山下由美子の山森(やまもり)ばなし
        


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コラムについて  この「山森(やまもり)ばなしは2001年1月から始まって現在まで続いています。当時より私塾「丹誠塾」の講師、山下由美子が塾生や保護者、卒業生にむけて、塾での日常や体験活動などの報告、子ども観、教育観などを気ままに書かせていただいておりました。
 2013年4月よりはホームグラウンドをNPO遊学会におき、引き続き、「山森(やまもり)ばなし」を公開させていただきます。内容は山下由美子の日常から教育論まで。

山下由美子について NPO法人「遊学会」上石神井事務局。自然体験、科学体験担当。2014年より「エッグツリーハウス」のグリーフケア・子ども担当スタッフ。
日常は重度障害者介助事務所にて事務職員として勤務。

2015年12月31日
 「今年もお世話になりました」
 大掃除を早くスタートして換気扇を掃除したことは報告致しました。その後、腰痛が再発。結局、フクシマの通う整形外科を受診しました。軽度の脊柱管狭窄症と診断され、飲み薬と湿布をいただいて3日間、安静にしていました。年末に2日も仕事に穴を空けてしまいました。事務所の方には申し訳なく、もうこれ以上腰痛の発作を再発させないよう気をつけようと思いました。
 歯は荒療治のあとは、もう少し削って、腫れが出ないように治療して頂いたので、ゆっくり噛んでいます。

 さて、2015年もこれで終了。明日からまた新しい年が始まります。毎年、古いファイルを「old yama」というフォルダに収納して、新しい最新版で更新を始める作業をしています。年に一回の作業なので、いつも戸惑いながらやります。今年は年末の恒例のメニューをやらないことにしたので、ゆったり時間ができました。恒例のメニューとは水回りの掃除、カーテンの洗濯、窓ふき、食べきりお節を重につめる・・・・などです。これを一切やらないことにしました。本格的な掃除はフクシマが腕が上がるようになってから、お節は各人の食べたいものをラインアップして、重に詰めないで、「別盛り」にすることに決めたのです。

 来年も継続してコラムの形式でヤマシタの近況を報告していくことにしますので、緩やかな更新ですが、よろしかったら、お付き合い下さい。

 年末に嬉しいこと一つ。
 このコラムを読んでくださっている十年以上前に知り合った方から「遊学会のGメール」へお便りをいただきました。内容は当時赤ちゃんだった子どもの近況とフクシマの「仕事の授業」が地元の中学校で授業の導入に使われているというものです。フクシマに確認したら、「へぇ〜、昔、教材手帳などに発表したからかな?使ってくれて嬉しいよ」という感想でした。鎌田さとしさんの文章を使って、子どもたちにいろいろな職業を紹介する教材でした。それを導入に使って授業を展開する中学校の先生のセンスがいいなと思いました。
娘がこっそり撮影していた換気扇掃除画像。父子で笑っていたという。 12/27。今年最後の十住堂のグリーフケア。これはアルミ板のクラフト。絵を描いたり、叩いたり。 12/27。もう一つのプログラムはリースのお正月飾り。フクシマが拾い貯めた材料は30種類以上。 12/27。最後の締めくくりは、持ち寄りティーパーティー。甘いものがオンパレード。 お正月用に娘が焼いた「ガレットデローワ」。周りを縮めたのが失敗という。 松葉ガニの手巻き寿司。暮れにご馳走食べてます。

 2015年12月19日
 「穏やかならぬ師走」
  ヤマシタの歯に誰も興味はないかと思いますが、報告させてください。
 一か所だけ改善の必要な歯がありまして、正しい歯磨きを励行したら、刺激に耐えられず、知覚過敏がひどくなりました。先日、口腔外科で荒療治(私にとっては)を受けました。歯槽膿漏の段階になっている奥歯を削って神経を取りました。それに要した時間1時間10分。その間、身体を固くして、ガリガリに耐えていたわけです。麻酔をしたので痛いわけではないのですが、なぜが身体が固まってしまうのです。今は何とか噛めるようになりました。しばらく口腔外科にお世話になる予定です。
 さて、フクシマの右腕の神経疼痛ですが、整形外科で長頭筋損傷という名前がつきました。今はリハビリに通って、腕が回るようにしています。自分でも体操をして、ほぐしていますから、きっと改善されるはずです。長く困っていましたが、対処方法がわかって、本人はスッキリしています。
 今日は朝から換気扇の掃除をしました。これで大掃除が楽になります。農園の野菜も年内に収穫してくださいと言われています。今年は大根がよくできましたが、ニンジンが成長が悪いです。
 夕方からお客さんが二人みえます。遊学会のイベントを手伝ってくれた若者たちです。来年もよろしくの意味を込めて、我が家に招きました。「何が食べたい?」の質問に「唐揚げ」だそうです。みんな同じような答で、びっくり。これで三回目です。今の若者は「唐揚げ」が好きなんですね。
 完成した車庫です。柿の木も後ろに見えます。→  

2015年12月9日
 「穏やかな師走」
 怒涛の勢いの11月でした。柿取り、エントランスの片づけ、そして、車庫工事へと突入・・・・・。
 今週は、車庫工事も玄関電気工事なども完了し、きのう無事、我がラウムが車庫に収まりました。ぴったりのサイズで、これ以上大きな車は収まりません。万年塀の柱が邪魔になることが判明しましたが、ぎりぎり何とか使えそうです。そして、柿の木も最後の実を収穫し、2メートルほどに整えてもらいました。もちろん、業者さんです。車庫を作った流れで、工務店さんに頼みました。これからは素人作業は却って非合理と理解し、「餅は餅屋」と考えることにしました。

 長く、噛めなかった私の歯ですが、週あけ頃から、改善されました。今は一か所の不調を残すのみで、片方でバリバリ噛めるようになりました。口腔外科にはしばらく通って、歯周病予防をしておこうと思います。

 穏やかな師走となり、やり残しなく、穏やかな年越しができれば・・・と、先日新しい毛糸のセーターに着手しました。神経疼痛が出ているフクシマの右腕は気になりますが、私の歯は確実に回復しました。

2015年12月1日
 「晴れやかな日曜日」
 歯の不調で臨んだイベントでした。
 家族3人で受付などを担当し、3日前からは懇親会の料理の準備をやりました。少しでも温かい料理をと、おでんと炊き込みご飯を用意しました。
 イベントとはエッグツリーハウスの「死から学ぶ」というテーマの講演会です。奥野滋子先生、パネラー3名をお招きし、「死を迎えるとは」「グリーフケア」などについてお話を聞きました。
 ヤマシタは裏方に徹したので、全部のお話を聞けたわけではありませんが、とても心に響く内容でした。後半の懇親会も半分くらいの参加者が残って下さり、ケータリングと手作り料理、半分ずつのテーブルを囲んで、楽しく談笑する時間が持てました。

 画像を取るのを忘れて、悔しいです。
 
この野菜わかりますか?世界で一番美しい野菜だそうです。ロマネスコといいます。これと白いカリフラワーのアンチョビマリネを娘が作りました。 お馴染みのケーキ。バナナとリンゴの2種ができました。これも娘作。懇親会で大変好評でした。 これが残っている唯一の画像。160人収容のホールの8割くらいが前から埋まりました。

2015年11月25日
 「歯のトラブル」
 思い起こせば、受難はあの時から始まっていました。
 先々週の金曜日、13日の金曜日。かかとを傷めて歩きづらそうにしているフクシマに変わって、庭の石などを移動させ駐車場工事の準備をしました。いらない石を工事の場所に置き、残したい蛇紋岩やヒスイもどきは階段下に保存し、火鉢や甕は水を半分くらい抜いて、移動。持ち上がらない巨石はゴロゴロ転がして移動させました。最後にヨッコラショと持ち上げて「腰、腰。負担かけないようにしないと」と気を配っていました。そのお蔭で腰痛は出なかったのですが、その翌日より、歯の痛みが始まりました。左の上顎の一番奥、昔、唯一の「親不知」のあった場所です。今は歯茎のみです。
 私は歯の優良児です。初めて本格的に歯医者に通ったのは25歳でした。その後40歳過ぎに「親不知」を抜きに同じ歯医者に行き、そこで「あなたは80歳まで自分の歯で食べることができます」と言われました。そして2年前の春、詰め物がとれたので職場近くの歯医者に通いました。ですから、歯の悩みは普通の人より少ないのです。
 ところが・・・・、今回、2週間経っても、なかなか良くならず、とうとうフクシマご推奨の口腔外科に予約をするに至りました。明後日の金曜日に行ってきます。

 虫歯でもなく、血も出ない状態で歯が痛くなる経験ありますか?
香箱カニをほぐした中に人参とカリフラワーのマリネを入れたもの。これを食べた日が石を移動した日。それから歯ごたえのある料理を楽しんでない。 朝の関公園。ぎんなんが落ちていても誰も拾わない様子。いつも、今度は手袋かはさむ道具を持ってこようと思うが忘れてしまう。 こちらも関公園。紅葉楓(もみじばふう)の林。リース材料に最適の実が拾える。毎日、隣の駅まで歩いて出勤。

2015年11月10日
 「娘の決断」
 長い間、自分の進路を探して、深い森で迷子になりそうになっていた我が娘ですが、やっと方向が定まったようです。
 来春より大学の看護学生2年次に編入することになりました。

 ことの始まりは6月のある夜。
 「グリーフカフェ」の2〜3日後だったと記憶しています。(娘はエッグツリーハウスのファシリテーター登録をしていて、今まで第二木曜日の「グリーフカフェ」の担当をしていました。)

  「お母さん、私、人の役に立つ系の仕事に就きたい・・・」。
  私は「ええっ?具体的に何?」
  娘「う〜ん。看護師さんか心理士さん。」
 
 そして、娘は訥々と、グリーフカフェで当事者の話を聞き、こんな自分がほんの少しでも役にたっていると思うと嬉しかったこと、これからは人の役に立つ仕事を選んで、生きていきたいと思ったことを話してくれました。
 母としては娘がどんな道を選ぼうが、応援することは決まっていますが、あまりに突然のことと、私には何の情報もないので、先人に話を聞いてもらって、アドバイスを受けることをアドバイスしました。心理士は身近に「西尾おじさん」がいます。だから、まず最初は遠い「看護師」の方から相談しようと、さっそく、グリーフケアのディレクターである、Aさんにメールを差し上げて、時間を取って下さるようにお願いしました。娘はメールを送るのも緊張して、いろいろ母に言葉を確認してきます。「一方的に自分の都合を優先させるのじゃなく、相手の都合を聞いて、感謝をこめて約束をしてもらいなさい」とお願いする姿勢を助言しておきました。
 その時の話が娘の胸にストンと落ちて、「私、看護師の道を選ぶ」と6月末には決めていました。

 それからが大変。父と二人三脚の勉強体制がスタートしました。画材屋さんのバイトは7月一杯で退職。みっちり準備できるのは8月だけです。

 東京農大の醸造科を目指した頃と同じで、父からの個人指導がスタートです。違うのは父子がそれぞれ年を取ったこと、英語のグレードが農大より非常にハイレベルだということ。娘は聖路加の編入試験を医療系の英単語を必死に頭に叩き込み、挑みました。母が手伝ったのは小論文のみ。最後には娘が5つのテーマに絞ってきたので、私がサンプル小論文を書きました。こんなことくらいしか、母は役に立ちませんでした。

 9月2日が編入試験の当日で、発表は10日でした。嬉しい知らせは娘からのLINEから。最初は信じられない思いで「早く、編入手続きを済ませたい」と思いました。
 あれから、娘は父との英語の学習は続けながらも、好きな焼き菓子を焼いたり、農園を手伝ったりしていています。先日、来春からは娘にケーキを焼いてもらう時間は激減するだろうと、「お母さんにもケーキ焼くの教えて」と頼ました。かくして、ティラミス、カヌレに続いて「アップルケーキ」が私のレパートリーに加わりました。焼き菓子のレクチャーを受けながら、「お母さんのコラムにあなたの進路を書いていい?」と尋ねたら、いいよという返事でした。
 
 習ったケーキを先日、復習。コストを考えた甘さを控えたヤマシタ風です。

2015年11月1日
 「遊学会の化石発掘体験」
 本日、化石発掘体験、無事終わりました。
 今回は久々に群馬県の鏑川に行きました。中型バスを貸し切って、ゆったり行くことができました。お天気は最高でした。バスの中では暖かかったものの、河原ではさすがに寒くて、日差しを求めて移動する姿もありましたが、みんな元気に一日を過ごしました。
 さて、収穫は・・・・。小学校低学年の参加が多かったにもかかわらず、サメの歯をたくさんの参加者が掘り出していました。小さくてもキラッと光るのがサメの歯です。ハンマーでたたき割るより、転石を丹念に調べる方がサメの歯を見つけやすいこともあります。他にはウニのトゲ、ヤスリツノガイ、二枚貝の化石などがどんどん掘り出されて、講師の先生に同定してもらい、ラベルをもらって大切にリュックに入れました。
 以下、様子をご紹介。
高校生は崖の下で発掘。ここから大きなホオジロザメの歯を掘り出しました。 転石からみつけたシロザメの歯。こんな小さな歯も子どもたちは眼がいいので発見できる。 高校生の発掘した大きなサメの歯。移動中に先っぽが欠けてしまった。残念。

2015年10月27日
 「木枯らしの中、ポカポカBBQ」
 日曜日はよく晴れて、小金井公園でエッグツリーハウス主催のバーベキューが行われました。総勢50名が食べたり、飲んだり、おしゃべりしたり、原っぱで遊んだりと楽しい一日を過ごしました。バーベキュースペースを3つ分借りて、人の輪を作ったら、とても大きなサークルができました。
 さて、我が家が担当したのは、ビーフシチューです。前々日に買いだし、前日には仕込みと二日かけて、ビーフシチューなどを作りました。当日は寒かったので、鍋の中のシチューはどんどん冷めていきましたが、みなさん、美味しいといってくださり、最後には完食となりました。最後の底に残ったのをこそげてタッパーに持って帰って下さる姿も嬉しかったです。
 我が家で作ったのはビーフシチューーの他にファシリテーターの懇親会の料理もありました。ブロッコリーやキャベツ、春菊のサラダ、キノコのマリネ、鶏ムネ肉のマリネ、カジキマグロの甘酢かけ、カボチャサラダ、ゆでピーナツ、柿ヨーグルトに娘のリンゴと洋ナシのケーキ2種でした。バーベキューで満腹のおなかもアッサリ系のサラダやケーキは別腹だったようです。
 画像を紹介しておきます。来年はもう一度カレーに戻ろうかな。
市場で値上がり前に確保しておいた牛筋。柔らかくワインなどで煮て、黒こしょうを利かせました。 小さかったので安い人参。面取りをした部分も刻んでスープへ。 大量の玉ねぎを炒め続けて、牛筋と合わせているところ。 バーベキュー本番。スペアリブが出来上がる直前。油が落ちています。 カボチャやオクラも焼きました。やはり炭の加減が難しいですね。 今年のバーベーキューで一番の人気メニュー、エビとマッシュルームのアヒージョ。

2015年10月20日
 「つれあいの近況」
 昨年の今頃、やっとステロイドとさよならできたフクシマです。ステロイド治療中は人ごみに出かけることもなく、家の中で静かに暮らしていました。食事療養は頑張りました。今でも外食はひかえ、薄味の食事を続けています。しかし、ここのところ、人と会食することが続き、昔のような「交流の機会」が復活してきました。この2週間のフクシマの交遊記録です。

 その一は「トン太郎の奥さん訪問」。田無で長年焼きトンを焼いて、南口の名物になっていた「トン太郎」でしたが、奥様の病気が理由で店を閉じることになり、フクシマが店のシャッターに寄せ書きの模造紙を貼り、みんなで閉店を惜しんだことがありました。その後その模造紙は引退したおじさん夫婦に渡り、その後亡くなったおじさんの棺に入れられたと聞きます。もちろん記念の画像は残して・・・・。奥様が「主人がとても喜んでいた寄せ書きなので、一緒に入れました」とおっしゃっていたそうです。その残された奥様のところへ年に一回、有志と伺うというのが恒例になっています。今年も10月の初めに行ってきました。先日のきのこ狩りの前だったので、その話をすると「懐かしい地のきのこ。南相馬で昔よくとって食べたわ〜。でも今は無理なのでよね。もう一度、食べたいわ〜」とおっしゃったので、さっそく糸魚川から帰宅したら、翌日きのこを届けました。

 その二はサウスタウンビルでお世話になった英会話のSさんと、かかりつけ医として今もおつきあいを続けていただいているS先生。前々からの約束で三人で蕎麦を食べに出かけました。今回はフクシマの提案の店で、井荻の「みわ」です。お二人は「みわ」の味を大変気に入って下さり、帰りにはフクシマの車でケーキさんにお連れしましたが、あいにく休日で、しかたなく、我が家にお連れして、急遽、フクシマの珈琲と娘のリンゴケーキを召し上がってもらったといいます。これからもそれぞれのお勧めの蕎麦屋へ三人で行くようです。

 その三は北海道に住む小中時代の幼馴染が久しぶりに東京に帰ってきたので、その時代の仲間を集めて、上石神井の居酒屋で飲む集まりに参加しました。フクシマは飲みませんが、あまり経験のない居酒屋の料理を珍しく味わっていたといいます。味は全般濃いめなので、味見程度ですが、どんどん酔っぱらっていく仲間たちを眺めて、にぎやかな夜を過ごしてきたようです。。

 その四は、西高の「還暦同期会」。160人の参加があり、懐かしい顔にあえて「楽しかった。」と帰ってきました。その日のためにジャケットを新調し、4年前には病気で出席できなかった同期会に颯爽と出かけていきました。立食形式のパーティーらしかったのですが、まわりのみんなが前回の欠席のことを覚えていてくれて、椅子を用意したり、料理を運んだりと、配慮してくれたといいます。

 そして「お友達企画」の最後は明日。山梨の幼馴染が是非、我が家に来てくれと言ってくれるので、日帰りでお邪魔することにしたといいます。ヤマシタとよく行った「フカサワ温泉」のすぐそばのようです。その友人の家の帰りに温泉に入ってい来ると言っています。明日は青梅の息子のところに料理を届け、圏央道で甲府方面に向かう予定です。

 かくして、キノコ狩りから始まった10月はどんどん秋めいて、今度の日曜日にはグリーフケアの活動で小金井公園でバーベキューが予定されています。このまま晴天が続いてくれるとよいのですが・・・・。
今朝の朝どり野菜。友人に差し上げるために収穫。コカブの手前は間引きした人参。これから秋の野菜の収穫がどんどん進みます。 娘が焼いていたリンゴケーキ。蕎麦屋ツアーの先生たちに召し上がってもらったもの。その朝、たまたま画像を残してました。

 2015年10月11日
  「きのこシーズン到来」
 この金曜日、糸魚川へ遠出しました。長年お世話になっているきのこの先生のお宅にお邪魔して、小谷村を一緒に歩いてもらいました。フクシマは肩が痛くてなかなか思うように動けないのを嘆いていましたが、温泉療法も兼ねて出かけることにしました。
 金曜は早朝より関越を走り、関越トンネルを越えたら、天気が一変し、寒い雨模様となりました。この日は山荘の整備ツアーでしたが、フクシマの不調で私たちはパスさせてもらっていました。心苦しく、せめても湯沢の様子をしらせようと若者に「寒いよ、雨も降ってるよ」とLINEしました。
 六日町インターを出ると今度は一般道です。253号をひたすら、上越まで走り、途中の温泉に入り、お昼過ぎには糸魚川に到着しました。きのこ狩りの場所は小谷温泉付近。登山道を上っていくルートなので今回はヤマシタも歩きました。リースの材料も拾いながら、2時間ほど、紅葉の中を歩きました。ナラタケ、ムキタケ、ナメコ、ブナハリタケ、クリタケ・・・・。3人で十分収穫があったので、小谷温泉の露天風呂で体を温めて糸魚川の先生宅へ向かいました。
 糸魚川は山にもすぐ行ける立地にも関わらず、海の街です。だからお魚が美味しいです。今までお世話になるお礼に東京から料理を運んで先生宅で作っていましたが、今回は糸魚川のお刺身をご馳走になりました。地元のスーパーでさえ、なかなかのグレードでした。
 楽しくきのこ話に花は咲き、2度の温泉治療でフクシマの肩も少しよくなり、翌朝は早朝より糸魚川を後にしました。今度は糸魚川から六日町インターまで、一般道(253号)を走りました。私たちは一般道を走って、地元のスーパーなどに寄るのが大好きなのです。今回もわが愛車はきのこだけでなく、直江津の魚、上越の野菜などを満載して帰路についていました。特に面白かったのは、上越を過ぎたあたりで「つながりトンボ」の大群が数キロに渡って飛んでいたこと。スマホで調べたら、国道の付近に何キロにも渡って細長い池が続いていることがわかりました。この水場がトンボの生息地なのかと納得しました。もっと、進むと青空市場という農産物販売所がありました。覗いてみると、トウモロコシをはじめ地元野菜、手作りこんにゃくが大変安く売られています。ユリなんて3本200円です。東京で高いキャベツが大玉180円。フクシマは今まで食べたトウモロコシの中で一番上手いと絶賛していました。ここの場所をナビに地点登録し、次回の来訪時は拠点にしようと思いました。
 そして、駒寄スマートで降りて、今回のツアー3つ目の温泉「クワイテルメ」へ入って、帰ってきました。 
           
 小谷温泉付近は快晴。ちょっときのこには乾燥気味かな。  紅葉もスタート。登山客は中高年がほとんど。たくさん会いました。  ナラタケ。これが一番うまい。いい出汁が出るきのこ。  昨年の地震の後遺症。妙高側へはまだ抜けれない。  北陸新幹線の糸魚川駅。並行在来線閉鎖の悪影響もあるが、北陸はイベント盛りだくさん。  あまりに波がきれいなので、記念撮影。

2015年10月6日
 「とうとうこの日がやってきました」
 我が家の隣地が売りに出されていることは以前、話題にしました。それに続いて、我が家のもう一つの隣地も売りに出されることになりました。その両方にこのほど、売買が成立し、土地の測量も終了しました。南の隣地はすでに建設が始まり、東の隣地はこれからのようです。どちらもシェアハウスとなるようなのですが、我が家は大きな影響をうけることになりました。これは予測できたことなのですが、いざ売買が成立すると、やはり複雑な思いがやってきます。
 まず、南の景観が大きく変わります。今は工事の音が若干、気になるところです。着々と建っていくシェアハウスですが、一階の日照は望めないと思います。柿も来年はもう少し切らないとだめでしょう。
 そして、東の駐車場。いつかは使えなくなると思って覚悟していましたが、実際に閉鎖となると慌てます。周りの駐車場を探しましたが、遠かったり、狭かったり・・・。そこで、浮上したのが、我が家の庭の一部を改造して駐車場にする案です。それには梅の伐採が伴います。今業者さんに見積もりを頼んでいます。
 こちらの案に決まりそうなので、今年多くの方に梅干しを差し上げて、梅の木の記念にしておいてよかったと思っています。
着々と建設が進みます。 この部分が愛車の寝床になる予定。右の梅の木が見納め。樹皮で染める予定です。

2015年9月28日
 「久しぶりの十住堂」
 7月8月はキャンプだったので、エッグツリーハウスのグリーフケアは久しぶりでした。十住堂の本堂ではにぎやかに参加者やファシリテーターの声が響き渡りました。昨年までは遊学会で行っていたグリーフケアも一般社団法人のエッグツリハウスが担うようになって、半年が過ぎました。合計で三つのキャンプを経験し、ファシリテーターも3期生を誕生させることになり、大所帯になったものだと思います。私は子どものたまご(エッグツリーハウスではプログラムをこう呼んでいます)の時間を担当しています。
 昨日はたくさんの参加者を迎え、取材の記者さんも交え、充実した秋の1日を過ごしました。
 子どものプログラムは「フェルトクラフトの指人形づくり」と「だんごむしの迷路」。公園にだんごむしを取に行ったり、バトミントンもやりました。
カラフルな指人形が出来上がりました。石鹸液とチクチクの針で作りました。 公園で探して、だんごむしを実際、動かせてみました。 だんごむしの動きを競っています。

2015年9月24日
 「連休後半」
 藍の花が咲きはじめました。今年は家でも面積を増やし、発芽に苦労したあとは順調に育ってくれました。友人と一度染め、その後ほったらかしでしたが、連休後半に庭の草引きをした勢いを借りて、約一キロを刈り取りました。染め方は初めて挑戦する「塩もみ」。一キロの藍の葉っぱに30グラムの塩とサイトに書いてあったので、さっそく手袋をはめて揉みだしました。わりと力が必要で、緑の泡が出ることには汗が出ていました。染めたものは毛糸二カセです。事前にぬるま湯につけて染めムラが出ないようにしました。細心の注意を払って染液で泳がせていると、カセを縛っている糸(2種類の糸があり、毛糸の端っこを繋いである大切な糸)が切れてしまい、パニックに陥りました。空気に触れぬよう、染液に静かに泳がせるところか、切れた糸のありかを探って、空気に触れまくりになりました。
 2つめのカセを染め終わるころには疲労困ぱい。「塩もみ」の作業は久々の筋肉痛を残しました。

 連休中は師匠を訪問した以外はほとんど外出なし。日頃片づけたいと思っていたところを整理してスッキリしました。そして最後に農園、我が家の庭、隣の駐車場の草引き作業を敢行し、気持ち仕事を再開できそうです。
くすんでいますが、もう少し、可愛い淡いブルーに染め上りました。 農園の最後のシソの収穫後、再び、青シソのドライを作成し、保存したのが、1週間前。庭の草引きをしたら、自生のシソが大きく成長していました。みたび、乾燥をスタートさせました。今年の「青シソのドライ」は大量にストックあります。私は卵焼きなどに入れて風味を楽しんでます。
 欲しい方、どうぞ、おっしゃって下さいね。郵送もできますよ。早いもん勝ち。

2015年9月21日
 「一銭五厘の命」
 連休の半ば、やきものの師匠を表敬訪問しました。娘もお会いしたいというので一緒に行きました。
 春にホームを移動したとうかがっていたので、一度新しい所にお邪魔したいと思っていましたが、いろいろ都合が合わず、九月になってしまいました。師匠は三階の自室で待っていてくれました。娘はお会いするのが2度目で、以前送った娘の絵のポストカードを部屋に飾って出迎えてくれました。
 お互いの近況を語り合い、想い出話に花が咲き、楽しい時間が過ぎていきました。部屋には大きなテレビがあり、「テレビご覧になりますか」の私の質問に「ええ、もうこれで時間を過ごしていますよ。でもね、最近のテレビはもう我慢できないわ、ヤキモキするばかり・・・・・。」あれれ・・・、何の事だろう・・・・と思って聞いていると、「この前も3人(ご自分の娘、息子のことらしい)も揃っているのに誰も話題にしない、こんなことってあるかと、もうがっかりした・・・・」
 師匠が話題にしているのは昨日採決された安保法案のこと。だれもこの法案のことを話題にしないのを不信に思っている、こんな大事なことに無関心でいることに憤りを感じているということらしい。傍で聞いていた師匠の娘(私の大学時代からの友人)が「違うよ、そんな事をいう席じゃないと思っていたのよ、私だってデモ行ってるし、○○ちゃんだってツイッターで発言してるし・・・・。」と無関心じゃないと説明します。
 師匠は続けて「昔は一銭五厘の赤紙で兵隊に取られ、帰ってきたら箱に石ころが入っているだけなのよ。命取られて帰ってきたのが石ころだけ、名刺が入っていた人はまだ、幸せ。今戦争が起きたら、○○ちゃんや、◎◎ちゃんなんて、若いのから、いの一番に兵隊に取られる・・・、みんな分かっているかしら・・・・。」師匠の嘆きは続きます。昭和19年に結婚して、海軍の夫と広島の江田島で暮らしていたこと、夫はよく人を笑わしていたこと、それが原因で軍法会議にかけられそうになったこと、海軍の同期で阿川弘之さんと親交が篤かったこと・・・・と話は続きました。娘は静かに師匠の話を聞いていました。
 2時間があっという間に過ぎて、夕刻になっていとまを告げました。師匠の寂しさがしみじみと感じられ、離れがたい気持ちになりました。

 93才の師匠にとって、この前の戦争は太平洋戦争。戦争がもたらす事象を身を以て知っている存在だからこそ、今の人たちがいとも簡単に海外で戦争をするべく、憲法をねじ曲げていく政治を安穏と許していることに我慢がならないのです。

 師匠はSEALDsに代表される若い人たちの動きもご存じで「昔の学生運動は末路は惨めだったわ、今の若い人たちはこの歴史に習うべきね、同じ轍を踏むことなく、賢く行ってもらいたいわ・・・・。」

 デモの動きを報じないマスコミ、オリンピックや外国人観光客を当て込み、目先の利益ばかりを追求している大多数の流れ、その道はいつしか、恐ろしい道に繋がると底知れ恐怖を感じつつも、日々に流される生活。
 高齢の師匠のリベラルさに自分のふがいなさを痛感して帰ってきました。

 2015年9月15日
  「ホームページビルダー」
  バージョン19を購入しました。事務所のパソコンはバージョン10、うちの古いノートはバージョン6ということが判明しました。バージョン6〜19の差は凄い!と実感しました。OSもそれぞれでこの3つをつつがなく使いこなすことができるか、この週末の課題でした。うちの古いノートに新しいパスワードを設定して「ファイル転送」の設定をやりなおしたら、動かなくなりました。転送先のファイルを示せとしつこく言うので、めげていたら、土曜日のあの地震!すっかり、戦意を喪失して、独力で設定するのを諦めました。
 そして、週明けに事務所の先達に教えを請いました。彼はスラスラと問題を解決して、めでたく、どのパソコンでもコラムの更新ができるようになりました。これが最後の仕事でした。
 本日は「行間をあける方法」にトライしています。これから、ファイル転送しますが、さて、行間は少し広くなっているのでしょうか?
 
2015年9月6日
 「那須の休日」
 この週末、久々に那須方面に遊びに行って来ました。
 宇都宮美術館で「クレー展」をやっていましたので、期間終了が間近なので、息子も誘って家族4人で急いで行きました。息子とは佐野サービスエリアで待ち合わせをして、二台で宇都宮美術館を目指しました。我が家の4人はどういうわけか、抽象画が大好きなのです。(特に娘とフクシマ)
 館内ではそれぞれの速度で作品を見て回り、最後にミュージアムショップで待ち合わせをすることに決まりました。一番速度が速いのが娘、その次がフクシマ。この2人は具象画を飛ばして廻っている感じがあります。フクシマが通った後しばらくして、私。そして最後が息子という順番は最後まで変わりませんでした。
 私はいつもながら、気に入った作品を再度、見に戻ったりして、結構時間がかかってしまいました。以前に見た作品もあり、じっくり2時間弱かけて美術館を楽しむことができました。4人ともアートのシャワーを全身に浴びて、精神がとても充実しました。
 娘は一切の活字を読まないタイプで見るのも早いし、作品の名前をいっても通じません。息子は一つ一つテーマや説明を読むタイプ。最後に迷ったあげく図録を購入していました。自宅でも楽しむつもりのようですが、実際の色と図録の色の違いあり、がっかりのことが多いのですが・・・・。
 一家4人で美術館に行くのは本当に久しぶりで、それに4人とも好きなクレーだったので満足も最高でした。

 ランチは氏家の「WAKAZO」というイタリア料理の店を予約していました。さくら市が支援している蔵改造プロジェクトの店です。店主が20代の若者なのでその名前がついたそうです。蔵の雰囲気はいいし、ランチ1000円のコスパはいいのですが、イマイチコンセプトのはっきりしない店でした。再訪するかと言われたら、微妙ですね。
 息子とは店のパーキングで別れ、私たちは久々の那須へ。まず、友愛の森の野菜直売所、ベルフルール(馴染みのパン屋)に行き、鹿の湯へ行きました。ベルフルールでは知り合いの店員さんが健在で懐かしがってくれました。明日も寄りますよと言って、店をあとにしました。
 鹿の湯はやはり「白濁硫黄泉の王者」でした。400円という入浴料も変わらず、混雑も変わりません。でも、女湯の脱衣場の配置が変わっていました。鹿の湯独特の「かけ湯」場が端っこにあったものが、浴室側に引っ越しして、導線が良くなっていました。41度、42度、44度、46度の浴槽があり、半地下には43.5度の広い浴槽があります。私は娘と41度に入って、しばらくほっこりしていました。娘はそこでリタイア。私は一人で43.5度の半地下に降りていきました。たっぷり時間をかけて、鹿の湯を満喫したあとは、その夜の宿泊地「那須ビレッジ」に向かいました。
 那須ビレッジはサファリパークの前を通って、10分ほど北西にいった雑木林の中にありました。温泉付きのコテージで、お客さんが少ないので、7人用に3人で泊まりました。雑木林の中なので、どんぐりの落ちる音の中で眠ることになりました。それもまたよし。到着したときは暑かったのですが、夜になるにつれ、急激に気温が下がっていきました。
 夕食は家から持参した「きんぴらごぼう、焼き豚、煮物」に野菜直売場で買った野菜が加わり、ご飯も炊いて、家と同じような食卓になりました。私たちは湯布院で経験したコンドミニァム形式が大変気に入ったの、これからの旅行はもっぱらコレになりそうです。

 コテージの周りは雑木林だと説明しましたが、この時期たいへんな量のキノコが待っていました。真っ赤なタマゴタケ、黄色のイロガワリ(イグチの仲間)、各種のテングダケ(毒キノコ)、巨大なアカヤマドリが見渡す限り、並んでいました。残念ながら、那須のセシウムはまだ落ちてないようなので、採取はあきらめ、画像のみ持ち帰りました。管理人のおばさんは「私たちは食べてるよ。子どもには食べさせないけどね。」と言っていました。私たちが現役でキノコ狩りを楽しむ間は、那須で安心して採取できる日は来ないなと残念に思います。森の除染は後回しで、それにとても困難だからです。

 翌朝もキノコの撮影をし、フクシマはどんぐり採集をして、8時開始の鹿の湯へ。口開けから千客万来・・・・。この湯の力は関東ナンバーワンです。お湯のあとは9時オープンのベルフルールへ。大学生の一夏バイトをさせてもらった娘は厨房から出てきてくれたオーナーに最近の報告をしていました。「パン屋はやめて、次の進路を考えている」という報告にオーナーはちょっぴり残念そうでした。でもわざわぜ厨房からでてきてくれたのは、娘のことを気にかけていてくれた証拠でしょうか。有り難く思います。ベルフルールは一時、さびしいパンのラインナップでしたが、今回は新作も賑やかで、往年の華やかさを取り戻していました。大好きなプロバンス、キルシュは健在でした。

 私たちの車は那須の食材を満載して午前中に帰路につきました。自宅についたのが13時、早速トマトを食べましたが、うちの農園の完熟トマトの味同様、濃い味のトマトでした。

 2年ぶりの那須でした。この前は東北旅行の帰りに寄りましたが、那須を単独で目指したのは5年ぶりかもしれません。九州の温泉を今年経験した私たちですが、那須の「鹿の湯」は黒川、湯布院、別府各湯に負けない「濃〜い温泉の王者」だという事を確認した旅でした。関東だけで選ぶなら、@那須湯本温泉の「鹿の湯」A万座温泉B四万温泉・・・・・というところでしょうか。あ〜、草津、日光、箱根もありますね。とにかく、「那須、侮るべからず」を実感したツアーでした。
クレー展は次は神戸へ行くらしい。兵庫県の妹は必ず見に行くと言っている。 母のみ切れている。これは娘の携帯で。自撮棒があればなあ。九州では妹の自撮棒が便利でした。 コテージは雑木林の中。ほとんどどんぐりの落ちる樹木。近くに沢もあるのでキノコが凄い。 夏の終わりに鮮やかな赤で人目を引くタマゴタケ。真っ白なタマゴが真っ赤な傘を開くのに3日もかからない。食用。 雑木林はイグチ(裏がスポンジ様)の仲間の宝庫。このイロガワリもそう。傷つけると即、青い色に変わる。食用。 女湯の脱衣場がリニューアルしていた「鹿の湯」。ほんものの湯を求めて、どこか、不調者の方が目立つ。

 2015年9月1日
 「ちょっとなれました」
 なんとか、体験版で内容を更新し、転送しようとしましたら、ファイル転送の機能はついてませんでした。あ〜これでアウト!と思ったら、いつも相談に乗ってくれている職場の先達が「ロリポップからアップロードできるよ」とそのやり方を教えてくれました。何度も失敗してやっと、アップロードに成功。本日、画像の転送にも成功しました。
 成功するとうれしいです。このままのスタイルでやろうかなと考えています。ちょっとホームページビルダーのソフト分は出費になりますが、このコラムの習慣が苦になってないし、逆に変わらない日常が心地良い感じがしています。

 2015年8月25日
 「模索中」
  新しいパソコンを買いました。古いノートはXPでどんどん動きが鈍くなって、使い勝手が悪くなっていたのです。ずいぶん待って、テンが出てからと思っていましたが、最近テンを触った人がそんなに変わらないから、今安いからエイトを買ったらと進めてくれました。そこでエイ!とエイトを買いました。
 ホームページビルダーのソフトを入れましたが古すぎて、作動しなかったので、今は体験版で書いています。
 さて、これがうまくサーバーまで、届くのか?
 周りではこれを機会にブログやfacebookに移行したらという人もいます。ホームページビルダーの入れるまでもないのかな?今、模索中です。
 

2015年8月19日
 「少し、しのぎやすくなりましたね」
 雨が降ると、ニンジンの水やりがパスできて嬉しいです。やっとまとまった雨が降るようになり、猛暑猛暑の連続からちょっと解放されました。このまま涼しくなることは望めませんが、少し一息つけるようになりました。
 さて、ここのところ、娘の再スタートのためにフクシマと二人協力体制を作っています。どこに進路をとったかは、また本人の許可が下りたら、ここで報告しますね。とにかく、フクシマは連日、さび付いた英語・数学などをブラッシュアップし、私は言われたテーマで小論文を書いて、サンプルを作っていました。今は本人が文章を書く段階です。
 
 秋冬野菜の作付けもスタート。一人、土作をした農園の光景をみて、休憩しています。画像は我が区画。白い寒冷紗がかかっているのが、ニンジンの畝。黒々した土は堆肥をすきこんだ、植え付けを待つ区画。
 

2015年8月5日
 「動ける喜び」
 なんとか、日常生活に戻りました。あまり冷やさないよう気を付けて、腰のあたりの筋肉を柔らかく保つように努力しました。やっぱり一番有効だったのは、温泉でした。いつもの板橋の温泉でゆっくり温めて、その後エアコンの風にあまり当たらないよう、上着を着てスーパーの買い物をしました。
 今年の農園は残念な収穫でしたが、秋よりの作付もスタートしました。人参の発芽を確認しましたので、一安心。今は夕方のみの水やりとなり、毎日、娘が担当しています。
 今年の夏野菜の中でニューフェイスは「青しそ」。一度に何束も収穫して、困っていると、「私は乾燥させて保存しているよ」という方に指南を受けました。その方は電子レンジでチンと乾燥させるそうですが、我が家にはレンジはないので、ミント茶葉を乾燥させる要領で「青しそ」を1週間乾燥させました。おりしも、梅干しの「赤しそ」も2週間の乾燥を終え、「青」「赤」2色の乾燥しそが出来上がりました。先日、フードプロセッサーで粉砕しました。

 赤しそは「ゆかり」。青はなんと呼べばよいのでしょうか?
これが初めて干した「青しそ」。1週間の乾燥でパリパリに。香りが残って、いい保存食材になりました。卵焼きに入れたり、キュウリもみにいれたり・・・。

2015年8月1日
 「腰痛とグリーフケアキャンプ」
 エアコンがくせ者のようです。それと農園でのかがみ作業。昨年も同じ頃プチ腰痛で温泉で温めて凌いだ・・・という日記の記述があります。どうも今回もそれに加えて、靴の中敷きを入れて足を窮屈にしたことと、墓参りのはしごです。横浜から小平霊園までのドライブが引き金になりました。
 あれれ・・・、腰痛再発か・・・と思ったのは7月の21日。体操をしたり、お風呂で温めたり、杖を出したり・・・・。グリーフキャンプの食材仕入担当のヤマシタは大ピンチでした。お店のカートを押すのも難儀していました。力仕事はほとんどフクシマが担当しました。
 なんとか騙しだまし動いて、グリーフケアキャンプに突入しました。

 山荘整備のたまもので、階段、スロープは杖をついて歩くヤマシタにやさしいデザインでした。外で班毎に食事をするスタイルなので、朝と夕はアウトドアで食事です。お天気に恵まれ、雨におそわれることなく食事を楽しめました。私は大人の班でしたので、たくさん、お母さんたちと話をしながらいただきました。
 子どもだけの参加も多く、小学校低学年でもしっかり一人で泊まれました。今回の参加者は、とてもしっかり生活し、話もできていました。家庭で親の悲しみを間近に見ていて、「いい子」「わきまえる子」を知らず知らず、受け入れているからでしょうか・・・・。

 キャンプから帰ったら、農園の大きな仕事「人参の種まき」が待っていました。フクシマと協力して朝7時から畝をつくり、いったんやめて、夕方6時から種を蒔きました。130粒を4列。合計520粒を1.8p間隔で蒔きます。重なってはいけません。間引くことが前提なので、一粒一粒、独立させて並べていく作業が大変なのでした。そして10日間は毎日、水やりに通うことになります。だから、夕立やにわか雨、おおいに歓迎。
折しもフジロック開催中。山荘まで音が聞こえてきます。 キャンプの最初に自然の中で過ごす心得を子どもたちに伝えます。 今回もピザを焼きました。石窯の調子を保つのは難しいようです。 オガッチ指導のバンダナ作り。自由に絵を描いて仕上げます。 出発するマイクロバスを見送るスタッフ。これから山荘を片づけ作業。 人参の種520粒。4つに分けて農園へ。これをやっておくと早く蒔ける。

2015年7月20日
 「連休近況」
 本格的な夏の到来に参っていませんか?この両日は朝5時に農園に出て、土作り、草ひきに精を出しました。もう7時になると仕事になりません。激しい太陽が容赦なく照りつけ、生命の危険すら感じます。熱帯夜でぼけた頭は早朝よりの野良仕事でキリリと神経を引き締めます。でも、そのあとエアコンの部屋でぐだぐだしているのですがね〜。
 昨日は農園のあと、有楽町の大江戸骨董市に行って来ました。初めて行きました。新井薬師の骨董市が見る影もなく寂れているよと友人からは聞いていました。人々の流れが都心の大きな骨董市に向いているのだそうです。
 確かに国際フォーラムの広場にはたくさんの骨董屋さんが繰り出していました。私は長年、愛用の銘々皿に最近ヒビが入ったので、これを機会に揃っている皿を新調しました。銘々皿は子どもたちが生まれる前から、骨董市で5〜6枚揃いを2種類買って、普段に使っていました。息子や娘が独立して食器を選ぶ時にも、惜しげもなく2種類の中から持って行かせていました。しかし、30年以上も経つと、一つの種類は2枚、もう一つは3枚となってしまいました。そこで今回の6枚揃い購入となったわけです。なに、30年前の私に買えたくらいの安価な骨董ものです。
 歴代の銘々皿をご披露しましょう。
30年以上前に購入した2種類。右が初代、左が2代目。息子が離乳食時代にぶん投げても割れなかった皿も、長年使って、枚数が激減。サイズはどちらも16p。 今回購入の6枚。サイズはちょっと小さく15p強。
明治の印判。私は細い線より、濃い青いタッチが好き。手書きでなくてもいい。
本日、やっと梅を干すことが出来ました。量が多くて、我が家のザルが総出演。たぶん、今年が梅の最終の年。梅干し希望者が事務所で待っています。

2015年7月13日
 「いきなり猛暑!」
 みなさま、この猛暑、いかがお過ごしですか?
 先週の今頃は「太陽でないな、ちょっと肌寒いなぁ」と思っていませんでしたか?それが、この猛暑。昨日は練馬が36度を超えたようで・・・。身体がついていけませんね。
 さて、そんな暑い都会を離れて、日曜日は秋川上流へ水生昆虫の観察に行ってきました。水辺は涼しい風が通り抜けていきます。ただ、川の流れが速いので要注意。参加者は白いバットに水生昆虫をすくっては、名前を確認し、その動きを追っていました。いつもより成長が遅いようで、小さなカゲロウ、カワゲラがたくさん確認されました。ヘビトンボを捕まえて、カニと同じバットに入れて観察していると、最後にはカニが食べてしまいました。気の毒なことをしました。
 プラナリアがなかなか見つからず、難儀しましたが、根気強く探したお蔭で見つけることができました。流れが速いので水生昆虫も必死で石の下につかまっていたのでしょうか?
プラナリアの実験。切っても切っても、生きていきます。 気の毒なヘビトンボ。カニのごちそうになってしまいました。 水辺は涼しいですよ。このフィールドは人が少なく、穴場なのです。

2015年7月5日
 「ひさびさの染色」
 この足し算わかりますか?
 黄色(クチナシ)+青色(藍の生葉)=緑

 という足し算です。草木染めでは緑を出すのがとても難しいです。葉っぱの色なのに不思議ですね。私は家の隣のセイダカアワダチ草で、それも5月に刈り取る若葉で緑を出して得意になっていました。しかし、空き地は草刈りされて、思うようにセイダカアワダチ草が手に入らなくなりました。また、売りに出されているので、まもなく家が建ってしまいます。
 そこで考えたのが、色の足し算。
 玉葱でも良いのですが、クチナシの濃い黄色が一番欲しい緑が出ます。クチナシは春に友人からもらいました。クチナシは好きな樹木です。香りがとても好きです。甘い香りは梅雨時の憂鬱を一時はらしてくれます。そしてオレンジの実が大変貴重で、乾燥させて一年中置いておきたい染色材料です。
 あらかじめ、黄色に染めておいたストールを藍の生葉で染める企てを春先よりしていました。しかし、今年はいつもより一層、藍の発芽が悪く、7月に入ってやっと染められるくらい成長しました。それもほんの50グラムをストール2枚分刈り取りました。
左は染め直しです。一昨年、緑に染めたミニストールですが、退色したので、今回染め直しました。ちょっとムラができたようですが、きっと藍の段階で解消されると思います。
 右はちょっと知人に差し上げる上等のストール。こんな機会でもなければ、染めへ重い腰を上げるのはなかったでしょう。
 左のムラは解消。
 右は出来上がった緑のシルクストール。(手織り品)もらった人がこれを見たら、「黄色のままがいい。」というかも。でも、私は限りなく緑を追求したかったので、こうなりました。これもどんどん退色するはず。
 私はプレゼントとは「趣味の押しつけ」と思っています。

2015年6月30日
 「ホタル飛びました」
 6月も最後の日となりました。ここ2〜3日は涼しくて梅雨空もひと休み。
 お陰様でお天気の心配もなく、日曜日にはホタルのイベントができました。写真はだんだん薄暗くなっていくにつれて、ホタルの淡い光が見えるようになっていくところです。これ以上暗くなるとスマポのカメラでは限界なのです。
 子どもたちは夕方から夜にかけての行動にワクワクして集まってきました。武蔵増戸の駅を降りるとたくさんのホタル観賞の方々と一緒になりました。迷子にならないよう、他の団体についていかないよう、スタッフが前後の固めて行動しました。
 2秒間隔で淡く光るのはヘイケボタル、4秒間隔で力強く光るのがゲンジボタル。その違いが分かるようになるのに時間はかかりません。電燈をなくしてホタル観賞のために協力して下さる地域の人たちのお蔭で毎年、イベントは楽しく行われています。
 例年なら、ムッとする湿気の中、眼鏡もくもる夕暮れなのですが、今年は長袖を着ていても、苦しくないくらい涼しい夕暮れでした。

 また、日曜日はエッグツリーハウスのファシリテーター養成講座の最終日でした。ヤマシタはスタッフとしてお手伝いをしていましたが、ホタルイベントのため、少し早く抜けさせてもらいました。ファシリテーター養成講座はこれで3回目。1回、2回は遊学会の主催で行われていましたが、昨年より設立された一般社団法人エッグツリーハウスの主催に今回からなりました。グリーフケアに特化した団体ができたことや、会を重ねるたびに講師の方々の研鑽の賜物で、毎回講座の中身や運営の仕方が充実してきている実感があります。特に今回から加わった住職による「人が死ぬということ」への考察はヤマシタにとって、非常に刺激的で科学者の住職ならではの死生観、人生観を展開して下さったと思います。ヤマシタは2日目の懇親会の料理担当をした関係ですべての講座を聞くことはできませでしたが、料理を通じて参加者の方と知り合えたと思っています。

2015年6月23日
 「失意のきゅうり」
 農園がピンチです。5月の末に九州で遊びすぎたのか、たまたま今年が当たり年なのか。きゅうりの葉っぱに黒い小さなアブラムシがびっしりついて、消毒しても、ガムテープでとっても、刷毛ではらっても、ダメです。
 3日に一度、世話に行っていますが、どんどんボリュームがなくなっていきます。昨年のきゅうりの収穫は200本を超え、漬物にしたり、友人にわけたり、キャンプの材料などには事欠きませんでした。ところがこのありさま。今年の夏はきゅうりを買うことになりそうです。
 きゅうりに続いてズッキーニ、トマトにもつきはじめています。ここできゅうりをばっさり諦めるか・・・・、思案のしどころです。今朝も歩いて農園に寄り、隣の駅から出勤しました。リュックに収穫物をパンパンにつめこんで電車に乗ります。戦後の買いだしのようです。

2015年6月10日
  「山荘,はや22年・・・」
 週末に苗場の山荘へ行ってきました。グリーフケアキャンプや森の教室の整備のためです。個人的に栽培させてもらっている「藍」の定植もありましたし。
 森の教室は子どもたちがテントに泊まり、4泊も過ごすので、少しでも身の回りの整理ができるよう、またグリーフケアキャンプの集える場所の必要もあって、地下の基礎部分を部屋にする工事が完成に近づいていました。すごく雰囲気があって、コンクリート打ちっぱなしの「おしゃれなカフェ」のようでした。

 今年のキャンプも丸鶏を焼いたり、ピザを焼いたりします。その予行演習も行いました。去年は何が何だかわからまま、仕入れしたり、料理したりしていましたから。今年は完成した姿を想像しながら、購入できるので、仕入れ係のヤマシタも戸惑わずにすむようです。
 
 山荘はタニウツギのピンクの花が咲き誇る時期でした。一年を通じて、折々の季節を楽しんでいるつもりですが、ベターと一年過ごしたことがないので、出会える山野草の種類が毎年違っています。山菜は山ウドが最後のタイミングで穂先の天ぷらを楽しみました。山ぶどうの若い花房も天ぷらにしました。酸味がある!と驚いている人もいましたが、私は衣の味しかしませんでした。

 ライラックの最終的な修理、外の流し台の設置、草刈、ベランダなどのペンキ補修・・・、とまだまだ課題は残りますが、最低限のことをして整備ツアーは終了しました。ことしもキャンプのシーズンが始まります。
地下室の空間に驚いているスタッフ。「なんかお店できそうね。」 丸鶏は小さめのを使いました。他のスペースに野菜をおけるので。 娘が用意したピザのトッピング。5種類のピザが2枚ずつできました。 今年の藍の発芽は難儀しました。東京でやっと発芽した苗を大事に定植しました。 業者さんと薪を運ぶ娘。これで腰が痛くなったとか。一晩寝れば回復したらしい。 コールマンの保冷庫にティファールを入れて、ピザ生地やパン生地を発酵。

2015年5月31日
 「長〜いお休み」
 九州方面に行って来ました。昨年の北海道とはガラリと変わって、人の流れのあるスポットでした。
 旅行の日程は3〜4ヶ月かけて練り上げたものでした。どこに泊まるか、どう泊まるかがポイントでした。
 
 まず、高砂の妹の家に泊まって墓参りなどをすませ、妹も参加してスタートは3人旅。交代で運転したドライブであっという間に本州から九州へ。まず、太宰府の九州国立博物館の圧倒的なグレイドの高さの展示品に圧倒され、大都市の福岡に入りました。
 福岡天神で明るい賑やかな夜の街を楽しみました。選んだ店は春吉の「一刻堂」。おまかせ料理はふぐ、うに、くえなどの海鮮料理から、豊後牛をわさびソースで食べさせる肉料理まで。鶏出汁のウニ茶碗蒸しの優しい味・・・。ウニは唐津のウニでした。
 黒川温泉は「南城苑」に泊まりました。白濁硫黄泉、単純アルカリ泉、塩化物泉・・・・。ゆっくり数種の湯巡りをして、翌日は湯平温泉により、湯布院へ。湯布院のランチは「不生庵ムラタ」。蕎麦はやはり東日本かなとは思いましたが、蒸気のあがる景色のなかでの食事も雰囲気がありました。「ゆふいん泰葉」の立ち寄り湯は水風呂のままだったので、クレームをつけ返金を受けました。気を取り直して「庄屋の館」のブルーの湯へ行きました。その湯が良くて、気持ちよく妹は帰路に着きました。妹は車を私たちに残し、自身は「湯布院の森」で帰っていきました。

 私たちはその後、湯布院のコテージで2泊(自炊)して、鉄輪温泉、明礬温泉を巡り、大分県立美術館OPAMにも脚を伸ばし、「湯と美術館」三昧を楽しみました。最後には出雲大社、足立美術館を堪能して還ってきました。

 そして、家に帰って、娘とお土産の鯖寿司や穴子寿司を食べていると、小さな揺れから水槽の水を揺らす揺れへと移行する地震に遭遇。「あ〜、東日本に帰ってきた、それにしても変わった揺れ方だな〜」と肝を冷やしました。
 九州で一番印象に残っていることはアジア系外国人の多さでした。彼らは同じ行動をするので、よく分かりますし、あたりをはばからず大きな声で話すのでした。我が故郷「姫路」もプチバブルの様相です。もちろんここにも欧米、アジアを問わず、外国人が溢れていました。大手通りの車線を減らし、お城に向かって見晴らしをよくした人の道が広がっていました。
湯布院のアルテジオ美術館前で笑いこける3人。これは妹の自取り棒で撮影。外国の人はほとんど、これを持って歩いている。 出雲大社は真ん中は神の道なので、両脇の参道を歩きます。スケールの大きな気持ちのより大社でした。 今度はいつ帰れるか。
 向こうに見える石山が亡き父が採掘業を営んでいた竜山。石切場の隣の墓地に父母が眠っている。新幹線から。

2015年5月18日
 「ビーチコーミング」
 久しぶりにビーチへ行ってきました。山手トンネルを抜けて、早いね〜と言っていたのもつかの間・・・・、長い渋滞の列に入ってしまい、ドライバーの方から「五月の連休も過ぎたのに、この車の量はきっと箱根の観光地をあきらめた人たちが千葉に繰り出したためでしょう」と説明がありました。長い長い渋滞の忍耐の中、総勢28名は無事フラワーパークへ到着して、ビーチコーミングを楽しみました。最初は磯の生物と遊び、後半は貝殻を拾って歩きました。
 帰路も渋滞が待っていましたが、行きほどではありませんでした。アウトレットの存在はすごい渋滞を生む原因のようです。何とか早め早めに行動して、最小限の遅れで帰ってまいりました。貸切バスは中型バスで席がゆったりしていて、楽でした。今後もこんな風にビーチに行けたらと思います。
 
 それにしても初心者もたくさんタカラガイを拾っていました。現地でできなかった分は、バスの中で一つ一つ同定して帰ってきました。
お天気も良く、風も穏やかで、ビーチコーミング日和。 おまけ:
今年はらっきょを一キロつけました。昨年知人にいただいて、その美味しさを思い出したからです。右はカットして上品な形になったらっきょ。左は残った端っこ。左から食べようと思います。

2015年5月15日
 「フクセンのfacebook」
 フクセンがfacebookを始めました。その理由は6月より「本の力」という教室をスタートさせるという事情からです。封書で案内書が届いた方もいると思います。郵送で友人知人に送るにも限りがあるので、もう少し、広報ができないかと考えた結果でした。
 最初はホームページを作れないかとフクセンから質問がありました。誰かに作ってもらっても更新ができないと続きません。そこで簡単に更新できるfacebookを考えました。都合の良いことにI-PADを使ってインターネットはできるようになっています。これに画像を撮り、保存し、facebookに貼り付け、文章を書いて投稿する・・・・。この作業を3日〜4日かけて練習しました。
 最初は「カメラ」「写真」「facebook」と移り歩くことに慣れないで、思うような画面が出なくて困っていましたが、何度か繰り返すうちにできるようになりました。
 
 そして、満を持して、5月13日に「本の力」のfacebookを皆さんに公開しました。独力で投稿できるようになったわけです。個人の福島一宏にも「友達申請」がやってきたり、フクセンが申請したりして、30名を超えるひとが友達になってくれました。ページへの「いいね」の数も一日で10以上超えました。華々しく公開したフクセンのfacebookです。
 よかったら、のぞいてみて下さい。 本の力
遊学会のトップページ(海岸のページ)から入ってください。
Facebookページも宣伝
 

2015年5月6日
 「山菜事情」
 苗場は今年は雪が多かったせいか、雪解けが遅いように感じました。昨年は4月の終わり頃でコシアブラが食べ頃でしたが、今年は5月連休でやっと小さな芽吹きを確認できる程度でした。きっと明日、明後日あたりが食べ頃なんでしょう。
 さて、グリーフキャンプや森の教室の準備のために整備ツアー第一弾として、フクシマ家と西尾家の総勢5名が参加しました。全員還暦前後です。深夜、若者3人が到着しましたが、整備にはたずさわらず、早朝、水上のラフティングに出発しました。
 1993年の7月31日に苗場の山荘はスタートしました。それ以来、たくさんの子どもたちの四季を通じての「自然体験」の場となりました。昨年よりリニューアルして、グリーフキャンプや原発事故で出来なくなった「いわきの森の教室」の復活を企画したりしました。これらは今年も継承されます。そして、もっと安全に使いやすくしようと、今から整備ツアーを重ねて準備していくことになりました。地下には新しいスペースも生まれます。グリーフキャンプは好評で一度では参加者が収容しきれないので、7月8月と二度に渡り、実施することになりました。

 楽しみにしていた糸魚川への山菜採りも断念。先生のM村さんが、『コゴミ、ミズ、花いかだ』を先日、送って下さいました。北海道の行者ニンニクから始まった2015年の山菜です。山菜を楽しめるシーズンが長くなった気がします。知人友人のおかげです。
ナメコと椎茸の菌打ちをしました。これは椎茸用のミズナラ。ドリルでコマのスペースを空けているところ。ナメコは桜で。 管理人の庭野さんが熊汁をご馳走して下さいました。牛すじをアッサリしたような感じ。初めての味で、美味しかったです。 昨年より倍の面積を確保した藍畑。土を耕して、草木灰をまいて帰ってきました。 これは我が家の玄関脇で発芽を待つ藍たち。チラホラ緑の芽が出現しているところも。6月の第一週に定植予定。 今晩の夕食材料。帰る間際に取ったコシアブラとタラの芽(右二本だけ)。 フキノトウはフキ味噌になりました。黄緑が美しい。もちろん、天ぷらにもしますよ。

2015年5月2日
 「編み物歴50年」
 冬の子ども時代を思い出すと、湯気のあがるストーブの部屋に母と叔母達が編み物機械の前に座り、機械編みを楽しんでいます。その傍ら、私たち3人姉妹が人形さんごっこやおままごとをして遊んでいる光景があります。小学校になると私は母から二本棒針を渡され、表編みを繰り返すガーター編みをして遊んでいました。
 高校生になると、英単語を覚えては編み、世界史の暗記をしては編み、志望校の過去問題をといては編み・・・・。ずっと編み物をして過ごしてきました。大人になっても忙しい書類仕事の合間には編み物をしないと、正確な仕事ができないとクセになっていました。集中するときはいつも傍らに編み針がありました。

 さて、2人の母を天国に送り、2人の遺品を整理しますと、大量の編み針が出てきました。これを私の所蔵と合体して、編み針箱を作りました。一号から十二号まで、二本針、五本針、輪編みと必要に合わせて3人分のセットが存在します。箱で管理するのは混乱するので、なんとかならないかと、考えました。その結果、一目で管理できるよう、古い帯を使って「編み針収納」を作りました。4〜5年ほど前でしょうか。このコラムでも紹介したように記憶しています。
 わかりますか?
 手前が輪針、向こうが二本針と五本針。巻いて一つの収納としました。
 2人の母はとても道具を大切にしていました。当時は金属製やプラスチック製が流行だったようです。5号前後がたくさん残っています。
 左が「編み針収納」を巻いてコンパクトにしたところ。右のグッズは本日、紹介したい「ニットプロ」。
 「ニットプロ」とは2013年に出会いました。短針と長針を選び、二本針、五本針、輪針のすべてのニーズに対応するヒモ部分を選びます。その組み合わせでほとんどのニーズに対応してしまう「夢のような優れもの」です。
 これは短針に20pのひも部分に止めのボタンをジョイントしたもの。これを2つ作ると二本棒針が完成。ジョイント部分は右下の金具でしっかり固定させます。
 グラグラだと編んでいて、糸に引っかかります。
 これは長針を40pのひもの両端につけたもの。これで二本棒針と同じ作業ができます。このやり方が編み物歴50年のヤマシタが脱帽したやり方。
 短針、長針、ひもは20.40.60.80p用二本ずつ。丸いのは端を止めるボタン。
 まず、3000円くらいのスターターセットを買って、少しずつ買い足して、今に至ります。
 左の定規は針が何号か判定するグッズ(母遺品)。ニットプロの難点は針の号数がこすれて識別不能になること。もう一つの難点は3号以下は折れやすいこと。針の素材はシンフォニーウッドの竹製が最適。金属は手触りがイマイチ。
 「編み針収納」の20の1の軽さでそれ以上の「バリエーションの編み針」が可能となります。
 50年目の奇跡。
 これから編み物を始める人にはお勧め。
 2人の母が残した編み針も大切に使うつもりです。そして、これからは染色用に購入した生成の糸をどんどん編んで、黄色の上に藍の青を重ねたり、媒染を変えて楽しんだり、いろいろ試そうと思います。連休はこんなことやって過ぎています。
 明日の午後からは山荘へメンテナンスと山菜の様子を見に行って来ます。もちろん、編み物セットを持って。

2015年4月25日
 「再びのマルチ自慢」
 金曜日の午後と本日の午前中は夏野菜の準備に明け暮れました。枝豆、インゲン、里芋、とうもろこしなどは種まきは終わっています。次はトマト、なす、キュウリなどの果菜類、夏のメインの植え付けが来週に迫っています。
 土作りをしてマルチを貼って、来週の植え付けを迎えます。まず、区画の土に施肥を施し、30pほど土を耕します。その後、深い溝を掘り、残りの肥料を入れます。その後、平らにして畝をつくり、形が決まったら、マルチを貼ります。丁寧に丁寧に畝を作り、マルチを貼りました。途中、傍を通る方が褒めてくれるのが嬉しいです。貼り終えても、知らない方がやってきて、「ピッタリ、素晴らしい」と褒めてくださいます。ある人は「一年目なんですが、コツはなんですか?」と尋ねてきました。「いや、私もやっとここまでです。うまくありません」と謙虚に答えていますが、嬉しさは隠せません。「60pに作っても、わりと5pくらい目減りするので、しっかり60p幅に畝を作ることです」とコツを伝えている自分がいました。
 結局、野菜の管理が物を言う夏野菜の出来なのですが、マルチが綺麗に貼れると嬉しいのです。
マルチ自慢。風が吹いても大丈夫。ピッタリだから。右にはトマト、きゅうり、左にはナス、ピーマンの予定。支柱が立つと立体的になる。 トウモロコシの発芽。台風が来ないことを願うばかり。一度大風にやられると、倒れてしまう。 キャベツを一つ虫にやられました。向こう側のヒョロッとしているのは、代わりに植えたブロッコリー。右はじゃがいも。

2015年4月24日
 「長いお付き合い」
 遊学会の代表のお母様である西尾行恵さんが永眠されました。息子さんである西尾氏は介護休暇をとって、お母様の最後の時間を大切に過ごしていました。助成金の実績報告の最終タイミングでしたが、うまく提出できたか心配していました。

 西尾行恵さんは奈良の明日香出身の方でしたので、葬儀にはたくさん奈良の方がいらしていました。兵庫県とはちょっとイントネーションが違うものの、ざっくりくくれば関西弁。懐かしい気持ちで皆さんのお話をうかがっていました。行恵さんの妹さんは火葬場で、もうお別れという時に悲しみがこみ上げて、「焼却の扉の前で待つ」と場所を動こうとされませんでした。火葬場のルールでそれはかなわず、泣く泣く場所を離れましたが、控え室に入らず、廊下でお姉さんを偲ばれていました。
 今回のご葬儀で感じたことを書かせてもらいます。
 故人を偲ぶことは、今までの我が来し方を振り返ること、その軌跡上に故人が重なって、エピソードを披露するたびに、自分の一部も一緒に納まっていく感じ(昇華していく感じ)がしていました。もう会えない寂しさは、その時の私も、彼女がいなくなることで、もう存在しない寂しさに繋がるような気がします。

 彼女との出会いは電話からでした。大学一年生の夏に登山をする体育実技を選択した私はキャラバンシューズを持ってなくて困っていました。クラスメートの西尾くん(今の西尾氏)に相談すると、「サークルの先輩に貸してくれるよう頼んでやるよ」というので、大変助かったことを覚えています。その借りたキャラバンシューズをお返しする段取りのために、西尾氏の自宅に電話をした時のことでした。行恵さんは「借りた品物を返したいので西尾くんに電話しました」という私に、「○文は今留守ですが、大学のクラスの友だちですか?」「どこのご出身ですか?そう兵庫県高砂ですか」などと、いろいろ質問をして、自らも奈良出身と紹介され、初めてお電話したのに親密に話して下さったことを記憶しています。その感じは詮索というより、郷里を離れて一人で暮らす私に同じ関西人としてエールを送ってくれたような気がして、嬉しかったことを覚えています。話し方が非常に論理的で、かつ関西弁ということで、忘れられない出会いとなりました。

 その後も塾を始めた私たちはよく、彼女の料理をいただくことになります。茶道も教えておられ、茶懐石も一人で仕切ってしまわれる腕前でした。一度、おもてなしを受けたことがありました。近所の方に自宅で料理教室を開催なさっていた時期もあったので、スポットで仲間にいれていただいたこともありました。12月で簡単なお節の数種類を教わりました。指導する会話は関西弁。指導の手際はてきぱきと合理的。「何でも出来る人なんだな〜」と私は思っていました。
 ペン習字も生徒になりました。何段か忘れてしまいましたが、協会に送って正式に段位をいただいていたように記憶しています。真面目に書いて提出すると、段が上がっていくのが楽しかったです。とても、字が得意になりました。彼女はいつも褒めて褒めて指導して下さいました。彼女の字の特徴で私が真似て今日に至っている部分があります。それは点の打ち方です。練馬区の練は糸偏ですね。その糸の下の部分「小」を「、、、」と書くのです。ここで書くとバランスが悪いですが、とにかく「かっこいい」のです。

 3年前まで発行していた「塾通信」の題字は彼女の手によるものです。もう、発行する機会もありませんが、苗場の山荘のリビングには2012年までのバックナンバーが揃っています。
 ご冥福をお祈りすると共に、こんなに長いご縁があったことを有り難く思っています。

2015年4月13日
 「マルチ張り」
 農園生活4年目を迎え、マルチの張り方が上手になりました。農園で一緒になった方に褒めてもらえるようになりました。「あなたはいつも丁寧にきれいにしてるね」と言ってくださる方が数名います。
 同じ講習を受けてるようでも、毎回違う発見やコツの伝授があります。経験者は実習などは切り上げて、自分の作業に向かう姿がありますが、私は毎回、初心者のつもりで聞いています。塾の生活を長くやっていて、教える立場からの景色しか見えていませんでしたが、今は生徒に徹しています。四年目は四年目の課題があるのです。来年で契約が切れますが、それ以後もやはり、自分で自在に作付する区民農園じゃなく、農家さんに指導を受ける形式を私は選びたいです。
 さて、どなたも興味ないとは思いますが、マルチ張りの様子をご紹介。
板を利用して、角の土をしっかり成形しています。手だけより、きちんと形になります。 あとは土を手で細かくほぐして、畝の形を作ります。向こうに見えるのは目印の割りばし。これを頼りに成形。 私の張ったマルチは土と一体となって、大風が吹いても風をはらみません。ちょっと自慢。来週、トウモロコシを播きます。

2015年4月8日
 「春の味」
 北海道の友人から行者にんにくが届きました。内地(北海道の人は本州をこう呼ぶ)の栽培ものは緑の部分しかお目にかかれないところ、送られてきたのは白い茎つきのものです。この白い部分がうまいのです。ニラでもなく、ニンニクでもなく、ノビルでもなく、まさしく行者ニンニクの味です。
 今朝、さっそく料理して、職場の若者に分けました。ほんの少しでも強烈に香ります。朝、渡したら、さっそくオニギリと「うまい、うまい」と食べる人もいました。
 本当はもっと量があれば、酢味噌和えも作りたかったですが、これで充分、感謝の味でした。
むらさきの部分を取ってから、洗います。クール便で送られた行者ニンニクはしっかり綺麗です。 洗って水を切り、3センチくらいにカットしていきます。丁寧に採取したのでしょう、切り口がきれい。 かさを増すためにひき肉、しめじ、ニンジンと強火で炒めて出来上がり。肉との相性が抜群です。薄味で充分。

2015年3月29日
 「我が家の柿」
 やっと冬を抜けました。明日からはたぶん、「寒いね〜」といって起きることはないようです。杉の次に檜が花粉を飛ばしているようで、アレルギーの症状が微妙に違うのが分かります。私の場合は眼の痒みが杉も檜も一番の悩みです。
 さて、昨日の土曜日は柿の枝のチョキチョキに2人で挑戦しました。業者さんに頼もうか、2人でやろうか、しばらく考えましたが、まずはノコギリの届く範囲でやってみようと土曜日に決行となりました。
 つくしの絨毯の空き地を踏みながら、脚立を立て、フクシマが塀にのります。ステロイドがゼロになった彼の体はバランスが良いです。とび職の方のように塀の上で枝を選定します。南に出っ張っている枝を全部切ることにしましたので、一本一本、「これとこれね・・・」と、私と確認していきました。地面に置いた丸太を切るのとは事情が違います。上を向いて空間で作業します。粘り強く、慎重に切っていきます。空き地に枝を落とすときは塀にダメージを与えないように、最後の一皮をコントロールして、空間のあいている場所に落下させます。私がすかさず、枝を移動して、中枝、小枝を切り落とし、袋に収納します。都合10本ほど落下させました。
 私は中枝、小枝を、黙々と袋に入れる作業は続けていますが、フクシマは塀から降りて、大枝を丸太にしていく作業を続行。2人、あまり話をせず、3時間ほど、柿の作業をしていました。一pくらいの若芽をつけた柿の小枝です。あと一週間早く作業をやっていれば、このエネルギーは現存の枝に廻ったのに・・・と、後悔しきりでした。柿の若芽の美しさ、その小さな若芽の発芽をムダにした後悔です。だから、丁寧にやりました。

 隣の空き地は売りに出され、きっと来年の今頃は家が建っていることでしょう。『そうなる前に、切りやすい時に、隣家に入っている部分だけでも、枝をはらっておかないと・・・』と、毎日、気になっていました。やっと、枝が落とせて、一安心なのですが、半分以下になってしまった、我が家の柿をみて、「スッキリした」とは思えない気持ちで、「仕方ないな」「空き地だから、思う存分今まで枝を伸ばせたのを感謝するしかないか」と、納得させていました。

 もちろん、本日2人とも筋肉痛。

 窓辺から柿を見て思います。「昨年までのように、どんどん繁って、道路から我が家の様子を隠してくれるのかな」と。
隣地はつくしの絨毯。40坪6000万で売りにでています。
来年、つくしに会うのは困難。これが見納め。もちろん、食べ納め。
切り落とした小枝についていた若芽。切って初めて萌え出していたことを知る。どうして、こんなに黄緑が美しいのか。 とび仕事のあとは、40pに枝をカットしていくフクシマ。こうすると自治体のゴミ収集の車に入れてもらえる。

2015年3月21日
 「淡々とした日々」
 花粉症の季節を淡々と暮らしています。
 顔を洗い、目薬を差し、部屋の空気を清浄に保ち、花粉を身体に入れないよう毎日マスクを取り替えています。

 朝は隣の駅から乗車し、1日8000歩は歩いています。花粉症の季節でも歩き通せたら、きっと初夏になっても、歩けるはず。でも、猛暑はどうかな?健康診断で血圧のコントロールはOKだけど、血糖値がちょっと黄色信号なので、朝のウォーキングは欠かせぬ日課となりました。どうしたら、体重が減らせるのでしょう?これがライフワークになりそうです。酒量もほどほどに。日本酒はきっちり一合。あとはハイボールを少々。10時前後には就寝し、6時前後に起床・・・・。こんな風に月〜木を過ごし、金は板橋区の源泉で身体をリセット。土日は食事当番を担当し、子どもの体験活動やグリーフケアの仕事などにあてています。

 還暦を過ぎ、バランスよく仕事をし、無理なく身体を動かし、ほどほどに夢を持ち、行く先、家族などへの心配事も「守るべき幸せがある証拠」と理解し、季節のうつろいを快く感じながら暮らしています。

 画像は先日の十住堂でのグリーフケアの様子と本番スタートした農園の様子です。
プログラムが始まる前にファシリテーターとゲームをして遊ぶ子どもたち。 これは万華鏡の中身を入れているところ。老眼にはちょっと見づらい万華鏡。 農園の一番バッターは、じゃがいも。カットして切り口に草木灰をつけています。 農園の先生が土壌の検査をしています。アルカリに傾いているので石灰を控えるという。 じゃがいもを等間隔に並べています。収穫は6月末。味は抜群。 隣の畝はキャベツ、ブロッコリーの予定。フクシマが土を細かくしています。

2015年3月5日
 「フォローアップ研修」
 先日の日曜日、エッグツリーハウスのフォローアップ研修がありました。第一期と第二期のファシリテーターが集まる初めての研修でした。「がんの子どもを守る会」のご厚意で、浅草橋のアフラックビルのセミナー室をお借りできたことは、大変有難いことでした。
 内容はこの一年間やってきた経験を踏まえ、ファシリテーターの役割を考えたり、各種の事例から学び、ワールドカフェ形式で討論するなど、プログラムが充実していました。
 フクシマは今までの塾での子どもとの関わりから、少し話をする時間がありました。その内容は主に丹誠塾という場でどういう姿勢で子どもとかかわってきたかということに集約されていました。「子どもを競争させ、ランクづけする視点ではなく、どの子もみんな学びたがっている、ということを信じ、教材を準備し、学習に向かう動機づけを共有し、最後まで一緒に伴走すること」というを開塾当初よりずっと、やっていたと彼は振り返ります。
 また、「子どもの遊びとグリーフケア」という小冊子を皆さんに渡し、なぜ遊びが必要なのかを論じていました。参加者の方の感想で「ようやく、今日の説明で、子どものグリーフに遊びが必要かが、わかりました」という言葉が出て、フクシマは後で「よかった」と言っていました。彼の文章をこのコラムでも紹介することにします。

子どもの遊びとグリーフケア

@子どもの世界

 子どもは幼いころから、あらゆるものに興味を示す。何でも口に入れ、なめて調べることから始める。時には庭で見つけたダンゴムシさえ、口に入れてモグモグすることもある。

 大人は子どもの行動をドキドキしながら見守っている。まわりに毒のものがないかを調べ、ものがのどにつまらないかも気にする。また、転んでオデコを尖った所にぶつけはしないかとヤキモキしながら生活している。

 次第に子どもは小さな手で触れることで、ものを理解するようになる。ストーブに手を伸ばそうとすれば、大人は黙っていない。「アチチよ!」と言っておそろしい顔で危険を知らせる。触ってしまったら、熱さによる痛みが不快感となって、自身に跳ね返ってくる。子どもは何事もやってみて実感を持つ。

 外に出れば、花を摘み取ろうともするだろう。それを見て大人は「綺麗なお花ね。」と優しく声をかける。子どもは声の調子から安らぎを感じ取る。花に手を触れるのも気持ちいい。花を摘み、顔の前に持ってくる。花の甘いにおいを吸い込んで、うっとりとする。地面に目を向ければアリ同士の戦いを見ることもあるだろう。生きるための戦いに神秘を見るかもしれない。ハンミヨウの色の美しさに魅入られることもあるだろう。

 子どもは一つ一つの体験を心に刻み込みながら、まわりの世界を理解していく。そこには大人の手助け(同じものを見ている静かなまなざし)がある。

 子どもには自然の中には美しいもの、神秘的なもの、不思議なものが存在することを教えてくれる大人の存在が必要である。教えるというよりも、感動を一緒に分かち合える人といった方が正解かもしれない。美しいものを感じとれ、素直に表現できる大人の存在が、子どもの心にいつまでも消えない喜びを与える。

Aセンス・オブ・ワンダー

 『沈黙の春』で、1950年代に農薬の乱用による環境破壊に鋭い警告を発し、現代のエコロジー運動の母とも言われているレイチェル・カーソンの著書『センス・オブ・ワンダー』の中の言葉である。センス・オブ・ワンダーとは、「不思議さや神秘さ、そして美しさに目をみはる感性」と訳される。

 この心は子どもなら誰しも持っている。けれど、大人になっていくうちに少しずつ失っていくものらしい。しかし、“ぞうさん”の歌で有名な、まどみちおさんのように、いつまでも持ち続ける稀有な人もいる。生まれたばかりの時、人の心はセンス・オブ・ワンダーであふれている。

 しかし、子どもは成長するにしたがい、生きていくために、やらなければならないことがたくさんある。子どもは言葉を覚え、読んだり書いたり、計算できるようにならなくてはいけない。今の時代に適応するためには、子どもは多くの情報を頭に詰め込み知識をため込む必要がある。将来に向けて生き続けていくための準備に追われ、次第にセンス・オブ・ワンダーを失っていく。

Bグリーフケアとセンス・オブ・ワンダー  

人生にはさまざまな試練が横たわっている。3・11の大地震のような誰もが予想しない出来事が不意に私たちに襲いかかってくる。愛する人を失うことだってある。仕事をなくし、生活の糧を奪われることも。ましてや、自分の人生が終わりに近づいたと気づかされる場合だってある。

 そんな時、傷ついた心を癒してくれるものが、自然の中に用意されている。

 生きる希望を失いかけた時に、小さなアリが黙々と大きなエサを運ぶ姿を見て、なぜか勇気づけられる。孤独にさいなまれそうになった時、遠い日に親しい人と見上げた星空の美しさを思い出し、心が温まっていくことがある。また、愛する人を亡くし、悲しみに打ちひしがられそうになった時、繰り返される季節の変化や、潮の満ち引きの確かさに触れ、人は自然の一部としての人間に思い至り、生死を含んだ自然の理を悟る。そして、心が癒される。そう、センス・オブ・ワンダーに立ち戻れるのだ。

Cファシリテーターの役割

 あなたが感じたことを子どもに伝えてあげよう。何かを子どもに教えなくては、と考える必要はない。レイチェル・カーソンも「知ることは感じることの半分も重要ではない。」と言っている。

 言葉はそれほど重要ではない。言葉より、あなたの気持ちが伝わることが大切だ。子どもは、あなたの声の調子や顔つきから、あなたの気持ちを感じとるだろう。また、あなたが子どもの時に見た巨大な虹の美しさや、心に感動を覚えたことを、誰とどこで見て、どんな風に感じたか聞かせてあげるのもいいことだ。

 子どもが話し始めたら、よく聞いてあげよう。返事を考えながら聞く必要はない。子どもは、あなたに話すことが喜びなのだから。

 話される存在になれたら、ファシリテーターとして合格。

 子どもと一緒に自然をみることはファシリテーター自身のセンス・オブ・ワンダーを生き生きと蘇らせてもくれる。これが楽しい。注意深く鳥の鳴き声に耳を澄ます。植物の香りに酔い、土の感触を味わう。ファシリテーター自身が子ども時代の感覚を取り戻し、ふだん眠らせていた感覚を目覚めさせる良い機会ともなる。

 やがて、ファシリテーター自身が子どもから多くのことを教えられていることにも気がつくだろう。自然をみることは誰かが誰かに一方的に情報を伝えることではない。お互いの感性を触れ合わせながら、ひとつに高め合っていくことなのだ。そして、お互いを理解する、またとないひとときでもある。

 子どもは自分が興味を持ったものにファシリテーターが関心をしめすと、とてもうれしい。子どもはファシリテーターが感じたのと同じものを自分も感じられた時、喜びで満たされる。そして、無意識のうちに、ファシリテーターの愛を感じとっている。それは子どもの心の奥深くにしっかり注がれていることだろう。

 エッグ ツリー ハウスの「子どものたまごの時間」が訪ねてくれた子どもたち、そしてファシリテーターたちにとって、有意義な場所となることを願っています。

                                        2015/02/11  福島 一宏


2015年2月26日
 「タイツ脱ぐと、眼のかゆみ」
 昨日は朝思い切ってタイツなしで出勤しました。朝の関公園は気持ちよくウォーキングできました。モミジバフウの実が最後の落下で一面じゅうたん状に落ちていました。フクセンにメールしましたが、もうすでに家にたくさんあるので、拾わないという判断でした。
 タイツもなしで足元が爽快になったと喜んでいたら、眼のチクチク、もやもやがスタートしました。かゆみというよりドライ感が激しく、「やってきたか!」という感じです。昨日は目薬の準備がなく、顔を2〜3回洗って過ごしました。

 画像は先日、日曜日『ギャラリーしおさい』で行われた恒例の「桜染めの会」です。12月〜2月に常滑の甕に水漬けされた桜の落葉。ヨードチンキのような色になったものを低温で染める作業です。炭酸カリウムでアルカリ媒染をし、ストールや糸を染めました。参加者は5名。一度採取した原液の後に、葉っぱを再度洗って、残り成分を集めた液も使いました。
 桜はいろいろデータを取りますが、決して同じような結果になりません。毎年毎年出たとこ勝負です。今回で4回目になる桜染め、初回の参加者は大きな満足を持って帰ってもらったように思います。

 ヤマシタは綿、毛混紡の中細毛糸を染めました。淡いピンクを狙いましたが、サーモンピンクっぽい仕上がりになりました。
染液につけるときはワクワク、ドキドキ。桜餅の薫りに部屋中が満たされます。 絹のストール。「○○さんへのプレゼントに」と作者は決めて、染めていました。桜のピンクは品があります。これをもらうと嬉しいと思います。 左が絹糸、右はウール。ウールはフォルト化しないよう低温でゆすらずに。ウールは最終なので液の限界のためか淡い。乾くともっと薄くなるはず。

2015年2月17日
 「遊学会の十住堂イベントはあと1回」
 先日の土曜、十住堂のグリーフケア、無事終わりました。遊学会として活動するのは3月まで。4月からは一般社団法人エッグツリーハウスが主催します。日程も第二土曜から第四日曜と大きく、引っ越すことになりました。興味をお持ちの方、またはどなたかを紹介しようと思っていらっしゃる方、第四日曜と覚えておいてくださいね。
 さて、先日の子どものたまごの時間(エッグツリーハウスではグリーフケアの時間をこう呼んでいます)は「ろうそく作り」と「雪の結晶を作る」でした。彩もさまざま、形もさまざまなろうそくを作ったり、江戸時代から雪をテーマにデザインしたものを折り紙で再現したり、十住堂はアートな空気で満たされました。
 プログラムの合間に参加した子どもが縄跳びを持って来ていて、外で跳んでいたので、フクセンも挑戦。縄が短かったのためか、体力の劇的な衰えのためか、二重とびが満足にできなかったのを悔しく思い、翌日吉祥寺に出かけるヤマシタに縄跳びを頼みました。
 
 大人用の縄跳びは石井スポーツにはなく、丸井の5階のスポーツ屋でやっと見つけました。一番上等のを購入しました。
 
 月曜日からフクセンは近くの公園でせっせと縄跳び練習に励んでいます。次の十住堂では子どもに勇姿を見せるつもりです。
星やハートの形もできます。参加者はろうそくを固める時間に雪の結晶に挑戦していました。 雪の結晶を型紙を使って切り抜く遊びです。ハサミで切れないところはカッターで。細かい作業です。 縄跳びを買った帰りにアトレーの魚屋で見つけた「氷頭なます」。ちょっと甘いけど、これに針生姜を加えると昔の味。

2015年2月8日
 「とうとう還暦」
 5日は私の誕生日でした。夕方からお寿司屋さんで友人たちがパーティーを開いてくれ、赤いベストを贈られました。「赤なんて自分じゃ買わないから、いいじゃない」と。アウトドアのメーカーのダウンベストです。これは着こなそうと思います。
 田舎の二人の妹から大吟醸や染物の染料など。一番下の妹は単独でお決まりのパンツ(申と書いてある)を送ってきました。家族からもいつもの誕生日プレゼントをもらい、嬉しい一日でした。
 とはいうものの、寂しい反面もあります。もう、年寄の仲間に入ったような気がして。本当は還暦まで生きてこられた喜びをシェアするために、赤いものや長いものを贈る習慣があるようでしが、なかなか、「老境に入る」ということに気持ちがしっくりついていきません。
 もうしばらく、60代に慣れるのに時間がかかりそうです。

2015年1月30日
 「回復しました」
 前出の友人のお陰で回復しました。遅くなっていた原因と思われるものを取り除いてくれたみたいです。よかった、よかった。もうしばらく続けていこうと思います。ゆっくりした更新ですが、お暇な時にのぞいて下さると嬉しいです。
 
 さて、先週の日曜日はモモちゃんの17回忌でした。折しも、新座マラソンで交通規制中の平林寺で法要が営まれました。本堂、墓前とお経をいただき、その後は「堀天」で会食となりました。息子は仕事で参列できませんでしたが、娘は休みがとれて参加でき、小さいころより姉妹の様に育ったモモちゃんを偲びました。
 ひとりひとり故人への思いを語る時、その空気はまるで私たちが月一でやっている「たまごの時間」のサークルに似ているな、と感じました。故人を偲んで食を共にする行為はまさしくグリーフケアなのでしょう。故人を含めて「共に食する」ことは「共にこれからも生きていく」ことを確認しているみたいです。
 最後の3〜4種の料理が満員御礼になってしまったお腹には入りきれないで、もったいないことをしました。

 あさっては事務所の前代表の一周忌。私はお花担当です。今から農協の直売所を周り、お花を調達します。積雪が深くならないことを願いつつ。

 画像は5歳のモモちゃんと記念撮影。当時小学低学年の娘たちは20代半ば。

2015年1月21日
 「15年目のコラム」
 田舎の妹から「ねえちゃんのコラム、表示メッチャ遅いでぇ〜」とLINEで言ってきました。確かに家のパソコンだとイライラするほど遅いです。事務所のパソコンはスイスイなのでうちのパソコンのせいと思っていました。この遊学会のホームページをスタートする時お世話になった友人に相談しました。原因はまだわかりません。
 もう、15年目に入ることだし、もういいかなと思っていたので、その友人に言うと「せっかくここまで続けたんだから、やめるのはもったいないよ」と。

 やりだしたら、途中でやめられない・・・・という性分のため、長々15年もやってきました。2001年1月21日は西東京市の誕生日。15年前、丹誠塾のホームページをリニューアルした時、アップする日を、新しい市の誕生日と合わせたのでした。だから、西東京市も15歳。その後、丹誠塾は私の手を離れましたが、コラムは遊学会のホームページに引っ越しして、今日に至ります。いつのまにか、ナンバーも消失してしまい、そのままです。

 どうしようかな?どこかのブログにしようかな?facebookに一本化しようかな?いろいろ考えてこのスタイルが継続されているし・・・。でも、重たい原因がわからないと続けるのに負担があるし・・・・。アナログなヤマシタは迷っている最中。

 何か、耳より情報、アドバイスあれば、ここへ

2015年1月11日
 「今年最初のたまごの時間」
 昨日の土曜は今年最初のエッグツリーハウスのグリーフケアの日でした。エッグツリーハウスなのでプログラムのことを「子どものたまごの時間」「大人のたまごの時間」と呼んでいます。子どものプログラムは「紙版画のバック」と「バードケーキ」で、大人は「語り、分かち合う」でした。
 ヤマシタは記録係で、たまごの時間前後のミーティングの記録と、たまごの時間のデジカメ撮影でした。初めての一眼レフを渡され、ボタン2つを教えらて、シャッターを押しましたが、タイミングがずれて思うように撮影できず、時間半ばで電池切れ。途中からは自分の携帯で記録しました。

 さて、参加者は子ども大人合計16名。十住堂が狭いくらいの参加者の数でした。特に大人は大勢で真蔵院の本堂が使えなかったので、十住堂の応接間にびっちり椅子を並べ、芝居小屋の様な雰囲気で行われました。
 子どものたまごの時間は最初にフクセンによる「アナグラム」の遊びからスタートし、初めてあう子ども同士、名前で遊びました。自分の名前のタイルをそれぞれもらい、その名前の中に動物が何匹いるかを競います。ファシリテーターと一緒に考えて気持ちがどんどん和んでいきます。そして、2つのプログラムに分かれました。出来上がったバードケーキに鳥がやってくるか、窓から吊したものを監視する子ども、ブーメランをやりに小金井公園へ向かう子ども、最後まで版画をやり通す子ども・・・・。飲み物やおやつも自由です。てんでなことをやりながらも、一つの場をつくっている「ゆるい繋がり」は、ファシリテーターの存在により、心地よい空間として出来上がっていました。

 面白いことを子どもに仕掛ける、でも何をやるかどうか(やらないも含めて)は、子どもが決める。ほんの少しの約束(危険をさけるため)ごと以外は自由にきままに楽しめる空間です。「うちの子は行くことを楽しみにしています」と親ごさんが伝えてくれます。オガッチとフクセンが用意するプログラムは刺激的で、子どもの心を見事にキャッチしています。
将来建てるエッグツリーハウスの建物に動物たちが集っているところ。 フクセンは子どもたちを集中させます。充分ほぐれた身体は集中を欲します。そして再び、リラックス。その繰り返し。 紙版画を刷っているところ。白いかばんに模様がプリントされます。3人の子どもが挑戦し、完成させました。 タイルで自分の名前に動物が何匹いるか挑戦。困難な時はレスキュータイル出動。 作品を仕上げたら、自由遊び。これはスクラブル(アルファベットで単語をつなげるゲーム)のひらがなバージョン。 ぶら下げて鳥を待ちました。鳥は嗅覚じゃなく視覚で寄ってくるので、赤い実がポイント。シジュウカラとメジロがやって来ました。

2015年1月2日
 「元旦の家族」
 2015年明けました。拙いコラムですが、今年もよろしく、お付き合い下さい。
 
 さて、元旦の昨日は塩船観音の警備あけから帰還した息子を交えて4人で新年のお祝いをしました。冷たい料理が残るとつらいので、お節は極力少量にしました。一番だしにかしわだしの雑煮が今年も好評。うちはおすまし仕立てなのです。
 
 昨年の元旦、フクシマが言い伝えたことは「30歳を過ぎたら、親に仕送りをしろ」でした。娘は「ええっ!でも、まだ期間がある・・・」とういう表情。息子は「オレ、この春から主任手当が付くから、30歳前だけど、その分を送るよ」という返事でした。実際、4月からは実現されています。
 そして、今年の元旦、フクシマが2人に伝えたことは「あと5年くらいで、青梅辺りに移り住みたいと思う、この練馬の家は売らないでおくのが理想。」続けて息子に「青梅に家を買うつもりはないのか」と尋ねると「マンションは買わないけど、買うなら一戸建て」という返事でした。フクシマは続けて「お父さん、お母さんが2人で元気にしている内は必要ないけど、どちらかが欠けたりしたら、2人でよく相談して今後を考えること」「娘は30歳までは応援するつもり」と私たちの気持ちを伝えました。

 元旦の朝、この2年は年に一度の家族会議のようになってきました。4人で顔を合わす機会がめっきり減ったので、こういう成り行きなのです。
照り焼き風にコーティングをしてチキンロールのできあがり。 少量なのでバックヤードもスッキリ。今年は1日で食べきりが目標。 元旦にあまり包丁を使わないよう、雑煮の具もスタンバイ。梅とハート。 これが食べきりお節。薄味を限りなく追求。 手前は息子のために取っておいた松葉ガニの脚。 無理矢理な家族写真。娘の撮影。

このコラムは2001年1月から続いています。過去の保存版を読みたい方はきのこをクリックして下さい。
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    02/07/24〜03/03/06
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