とも親密な内容の彼女についての文章を返信してくれました。その内容があまりにも、泣き笑いなので、おつれあいにもメッセージで送りました。彼女の思い出を語り、今でいう「シェアする」ことが、供養になり、おつれあいのグリーフケアにつながるかなと思います。私のグリーフケアはまだまだ、駆け出しですが、こんなに身近に対象が出現するとは今年の初めには想像もしていませんでした。
 
 彼女を失ったおつれあいは本当にこれからが辛い辛い嵐に見舞われます。「さびしい」とかみしめて生きていかれるはずです。しばらくは、静かに見守って、行きたいと思います。
 長々とヤマシタの嘆息でした。

2014年7月22日
 「グリーフケアキャンプ無事終了」
 当初は参加者が集まるかと危ぶんでいましたが、参加者でサークルを作ったら、人の多さにリビングが狭く感じるシーンがありました。たくさんの親子が集い、交流していきました。
 確実に、新しい苗場山荘の顔ができました。名前もエックツリーハウス苗場「たまごの家」です。玄関に「たまごの絵」の原画があります。

 子どもは自然たっぷりでファシリテーターと遊び、親は子どもとは別に朝から夜まで交流します。 最後のサークルで「久しぶりで笑いました」の感想が親の皆さまから、複数あったのは、本当に驚きました。2泊3日を通じて、普通に笑っている方だと感じていたからです。「久しぶりに笑っている自分がいました」・・・それが本当なら、きっと苗場の自然+私たちの準備・・・が少しお手伝いしていたのかなと思い、大変嬉しいと感じました。

 子どもたちの自然体験の場であった山荘が、新たに「次のミッション」を与えられた瞬間でした。

 キャンプの様子はfacebookの「遊学会」「エッグツリーハウス」でご覧下さい。

2014年7月14日
 「グリーフケア、進行中」
 第4回のエッグツリーハウスのグリーフケア「たまごの時間」は無事終了しました。参加の子ども、青年、大人がぐっと増えて、ファシリテーターやスタッフはヘロヘロになって、終わりました。あと、キャンプまで一週間を切ったこともあり、打合せの時間が短いくらいです。
 今年から、スタートしたグリーフケアです。2時間の「たまごの時間」を行うのに、たくさんの準備が必要ですが、それが2泊3日のキャンプとなると、食材、教材の準備のみならず、グリーフの中心にあるべき、参加者の心の安心を実現させる準備が進行しています。この部分が初のトライなので、ファシリテーターの間で今、メーリングなどを通じて意思疎通をはかっている最中です。

 さて、昨日は娘と横浜中華街へ行って来ました。同じような店の中からチョイスした店内は暗い印象。お客の座ってない所の照明は消してあります。呼びこみの女性は積極的ですが、店内の接客の女性はそっけない感じ。「早く食べて、とっとと出て行け」という感じ。味はなかなかいいのですが、店内の雰囲気をいれ、総合評価は「2.5」。
 中華街から歩いて馬車道へ。友人のギャラリーへ行って、娘の作品を見てきました。個展?とんでもない。24人が5000円上限で出展する企画に娘も入れてもらったのです。初めての経験で「自分の作品が本当に売れるのか・・・」と半信半疑で出かけた娘ですが、全作品がまだ、健在だったことに安心したり、やっぱりなと思ったり・・・。フクセンから案内の葉書がいっている方もいると思います。遠いですが、横浜観光も兼ねて、よかったら、お出かけ下さい。
子どもの「たまごの時間」。これはアニメーションの原型「おどろき盤」。鏡に映して回すと、不思議な動きに・・・。 子どもたちが布に絵を描いたところ。キャンプの旗になります。イメージは「森の中」らしい。 ギャラリー一角の娘のコーナー。イケアの額縁に入れて様になりました。場所はみなとみらい線「馬車道」の「S.C.WORKS」。

2014年7月3日
 「静かな日常が戻ってきました」
 北の旅行も終わって静かな日常が戻ってきました。

 週に一度、フクセンは息子へ料理を運んでいます。自炊する習慣の呼び水になればと始めたものです。農園の野菜の収穫期には野菜中心の惣菜となり、息子も喜んでいます。今はキュウリ、ズッキーニの最盛期。トマトも完熟で収穫するので昔の味です。

 本日は二人で料理の日となりました。前々からの懸案「昆布巻き」に挑戦。そして新じゃがのコロッケ・・・・。とここまでは予定のメニューだったのですが、ここにきて、グリーフキャンプの仕入れ担当の必要から「丸鶏」の知識が必要になりました。食事担当者からは「丸鶏」10人分で1羽とだけ、リストが送られてきました。「丸鶏」など買ったこともないので、大きさ・・ダッチオーブンに入るか、量・・10人で1羽で足りるのか、いろいろ心配になりました。
 そこで東久留米の市場に行って、お肉屋さんからいろいろ情報を仕入れました。まず、親鳥じゃなく、雛鳥であること、事前予約して大きさは指定できないこと、1キロちょっとの小さいのから、3キロ近い大きいのまであるらしい・・・。
 これは難解・・・・。一羽買ってリハーサルで焼いてみようということになり、急遽、家のコンベックでローストチキンを丸鶏で試すことになりました。

 わかったことはローズマリーの風味は子どもにはどうかな?ということと、非常に高温の料理なので、大きさによって火の通り具合に注意が必要なことでした。よって、三羽は予約しますが、1.5キロを切るような小さな場合は倍の量が必要かもしれません。

 そんなこんなで、本日は料理デーとなりました。
初めての昆布巻き。亡き姑の味に近づくべく、これからも精進を重ねるつもり。初回にしては上々の出来。 丸鶏を焼いてます。うちのコンベック史上、最高温の料理。詰め物はハーブやレモン。子どもにはジャガイモくらいが楽しいかも。 新じゃがのコロッケ。細工はしにくいが、味はなめらかで抜群。7/4は息子の誕生日なので、手間の料理を作りました。

2014年6月25日
 「北海道のいろいろ事情」
 昨夜、無事帰宅しました。いろいろあった北海道。今日もお休みをいただいているので、じっくりコラムの更新といきましょう。

☆6/20
 はやぶさ、白鳥を乗り継いで函館駅に着きました。海底のトンネルを通って快晴の北海道へ着いたときは感動。
 函館には2時間弱滞在できるので、さっそく、市電に乗り、赤煉瓦倉庫群へ。修学旅行生が散策する倉庫群でした。見るだけ観光に徹し、あちこちを見て回りました。ちょっと目をひかれたのは「イカスミ」の染め物、でも高価すぎて「何だかな〜」と思いました。年配夫婦には食指の動かないショップ群でした。
 その後、北斗、函館本線在来線と乗り継いで「落部(おとしべ)駅」に到着。「銀婚湯」のマイクロに揺られ、秘湯を守る会の宿へ。モール臭漂う、趣のある温泉でした。普通の懐石風料理に鶏鍋。内臓まで入っていて、非常にボリュームのある鍋でした。仲居さんに「ここの地元の鶏ですか?」と尋ねると「いいえ、青森からです。」
☆☆6/21
 翌日に鍵を借りて、吊り橋を渡った先の源泉へ。「紅葉の湯」が一番、ぴりぴりして源泉そのものの湯でした。どんぐりの湯はロケーションが抜群、「杉の湯」は明暗の使い方、風抜けの装置が心地よい空間でした。どの貸切湯も新鮮なお湯がバサバサ掛け流されていました。「杉の湯」の外では、だれも取らないアケビの芽が繁茂。思わず一つかみ摘み取り、友人宅へのお土産に。
 友人がチェックアウトの時間に迎えに来てくれて、八雲へ。八雲は乳製品が秀逸。ケンタッキーの元実験牧場あたりはちょっとした買い物エリア。ソフトを食べて、食材を調達しました。
 その後、友人ファミリーと日本海側へドライブして、海鮮を調達。ウニ、粒貝、ヒラメそして私の好物のナマコ。実はヤマシタは貝類やナマコが大好きなのですが、東京に来てからはその臭さに辟易、すっかり食べる習慣がなくなっていました。昔懐かしいナマコを丸ごと買って料理する貴重なチャンスでした。友人ファミリーと帰りには見市(けんいち)温泉へ寄って、一汗流し、夜は海鮮中心の宴でした。
☆☆☆6/22
 みんなで一泊の旅行にでかける朝、函館の先で貨物列車が脱線。本土とは陸路でつながらない状況となりました。がが〜ん。なんで、また脱線?以前、この八雲付近で大規模な脱線事故が発生、JR北海道のメンテナンスの甘さが露呈して、代表が頭を下げていた記憶も新しいです。復旧できなければフェリーで帰るしかありません。念のため、フェリーの予約をネットで入れて、行楽に出発しました。
 単調な風景の浜や森をドライブして、虎杖浜(こじょうはま)の五百マイルという民宿でランチ入浴。みんなで食後は昼寝をしました。大きな部屋を一つ貸してくれましたので、グーグー昼寝するのはとても快適。食事は完全な家庭料理。値段も部屋+入浴+ランチで一人1500程度。16時まで滞在できます。帰りに庭先でイチゴ狩りをさせてもらいました。2パックのイチゴをお土産に虎杖浜を後にしました。途中「わかさいも」という名産を買って、芋じゃなく豆で代用した名産だと知って驚き、北海道の森をどんどん奥へドライブしていきました。行けども行けども同じ風景。これが北海道なんだなと気づきます。
 宿は「登別カルルス」の「オロフレ荘」。元国民宿舎だっという、2007年にリニュアルした温泉宿。津村の入浴剤で有名になった「登別カルルス」ですが、白濁してなく、透明の単純泉です。何度も何度も、入浴して、北海道の湯の力を存分に楽しみました。湯そのものは銀婚湯が一番強烈でした。「オロフレ荘」の湯は実際はやさしい湯でした。夕食にホルモン鍋が出ました。「何のホルモン?牛、豚、鶏?」と尋ねると、仲居さんの答は「ホルモンです」「だから何の?」と再度尋ねても答は同じ。「厨房で聞いてきます」とは絶対言わないのが北海道らしい・・・。これは八雲で仕事をしている友人の説明。「職場で尋ねても要領得ない場合、そのままにしようとするので、では調べて下さい・・・が口癖になってしまいました。」
 結局、何のホルモンが不明のまま食事スタートでした。銀婚湯で鶏の内臓の鍋が出たので、ここでもそうかと思って質問しました。結果、味は牛でした。
☆☆☆☆6/23
 鉄道の復旧を気にしつつ、オロフレ峠を越えて有珠山へ。噴火70年目にあたる本日は有珠山の噴火資料を興味深く見て回りました。道の駅の二階に展示のセンターがあるのです。記念日にかかわらず、地元の興味はジオパークにはないようでした。
 洞爺湖の景色を楽しんで、一般道で八雲への帰路につきました。今夜はヤマシタが腕を振るう当番です。八雲の乳製品の良さ、吉田ファミリーの2歳児のために、グラタンを作ることにしました。ホワイトソースを作るのは10年ぶりです。若い夫婦の子育ての話をしながら、最後の夜も楽しく過ぎました。子どもには父性と母性が必要。「我が子はみんな良い子」という母性と「良い子だけが我が子」という父性の2つのコンピネーションで子どもは価値観を獲得していく・・・・と、先輩風を吹かせているヤマシタがいました。今は気楽な気分でこんなこと言っているなあと感じていました。母性父性なんて言葉も、しらばく使ってなかったです。夜も更けて、若いふたりのこの地での生活の充実を感じて、安心しました。子育て論議は非常に懐かしい気分になりました。
☆☆☆☆☆6/24
 やっと鉄道復帰。ぎりぎりセーフでした。フェリーをキャンセルして、八雲駅から本州を目指しました。
 今回たくさん北海道について知ったことがあります。八雲は噴火湾でホタテ、ホッキ、昆布など養殖業が盛んですが、地元ではそれは食べられません。わざわざ日本海側まで仕入れに行きます。なぜかというと地元の消費の量が少ないので、大消費地の函館や本州に行ってしまうそうのです。なんと目の前でとれとれの魚介がスーパーやJAで並ばない状況です。残念です。
 帰りにフクシマは「青森で降りて寿司を食べたい」と言い出したので、新青森ではなく、青森で下車して、「アウガ」の「三国寿司」へ行って、マグロ(大間産も含む)やウニ、ホタテを食べました。その市場で娘へのお土産(イクラ、ウニ、ホタテ)を買いました。北海道のお土産でなく、青森のお土産となってしまいました。
 もう一つ、北海道の景色で印象的なのは、大きなイタドリや大きなフキの繁茂です。線路にかかろうとするくらい大きな雑草(山菜)が繁茂し、景色を隠す勢いなのです。それが、青森側に着くと一切なくなります。どこまでも人の手が入っているのが本州なのです。それと共に本州になると敷地と敷地に塀が出現します。北海道の民家風景には仕切りの塀がなく、代わりに煙突が必ず設置されていることに気づきます。住まい方、人間のこだわりの違いが景色から読み取れて興味深いです。

 そうこうして、私たちの五日間の旅は終了。これから、農園の様子を見に行き、生きホタテの料理に着手します。夕方、息子の元に届ける予定なので、本日もやることが一杯。
 娘は昨夜、ウニを丼にして食べきりました。「私、昔苦手だったけど、ウニ好きになったから。」だそうです。
吊り橋を渡って源泉へ。銀婚湯はお勧めの宿。宿泊客のみに吊り橋より向こうを解放しているので、是非宿泊がいい。 八雲の噴火湾パノラマパーク。景色が素晴らしいのと、食材がいい。イチゴ、カリフラワー、キャベツが低価格で。これに魚介が加われば最高なのにね。 日本海側の食材で家庭料理。余ったナマコは甘酢に漬けて冷蔵庫へ。2歳児もヒラメをパクパク。ウニは丼にして、瞬間に完食。 虎杖浜、五百マイルの露天風呂。はるか太平洋を見ながら、アルカリ泉へ浸かります。このあと気持ちよい昼寝が待っています。 青森下車して「アウガ」へ。ここの地下街は地元魚介の宝庫。寿司屋で「冷酒」と注文したら、「田酒」が出てきた。「アウガ」に行くのは5回目。 娘へのお土産、今から生きホタテをさばいて、料理します。お刺身以外は何にしようかな?
もう一度ホワイトソース作ろうかな?

 2014年6月17日
 「北に行きます」
 待ちに待った6月20日がやってきます。前々から計画していた「北への旅行」への出発日です。
 今回は、JR東日本の「大人の休日」切符で、北海道の「八雲」へ。事務所の同僚がかの地に引っ越して生活していて、一緒に山菜やきのこを採って森を歩いた仲間ですので、快く宿を提供してくれます。有難いです。
 フクセンの帯状疱疹も痛みが消え、私の咳も回復しました。旅行用の荷物を明日から、まとめて木曜日には発送します。二日かかるそうです。娘にパンを焼いてもらって、手荷物で八雲まで運びます。このために、ひたすら大人しく大人しく、体調を整えて暮らしていました。

 また、珍道中をコラムに報告します。本当は久しぶりに梅干し漬けを報告したかったのですが、時間がないので、この次に・・・・。

 大事な報告を忘れてました。
 先日の第3回グリーフケアも無事終了。スタート前には家族にやってきてもらえるのか心配でしたが、幸い、続けて参加してくださっています。土曜日はお天気も良く、暑くも寒くもないコンディションでした。7月はキャンプが待っています。フクセンもステロイドが1mgになり、順調に療養を続けています。帯状疱疹に懲りて、疲れないよう、気をつけて、グリーフケアの子ども担当をしています。
 私たちのグリーフケアは、名前を「エッグ ツリー ハウス」といいます。そして、第2土曜に小金井公園横の真蔵院(十住堂)で親と子どもの両方のプログラムを用意しています。そのプログラムを「たまごの時間」と呼んで、今までに3回の「たまごの時間」を持ちました。来年の3月までにあと8回の「たまごの時間」を持つ予定です。
 興味のある方は是非、「遊学会」や「エッグ ツリー ハウス」のHPやFBをご覧ください。
   https://www.facebook.com/theeggtreehouse がエッグツリーハウスのフェイスブック
   https://www.facebook.com/yugakukai が遊学会のフェイスブック
   http://yugakukai.ie-t.net/ が遊学会の新しいホームページです(上石神井HPはこちらhttp://yugakukai.com/index.html )
さいころキューブを説明するフクセン。大人も夢中に。 今回も粘土をやりました。指導はオガッチ。 今年もミントを刈って、ほんの一部をお茶に。 久しぶりに梅干しに挑戦。一日半でこんなに梅酢があがりました。 トマトの花。 いんげんの花。

2014年6月7日
 「大雪の置きみやげ」
 梅雨に入りましたね。庭の藍もどんどん成長しています。山荘の藍のことを心配しつつ生活しています。
 さて、2月の大雪のことなど、遠い昔のことになってしまいましたが、思いがけず、思い出す出来事がありました。それは雨樋の不調です。春先にちょっと気になっていたのですが、高所なので、足場をかける必要がありそうだから、この次外壁を塗るときに、一緒に修理するしかないかな・・・と悠長に構えていましたが、本格的な雨になって、これは見過ごせないと感じるようになりました。大雪が積もって、屋根の積雪が融けて落ちる際に、重量がかかり、雨樋をゆがめて破損させていたのです。
 梅雨になって、今回のような大雨が降ると、大きな音を立てて雨の塊が落下します。うるさいのと、直撃される部分が痛むのと、飛び散る飛沫が半端ないのです。
 「これは大変!」と思っていると、ひょんなことから、建物の保険が適用されるんじゃないかと気が付き、代理店に相談しました。幸運なことに保険でなんとかなると知り、安心しました。地震保険なので、火事や地震のことしか、頭にありませんでした。大雪もカバーしてたんですね。

 みなさんのお家の雨樋は大丈夫ですか? 
 たしか、あの大雪で農業用ハウスが潰れたり、ガレージの屋根がひしゃげて車が被害にあったなんて、話題になっていましたね。
  ←雨粒が塊になって落ちてるのがわかりますか?「雨だれ、ベランダの鉄枠をうがつ」状態です。

2014年5月31日
 「この咳なんの咳?」
 そうなんです。月曜日あたりから、咳がでるようになって、夜中もよく起きていました。ちょうど咳がでるようになった前日に部屋の大掃除でフトンを干したり、小物を片づけたり、冬仕様から夏仕様に換える作業をしたばかりだったので、ほこりを吸ったのかな?と思っていました。火曜日も思い出したようにコンコン出ていました。熱もないし、喉もいたくないし・・・。一応水曜にお医者さんにいくと、「フトン干しても咳が出るので、なんの咳かは様子をみましょう」と、咳止めを出されました。こんな中途半端な感じは始めてで、葛根湯も飲みながら、静観していました。そして木曜日になって、やっと身体がしんどくなって、喉もいたくなって風邪の症状が勝ってきました。その時点では遅いのですが、マスクをして生活するようになりました。考えてみれば、糸魚川のM村さんも同じような咳をしていました。
 フクシマ曰く、「4月から5月は超多忙な生活だった。3回も山荘に行ったでしょう。自分は帯状疱疹でそれがハッキリわかる。あなたも3時間かけて天ぷら揚げてる場合じゃないよ。若いときに軽くできたことでも、大きな負担になることもあるから、ほどほどにしないと、大切なことに穴あけるよ。」

 まさしく、おっしゃるとおり・・・・。
 本日は春まき野菜の最終の農園講習。今年の夏野菜の準備はすべて終わり、これからは各自が野菜管理をして、収穫していきます。秋まきの打ち上げは『収穫祭』という焼き肉パーティーがあるのですが、今年から春まきの打ち上げも有志が企画を立ててくれて、持ち寄りでパーティーがあるそうなのです。「楽しそう、出席しようかな・・・」とちょっと心動きましたが、「お、おっと・・・・、やめとこ・・・」。出席するとなると、日曜は早朝から料理を作るはず、パーティーではみんなと夕方まで楽しく時を過ごして帰宅し、翌朝は、早朝から仕事前に農園でトマトきゅうりに誘引してから隣駅に向かうはず。まだまだ咳が残る身体でそれは大きな負担になることは明らか・・・。
 涙を飲んでそれをフクシマに言うと「それは当たり前だね」という返事でした。
絶品のキャベツ。青虫にやられて穴あき部分もありますが、捕殺すべく、見張っています。 インゲンは支柱の上部につるが到達。去年はカナブンにずいぶん食べられましたが、今年は守るつもり。 娘が友人の結婚式で受付のお世話をして、いただいて帰ってきました。花嫁さんの色ですね。

2014年5月25日
 「手間を楽しむ」
 コンビニ文化はもう、すでに地方でも定着し、なくてはならない生活の一部になっています。しかし最近、便利に暮らす生活とは逆な生活があることに気が付きました。それは「手間を楽しむ」生活です。

 どうも、私たち夫婦の暮らし方はそっちの方にどんどん、傾いている感じがしています。
 体験農園も3年目を迎え、タネを蒔く→定植する→水をやる→収穫する・・・・という時間が生活の中にやってきて、3年目です。一つの作業の前には一連の作業が必要、植物が育つ条件は人が考えた通りにはならないことが多く、天候などに決定される。前もって考えていても、結局通用しない段取りもある。ある程度効率は求めるが、「私たち好みの野菜」を作る前には合理性だけを追求するわけではない・・・・。こういう世界です。
 家族用の野菜なので、こうやって手間をかけることが可能ですが、だから「手間を楽しんでいる」わけです。
 トマトの摘心をし、支柱にヒモで結びつける・・・・。葉物の青虫を手で捕殺する。ズッキーニのおしべをめしべにくっつける。トウモロコシの根本に土寄せをして大風に備える。
 家では藍の定植の真っ最中です。虫が出始めているので、「早く育って虫に負けないで・・・・」と心で念じて、花壇に植え付けます。

 そんな時間・・・が農園や我が家の庭で展開されています。そして、ふと、自分が和やかな気持ちになっていることに気が付きます。

 先週半ばは糸魚川に行って来ました。山菜採りです。あいにくの雨模様で結局、ほとんどM村さんが収穫して置いて下さったものがお土産になりました。これも「手間を楽しむ」世界です。コシアブラ、コゴミ、タラの芽、ヨブスマ草、あけびの芽、山ウド・・・・。森の中の山菜は清廉でしばし、見とれてしまいます。コゴミは成長して群生して初めて存在が目立ちます。河原のコゴミの繁茂した絨毯をみると圧倒されます。木曜日は新潟の自然に魅せられ、圧倒されて帰ってきました。

 そして金曜日は全部の山菜を天ぷらなどに料理して、若い人に供しました。小麦粉1.5キロ、卵9ヶ、揚げ油2本を使用。これも「手間を楽しむ」所業でしょう。
 春の山菜と、秋のキノコ、ヤマシタが元気なうちは、最低2回は若い人に「手間を楽しむ料理」を伝えていくつもりです。 
手前がトウモロコシ。後方はキュウリ、トマト。その後ろがナス。 一段目のトマトがもうこんなに・・・。脇芽摘みが楽しいです。 みなさんにお土産にした山菜。手前から山ウド、タラの芽、コゴミ。これだけで半分。全部揚げるのに3時間かかりました。

2014年5月20日
 「石窯完成」
 この土日は山荘の石窯の火入れ式でした。管理人のNさんも参加して下さって、総勢11名が4枚のピザと10玉の焼きそばを食べました。
 石窯のメイキング画像などは遊学会facebookで紹介しています。最近はすっかりfacebookで投稿を見てくださる方が増えて、数の増加に驚いています。いっそのことコラムもfacebookにしようかと思いましたが、やはりこれの方が書きやすいので、やめました。でも、是非遊学会facebookもご覧下さい。
 さて、私の紹介するのは、山菜とピザ各種。これから何度も焼くことだと思いますので、記録のために詳しい具材の紹介をしましょう。
山荘まわりは山菜の宝庫。こんなにコシアブラがあったとは20年間しりませんでした。でも翌日には外来者に根こそぎに・・・。 さっそく、夕食の一品に。大量のコシアブラの天ぷらも、後で到着したメンバーに完食されました。 トマト、こごみ、しめじ、ベーコン、生オニオン 照り焼きチキン、新じゃが、青じそ モッツアレラチーズ、生バジル、トマト こがしオニオン、アンチョビ、オリーブ、タイム

2014年5月11日
 「ハードな土日」
 十住堂でのグリーフケア、多摩川の化石発掘とハードな土日が続きました。帯状疱疹のフクシマに負担をかけないよう、お弁当は連日ヤマシタの担当。夕食は娘の担当。フクシマは活動のみに専念することにしていました。
 それでも、日曜朝には左目に赤い出血を起こし、本日の参加者には驚きを与えてしまいました。どうも、病気をしてから、目の血管が切れやすくなっているようです。
 久しぶりの連日イベント。本日は「化石発掘体験」。いつものフィールドが護岸工事で使えないので、昭島から40分歩いて、八高線の河原に行きました。出る化石も少し違います。講師の福嶋さんらの準備でラベルも万全。次々と掘り出す化石にラベルを付けて、保存していきます。最初はラベルを取りに来る子どももまばらですが、どんどん増えていき、最後には「植物化石」の発見に沸く時間もありました。

 小1の参加者も掘り出していました。今日の子どもはあきらめませんでした。「また、10月に逢いましょう」とおわかれしました。それまでに40分も歩かなくてすむフィールドを探さなくてはなりません。あ〜、護岸工事は半年では終わらないでしょうね。
親と子どもに分かれてからのプログラムの一つは「陶芸」。中ボールを成形しました。オガッチが教室で焼いてくれる予定。 化石は貝化石中心。この天気、最高の化石日よりでした。そして、十分な木陰もあったので、紫外線の苦手なフクシマも楽でした。 福嶋、田浦講師がこの地層で発掘される化石の予想を立て、きちんとラベルを準備して下さっていました。これで、保存が万全となります。

2014年5月7日
 「連休後半は家で・・・」
 いつものように、渋滞情報をききながら、家で過ごしていました。3日は農園と衣替え、4日は骨董市。5日は一日中、帳簿や書類仕事。最終日はミシン仕事と農園。日頃、気になっていることを片づけたので、スッキリしました。
 連休中は、フクシマが帯状疱疹で辛がっているので、娘と二人で家事を分担していました。帯状疱疹は昔、罹った水疱瘡のウィルスが潜んでいて、身体が弱った時に、神経づたいに広がっていく病気のようですね。赤く、ブツブツ水疱ができて、病気がスタートしたと分かります。
 先週、山荘から日赤の先生に電話で相談し、近くの皮膚科へ行くよう言われました。皮膚科の先生は「教科書に載っているみたいな典型的な帯状疱疹、安静にして下さい」とのこと。発病が4/26、皮膚科に行ったのが4/30。山荘に行っていたので医者に行くのが遅れました。その分、彼は辛かったと思います。あまり、弱音を吐かないフクシマが「これ、痛いよ〜」というのは、よほどのことだったのでしょう。
 
 そして、彼は5/6より、家事に復帰。これから、化石体験やグリーフケア、キャンプの準備と予定がたくさん。あまり、疲れすぎないよう、病気療養中ということを忘れないよう過ごしていきたいと思います。 
娘の夕食。農園のラディシュがパリパリでうまい。手前はスペアリブのオーブン焼き。 骨董市で買った超大皿。直径50センチ。右側がプッチンプリン。風呂場で洗いました。 夏野菜、植え付け完了。これはナス。家の藍やバジルも発芽して、本葉4枚くらいになりました。

2014年4月29日
 「山荘まわりはフキノトウ」
 石窯、整備ツアーへ行って来ました。
 総勢13名、10代20代が6名、30代40代が3名、それ以上が4名。若い力に支えられて、石窯作成、キャンプの設備や備品の整備などが3日間かけて行われました。ヤマシタはずっとリビングの端で料理を作っていました。朝昼夜の食事はほぼ完食。久々に料理のレジャーを楽しみました。

 そして今朝、最終日に収穫したフキノトウを加工しました。ヤマシタ風フキ味噌のレシピをご紹介しましょう。
 遊学会のフェイスブックにも紹介しようと・・・。
採集する時から料理を意識するので、土やゴミを除いて台所に到着。 軽くゆで、水に放つ。ここでしばらく水につけて、アクをぬく。 包丁で細かく切る。色の悪いところは切り取る。早春の黄緑色。 本当は白みそで彩り良く仕上げたいが、田舎味噌しかなく、出汁と砂糖などで味を調える。先にこの液を作るのがいい。 刻んだフキノトウをギュッと絞って、味噌の液に投入。中火で混ぜる。刻む→投入→混ぜるを繰り返す。 水分を飛ばし、容器に入れる。手前が家の分。後は差し上げるカップ。

2014年4月21日
 「遠出」
 私にしてはすごく遠出をしてきました。
 行先は横浜。今まで日帰りの温泉に前橋、那須に高速を飛ばしていたくせに、電車移動となると、とてつもなく遠出という感じがするのは不思議です。

 まず、西武新宿線で終点「西武新宿」まで行き、そこから歩きました。伊勢丹をめざし、副都心線の「新宿三丁目」。すると元町中華街行というのがあるんですね。時間がたっぷりあったので、各駅停車に乗って、本を読みながら行きました。横浜の手前に「反町(たんまち)」という駅があり、大学時代、教育実習をした「捜真女学園」がある駅です。『あれれ、地下になっている・…』『たしか前は地上だったのに・・・・・』と思いつつ、後にして、今度は「みなとみらい線」になり、「馬車道」に着きました。
 その駅がおしゃれなこと。歴史博物館あり、芸大あり・・・。うちの上石神井の駅前の喧騒とはえらい違い!バスと乗用車が踏切前でめちゃめちゃに交差する喧騒です。その交差が馬車道付近はありません。
 いったのは中高の親しい友人のギャラリー。当日はキャラ弁のフォト日記と題して、弁当の画像の展示でした。持参したランチで友人たちと語らい、旦那さんのFBのお友達になって帰ってきました。

 帰宅して測ったら、歩いた歩数9500歩。都心に行くと、よく歩きます。
馬車道に無事ついて記念撮影。 キャラ弁フォトの展示。さざえさんが秀逸。バイキンマンのクッキーをいただきました。 農園。育っています。これはラデッシュ。

2014年4月13日
 「よちよち歩きのグリーフケア」
 まだまだ、花粉が解放してくれません。目のかゆみが緩和されたと思ったら、鼻むずむずで夜も何回も起きていました。そして右目が痒かったのが左目に・・・。まだまだ、風を受けて外を歩くのは遠いようです。
 さて、第一回の真蔵院「十住堂」での「グリーフケア」は無事終わりました。「ここでの話は外では話さない」ルールがありますので、アウトラインのみの報告になりますが、まだまだ知られてない「グリーフケア」を皆さんに広く紹介したいので、コラムで書いてます。

 突然の大きな喪失を経験した子どもやその周りの家族を社会的に何かできないか・・・という思いを抱いた人たちが始めた集まりです。モデルはアメリカのダギーセンターなど。西尾氏らのディレクターと呼ばれる先達は渡米し、ダギーセンターなどで研修を受けて来て、いろいろなやり方を私たちに伝えてくれます。子どもや大人の担当に分かれて、サポートする人をファシリテーターと言います。初回はたくさんファシリテーターが揃いました。なるべく多くの人が現場の空気を感じられるようにというディレクターたちの配慮だと思います。

 フクシマは自前の教材から十住堂にあったものを室外10,室内10リストアップして当日に臨みました。子ども担当として、自分ならこんな面白いことを一緒にできるよという名刺代わりです。元ガロアのスタッフOガッチは創作担当でたくさんの工作材料を持参して、フクシマと同じく、自分ならこんな楽しいことを一緒にできるよと誘っていました。子どもは誰と何をするかを自分で決めて、時間を過ごします。まったくゼロで何して遊ぶというより、ある程度お誘いの要素もあった方が決めやすいかも知れません。2時間後、分かれていた子どもと大人が合流してプログラムは終了しました。
 フクシマは朝から夕方までの活動で、ヘロヘロになって帰宅しました。

 そして、本日はゆっくり。
 私は娘とたくさん焼き菓子を焼きました。娘はその後パンも焼いてます。私は田舎の友人と前々からの約束で焼き菓子を送るつもりです。娘はタルマーリーのパンを送ってくれたおばちゃんへ(私の妹)パンと焼き菓子を送るつもりです。画像から焼きたての香りがぷ〜んと伝わりませんか?
ももちゃんのぬいぐるみでお出迎え。。埃をかぶらないよう、ビニールに入れて保存されていた。 色とりどりの原毛。ちくちく針でつついて摩擦を起こして、縮毛させる。 これから、ダンゴムシのレースが始まります。まーくんVSチピリッシュ。 ダンゴムシは鉄板教材。子どもも大人も夢中になる。 本日の焼き菓子。カヌレ。昨晩より粉を寝かし、一気に焼き上げました。 できを点検中のヤマシタ。形の悪いものは家族用となる。

2014年4月6日
 「ビーチコマー歴10年」
 フクシマが病気になって以来、初めて彼とビーチコーミングへ行きました。3年ぶりです。
 当初は4月3日の木曜日の予定でした。お天気は心配ながら、前々日くらいから、ワクワク状態だったフクシマをおそったのは、4月2日のチリ北部M8.2の大地震。このまま行くと、翌日の早朝、日本の太平洋岸に到達予想。ヤキモキして気象庁の発表を待っていましたが、結局津波注意報が発令されたのは、翌朝。その時には、すでに予定を4月6日と変更していました。

 そして、本日、友人とそのお嬢さん、計4名で白浜フラワーの下海岸で貝殻を拾う私たちの姿がありました。

 6時過ぎに高井戸、ビーチコーミングのスタートが8時過ぎ、浜を去ったのが11時前、それからはオドヤで買い物をして、三芳の道の駅でランチと買い物をして、帰路に着きました。富浦の高速に乗ったのはちょうど13:00.友人宅に送り届けたのが15:00。渋滞なしの館山ビーチイベントの最短記録でした。

 帰路に着いた頃の館山の天気は晴れ、気温は17度ほどありましたが、東京に帰るに連れて、暗雲がたれ込め、帰宅時の練馬の気温は9度でした。南房総は暖かいですね。4月の陽気から、急に一ヶ月前の空気に帰ってきました。

 ウキダカラを5つもゲットした私はホクホクで、久々のビーチの余韻を楽しんでいました。フクシマも体力の衰えを感じることなく、歩き続けられた事へ満足。大量の空豆をゆでて、オドヤの食材満載の夕食を準備していました。お〜、刺身、煮付け、空豆の画像・・・・!完食して画像なし。
 ただ、、三芳の完熟イチゴ、「練馬のJAの方が味よし、」とはフクシマの感想!残念!700円もしたのに・・・。
 
  海岸に打ち上げられた大きな魚。口がどう見ても、鳥のクチバシに見えてしまう。 ウッキー(ウキダカラのこと)をたくさん収納していきました。この縞々がウッキー。 ハリセンボン。目がどこにあったのでしょう?

2014年4月3日
 「歯の話」
 実は私は歯の優良児なんです。小学校3年で「C1が一本あるから、歯医者へ行け」と担任の先生に言われ、学校の用紙を持って、恐る恐る行ってみると、歯医者は「う〜ん、これ!虫歯じゃないみたいね。削らないでおくね、・・・」シュッシュ〜と、歯に何かやって、治療を終わった記憶があります。
 それから、25歳まで、歯の痛みを知らずに過ごしていました。しかし、大学卒業後の塾開設などのストレスからか・・・、私も人並みに歯の痛みを感じるようになり、初めて歯医者を探しました。選んだ歯医者は塾生のお母さんクチコミによる先生。それは後に塾生になる、I田くんのお母さんでした。怖くて怖くて、身体がガチガチになり、先生が近づくと私が逃げる・・・・、先生が「大人なのに怖いんですか?」 私「慣れないもんでね、すみません」。そうして、数週間通いました。
 治療も後半になって、段々会話を楽しむ余裕も出てきて、先生が「田無の塾で一番良心的なのは丹誠塾だとY葉(学習塾の名前)の先生がいってました。息子はY葉に通ってますが、先生が親切にするとかえって嫌だと言って、困っています」と告白されました。よもやま話から塾の話に広がり、営業するつもりのない私は適当に頷いていればよかったのですが、思わず「私がその丹誠塾の先生です」とカミングアウトしてしまったのです。それからは治療とは名ばかりの教育相談タイムが展開されましたが、私もあの、機械から発せられる「キュィ〜ン」から卒業した喜びで、会話を楽しんでいるところもありました。
 そして、時間は経って、42歳。今度は親知らずが痛みました。我慢に我慢を重ねて、訪ねた歯医者も同じI田歯科でした。すでにお母さんは退かれて、卒業生のお兄さんがやっていらっしゃいました。親知らずをあっという間に抜いてもらって、あとは前の虫歯部分をメンテナンスしてもらいバイバイしました。
 さて、この度、17年近く耐久したグッズがとれました。エッグツリーハウスのファシリテーター養成講座の前日でした。金曜日で、どうしようもなく、歯磨きだけで過ごしましたが、このままではすまない感があり、方々の歯医者事情を調べたものの、ピンとくる歯医者はなく、決め手に欠き困っていました。
 そして、月曜日。職場近くの、やはり卒業生の歯医者に駆け込む、ヤマシタの姿がありました。フクセンから「設備は新しくないけど、手先が器用で丁寧な先生だよ、」と言われたのが、ポイントでした。

 セーフ、早く行って良かった。もし、このタイミングで行かなかったら、痛みを感じるまで、数年スルーしていたと思います。歯医者を選ぶより、早く行くことを選んだ、成り行きでした。

 どうでもいい、ヤマシタの歯事情でした。
洗面所の歯科衛生グッズにも初めて気が付きました。歯間ブラシ、新鮮です。これはフクセンや娘の前からの愛用品。

2014年3月31日
 「桜は朝がいい」
 週末は久々に大きなイベントをやりました。
 「エッグ ツリー ハウス」ファシリテーター養成講座です。アメリカのダギーセンターで研修を受けた方々が先導する講座なので、ファシリテーターなど、耳慣れない英語が多いです。ファシリテーターとは、「お世話する人」「場を段取りつける人」くらいの意味と、私は受け取っています。
 この講座の受講者は締め切り前に満員になり、2人の方には秋に回っていただきました。スタッフ5名、ディレクター4名。30名弱の人がお花見でにぎわう小金井公園の隣の「十住堂」で静かな、熱い時間を持ちました。
  初日は座学中心。ここで、みっちり、ダギーセンターのこと、グリーフのことを学びました。そして、二日目の昨日は言葉以外の方法で相手と交流すること、自分の身体を感じ、相手に開かれた力の抜けた身体になる導入を習いました。久しぶりに野口体操に触れたので肩こりがほぐれ、気持ちも温かくなりました。
 講座の前後、スタッフとして楽屋裏で走り回っていた私も、ファシリテーターとしての修了証をいただきました。生徒になるのは楽しかったです。

 終了後約二時間ほご、懇親会で語らいました。会食をして、二日間の楽しい時間を惜しみました。スタッフで持ち寄った料理は好評で、ほぼ完食でした。
 
 そして、今日、関公園を経由して隣駅から出勤する私を待っていてくれたのは、ほどよい開花状態の「朝の桜」。

 桜は朝がいいですね。
恐るべし、野口体操。新井さんは最高のファシリテーター。。画像はポリおお膜の中の参加者。自らの体温で膜を膨張させる瞬間。 いろんな形で非言語のコミュニケーションを楽しみました。お陰で身体がほぐれ過ぎたのか、風邪症状。葛根湯を飲んで出勤。 今朝の関公園の桜。

2014年3月25日
 「石窯づくり」
 連休を利用して、苗場の山荘地下の「石窯づくり」に協力してきました。
 といっても、私が担当したのは力仕事ではなく、食事担当でしたが、若い人や男性陣は、雪をかいて材料を運搬し、モルタルを練って、木枠に流し込む作業を寒い中行っていました。
 なんといっても、初日の関越の事故。塩沢湯沢間が通行止めになったので、湯沢インターの手前4キロでストップ。延々2時間30分かけて、インターを降りました。山荘についたのは夜の8時。料理を待ちわびたメンバーに管理棟まで迎えに来てもらいました。私たちのラウムは四駆じゃないので、吹雪の山荘道路は自信がなかったのです。

 以下、作業の進行などをご紹介しましょう。
昨夜の吹雪がうそのよう〜。 雪の階段をつける作業からスタート。 モルタルや砂利の運搬がが重い。 水を入れながら、混ぜているところ。 二人で息を合わせ、砂利も混ぜる。 水平に基礎に流し込んで、ならして終了。

2014年3月16日
 「私も焼いてます」
 娘が「お母さんはこれ焼けば・・・・」と一冊の本を渡してくれました。
 「ケーク・サレ」。初めての名前です。本によると、「ケーク・サレ」はフランス生まれで「サレ」は塩を意味し、野菜やハム、チーズなどの具を混ぜ込んだ甘くないお総菜ケーキですとのこと。
 「うん、粉も食材も道具もたっぷりある、一つ挑戦してみよう・・・・・」と思いました。
 そして、本日焼いてみました。具はオータマのベーコンにほうれん草とシメジと決めました。生クリームがないので牛乳を多めにして、レシピ通りに作りました。娘と試食してみましたが、あまりピンときません。彼女は焼く前から、「塩味がポイントだよ。お母さん、塩きかしなよ。アンチョビ入れたらどうかな・・・」と言っていました。でも、あまり娘のアドバイスを聞かず、レシピ通り、いや習慣で塩分控えめの手加減をして作ったせいか、「塩」が足りないのでしょう。できあがりはソフトな気の利かないキッシュという感じ。
 オーブンを余熱して、さくさくと粉や具を混ぜて、40〜50分焼くだけです。漬け込みも、寝かせももちろん発酵も必要ありません。
 これからはちょっと、「ケーク・サレ」に凝ってみようかと思っています。そして、最後にはおつまみバージョンが出来上がることと思います。
これが、「ケーク・サレ」。白い部分は試しに入れた、クリームチーズ。 農園スタートしました。左は種芋を植え付けるところ。「ナリジク」という部分を下にして縦にカットしました。切り口は下に。 冷蔵庫はパン制作食材で一杯。タッパーは妹から送ってきた「イカナゴのくぎ煮」。瀬戸内の春の味です。

2014年3月9日
 「土日の仕事」
 花粉症の季節になりました。今年は比較的楽かなと思っていましたが、先週あたりから、本格的となり、ここまで来るとやはり辛いです。目のかゆみがなかなか改善方法が見つけられません。
 さて、この土日は日頃の懸案事項を果たせて、満足しております。やったことは、大工仕事と花壇作り。
 
 まず、土曜日にホームセンターに行って、木材やねじ釘、用土などを買いました。もちろん、フクシマの協力で。

 最近、娘が焼き菓子やパンなどを焼くので、台所に食材や道具が溢れかえっています。我が家の台所は狭いですが、大変使いやすいです。コンパクトに必要なものを配置する気持良さが味わえます。しかし、いままでなかった食材と道具はその調和を乱していました。やったことは、冷蔵庫横のスペースに一つ棚を増設して、空間を有効利用しました。次に、フープロを置いていた台が安物でグラグラするので、私の拙い木工仕事で置き台を制作しました。前者の棚の増設は見事に完成、後者の置き台はやはり素人仕事で、直角に仕上がりませんでした。でも、グラグラよりはましです。

 そして、今日日曜日は娘と一緒に土いじりをしました。私は友人と一緒にネットで「日本あかね」の苗を購入しましたので、その定植場所を作ったのです。昨年、藍染め用の「たで藍」を栽培したスペースを広げて、「日本あかね」の場所を作りました。半日、日が当たる場所です。雑草や小石を除いて、整地しました。
 娘はその横に新しい花壇を制作。駐車場の黒いジャリをはがし、下から以前の庭の土が現れたら、その土を少しシャッフルして、買ってきた花壇用の用土を入れました。ここには、日なたを好む植物を育てようと考えています。早く、種まきをしたいという娘に「発芽温度になったらね」と説明し、はやる気持ちを抑えました。
 こんな感じで土日の仕事は終了しました。
 
娘の焼いた「もちもち食パン」。なかなかの出来。 中段の棚を増設。上は私が以前作った食器棚。ガラスは書庫のもの。 逆光で見づらいですが、右側の置き台を作成。 ここが「日本あかね」を植えた場所。2年かかって染色用の根を育てる。 左がロウバイ。手前があかね。あとは藍の予定。 手前が娘が制作した新しい花壇。向こうはロウバイ、藍などのスペース。

2014年3月3日
 「おひなさま」
 今朝、早くやっと、おひなさまを出しました。昨夜より箱はだしておいたのですが、起きて、朝一に飾りました。
 木目込みの上品な二人です。そして、きっと、早く仕舞えと娘の攻勢が今日から始まります。(早く嫁に行きたいのでしょうか)

 娘は最近、父親と各所を回って、見聞を広めています。もうパン屋にはこだわってないようですが、やはり足が向くのはパンや焼き菓子。そのうちの一つにつくば牛久の「ダピットパン」があります。先週で二回も行っています。一度目は売り切れて残念な思いをしたので、二度目は開店前に挑戦。
 ダビットはフランス人のパン屋さん。私たちはもう5年くらい通っています。小さなカヌレや、チーズやドライトマトを使ったパンなどがとてもおいしいです。行くと片言の日本語のダビットと少し話をします。
 娘は父親の後ろから、様子をうかがっているようです。

    父「カヌレの型は銅ですか?」
    ダビット「???」
    父の後ろから
    娘「シリコン?」
    ダビット「そうそう、シリコン}

  こんな風だそうです。

 娘がうちにいるので、お雛様を飾ることも忘れていました。娘が遠くにいるときはきちんとやっていたのですが・・・。

2014年2月19日
 「大浮世絵展」
 ひさびさにアートに浸ってきました。
 両国の江戸東京博物館。水曜はシルバーディーで65歳以上無料。開館したばかりの受付は長蛇の列。列はどんどん長くなって行きました。中に入っても、人の波・・・。
 フクシマはさっさっと「じゃ、ミュージアムショップで待ち合わせね。」と人混みに消えました。
 私と娘はだいたい一緒に廻りました。娘は北斎にやられていました。それも、赤富士。何度も同じ場所に戻って、気に入ったものを確かめるのは親子で似ています。私は今回は青い色調の歌川○○の絵に引かれました。何度も確認したのですが、最後には名前を失念していました。ただ、会場で青い色調といえば、たぶん一つでした。あとで図録と思いましたが、最近、経費節減でフクシマは購入を見合わせていました。
 まあ、いいか、人混みの中、納得するまで、ながめたから・・・・。浮世絵は20〜30くらいの中で1つか2つ、ブルッと震える作品があります。特に独特の緑に今まで惹かれていました。

 父は娘に小布施の北斎館のことを話し、きっと連れて行くと約束していました。
  お昼は喧噪の両国を離れて、隣駅の浅草橋で蕎麦を食べました。「更里」というのだから、更科系でしょうか。ちょっと時間がかかるのが残念でしたが、丁寧な蕎麦で接客も親切でした。お店の人に地図を書いてもらって、めぐりん号という地元バスで「合羽橋」 の食器街まで娘と行きました。
 「合羽橋」はずいぶん昔、塾の若者と出かけた場所です。当時と同じ雰囲気が街を満たしていることが嬉しかったです。

 ここで娘のこと。
 娘は早朝6時から夜7時半のパン屋の修行を半年続けて、ここでちょっと考える時を持つことにしたようです。半年間、、無遅刻無欠勤。休みは週に1日か2日。よく頑張ったと思います。丸めを一から習って、たくさんの製造の過程を教えてもらったようです。
 どうなりますことやら。再度、パン屋に挑戦するのか。他の何かを見つけるのか。

 「合羽橋」では、彼女は一軒一軒「パン製造」というお店を見て回って、「カヌレの型」ありますかと尋ねていました。銅製のそれは小さくても単価1000円前後するので、たくさんは買えません。一度に10個くらいは焼きたいので、一万円以上必要です。う〜んと悩む娘を尻目に私は好きな器を物色していました。

 父は「雪が融けたら、山梨のパン屋さんに連れて行こうか」と言っています。

2014年2月9日
 「大雪の東京」
 よく降りました。27pだそうです。きっと、後年「あの、大雪の日ね〜」と思い出すことになりそうです。

 昨日は前々から、お茶の水方面に出かける予定があったので、大雪の予報が気にかかっていました。気象庁の予報通り、朝から降り続き、11時前に駅に向かう頃には画像の通り、白い世界でした。西武線や都営地下鉄が動いていたので、いつもより時間はかかったものの、フォーラム会場まではたどり着くことができました。
 フォーラムのテーマは『死別を体験した子どもと家族をサポートするフォーラムIN東京」。家族療法の学者、当事者、東京都内のサポート団体の代表が出席する企画でした。エッグ・ツリー・ハウスという名前でこの春よりグリーフケアをスタートする遊学会のお披露目も兼ねて、フォーラムに参加することにしていました。遊学会からはもちろん、西尾氏が報告をしました。
 子どもとの活動はもう35年以上になりますが、グリーフケアは初体験です。先達の方々の体験談を傾聴させていただくつもりで参加しました。家族療法のメソッド、当事者の心、サポート団体の状況など、様々な刺激をいただいて、会は終了しました。
 (嬉しいこと一つ。西尾氏から紹介された女性がこのコラムを時々見てくださっているそうで、そのことを伝えてくださいました。ありがとうございました。)

 
 それからの帰還が大雪との格闘でした。東西線、千代田線は運転見合わせ。幸い、丸の内線は動いていたので、荻窪まで帰ってきました。北口でバス停に並ぶと、なかなか前のバスが出発しないのです、後発のバスに乗るつもりの私たちはヤキモキします。前のバスの運転手さんが後部のドアに何度もやってきて、ドアのまわりの雪を落とします。運転席に着席して発車しようとしますが、アクセルが踏めずにまた、後部ドアにやってきます。どうも、後部ドアから、お客さんを下ろしてしまい、その間にドアの溝に雪が張り付いてしまったようです。バス・システムのセンサーが雪を異物と感知し、アクセルを踏めないよう作動しているようなのです。最後には、他のバスの運転手さんも助っ人にやってきて、溝の雪を払い「もう、後部開けるなよ!」と叱られていました。
 やっと、後発のバスが出発したあとは、雪でざくざくの青梅街道をのっそり走ります。バス停からカーブを切って轍に復帰する時、バスがふわりと滑ります。バスでも滑るんだ〜と感じながら、乗っていました。
 途中、サンダルに両手スーパーの荷物の女性が降りました。後部からは降りられないので運転席横の入口から降ります。その女性の降りた瞬間、周りのお客さんが「あっ」と動揺しました。窓からみると、サンダルの女性が転んでいました。雪道は滑りにくい靴に両手をあけて・・・・というのは鉄則だったのですね。
 武蔵駅からはフクシマの先導で高低差のない道を選んで帰りました。ムダに坂を上り下りしないように。
 そして、我が家に着くと待っていたのは階段の雪かきでした。階段下に雪スコップを準備してでかけていました。一度踏み固めると作業がやりづらいので、ふわふわ状態で雪をかいて行きました。

 やっと家に入れましたが、今度は駐車場の雪かきです。私が夕食の豆乳鍋を用意している間にフクシマが車を動かそうとしていました。娘を迎えに行くためです。
 しかし、舗装してないジャリをしいただけの駐車場は雪を巻き上げるだけで、ハンドルを切ると動かなくなりました。スダッドレスタイヤもここでは威力を発揮しません。少し動かすと事態を理解したのか、早々と娘に電話して「自力で帰ってこい」と告げていました。

 娘は自転車で25分の店から、電車バスを乗り継いで一時間30分かけて帰ってきました。たまたま玄関から外をのぞいた父が帰還の娘の姿を見て、大笑い。娘も雪道を必死に歩いて帰ってきていました。

 大雪の東京の記録でした。

2014年1月31日
  「寝返りの効用」
 一昨日の水曜日深夜から胃のあたりが重たくて、何度か起きてしまい、寝苦しい夜を過ごしました。木曜の朝になってからは腰が抜ける感じが加わって熱も若干上がってきました。食欲はゼロ。「あっちゃー、これはノロか、インフル!」と思い、とにかく寝ることにしました。木曜日は事務所から休みをもらっている曜日なのです。
 自分の部屋に引きこもり、トイレのタオルも別にして、家族との接触をさけ、ひたすら眠って体力の回復を待ちました。お昼前、台所に行って、土鍋に米をとぎ、多量の水をいれたものを、ストーブにのせて「おかゆ」をつくり、梅干しと食べました。そして再び、ひたすら眠りました。これが、不思議に何時間も眠れます。
 そして午後2時30分を過ぎて、歩いて近所の内科に行きました。「先生、インフルエンザの検査して下さい」という私に医者はいろいろ症状を尋ねた後、「インフルエンザの所見はありません。今、嘔吐下痢症が流行っていますが、嘔吐も下痢もしてないしね。37、1では高熱ではないし・・・・・。風邪が胃腸にきたものと思われますが、一応、風邪薬と胃腸薬を出して、様子を見ましょう。」という診断でした。
 自宅に帰ってからも、隔離政策は続行して、自分で「おかゆ」を作って、薬を飲み、ひたすら次の日の朝まで、眠り続けました。合計すると断続的に30時間以上寝ています。よくもこれだけ寝続けられると驚きました。

 そして、金曜日の朝、熱もとれ、腰の抜ける感じもさり、胃も軽くなっていました。「やった〜治った〜。インフルエンザじゃなくてよかった」と喜んでいると、あれれ、身体が曲がってしまうのです。歩行がぎこちないのです。ちょうど9月の腰痛の初めのような歩き方になっていました。あのときの激しい痛みのないバージョンです。でもたしかに腰が変なのです。「せっかく、身体は良くなったのに、腰痛が再発なんて〜」とがっかりしていると、フクシマが職場まで車で送ってくれました。

 その後、その腰痛のわけが判明。職場の若者たち曰く、「長時間、寝返りが充分できない状態で腰に大変な負担をかけた。人間は無意識に寝ながら、寝返りをうち、体位交換を自然としている、体調不良でひたすら寝たとき、うまく体位交換ができず、腰にきたのでは・・・」という指摘。

 なるほど、日常の障害者とのつき合いの中で、彼らは「体位交換」を「体交」と呼び慣わしている、サポートのプロだったのです。夜の勤務では2時間ごとに「体交」をするそうです。そうしないと一部に圧力がかかって、床ずれなどを起こすそうなのです。
 
 結論としては、自然に意識してない作業は、それを損なって気がつくということでした。「寝返りの効用」でした。

2014年1月19日
  「三回忌」
 今日は寒い中、亡き姑の三回忌の法要を行いました。寒いときに逝ってしまったのだなと、しみじみ想います。
 場所は真蔵院。この春からグリーフケアの会場として協力していただく小金井公園横の真言宗のお寺です。
 ご住職のお話で、
 「お母様は三回忌。この三回忌とは阿弥陀様にお会いになる時と定められています。阿弥陀様とは・・・・・。」

 こちらの世界とあちらの世界を話されて、なんだか日常のことを別角度で考える時間となりました。列席した姉夫婦たちは私たちより、ずっと年配。どんな思いでお話を聞いているのかしら・・・、あちらの世界に行くことへの恐れや戸惑いが少し小さくなっているは私だけなのかな・・・、と感じていました。

 南に新築した「十住堂」で会食をして、「次は四年後ね、それまで元気で。」と言って姉夫婦たちと別れました。「十住堂」は床暖房で暖かく、調理場もあります。グリーフケアはこの「十住堂」を使わせてもらえるそうです。本日は定例の写経の日だったようで、隣の部屋では外国人も交じって、写経の会が催されていました。少し、写経に興味を持って帰ってきた私たちでした。

2014年1月12日
  「忙中閑あり」
 深い雪の松之山へ行って来ました。地元の方は今年はまだ、雪が浅いといいますが、私たちにとっては凄い雪でした。
 四人で湯三昧の三日間を過ごし、私と恵子さんはおしゃべりしながら、編み物。西尾氏は一人、部屋でパソコンに向かい、フクシマは読書三昧。中日にはキョロロへ二人を案内しました。もう10年になる地域参加型の里山科学館。一度も西尾夫妻が訪れてないのが驚きでした。そこでたっぷり2時間。館長さんが生き餌を与えるところを見せて下さいました。ヨコヤマカミキリがこの松之山で発見されたことを初めて知りました。「ヨコヤマ」と呼んで高尾山でマニアが狙っている貴重なカミキリです。
 展示はどれも興味深く、行くたびに発見があり、志賀昆虫の道具を見ると、思わず走って蝶を追いたくなります。これから、こんな遠方に子どもたちを連れてくる企画はないかもしれませんが、学芸員などの専門家を常駐させ、研究者の本格的な視点をわかりやすく、子どもたちに展開している、数少ない科学館だと思います。「実に面白い」と何度もうなって、館内を見ていました。

 キョロロしかり、ビーチコーミングしかり、私たちは今まで、すごく面白いことをやり続けていたんだと最近、感じることが多いです。

 さて、画像をお土産に。
キョロロでは、どんなカエルが好きかの総選挙の真っ最中。私は友情出演のアカハラに一票を投じました。 松之山温泉の道路。真っ白なので、運転に集中して進みます。 キョロロで、お土産ものを購入する西尾夫妻。どこにもない、ものが多い。 キョロロの玄関で雪傘で記念撮影。ミノもかぶれば良かったかな。雪に反応してフクシマの眼鏡が色つきに。 あいかわらず、料理は秀逸。連泊しても同じ品はない。最高9泊まで対応した記録があるらしい。 『千歳』のロビーで記念撮影。雪はどうしても逆光になってしまう。足下はすべて畳み敷き。スリッパなしの生活。

2014年1月8日
 「久しぶりの雪の温泉へ」
 明日より、雪国へ行ってきます。
 西尾夫妻と山荘で、松之山温泉の話が出たのが、11月。最初は恵子さんに玉川温泉に誘われましたが、秋田までの遠出はちょっと自信がなく、私たちが新潟の松之山温泉を提案したのです。結局、松之山ということで決まり、4人の予約をヤマシタがしました。そして、お正月が明けるのを楽しみにしていました。
 昨年は2月に連泊し、あまりの雪景色にIPADを水没させた、あの温泉です。宿は「千歳」、お勧めです。
 
 今回は四人。話に花が咲き、今年からの遊学会企画もたくさん打ち合わせできると思います。

2014年1月2日
 「家族と元旦」
 明けましておめでとうございます。
 今年もゆるゆると更新して参りますので、よろしくお願いします。

 元旦から、家族そろって新年のお祝いをしました。お重に別盛り・・・。フクシマと二人で作ったお節に、30日に届いたカニがテーブルに並びます。娘と息子が「この雑煮が旨い、この出汁は最高だね。」と喜びます。その通り、極上の材料で一番だしをとっているのです。いつものお徳用ではないのです。
 
 息子は大晦日から元旦3時まで「塩舟観音」の警備の勤務だったようで、「公務員と言っても、いろんな仕事があるから、楽しいよ。」と前向きな感想を言っていました。息子が娘に国保加入の説明をしています。娘は就職時の説明とは違って、社保加入がないと年末に通知されたので、役所に行く前に基本的な理解をしようと、懸命に書き取っていました。兄貴が「なんだ、その店は」というのに、妹は「パン屋はそうなんだよ。」と答えます。
 毎日13時間を超える労働時間。「パン屋はこうなんだ」と夜明け前から出勤する娘を見て、フクシマは「親が応援してあげられるのも、あとしばらく。これだけ働いていたら、これから先、どんな職場でも耐えられる。身体のきつさは越えられるけど、気持がきつくなったら、終わりだろう。それまで自分の区切りがつくまで、経験を積めばいい。」と。

このコラムは2001年1月から続いています。過去の保存版を読みたい方はきのこをクリックして下さい。
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