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山下由美子の山森(やまもり)ばなし

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01年12月27日 木曜日
 更新をさぼっていました。
 これにはわけが・・・。福島がちょっと具合が悪く、冬期講習のピンチヒーッターを私がやっているからです。それと年末事務とNPOの助成申請の書類づくりで年末が超ハード状態です。おとといは冬期講習の準備をのりとと二人でやってましたが、子どものいない塾はお通夜状態でした。
 いまは冬期講習二日目。とにかく、これをこなすことが一番。

 まだ、来年のアウトラインは引けてません。

2001年12月18日 火曜日
 渡辺のコラムを読んでいただくとわかりますが、ただいま産みの苦しみの真っ最中です。来期のクラス編成の、その手前の「新しい塾像」を創造しています。こういうクリエイトな作業にはすっきりした新鮮な脳と、尽きることのないタフなエネルギーが必要です。でも、そのどちらもないので困っています。
 最近、小さなお子さん連れのお母さんを見かけると「あっ、私もあの頃があったな・・。確かにあったけど、もう遠いな。忘れちゃったな・・・。」「子どもにたくさん元気もらっっていたのに、全然気がつかなかったな」「今なら、もっと子どもと柔らかい、ゆったりした時間を過ごすな・・」と思っています。ただ、もう体がついていかないか・・という気持ちもあります。あのころは必死で元気でした。自転車の前かごとハンドルに買い物をいっぱい積んで、一人の子どもを後部に乗せ、一人を負ぶって移動していました。「すごい力持ち」のお母さんでした。だっこやおんぶで培われた母親の筋力はレスラー並みでした。
 1985年の秋に0歳の息子を負ぶって駅前のビルを周り、交渉し、本当にオンブしたまま、契約書にサインし、押印しました。全然平気でした。同じくオンブして引っ越し準備をして、今のサウスタウンビルに移ってきました。
 
 ご存じの方は少なくなってしまいましたが、丹誠塾はその前は古い貸家でやってました。くみ取りトイレで雨の日にはすごく臭い塾でした。でも、不思議な部屋がたくさんあり、近くに児童公園や駄菓子屋さんもあり、こどもたちには最高でした。中2階の部屋の下には地下室がありました。その地下室で渡辺はドラムと出会いました。始めた頃はみんな大学生で毎日が「集い・語り」の日々でした。よくあれだけ、話すことがあったと思うほど、話し込んで「何か」を突き止めようと必死でした。それはある時は「真実」だったり、「正義」だったり、「行き方」だったり、いろいろでした。いつでも語る材料はあり、語り尽くせない思いが、夜通しみんなを集わせていました。
 仲間のほとんどが就職活動で地方に散り、塾の核心メンバーだけになった時代、周囲1キロ程度では生徒確保が難しく、駅前に移った時代。山荘・トライ☆アングル・大学受験・科学教室など、新しいことを始める節目節目に異常なエネルギーが湧いてきて、次の丹誠塾を拓いて来ました。それで「今」があります。もう一度それぞれの時期に戻ったら、やっぱり同じことを選んでやってると思います。

 2002年の舵取り。再度、欲しいもの・・・。フレッシュな脳と強靱な体力。もう、私たちが拓く時代じゃないのかもしれない・・・。弱気じゃなく、マジで。

2001年12月13日 木曜日
 おもしろい本を読みました。
 『骨董市で家を買う』という本で、著述業の夫婦が富山県の古民家を品川へ移築する話です。骨董の好きな奥さんがある日、「骨董屋さんから家を買う」と決心し、約1年かけて移築する話ですが、途中の古い民家の解体や木材の洗い磨き、移送、、組み立てなどにずいぶん、手こずって、やっと完成にこぎ着ける流れに思わず引き込まれました。
 とうとう念願の新居に入った著者の感想は「風の吹き抜ける家」を楽しんでいるという言葉です。
 さらにその奥さんは最後に「この家に欠けてるのは‘品格’なのよ。家の魂というのかな。ひと筆でさっと書いた、けれど力強い線のような。昔の匠が手掛けて、それなりの知恵と合理性がつまった、あたりまえの美しさが、あの家には備わったいたと思うの。だけど、私が、間取りをはじめ、さまざまな部分をせせこましくいじったために、その良さが多分に損なわれてしまった・・・・・。」と述懐します。

 この本を読んで俄然私の中に2つの事が起こってきました。
 一つは今の我が古屋を大切に使っていこうということと、もし叶うなら、古い民家を田無の地に移築して、そこで多目的に利用できる「館」を作りたい。これは塾であり、寄り合い所であり、ライブハウスであり、隠れ家でもある・・・。そういう空間を作ってみたい。
 もちろん、なんのアテもありませんが、その本にもあるように「言葉は言霊であり、発した時から魂が宿る」ので、言ってみなけりゃ始まらないのです。丹誠塾の山荘も然り、15年前の駅前移転も然りです。だから、厳しい財政の中。声を大にして言います。
 
  田無の駅前に土地を確保して、田舎の古い民家をそのまま移築して、多目的の空間を作りた〜い。

2001年12月7日 金曜日
 今度の日曜日、娘が初めての試合に臨みます。ソフトテニスです。
 試合に備えて練習方法を自分で選ぶようで、考えた末、「男子の先輩の下で練習する」のを選びました。選択の基準はよくわかりませんが、張り切っている現れかと思います。親としてはメソメソするより、安心かな・・・。
 今朝、朝食のテーブルで我が子たちの意外な面を発見して驚きました。私事ですがここに残します。

 兄が尋ねています。
   「もう、動きわかった?」
 妹:「は?、何の?」
 兄:「何って、サーブしてからの動きだよ。すぐ、上がれって言われなかった?」
 妹:「だって、これから習うんだもん。何もいわれてないよ。」
 兄:「これからって次の日曜日に試合じゃないか、もう、これじゃ、俺たちみたいな輝かしい時代は来ないな・・・。」
 妹:「お兄ちゃん、だったら今教えてよ。簡単にね。」
 兄:「ええっ!しょうがないな。
   とにかく、サーブを決めろ。へぼくてもいいから、確実なサーブを決めろ。今回はそれだけで勝てる。
   それから、最初からボーッとした動きをしたら、集中的に狙われるから、まず動いて返していけ。おれなんか、見た目で狙われそうになったけど、バンバン返したから、平気だったよ。強いところはまず、相手をみて、弱いヤツを狙ってくるからな。」

 この会話に驚きました。
@兄はリアルタイムに試合の緊張や駆け引きなど家で一切話しませんでした。親に弁当だけ頼んで「見に来い」とは絶対言いませんでした。そのせいで輝かしい戦歴を持つ息子のチームの応援に姿を見せなかった唯一の家庭だったらしい・・・。ヤツもいろいろ考えていたんだ・・・という気持ちです。
A自分の体型を客観的に家族に話すようになっていること。(息子はジャイアントサイズ)
B自分の時は黙りで通したけど、妹には試合のアドバイスを親切にしていること。少々、しゃべりすぎ・・。息子は本当は「教えたがり」なのかも・・・。
C娘は自分の緊張を簡単に人に伝えて、お手軽にアドバイスを求めるタイプ。もっと、慎重派かと思っていた。これも意外。

 子どもといえども、個人情報を公開の場に流すのはどうかと思いましたが、あまりに驚いたので、紹介しました。
 
 本当に思春期はあとで出会うことが多いのですね。本人も親も・・・。それくらい息子は自分の情報を出さなかったな・・。ピークは目線さえも拒否して、「俺をみるな。」って感じでした。私の態度はどうだったかな?「さわらぬ息子にたたりなし・・・。」だったような・・・?
 でも、もう忘れました。さあ、これから、試合用のゼッケンを書いて縫いつけます。 

2001年12月3日 月曜日
 もう師走になってしまいましたね。
 昨日は人の森のメンバーと合羽橋へ行って来ました。渡辺のりとの案内で「鍋の博物館」を始め、たくさんの食器専門店を回り、ワイワイ言いながら、過ごしました。もちろんのりとのおすすめの「鍋の博物館」は品物も店のスタッフの応対も最高。2度おじゃましましたが、そのたびにテーブルでコーヒーをごちそうになりました。
 その他に感激したのは中国・韓国の食材がいとも簡単にそろうスーパーです。1日の土曜日に娘の中学校PTA企画の「キムチ料理会」に出席した私は早速、キムチの材料を購入しました。そして来春のおめでとう企画のために中華ちまきの材料も揃えました。
 
 今回、合羽橋の最大の目的はティラミスの道具を購入することでした。ハンド・ミキサーやミキサーボウルなどです。私はもともと甘いものが苦手で、長い間お菓子づくりを敬遠していました。ところが、娘が料理をするようになると、若い娘は「洋菓子」指向なんです。私はお酒のアテ(肴)中心です。娘が勝手に洋菓子を作るのはいいのですが、料理の道具が全然ないのです。もちろんオーブンも・・・。そこでかねてから、「環境ぐらいは整えてやらないとな・・・。」と考えていました。そこへ、ある方から手作りのティラミスをお土産にいただく機会がありました。あまりの見事さに息子はてっきり有名店から買ってきたものと思っていたくらいです。
 私の中に俄然「ティラミス作りたい・・」熱が起こってきてレシピ入手までこぎ着け、そして足りない道具を購入する運びとなったのです。娘は大喜びです。ハンドミキサーやミキサーボウルは夢だったようです。

 他におどろいた事は商店街に一軒「骨董屋さん」があったこと。そこの器は私が持っているものと不思議に重なるのです。私の趣味と同じ人がやってるんだ・・・。と感じながら店内を見渡しました。どんな人がやっているのかな・・・と思いましたが、近くには誰もいなかったです。一つ「これっ!」って思う皿があったのですが、「合羽橋まで来て骨董の皿を買うなんて・・」という想いが湧いて自制していました。ちょっと後悔かな。

 お昼は「どぜう 飯田」でいただきました。小さい頃の記憶と違って食べやすい「どじょう丼」でした。ずいぶん大きめのどじょうです。それを開いて骨を抜いて蒲焼き風にしたものです。タレがにくいほど旨かったです。周りを見回すとみんなコンロを使って鍋をつついているのです。「あっ、しまった。周りを見て注文するんだった!」と思いましたが遅かったです。うちに帰って福島に話すと「浅草に有名などじょうの店あるけど、そこかな?」といわれました。「こんど、そこへ柳川を食べにいこう」という話になりました。

 最後に、今回都心に車を乗り入れた最東記録を更新しました。今までの記録は早稲田までです。自分が運転したことがあるのは中野までです。都心は電車でいくものと決めていつも、歩いていましたが、今回は案内人ののりとに任せてみようと思い、また買い物の量が多いということも予想され、車でいきました。
 感想は、『超、新鮮』。東京に住むようになって30年近くなりますが、今までの思い出の場所を車から眺めるという「新鮮な体験」をすることができました。一年ほど前「証明書」を取りに西尾氏の車で大隈会館まで行きました。その時も車から見る早稲田界隈も新鮮でしたが、今回はそれ以上でした。混んでない都心は近かったです。

 さあ、これから三浦屋へ生クリームを買いに行きます。作るのはもちろん・・・・です。

2001年11月27日 火曜日
 今日のテーマは「楽」。
 今、ホームページに『DIGの授業記録』を載せようといろいろ格闘しています。ほとんどの午前中がその仕事になっています。あっと気が付くともうお昼近いのであわてて、解凍してあったカボチャを牛乳にいれスープをつくりました。娘が期末テストでもうすぐ帰ってくるからです。
 このカボチャ、2週間ほどまえに蒸して、さんざんいろんな料理に化けたのが残って、ペースト状にして冷凍庫にいれたものです。いつかの「お助け」になると、解凍しやすい形状にしてカチンカチンにしておきました。今朝、ゆうべのメニューの茶碗蒸し・ラスト3つを希望者が食べていきました。そのとき使った蒸し器の余熱を利用してカチンカチンのカボチャを仕事中ずっと入れていました。そして、ちょうどいい具合に解凍され、上々のカボチャスープが30秒でできました。
 非常に楽だったので、思い当たりました。この「楽」の陰には2週間ほど前の「手間」とちょっとした「想像力」があるな・・・と。
 そういえば、今うちは家族が食事当番を担当して生活しています。息子が水曜日、娘が金曜日です。それぞれの部活などの都合で決まりました。小学生だった娘にいきなり、食事当番は無理と考えて、昨年一年、毎週月曜日に1時間かけて、私が夕方食事を仕込みました。丸一年の「手間」が実って娘は独り立ちして、食事当番が担当できるようになりました。家族全員が料理できるというのが、私の昔からのイメージでした。それぞれが生活人として、だれにも頼らずに生きるのが理想でした。経済的にはもうしばらくは親に依存するでしょうが、「自分のパンツの洗濯や収納」くらいは管理できなくては・・・。
 子育てを思うと、『一人の子どもにかける時間』は絶対量、決まっているように感じます。小さいときに「手間」をかければ、かけるほど、あとで「楽」ができる。
 
 もし、このコラムを読んでくださっている方で、まだ、子どもに寝不足にされている若いお母さんがいらしたら、そう思って今の「手間」を楽しんで下さい。

2001年11月21日 水曜日
 今日は古い家について。
 我が家はもう40年以上も経っている古い家です。福島が幼稚園より前から住んでいます。
 よく、「お宅の瓦はここがダメ!」とか「耐震工事をしませんか」とかのチラシをねらい打ち的にポスティングされます。3年ほど前、実際に耐震診断の無料サービスを受けて、「2階の壁量はOK・1階は南部分が他と比べ壁面が少ないが、全体量はまあまあ合格。土台はしっかり。アリの発生もなし。」と判定されて、やや安心しました。(もちろん有料の本格診断を勧められましたが・・・)
 古い家はすきまが多いので、冬は暖房が効きづらく、燃料がかさみます。それに外気と内気がどこかで通じているのでホコリがたまりやすいです。でも、この外気・内気の一貫性のお陰で良いこともあります。寒いけど、乾かないのです。だから、鉄筋コンクリートの塾の教室の乾燥具合が身にしみます。古い家はいいですよ。風邪の時。
 旧式のストーブの上にヤカンをのせ、傍らで餅や芋をのせて、出来具合を鼻ではかる冬の生活です。レトロ調でしょう?
 また、冬、暖房が大変な分、夏が涼しいです。隣近所がガンガン冷房をしてても1階はエアコンを入れたことがありません。蚊には悩まされますが、網戸で東西南北、とにかく風を通します。

 こういうレトロな生活を楽しんでいた我が家も外壁のくすみが目立ち、木目の荒れが気になるようになりました。昨年11月23日を「福島家を助ける日・・・福島エイド・デー」としてペンキぬり要員を募集しましたが、1人も集まらず、今年に至りました。
 そして今年こそ、もう限界・・・と、業者を頼むことにしていたのです。ところが、福島が「自分たちで塗ってみようか」と言いだし、私も『けがさえしなければ、いいかな・・出費が身にしみるしな・・』と同意しました。娘と息子は出来る範囲で手伝うという事で、週末を2日と平日の午前中を3日ほどさいて、なんとか玄関・表部分の主要部が塗り終わりました。2階の屋根にも上りました。もちろん、足場は組めません。全部、脚立とはしごです。下で支える私からは、スイスイ2階の屋根に向かって上る福島の身軽さにびっくり。重量級の息子にはこの仕事はだめです。もっぱら自転車でお使いが中心の手伝いです。娘は一人前に塗りました。(足場がなくても素人でも塗れたのは、我が家が総2階建てではなく、2階部分が面積が少なく、1階の屋根での仕事も可能だったからでしょう。)

 表部分を終えた福島の感想。「2階の屋根に上ったけど、この家はまだまだ、しっかりしている。いつもチラシを入れていく業者さんは何を根拠にもう、ダメっていうのかな?」でした。

 下から見上げる我が家は丁寧に2度塗りされて、ズドンと立っています。
 古い家は良いですよ。本当に。立て替えてこれ以上のモノが出来れば、話は別ですが・・・。もちろん、資金もね・・・。

2001年11月15日 木曜日
 味噌を作りました。
 人の森プロジェクトという丹誠塾卒業生が塾をバックアップしてくれている集まりでの企画です。味噌を作ってどうするかはできあがってから、みんなで決めることにして、とにかく仕上がり9キロの味噌は今塾で寝ています。
 味噌仕込みは道具・材料調達からスタート。2週間前にいろいろ仕事を割り振って、仕込みを3日後に控え「糀(こうじ)」が入手困難に・・・。どたばたのあげく、中村橋の「昔みそ」でやっと手に入れました。このクダリは渡辺がコラムに報告している模様です。
 前日、渡辺が大豆を浸けて帰宅したあと、14日当日10時から私の仕事が始まりました。水を含んで大きくなった大豆をざるにあげる係です。途中から人の森のメンバーも三々五々集まり、作業に参加します。長い時間をかけて、大豆は静かになべの中で柔らかくなっていきます。ワイワイ、にぎやかな時間が経過し、味噌が無事、樽に収まったのは6時30分ごろでした。
 この作業の中で一番感じたことは、「だいずのやわらかさ」とその香り・・・。茹でて、つぶして、かき混ぜる。この作業をしながら、どこかの脳が今、休んでいる・・という感じを味わっていました。使い古されて、もう別の意味すら持ってしまった言葉ですが、「癒し」の作業です。パソコンのキーボードを叩いては決して得られない、柔らかい温かい感覚です。それと大豆特有の香りとふんだんにある湿気かな?なぜか、朝からの長〜い工程が苦になりませんでした。
 昔の人は寒い土間でこの仕事をして、私たち以上に大豆の温かさを感じていたのだろうかと思いました。

 その後は「昔みそ」製のこだわり味噌の料理で、楽しい宴となりました。

 昨年、LIVINのこだわりやで亀菱醤油を購入し、「醤油っておいしい」と感じてから、普段の当たり前の食材が気になってきました。味噌もその延長かなと思います。味噌造りは人の森の一人のメンバーが発案して、企画がスタートしたものですが、「やってみよう、おもしろそう」と思って私も一票を投じました。
 2000年は温泉と地酒に出会った一年でした。さしずめ、2001年は醤油と味噌の年かな?
 あと、苦手な蕎麦と親しくなった年でもあるかな?

2001年11月12日 月曜日
 今朝がたの夢は怖い夢でした。内容は時間を経るごとに不鮮明になるのですが、逆に怖さが倍増していきます。記憶に一番鮮明なのはガラス瓶を洗って牛乳を注ぎ製品にしていく工場のラインです。それを私がずっと見ているのですが、その支配しているモードは「世界がとんでもないことになる」という恐怖です。その恐怖の中、次次と生産されていく牛乳を見ている私はなぜがあきらめの気分・・・。

 寝覚めの悪いことはいうまでもなく、非常に憂鬱な気分で息子の弁当を作りました。息子も虫の居所が悪いらしく、妹に「夕食の材料を使いキレ」とか、私に「こんな風にズボンを修理するなら、やらない方がマシ」などと当たっていました。トイレにかけ込んでいるのをみるとどうも体調が下降気味のよう・・。普段穏和なヤツが当たっているのはそれが原因。普通なら、文句あるなら、もう修理しない!と荒い言葉を投げつけるはずの母は夢見のせいで、超ブルーです。返す言葉もなく、息子も当たりがいなし。

 人の夢の話ほど、他人が聞いてつまらないものはないと思いますが、今日のはダメージが大きいので、書き記すことにしました。
 夢というと分析の対象になって、その人の心の中をのぞく一つの手段となっています。この私の心の中にどんなことが起きているのか?テレビを見ながらボーと考えていると、その原因はたくさんテレビにありました。
@炭素菌のくにゃくにゃのヒモみたいな映像
Aビンラディンが核兵器をもっていると会見している映像
B○○で火事・・・(先週、幼い子どもが犠牲になった火事がヤカンの消し忘れと聞いて人ごとでなく、怖かった)
C性懲りもなく流す9/11の映像
D空爆の映像
E日本もテロの標的となると英国紙がいっている

 私が「こんな映像をいつも見てたら、世界中が憂鬱になるね。」と言うと、福島が「だから、テレビをもう見ない人がいるよ。恐怖になるからね。」そういえば、あの9/11のアメリカのテロからずっと、憂鬱になって体調が悪いと言っていた人を思い出しました。彼女の感受性の強さに驚き、鈍い私がやっと2ヶ月にして「憂鬱状態」に達していることの深刻さに気づきました。
 
 人の心は何層にもなっていて、今起きている事はその一番上に乗っているものです。次から次に起こることに追われて、人はたくさんのことを忘れて生活していきます。でも忘れたのではなく、その層の下に重ねてきているのです。重ねながら薄く薄くなって「今」を乗せているのです。でも、テレビの映像が毎日必要以上にその薄くなってるはずの「恐怖」という層を引きづり出すのです。「恐怖」は薄い膜にならず、コリコリに固い層となって人の心に沈殿していきます。

 じゃ、どうすればいいのか・・。
 とにかく今の憂鬱状態からぬけれるよう、時間を過ごそう・・・。「この状態」は心が凝ってる状態です。肩凝りのように心も凝るのです。つまり、一部の心を酷使したため、心が「他も使って・・」といっているサインです。他の部分とは今の「恐怖・不安」の対極にある場所の事です。それは「楽しい・気持ちいい・面白い」です。そこにどうやっていくかは、ここからが山下の独断です。

@すぐには対極にはいけないので、ニュートラルに戻す意味で「なんにもしない」
A「なんにもしない」ことに意味を求めない
B「なんにもしない」ことにあきたら、「好きなこと」をする
Cこの「好きなこと」をするにも特別な意味を求めない、やりたいからやる。

 今、私は大菩薩の沢のわさびガーデンに気持ちは飛んでいます。ちろちろ清流に洗われながら、小さなハッパを育てていた根っこ。そして次は苗場の水源地の上のなめこパークです。遙か17号を眺めながら、大木にしがみついてなめこを採った場所です。

 気功を教えてくれた友人が言っていました。「人はその場所を思うだけで、体の一部はそこに行っている」と。
 もうしばらく、このお気に入りの場所にいるつもりです。
 

2001年11月7日 水曜日
 今日はホームページ更新のお話。
 丹誠塾の野外活動から発展して誕生したNPO遊学会という会があります。この会は「子供に自然体験を企画したり、地域で子育てトークなどを開いて子育て支援をする」会です。NPOとは特定非営利活動法人の頭文字をとって短く呼んでいるわけです。長引く不況の中、自然体験に家庭から支出できる金額に限りがあり、年々活動参加者が減ってきているので、各方面の援助を・・・と期待していろいろ申請しました。幸い、NHK綜合センターの「子どもの夢基金」から、助成をいただき、比較的安くスキー・雪遊びができるようになりました。

  そういうことを報告がてら、遊学会のHPも更新することになったのです。
 代表の西尾氏は立教大学の大学生。当然、仕事量が限られるので、西東京事務局の山下が中心にならざるを得ません。でも、このコラムを更新するのと訳が違います。
 西尾氏が連載しつづけた「哲学者西尾のページ」も2つしか紹介してなかったのでバックナンバーを探して27回全部掲載しようとしました。でも、保存しているはずの彼の言葉。「MOが途中で故障して一部なくしちゃった・・・。」あっちゃ!、
 しかたなく、塾通信に掲載した実物からスキャナーで読むつもりです・・・。この仕事を残してどうにか、ある文のみで体裁を整えて、私の仕事は今日一段落しました。

 こう仕事のおかげで「素材屋さん」というありがたい存在を知りました。このホームページを新しくしてくれた彼女は「座布団に座ってお茶を飲んでいる」イメージで丹誠塾を捉えてくれていたようで、(それは間違いないのです)使った素材が『和』に徹しています。いいセンスだと思います。何も知らない私はホームページとは日本人が作るとこうなる・・・と思っていたくらいで、今回いろんな素材屋さんを見て「いろいろあるもんだ〜。」と感心しました。感心したことは他にもあり、じつに細かい仕事をみなさん楽しそうにやっていらっしゃる・・・、ということです。それにリンクさえ、すれば無料で使わせてくれるとは・・・。ありがたい・・。
 実際は遊学会のHPは以前西尾氏が作成したところは「明るいブルーの空・深い海」のイメージ。新しく私が加えた部分は「シックな和」。なんとも一貫性のない、ちぐはぐなホ−ムーページが出来上がりました。まぁ、どっ素人の超初心者だからね。
 これだけ書いたら、どんなホームページが一度覗いてみたくなったでしょ。はい、そういう方はこちらをどうぞ。  でも、UPするのは西尾なので2〜3日かかるかな?

2001年10月31日 水曜日
 今日で10月も終わりです。
 よく山に入りました。山の話を書くためにこのコラムを設けたのですが、これからは里の話中心になってしまします。山の話ほど長くならないのでお気楽におつきあい下さい。
 最後の山の報告でしょうか?先週の土曜日にまた、奥多摩方面に行って来ました。歩いたのは大菩薩登山口から適当に・・・・。
 紅葉の始まりという感じで、落ち葉がまだきれいな状態で道にあります。カエデやモミジの差も若い頃は気にならなかったのに、今はその色の一つ一つが気持ちに入ってきます。「何で?」という感じです。「何でこんなにきれいなの?」「どうしてこんな色になるの?」という感じ・・。
 登山道を歩いたり、山道に入ったり、気ままに歩きながら、最後のきのこを収穫し、紅葉のハッパを採集し、そしてとうとう例の遭難現場までたどり着きました。いってみれば何の事はない、普通の沢です。なんでこんなところで決死の覚悟で帰ってきたのか笑ってしまいます。台風の後の山の荒れ方のすごさに肝を冷やしていた心理的な影響もあると思いました。とにかくあのときは怖かった。
 今回もすこしわさびをいただいて帰りました。ちょうど食べ頃の若いハッパで、可愛くてすぐ、わさびとわかります。野生なので乱獲すると無くなってしまうので今回はほんの少しにしました。野生のものは根っこも小さいです。でも味は香り高く上品です。独特の粘りがあるように思えます。

 さて、きのこですが、クリタケ、チャナメツムタケ、ムキタケ、ブナハリタケを収穫しました。晩秋のきのこです。もう落ち葉に隠れるようにして存在しているので見つけにくいです。これからもきのこは出るでしょうが、出かけるのは日程的に難しいので、シーズン最後の山歩きと言い聞かせて、歩きました。今年はきのこ不作の年といってもいいでしょう。夏の暑さが早いうちに終わって、きのこも出るには出たのですが、十分な条件を満たす前に終わったという感じです。残念。来年も今年同様9月・10月山に入れれば、うれしいのですが・・・。

 とってきたきのこはもちろん我が家の食卓で消費。紅葉のハッパは今日の科学教室DIGで教材となります。里では採集できないキレイな紅葉した葉です。葉脈だけになったものもあります。葉脈ってきれいですよね。私は小学校5年生のとき理科クラブで葉脈の実験をした記憶があります。私はたくさんの種類の葉脈を見たかったので先生が一人一枚と限定してとてもかっがりした覚えがあります。
 DIGでは葉脈の実験もするようですが、なによりも紅葉した葉っぱを並べるのが授業の中心のようです。最近の子は「わあ、きれい!」とか「本当にきれいだね・・・。」という瞬間がなかなかもてません。周りの環境や時間の過ごし方のせいでしょう。
 先日福島がいっていました。「小1の○○くんは一緒に読んだ本のことをよく覚えているよ。△△カエデという名前がすんなり入って自分でカエデの種類を見分けるよ。本で見た時、そういえば、『わぁ、キレイっ』ていってたからなぁ・・・。あのとき入っちゃったんだ。」と。本でも体験は体験。実物なら、なお良し。
 塾の玄関でもディスプレイして、楽しもうかと思っています。
 
 子供ができて毎年やってたことは紅葉した葉っぱを固い色紙のうえに置いてフィルムルックスを張り、詩織などにすることでした。今も昔の色が残っています。若干くすみますが、10年近く前のものです。子どもと一緒に「わぁ、キレイっ」って作った日々が懐かしいです。できのいいものは友人に郵送しました。そのリアクションがそれぞれで面白かったです。一切返事の無い人もいましたがほとんどの人は何か帰してくれます。ほとんどがはがきや電話ですが、中には自分も作って送ってくれる人がいます。アメリカの友人が「何かの実」を紙にはさんで詩織にして送ってきたときは驚きました。アメリカの実はあまり美しくなかったです。でも、現地で、季節を感じるものだったのでしょうね。

 たった今、灯油の販売車がやってきました。もう、ストーブの季節になるんですね。
 今日は久々に紅葉の詩織を作ってみようかな・・・、と思います。

2001年10月25日 木曜日
 昨日は塾通信の発行日でした。いつもながら、仕事が押せ押せになり、編集もぎりぎりでやってます。両面印刷は片面を印刷して一日おいてから裏を印刷するとキレイに仕上がることは分かっているのですが、ココ最近の印刷はこんな理想は言ってられません。原稿もギリギリにそろい、画像もまだ決まってないし、レイアウト枠だけの状態で放置してあります。こんな状態で月曜日は過ぎ、火曜を迎えました。
 そこへ塾の旧パソコンのストライキです。処理も遅いし、画像の編集がどうもうまくいかないので、新パソコンでいちいち編集します。印刷に適したプリンターは旧パソコンにつないであるので、これもいちいちプリントアウトします。いい加減、イライラしていたところへ、ガロアの西尾から画像入りの重たい原稿が届きます。旧パソコンで開くと、どんどん時間を浪費します。
 どうやら、24ページ分の原稿が揃い、水曜日を迎えると・・・。今度は印刷機のトラブル。紙送りが不全で印刷位置が狂うのです。ご家庭にお届けした塾通信が今回メッチャ出来が悪いのは印刷機の故障のためです。サービスマンの努力でなんとか水曜日に印刷は出来たのですが、仕上がりもに仕上がり枚数も最低になってしまいました。読みづらい通信が行ったら、ごめんなさい。

 そして今朝の目覚めは最悪。連日のあわて仕事で首や肩がコリコリに。ここは家事を全部放置して「テルメる」しかないと判断。小平の天然温泉「テルメ小川」へ福島と行ってまいりました。
 効きました。最高でした。。久々のテルメ小川は平日で空き空き・・・。「寝湯」と称するねっころんでブクブク泡に包まれる湯で無我の境地に浸ってまいりました。私はここでいろいろ塾のアイデアを考えるのです。男湯は「窯風呂」という浴衣で入る部屋があり、そこは砂の上のござに寝っ転がって高温で蒸される所です。福島は2回ここへ挑戦したそうです。湯から上がった彼のサッパリの顔。
 
 そして今塾に来てこれを打ってます。
 今日も夜10時までの仕事ですが、午前中の極楽体験でどうにか持ちそうです。

2001年10月18日 木曜日
 このコラムの更新はホームページを作ってくれた人に比較的早いうちに教わりました。自分の文章だから、気は楽だし別に難しい手順ではありません。ところがこのたび「塾生の部屋」の写真更新に挑戦しました。いろいろ失敗を繰り返し、やっと「アクアマリンふくしま」の一部は独力で更新できました。この勉強をやって、初めて「画像の挿入」や「リンク」の意味がわかりました。調子に乗って渡辺のコラムの長尺版を再編集しました。みごとに失敗。彼の書きためた部分も消えるし、本当に迷惑をかけてしまいました。今日、やっとやり直し、すっきり長尺版も読んでいただけるようになりました。
 そうなんです。丹誠塾のHPは私たちが独力で作ったモノではなく、以前の地味なHPを見たある方が見るに見かねて、新しく作り直してくれたモノなのです。今やっとその仕組みが分かりかけています。こんな複雑な迷路のような構造のものを頭の中で築きあげ、整然と並べていく作業だったのですね。それにかけた情熱に頭が下がります。実際には彼女の若い頭では造作もないことなのでしょうが、私にとっては尊敬ものです。
 さて、HPに掲示板が3つあります。子供用と大人用と人の森用です。人の森用は実名で書き込んで、一日にカウンターが20〜30以上増え、書き込み率も非常に高いです。限定の場所なので必ず何か残す規まりになっているからでしょう。私はこれをチェックするのが毎日の楽しみになっています。
 問題は、不特定多数のやってくる子供用と大人用の掲示板のことです。カウンターはどんどん増えていくのに、書いていく人がほとんどいないのです。どんなモンでしょう?これってこのままでいいのでしょうか?どこの掲示板もこんなモンでしょうか?せっかWEB制作者の方が作ってくれた交流の場です。私たちの運営の仕方が悪いのか、それとも本来、丹誠塾のHPには必要のないモノなのか考えてしまいます。
 前者なら、いろいろ改良してみたいと思っています。何かご意見があったら、送って下さい。

2001年10月15日 月曜日
 山森話も佳境に・・・。
 土曜日は大源太・日曜日は松之山のきのこ講習会に行って来ました。

 13日の朝6時前に家を出発。大源太には9時過ぎに到着。大源太とは湖の周りに遊歩道やキャンプ場を作って、野外活動を提供する施設がある公園です。そばに大源太山がそびえています。この登山道を少し登ってきのこ講習会は行われました。
 登山道をそれた沢スジに指導員が我々を導きます。「はは〜ん、すでに辺りをつけているな」とは思いましたが、次の瞬間目を疑うナラタケの群生・・・。1つの巨木が沢のほとんどを埋め尽くし、縦に谷に向かって倒れています。そこにびっしりナラタケです。見たこともない量です。参加者30名の袋が一気にずっしり重くなりました。一番最後に着いていた私や福島もあぶれることなく、収穫できました。
 きのこ採りはその後、キノコ汁をいただいて散会。今年よく分かったことですが、湯沢や三国・新治の人たちは「木から生えるキノコ」を好んで採るようです。「土から生えるキノコ」は名前をつける興味もあまりなく、「それは食べないよ」でおしまい。じつに潔いです。今回の大源太の指導員の先生も一本モノのの土から生えるキノコはまず、きのこ採りの対象としていませんでした。
 反対に前回ご紹介した「きのこ料理」の女将は「土から生えるキノコ」しか興味がない人です。人それぞれ、きのことのつきあい方が違うのだなと感じました。私たちはまだ、ほんの駆け出しなので傾向はなんとも言えません。
 きのこ講習会終了のあと、急いで山荘に帰りました。すぐ近くの水源地の上をアタックするためです。午前中のきのこ採りの疲れもなんのその、3時にはいつもの水源地への道を歩いていました。今回は前回よりもっと、奥へ行きたいのです。前回ヌメリスギタケを採った木にはまた、大きなヌリメスギタケがそしてムキタケが出ていました。それをホクホク採りながら、奥へ奥へと目指しました。
 前回最終点となった、国道17号が見晴らせる地点まできました。ここで一息。本当に絶景で、絶壁なのです。ここを「サルノコシカケ公園」と命名し、次に行きます。高度は1300ぐらい。ブナやナラの大木の多い斜面を足と手で進みます。今回私は腰の籠もなし。なぜかというとじゃまだし、前回転んでキノコが飛び出たからです。
 次の眺望のある場所まで来ました。そこにも大きな倒木が見晴らし台のように横たわっています。そして、風にサラされてない面を覗くとびっしり可愛いナメコが・・・。福島と小躍りして喜びました。私は2度目の天然ナメコ。福島は初めてです。あまりサイズが可愛いので採ったのはほんの一部ですが、それでも満足。ここを「なめこパーク」と命名しました。来年もココに可愛いなめこが出ますようにと願いをこめて・・・。
 足取りも軽く下山し、その夜は8時過ぎに就寝しました。2人分の夕食は子どもたちのために作ったビーフシチューをタッパで少々。それと2合の米です。朝食用にトースト3枚、いつもの紅茶缶を持参。残ったご飯はおにぎりに。ゴミもでないし、とにかく楽です。2人分の食料なんてしれています。

 翌日は4時に目覚め、エネルギー全快。11月始めの山荘利用者用に一部水抜き用の準備をし、冬のヒーター・コンセントを繋いで山荘のメンテナンスはOK。そして前回「きのこ体験」で持ち帰れなかった荷物を車に入れます。
 7時前に準備OKで、松之山に向け出発。途中、清津峡付近の風景、棚田の美しさに魅せられながら、2時間足らずで大源寺公園に到着。
 ここのきのこ講習会の特徴は「すべてのきのこ」を判別できる先生がいることです。昨年もたくさんのきのこを教わりました。きのこの先生は料理をする人で、近くの旅館の料理長です。人柄が本当によく、「どれ、どれ、良いキノコ採ってきたね・・・。」といって鑑定してくれるのです。今回もそうでした。開口一番「いいキノコ採ってきたね。カノシタだね。これはブナシメジ、・・・・・」彼に分からないキノコはありません。いつも疑問のものは噛んで判定します。必ず、裏のひだを中心に見ます。彼によるとほとんどのキノコは食べられます。美味しいかどうかは別として・・・。彼の料理法や貯蔵法は実際の体験に基づいたモノで山下のベースになっています。
 私は先日「なめこパーク」で見つけたカタハでなく軸のあるツキヨ茸を持参していました。そのツキヨ茸は割っても黒いシミがないのです。これなら、初心者は間違ってしまうのでは、と思い確信はありましたが、先生に見てもらおうと持参しました。先生は「これは珍しいツキヨだね。こういうのが以前椎茸の原木に出て困ったことがあるよ。危ないね。」私が、「先生、このツキヨ茸を割ってみてもシミが無いんです。」といって実際割ってみました。一見シミはありません。でも、先生は軸の根本を指さします。軸の中心にほんのわずか薄茶色いところがあります。上部だけ見ると真っ白です。先生が「本当危ないね。よく知ってるとツキヨ茸って分かるけど、これは危ない。サンプルに下さい。」とおっしゃって、陳列台に持って行かれました。
 
 連日のきのこ遊びに充分満足した私たちは帰りの渋滞のこともあり、その後の昼食・講演を失礼して帰路に着きました。2週続けて子どもたちだけにしているので、できたら日曜の夕食を一緒に食べたいと思い、講習会の昼食用のきのこ釜飯をお土産にして、一路練馬へと向かいました。

 今朝、弁当のおかずに鶏肉とヌメリスギタケを炒めて入れました。我が家の食卓は秋はへんてこなキノコが出現します。もう、山きのこの味噌汁は当たり前になっていますが、弁当にクセのある山きのこを入れるのは初めて・・・。お弁当を開けて息子は「やられた!」と思うかも知れません。

2001年10月11日 木曜日
 すごい店を発見。
 もうこれから、山にも行かないのに「山きのこ」が味わえます。場所は塾のすぐ近く。
 前々から福島と一度覗いてみようと言っていた店です。昨夜、人の森が終わって、ちょっと寄ってみました。店を入った時から店の女将は「この2人は何かあって、やってきた。たぶん、きのこ・・・。」と感じたといいます。
 
 ここでいろんなことを教わりました。
 まず、はじめて見るきのこの多いこと・・・。きのこ歴5年の山下はせいぜい1300メートルまでで採っています。店にはシモフリシメジを始めとして山下が確認したことのない「きのこの山」がありました。女将は2000メートルぐらいの山へ行くという・・・。土日・祭日は毎週、山へ出かけていると・・・。
 カウンターのショーケースにはお寿司のネタのごとく「山きのこ」が並べられています。1つ1つの名前を教わって、知らないモノは実際ケースから出して眺めさせてもらいました。私はこれがしたかったのです。一番驚いたことはどのきのこもきれいなのです。痛みの無い良い状態のものを選んで陳列しているという事情もありますが、それより何より女将の採取の仕方です。
 「きれいに採っていらっしゃるのですね?」と私がいうと、女将は「そうよ、山のものは大切に採って、土や菌糸はその場に返して帰ってこなくちゃ・・・。」というのです。
 私は料理をするモノとしてその場でキッチンばさみで下ごしらえをして帰ってきていました。時々はそのままチョキンとやっているときもありました。女将は「根を残すのはだめ、手で丁寧につまんで引き抜いて、その後丁寧に下の部分を落として持って帰るのよ。菌ごとすべて東京に持ち帰って、ごみに捨てる必要もないし、山にとっても落として帰るべき・・。」
 私はこの女将のきのこ採取の姿勢に深く頷きました。『わたしもこれからはそうやって採るぞ。』

 話は料理法や貯蔵法へと移ります。私がやっていた虫を出して、かるく熱湯をくずらす方法はイグチには良いが他のきのこにはもったいない。特にナラタケにやると「ダシ」がでてしまう・・・。ナラタケなどを採って保存する場合や料理の方法を教わりました。ひとつひとつの話が目から鱗状態です。
 そして目的のきのこ料理を味わいます。けんちん汁と土瓶蒸しです。けんちん汁にはナラタケを始め雑きのこがたくさん。里芋・ゴボウはやはりきのこを生かします。土瓶蒸しはさっきのシモフリシメジ。これが絶品・・・。もう、言葉では言えません。今までの私のきのこ料理は何だったのだ・・・・・・。ががっ〜ん。
 
 貴重なきのこを大切に持ち帰り、いい状態で料理する。これが最高。
 隣にいたおじさんが「風邪を引きそうになると、ココへ来るよ。きのこ料理を食べると治っているよ。」と言います。そうです。良い料理とは風邪をも治すものなのです。食イコール薬なのですね。

 一時間を限度に寄っていたので楽しい時間はあっという間に過ぎました。女将は「採ってきたら、見てあげるので持ってらっしゃい。」と言ってくれました。ありがたい!

 これで、東京のきのこの師匠誕生。料理法にも貯蔵法にも詳しい女将。「山を守る」視点を持つ素敵な女性でした。もちろん、きのこ同様クセは強そうですよ。でも、私はお近づきになれて良かったです。  

2001年10月9日 火曜日
 「きのこ体験」無事終わりました。いろんな事がありすぎの3日間でした。だから、コラムも長いです。

【わらしべ長者風・・・沼田体験記】
 田無を8時過ぎに出発。途中いつになく混んでる一般道。やっと9時過ぎに関越に乗りました。
 車は2台。私が乗ったのはシャリオの7人乗りに4人で。運転手は一番の若手のY君。いつもなら福島が運転するのですが、例の腰痛でなるべくなら楽に行きたいという希望でそうなりました。
 今回は沼田で高速をおりて昼食・買い物全般をおこなうという計画。事前にBOOK OFFで仕入れた「るるぶ」で「ケ○○○○○○○」というテーマパーク(?)を知り、オリジナル発泡酒や自家製ソーセージ、ドイツパンが食べられる・・・と期待して行きました。近づくと少し高い場所に周りの景色を壊しているペンキ塗りの家型が見えてきます。『まさか?あの関越から見える趣味を疑う建物が目的の場所ではないよね・・』とみんな口々に不安を言います。でも・・・・、そうだったのです。
 大きな駐車場に車をとめた瞬間、みんなの胸に「ここで引き返そう・・・」という雰囲気が漂いましたが、福島の「見るだけ見てみようよ・・・」と言う言葉に一同、動き出しました。一同とは「人の森」関係の若い衆4名と福島・渡辺・山下の7人です。
 「ケ○○○○○○○」は半死の状態でした。人を迎える姿勢がすでに無くなっているようでした。ライフュン通り商店街と称する町並みは開けてる店が一軒もなし。外のトイレも鍵が掛かっています。観光用に作ったのに観光客の居場所が無いのです。一同が唖然としていると、福島が「あの建物は立派そうだよ・・・。」と言うので中に入ってみました。ドアを開けると古い油の焦げる臭い・・・。この料理はどうも違うぞ・・・と思いつつ、レストランをさけて土産物コーナーへ。そこで自由に飲めるお茶がありました。名前は唐辛子梅茶。このお茶に最後の希望を見つけようと、飲んだら・・・、これが「激烈にまずい」シロモノでした。沼田のみなさんごめんなさい・・・。悪口ばかり書いて・・・。でも、これからいいところも紹介しますので・・・。
 たくさんの挿話をつくってくれた「あの建物」を後にして、同じく「るるぶ」で紹介している「とんかつトミタ」で昼食をとりました。ここは可もなく不可もなく、平均的なドライブインでした。ただ一つ、不明のメニュー「ノンアルコール・ゲ○○○って何ですか?」と尋ねると、係りの女性が即答で「気の抜けたビールよ!」と教えてくれた時には一同爆笑・・・。
 その後、簡単にスーパーを探して、買い出し→山荘着の予定だったのですが、「近くに蜂蜜を売ってる店があるみたいだから、行ってみたい・・」とのりとが言いだし、時間も余裕があったのでいってみることにしました。

 ここからがわらしべ長者的沼田発掘の旅です。
 「花 蜜蜂館」これがその蜂蜜屋さんの名前。車から降りて入り口へ歩いていこうとする私たちに「お〜い、今蜂来たよ。」と声が掛かります。見ると捕虫網を持ったおじさんがいます。「今ね、スズメバチをとったよ。ヤツらは肉食だから、蜜蜂をネラって来るんだよね。」というと目の前で大きなスズメバチや黄色スズメバチの浸かったビンを見せます。蜜蜂の巣箱をそうやって守っているのです。巣箱を覗くとたくさんの蜜蜂が動いています。帰ってきた蜂は胸が花粉で黄色です。
 そこから、おじさんのパーフォーマンスが始まりました。大きなスズメバチがやって来たのです。おじさんはひるむことなく、キティちゃん柄の捕虫網を一振り。確実に一度で捕獲します。それを器用にびんにいれて蓋をします。中では焼酎が待っていてスズメバチエキスの焼酎ができあがります。一ビン5000円程度で予約が一杯状態だそうです。
 おじさんは私たちにもスズメバチを捕獲しろとそそのかしますが、さすがのお調子乗り集団もシリゴミしました。そのおじさんからは「なぜ、同じ種類の蜂蜜が集まるのか」を丁寧に教わりました。いろんな花のある場所に巣を設定したら、まず蜂は一回目は何種類かの蜜を持って帰ってきます。その時蜂達は収穫量ナンバー1の花を特定して、その後はその花の蜜しか集めない・・・という仕組みがあるというのです。なんと合理的じゃないですか。1回目のトライで収穫量の多い花が一番その近くで集めやすい花ということになり、全員でその信号を共有し単一の蜂蜜になっていくプロセスです。おじさんは立ち話でいろいろな話をしてくれました。なにより素手で大きなスズメバチと闘う姿は「尊敬に値します」。だから、説得力があるのです。
 もちろん、蜂蜜の製品も素晴らしく、たくさんのお土産をそこで買いました。おじさんに地域情報をもらおうと思い、「どこで買い出しをしたらいいか・・・」と尋ねると、すぐ先の農産物直売所を教えてもらいました。「白沢・道の駅」の隣の建物らしいです。全く初めての土地は「道の駅」が有り難いです。
 「白沢・道の駅」の農産物直売所は大盛況でした。車が一杯です。近くで野外クラッシックコンサートをやっているらしく「調べ」が聞こえてきます。
 時間が押してるのが感じられる山下は買い物かごを持った若い衆を3人従えて、ボンボン野菜を入れていきます。カボチャときのこを合わせてサラダにする予定なので、外からみてカボチャを選びます。大勢の人、多くの種類のカボチャの中で、私の目はカボチャの中味を透視しようと懸命です。でも、よく分からないので色の濃い形の良いカボチャ150円を選びました。きのこサラダはこのカボチャの善し悪しで決まるのです。(結果は翌日出ました。バッチリ、栗のような味のよいカボチャでした・・・・。)

 まだ、終わりませよ。その野菜直売所へ行く途中、「信じられない光景が・・・・」テレビのガチンコのナレーションのようですが。いつも四万温泉に行く途中(中之条)に、必ず立ち寄る「たまり漬け」の店があったのです。最近沼田の120号沿いに開店したというのです。趣味の良さそうな食事コーナーもあり、「知っていたら、トンカツなんて食べなかったのに・・・。」と思わずお店の人にグチってしましました。昨年から、我が家の味噌・醤油はココのものが中心。もう切れそうになっていたので、値段にも負けず、迷わず購入。見るとノリトも味噌・醤油をもって先にレジにいました。「ヤツらも若いくせにこだわってるんだ・・・。」と感心。最近忙しくて四万温泉に行く機会がなく、このたまり漬けの店ともご無沙汰だったのです。沼田にできたとは朗報。

 この店の出店は大きいです。これからはまず、沼田で高速をおりて蜂蜜→たまり漬け、食事→農産物→その他の買い物をして山荘へという、順路になりそうです。

 120号なんて知り合いの尾瀬山荘へいった10年前以来です。もし、蜂蜜の店に行ってなかったら、これらの店に行き当たらなかったと思います。最初のテーマパーク(?)は別にして、わらしべ長者的沼田の店発見記でした。

【きのこの先生M講師は待ちわびて】
 山荘に約2時間遅れて到着した私たちを待っていたのはM講師の落胆した顔でした。「去年と違って、この辺はきのこ、全然出てないよ。地力の問題で3年に一度とか、ちゅう風に出るのかな?」とがっかりしているのです。聞くと早いウチに山荘について山荘東側の斜面をずいぶん上がって調べたという・・・。「全然だめ・・。」とはどの程度か。心配でしたが、ダメなら最近教わった和田小屋付近に挑戦すればいい・・・・、と思っていたので山下は方針は立てていました。
 M講師は、ご自分の地元のきのこを持参してくれていたので、ひとまず塩ゆでをして、明日の「きのこ鍋」に備えます。ナラタケ、スギヒラタケ、ハナイグチなどが無造作に籠に入っているのを見て、安心した山下でした。

 その日はキノコと関係ない食事でエビチリソース中華風・ブロッコリー・なすと生揚げのピリ辛炒めなどです。M講師はミョウガの酢づけを持参。シンプルな味に感心。
 夜は例のごとく、M講師の独演会(?)となりつつも、彼の話は面白く若い衆も最後は知らず知らず、話に引きずりこまれる・・・という感じでした。今の若い人にはあまり「味の濃い」人はいません。これから、何年年を経てもM講師のような味はもう出てこないのじゃないかと思います。彼の話にはその時代、その場所の臭いや色彩があるのです。変わった経験をした人ではないのですが、いろんな時代を色濃く生きてきた感じがします。

 さて、明日に備えて比較早く、山荘は静かになって全員就寝しました。その日の到着者は私たちとM講師のみでした。翌日は9:30目指して参加者がやって来ます。

【きのこ採りとは藪を漕ぐこと?】
 9:30に間にあったのはA先生一人だけでした。あとの参加者は午後からのきのこ採りからスタートということで9名で近くの水源地の付近に行くことになりました。なぜ、A氏を先生と呼んでしまうかというと、私の山菜の先生だからです。何かを教わった人にはいつでも敬意をこめてそう言っています。少なくともA先生には心の底から尊敬の念を持って「A先生」と言っている自分がいます。一緒に山を歩くと、その知識の豊富さに脱帽です。そのさらりとした知識の披露の仕方もマネができません。未熟な私はA先生の受け売りをしゃべっている自分を見つけて「知った風なことをいう・・・・」という密かに自己嫌悪しているのです。
 今回はきのこ・山菜の両先生が偶然揃って、私にとっては盆と正月が一緒に来た状態です。山菜でどうもイマイチ確認できなかった、2種類の草が今回バッチリ認識しました。来年はとるぞ〜!と喜びました。

 話を戻して、水源地の上の道は藪・がれた石などで決して楽しい道ではありませんでした。結局7名が最後まで残って登りました。最高の眺望と滑落の危険の両方を味わえる地点で時間切れとなりました。はるか下方に17号の車を見て、自分たちがどんなに高度を稼いだか実感しました。山下の心境「もっと、上まで行きたい〜。」
 でも、ここで切り上げないと午後から参加の人を待たせてしまうので、撤収です。それにお腹もすいたし・・・。水源地での収穫はナラタケ・ヌメリスギタケ・クリタケ・チャナメツムタケ・ヒラタケ・キツネノチャブクロなどでした。私は新しくM講師によってシワカラカサタケを知りました。あと1つ分かったことは前回の和田小屋付近のブナシメジはシロタモギタケ属で名前はまだ付いてないモノでいまはブナシメジとは言わないでとりあえず、シロタモギタケと言った方が良いことも教えていただきました。きのこの種類がどんどん増えて、どんどん私の気持ちがきのこに向かっていくのが分かりました。

 山荘に着くと渋滞で難儀した2家族が到着していました。さっそく、福島の案内でスギヒラタケ採集に1家族が出発。私たちがお昼休憩の間を利用してです。収穫したスギヒラタケは山下が塩ゆでして翌日その家族のお土産になりました。とってすぐ軽く塩ゆでしておくと、帰ってすぐみそ汁などにいれて楽しめるのです。
 さて、本格的きのこ採り「和田小屋付近」に挑戦です。私がきのこ料理のために山荘に残るというと、A先生は「みんなで行きましょうよ。夕食は簡単でいいから・・・」と言ってくださいました。気持ちは4割ほど動いたのですが、あとの6割は思う存分時間をかけてきのこ料理をしたいと、言っていたので、山荘に残りました。
 みんなが出発した1:30から4:30ずっと、休みなく、きのこと格闘・・・。楽しいひとときでした。最初の2時間は全部下ごしらえです。採取したきのこは採取者の性格で、ゴミや泥を落としているモノやそのまま汚れたモノ、いろいろです。山下の場合、自分が洗ったり、ゴミをとったりすることが前提なので採取の段階でキレイにします。でも、他の人のは次々と見つける野生のきのこに興奮して下の部分からごっそりとって、泥を他のきのこにも付けてしまっています。
 この下ごしらえの作業が楽しい人はきのこ好きです。

 メニューは定番「きのこ鍋」。今回初めてすべてのキノコが自分たちで採取したものでした。野生のきのこ以外は使いませんでした。味付けは塩・醤油のみ。里芋を始め、たくさんの根菜にたくさんのきのこ。必需品はゴボウ。残ったモノは翌日味噌仕立てで2度、楽しめます。
 次は昨年より登場の「きのこハルマキ」。中の春雨に味を吸わせてオイスターソースでまろやかな味つけをして、巻いてあげます。巻く作業だけはみなさんに頼みました。(これのみ下ゆでの不要の栽培のマイタケ使用。来年はマイタケも自分で調達したいな〜。ちょっと無理か?)
 最後は今年初挑戦の「きのこサラダ」。キャベツをゆでて絨毯のように折り重ね、上から押さえて水分をぬきます。高さが10pまで重ねて角にカット。ふかしたカボチャ、湯通ししたパプリカをトッピングして待機。ここからがメイン。下ゆでした野生のきのこをバターで軽く炒め、最後にふりかける。(その直前にごま仕立てのドレッシングをかけておきます・・・これは東京で作ったモノを持参)

 和田小屋挑戦グループの奮闘話はあとで福島から聞いてびっくりしました。全員本格的な藪漕ぎをして、みんな着いていったという話。特に夫人の山での動きはすごかったという・・・。私も見たかったな、でも料理も楽しかったし・・・。
 その夜の料理やお酒の感想はたぶん参加した方がいろいろ塾通信に書いてくださると思います。お酒の種類は4つ。〆張りツル・緑川・八海山・麒麟山です。後の3種類は封を切ってないモノだったので、2晩で3升以上飲んじゃったことになります。いや〜新潟のお酒はコワイ。

 ここまで書いてちょうど時間となりました。休み明けの朝はいつもたくさんの洗濯モノをやりながら、コラムの更新になってます。今日の火曜日は小3のクラスです。今「魔法をかけられた舌」(安房直子)をやってます。「本当の料理人はなめただけでピタリとその中味をあてる人だよ・・・・」というくだりを読んで、みんなで香辛料を嗅いだり、オムレツの具を目をつぶって食べて当てたりしています。今日は例の蜂蜜をなめさせて、その後「ききハチミツ」をさせようと思っています。種類はみかん・びわ・尾瀬の雑蜜です。
 「感覚こそ力なり」とは故野口先生の言葉です。西尾氏がよく引用する言葉です。授業の中心にこの「感覚を磨く」要素や「感覚で遊ぶ」要素がある時、なんとなく山下はうれしくなってしまいます。

 山森話のできる期間(きのこシーズン)はコラムが長くなっていまします。山に雪が降るまで、ほんのしばらく、おつきあいのほどを・・・。最後まで読んでくれた方に感謝です。 

2001年10月3日 水曜日
 イベントの報告です。

 1日の都民の日に「潮目に会いに行こう」というイベントで福島県のアクアマリンふくしまへ行って来ました。

【昨年の衝撃】
 昨年の風の教室(ヨット)でたまたま近くだった関係で覗いたのがきっかけです。いわきには炭坑や恐竜などを扱った博物館も充実しています。ヨットでお世話になる宿のおじさんは博物館のボランティアをしていて、そのご縁でそこへも行きました。そのおじさんが「こんどすごい水族館ができるから、是非そこへも子どもたちを連れて行ってよ・・・。」といっていたので、昨年さっそく覗いてみたのです。
 その時の衝撃を忘れることができません。とにかく、どのコーナーも驚きの世界が待っているのです。見せ方が上手。1つ1つの水槽に生き物の完全な世界があるって感じです。
 たくさんのコーナーの中で特別にあげると
 @オウムガイを見せ、古代のアンモナイトを説明するコーナー。古代と現代が繋がる瞬間。
 A北の海の海獣のコーナーでは、トドの水槽の迫力に驚かされ、セイウチがこっちに向かって泳いでくるのを思わず、身体をかわしてよけてる自分がいます。また、ラッコの可愛さ・・・。ラッコは岩では歩いて移動するのですね。
 Bくらげの浮遊。たまりません。ずっと見ていたい気持ちと格闘してその場をやっと後にします。

 その他、数え上げたらきりがありません。こういう衝撃を昨年受けて、「絶対、子どもたちを連れて来よう。」と心に決めて帰ってきました。その時は夏休みが終わった8月29日あたりだったのですが(福島県は20日過ぎに新学期)、まだ地元のリピーターが列を作っていました。「よし、来るなら、都民の日。地元の子どもは学校だから・・・。」と日程も決めて帰ってきました。

【当日はずっと雨、そして息子のスタッフデビュー】
 前書きが長くなりました。そんなわけで遠方の水族館への企画が登場したのです。
 「アクアマリンふくしま」へ行く途中、いつも曲がっている「小名浜サンマリーナ」への道があり、思わず曲がっていつもの海へ出ようとしている自分がありました。場所に身体が規定されてることに驚き。

 前々日から腰痛が悪化した福島はスタッフを息子に頼んで引率には加わりませんでした。若い頃、患った椎間板ヘルニヤが再発してたら、イヤだなと思いながら、レントゲンをとりに出かけたようです。
 
 当日はあいにくの雨で一日中降っていました。体調を崩す子どもも続出して、多少あわただしくバスは出発しました。渋滞をさけた時間帯だったので予定通りにスケジュールは進みます。実際バスに乗ってるのは3時間。その間2度の休憩を約20分前後取ります。
 バスに閉じこめられていた小学生はサービスエリアに着くと走り出します。それが『こどもの自然』なのですが、エリア内での交通事故を良く知っている山下なので、ドアを開ける前にコンコンと説明します。「わかったね、車が止まるとは限らないよ。走らないでね。」「は〜い。」・・・・でも、必ず、小3の○○くんと小2の△△くんは全力疾走しています。分かっても走ってしまうヤツらです。
 小1、小2のサービスエリア担当を任された息子はカルガモの親子のように子ガモを引き連れてトイレに行きます。スタッフデビューの彼は「声」という最大の武器が使えません。「お〜い、こっちこい!早くしろ!危ないだろう!・・・」と人前で声を張れるようになったら、スタッフも中堅。最初は一人にしか伝えられない声から出発して、多くの悪ガキどもも従える「声」を持つように成長するのです。
 そしてその次は大勢の人の「気持ちを繰る」楽しさを見つける段階に入ります。つまり「うけること」を感じながら、人前に出て話すことです。こういう先輩を見ながら、「自分もみんなの前でこんな風にかっこよく話してみたい・・・」と後輩は思っているのです。口ではやじりながらも・・・。

【バスの中では】
 さて、ここでバスでの一コマを紹介します。
 しりとり、仲間あげゲームに飽き、ほとんどの子が眠っている帰りのバスで、最後までエネルギーが切れない○○くん、△△くん、□□くんがいます。
 「爆弾仕掛け人の試験を行う」→「あめ玉を飲み込んだヤツは資格を持つ」というルールができあがり、今度は何時何分にどこに爆弾を仕掛けるかが、次々と爆弾仕掛け資格者間の話し合いで決まっていきます。そしてとうとう、その時刻が近づいてきます。時計は運転席の上部のデジタル表示で、みんな共通に見えます。4時42分に爆破予告があり、秒読みが始まります。そしてその瞬間をどう表現するかというと、高速走行中なのでシートベルトをつけています。そのボタンを一斉にはずすという動作です。もちろん山下にも強要します。「ええ、イヤだな。そんなこと協力するかな・・。」と思いながら、42分にみんなとシートベルトをカチッとはずしている自分がいました。運転席の渡辺は「自分が入ったら、あ〜もやる、こ〜もやる」と思って運転していたようです。
 もちろん、この爆破予告の発想は連日のニュースに影響されていることは確かです。アメリカのテロの悲惨を思うときこんな遊びをやるとは・・・、不謹慎と思う向きもあるでしょうが、「報復する・・」と息巻いてる大人の頭も「ドッカ〜ン」といってシートベルトをはずす小学生も程度は同じかなと思います。的を定めて攻撃作戦を立てることは自分の安全が保証されている限り、楽しいゲームだからです。

 バスの喧噪の中、激しい睡魔と闘いながら、子供らのタフさ、何でも遊びにする創造性、大人社会のコピー度に驚きや戸惑いを感じて帰ってきた山下です。
 
 こうして「潮目に会いに行こう」は終了しました。夏休み明けから、古代米、アクアマリン、きのこ体験と休日イベントが続きます。今は次のきのこ体験に「どんな料理にしようか・・・」「どの山に入ろうか・・・」と巡らせている山下です。日程の関係で今回参加できない方には個人的な福島・山下きのこツアーもありますので、是非気軽に「キノコに行きたい・・」と声をかけて下さい。
 福島の見立てはヘルニア再発ではなく、座骨神経痛ということでした。本人は若い頃の症状に戻ったのではないのでひとまず、安心。体操・ハリなどで気長に治していく覚悟のようです。でも、腰痛は頭に雲がかかったようで本が読めないとぼやいています。ふくせんの「ぶっくりしたなぁ、もお」は腰痛がおさまるまで、オヤスミとなりました。ご了承下さい。
 それから、森の教室の写真をCD−ROMでお分けしています。保護者の方または参加者限定で500円です。セレクト版77枚か全記録525枚かを選んで、山下までお申し込み下さい。いい写真がたくさんあります。メールでも結構です。もう3人のお母さんからの注文がありました。みなさんパソコン世代になってきてるんですね。 

2001年09月27日 木曜日
 生き物の話です。
 先日のきのこ・テニスツアーの最終日のことです。我が家には夕方6:20ごろに到着しました。連休の渋滞が思ったより早くスタートしていて、所々ノロノロ運転をしながら、帰ってきたのです。
 娘を待っていたのは「ウサギの突然の死」でした。留守番の息子は「きのう野菜をあげたときは元気だったのに、今日見たら、ずっと動かないのでどうしたのかと思っていた・・」という言葉。
 娘は部屋にこもってなにやら、やっています。しばらくたって、福島が「庭に穴を掘るから、埋めてあげよう・・・。」と声をかけました。部屋からは「うん。」と小さく返事が聞こえたので、彼は帰って早々、穴掘り仕事を始めました。娘は真っ白いタオルに真っ白のウサギをつつんで、庭に運びます。もちろん泣き顔ですが、いつものセレモニーを淡々と行っていました。

 ハムスターから始まっていろんな小動物を飼ってきました。ウサギは4月に塾生の小学校から2匹もらって、かわいがっていました。1匹はウチに来てすぐ、元気がなくなり、死んでしまいましたが、このウサギは始めこそ元気がなく、足も引きずっていたのですが、どんどん慣れて、本当に可愛い存在でした。娘はウサギを抱いて大きめのイスに座り、よくテレビを見ていました。専用のひもをつけて散歩にも連れ出して、草を食べさせていました。ペットの苦手な母親の手前「世話は全部、私がやる」という約束を100パーセント守って、見事にやっていました。

 私は食事の準備もあり、ウサギの葬送の儀にはつきあえませんでした。終わって、食卓についた娘に何をいってよいか、迷いました。出てきた言葉は「○○ちゃん(娘の名前)、ご愁傷さま・・。」それだけでした。娘は「どうも。」と静かに頭を下げました。なんだか親子でおかしな光景ですが、娘の悲しみをたぶん10分の1も共有できない母親なので、よけなことを言いたくなかったのです。

 そういえば、その日も山の道でリスが死んでいました。車に頭部を当たられたようで、横たわっていました。野生のリスなどすばしこくて普段マジマジと見ることはできません。でも骸となったリスは易々と人間に観察を許します。さっき当たられたらしい痕跡ですが、もう硬くなり始めています。娘と娘の友達はごわごわ近づいてその無惨さと可愛さに言葉を失っています。福島がしっぽを触って、「ほら、しっぽだよ、可愛いね」と言うと、娘の友達は「かわいそ、すぎて触れない・・・」といっていました。そのリスの死骸は道の端っこに福島によって運ばれ、娘たちは口々に「生きたリスを触りたかったな・・・」と言ってその場を立ち去りました。
 そして小一時間後にその場を通りかかったら、すでに死骸はなく、、みんなてんでに想像して、結局「めざとい肉食動物に運び去られたんだ」ということになりました。娘は福島に「お父さん、今度、少し弱ったくらいのリスを捕まえてくれないかな・・」と言っていました。

 先日洗濯物を干しながら、ウサギの墓に墓石として山梨で拾った水晶がのっかってるのを見つけました。
 
 今、我が家の小動物は塾の実験用に福島が購入した文鳥のゴンピーだけです。ゴンピーは何が原因か頭や体がはげています。日光に当てたらどうか?ガラスごしに猫がねらっているのがイヤなのか?塾に連れて行っていつもかまってもらったらどうか?・・・いろいろ意見は出ますが、とにかく気にかけて世話をしないといけないと肝に銘じた福島が毎日せっせと声をかけています。
 「ゴンピー、おはよう・・。」と文鳥に声をかける福島が想像できますか?

コラムは1月24日からスタートしています。最新版の巻末に戻って下さい。クリックして下さい。