コレは2002年7月24日〜2003年3月6日までの山森話保存版です。

山下由美子の山森(やまもり)ばなし




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2003年3月6日 木曜日
 苗場の山荘を使ってスキーなしの冬の企画が終わりました。山荘から出かけずに過ごした2日間でした。
 参加した子どもたちは小学低学年と中学生。明るいウチは中学生がつくったソリのコースを小さな小学生が何度も挑戦する姿がリビングの窓から見えました。
 夜になるとブルーシートを敷いたリビングで「竹」の加工がスタートしました。なたで竹をまっすぐ裂き、節を削り、寒じきの骨格を作る作業です。ここまでは主に大人や中学生の出番です。小学生たちは大人達の力強い作業に魅入っています。竹を切るのも、縦に裂くのも初めて見るものです。その後一本ずつ渡されて、曲げる作業が待っています。ろうそくの炎で竹をまんべんなく、熱して、だんだん曲げていくのです。なかなか竹は曲がりません。何度も何度も熱して、曲げて熱して曲げて・・・。その繰り返しです。山荘の暖炉とろうそくの炎の前はやわらかいオレンジの空間です。そこで、子どもたちは延々と竹を曲げる作業を続けるのです。記録をしていたのりとくんが「日本人のDNKだよな・・・、何にも教わらないので手や足を使っって、なんとか工夫して、曲げるモンね・・。」と感心しています。子どもたちはその単調な作業に言葉少なく、それぞれ集中して職人していました。
 私もそれを見て『ココに同数の外国の子どもたちを置いて、ろうそくの炎と竹を与えて同じように「曲げましょう」と指示したら、彼らはどんな行動をとるのかな?中にはぶん投げる子もいるかな?』と想像してしまいました。寒じきづくりに参加した子どもたちは竹への力のいれ具合、炎にかざす距離や塩梅を自分で探りながら、とにかく曲げて行きます。大変であればあるほど、楽しい作業になります。
 最後に大人の力で穴をあけ、針金で頑丈にとめられる寒じきの骨格ですが、曲げないことには骨格になりません。寒じきづくりの作業は当初思っていたほど容易なものではありませんでした。その夜に作り上げて翌日歩き回ろうという目論見は子どもたちの竹曲げの作業を見ていたら、もろくも崩れ去りました。「とにかく明日もつくろう・・」ということになり、その夜の作業は終わりました。「ねえ、朝早く起きたら、一人で曲げていい?」という子どももいました。
 結局は寒じきで翌日に完成を見たのは1組でした。歩く時間が無くなるので、すでに調達した寒じきでネイチャーウォッチングを開始しました。また、寒じきの装着も一仕事なのです。かかとを合わせ、靴を固定し、歩く際にはずれないように調整します。今の時期は固い雪です。もぐる程度は少ないですが、雪の抵抗は大きいです。
 寒じきは山荘の備品となって冬に常備され、今後の活動に使用されることになりました。まだ未完成のモノは折りを見て、仕上げることになりました。子どもたちは自分たちが作業した寒じきを持ち帰れなくて残念がりましたが、未完成のもあるし、東京でなにに使うかという話になりました。

 今回の企画はとてもマイナーな企画です。スキーなら、スポーツとして成立して、値段と相談して参加者が集まります。でも今回、寒じきを作って歩くだけの企画に参加させた家庭はどんなことを思って子どもを参加させたのでしょうか?いろいろな顔を想像すると、答えは「なんだか面白そう、他では体験出来ないから、雪の中の体験をさせたい・・」と、こんな所でしょうか?
 やってみて、分かったことですが、予想以上に面白かったのは、ずばり「竹」でした。加工して生活に生かして来た日本人のDNAが「竹」を前に騒いでしまうのを知りました。
 
 福島と相談して山荘の竹を一本(2m弱)を持ち帰りました。贅沢をいえば、竹林が1つ欲しくなりました。*山荘の竹は寒じき指導の伊藤さんの寄付です。
 偶然ですが、春合宿の選択メニューにバンブークッキングがあります。これもブレイクしそうです。なぜかって、「竹」を前にDNAが騒ぐからです。

2003年2月27日 木曜日
 ビブス制作中です。小学生サイズを2つ・中学生サイズを4つとし、オレンジとグリーンの二色で合計12枚のビブス制作です。最初の試作品の時は縫っていく順番が自己流かつ非合理的で、手間がかかり、見栄えも悪いものでした。次からは全行程を見通してその工程をいくつかに分けて同じ作業を繰り返していき、最後に作品が一度にできあがるというシステムをつくりました。だから、今は制作中の途中なのです。
 やっていて驚いたことは「何度も同じ事をやると上手になる」ということです。最初ほど集中しなくてもある程度の完成度があるのです。合理的なやり方が身に付いていくことは楽しいことです。これが長い時間があいて、その都度ひとつひとつ仕上げていっていると、こんなに完成度が高かったかどうか・・・。
 
 昨日都立の発表がありました。全員合格は残念ながら達成出来ませんでしたが、みんなそれぞれ頑張ったと思います。私の担当した社会に関していうと1年間決めた整理用のテキストと教科書だけ。これを何回も繰り返し、繰り返しやることを中心に置きました。同じ道を何度も何度も歩き、いつの間にか最初ほど集中しなくても楽に歩けるようになっていることが目標でした。

 ある目的を持った勉強、つまり受験勉強というのはどれだけ自己評価ができてるかということがポイントだと思います。繰り返し繰り返しやってると、もうここは繰り返さなくてもよい・・・と自分に命じる声がしてきます。大昔の私の大学受験勉強時代のことです。教科書(300ページ)を何度も繰り返して、頭にいれていたら、読み返すスピードがドンドンアップしてきて、2〜3時間で最後は読み返していました。頭に入った信号が点滅したからです。英単語の入れ方も1日目を入れた後、2日目は昨日の分の確認と2日目のノルマを入れます。3日目は1日目と2日目の確認と3日目のノルマです。これを延々と繰り返します。ずっと1ページから毎日確認するのです。忘れるヒマがないのです。そうして最終まで行き着くと英単語をいれる作業はさながら記憶が流れないよう「土留め」の作業のようになります。こうして若い頭に最高時は5000語の英単語がつまっていました。当時は世界史の300ページの教科書と5000語の英語辞書を持って持ち込み状態でテストを受けていたようです。今はこんな時代おくれの勉強法をすすめる人はいませんが、もし私がまた目的を持った勉強をやるなら、同じ方法しか採れないと思います。

 ビブスの話から飛躍しました。

2003年2月17日 月曜日
 春合宿の会議が始まりました。
 参加するスタッフがそれぞれの担当を確認し、必要な準備を考えることがスタートしたのです。いつもよりグッと着手が速い2003年春となりそうです。
 というわけで、私も昨年より課題となっていたフットサルのビズスを作ることになりました。昨年は卒業生の協力でなんとかなりましたが、小学2年生に大人のビブスは肩がずり落ちて動きづらそうだったので、次は自作しようと考えていました。ビブスとはスッポリかぶるベスト状のゼッケンのことです。試合の時の必需品です。
 
 月曜でも「ユザワヤ」は人がたくさんでした。コットン素材はビブスには不向きなので、コスチュームなどの特殊な素材のコーナーで布を探していました。1メートルあたり330円から5000円までの布の中でビブスに適して、かつ低価格のものを探していました。いろいろ折り目を付けたり、縫うことを想定して重ねたり、一人であれこれやっていると、子どもの泣き声がドンドン大きくなってきて思考が妨げられるようになりました。見るとだたをこねている子どもがお母さんに「ダメよ。そう、勝手にしなさい・・」と捨て置かれている状態だったのです。そのお母さんは3才くらいの男の子に大人に対するような態度で「あ、そう、・・・・・」と言ってから自分の捜し物をしています。子どもはなぜダメなのか、わけが分からず、ドンドン癇癪をおこして、鳴き声が号泣状態になります。この声と同じフロアにいるのは耐え難い業です。なんとか神経をビブス作成に集中しようとするのですが、結局ダメで、私の方が声の聞こえない他のフロアへ移動しました。「他の小物を探してから・・・また、ココに戻ろう」と思ってのことです。広いフロア一杯に子どもの泣き声がひびくのにお母さんは全然気にならないのか不思議でした。子どもはお母さんがプツンとチャンネルを切ってしまったことに泣いているのでした。昔なら人の手前、もう少し子どもにかまうと思いますが、見事に子どもを無視していたお母さんでした。
 無事、布を買ってサンロードを北に歩いていると、信号で両脇に2才〜4才の子どもをつれたお母さんに行き違いました。2才くらいの子がつまづいてお母さんに手を引っ張られて、転ぶことは免れました。あまり容赦なく引っ張るので、腕が抜けないかと心配したので注意を引いたのです。そのすれ違った一瞬の言葉です。「おら、ちゃんと前見て、トットと歩けよ・・このっ!・・・」と2才の子に巻き舌で言ってるのです。2才児は大人の速度に合わせて着いていくだけで必死で、ぽかんとしている感じです。そのお母さんが大人と同じように幼児と接しているのに驚きでした。
 最後は年輩のご婦人です。後ろからすごい勢いで私を自転車で追い越す方がいました。追い越してからその方から「○○・・・・・・○○・・・・」とすごい怒りの言葉が聞こえてきたのです。内容は不明ですが。言葉はすぐ聞こえなくなりましたが、すごい大きな声での怒りの放出でったので驚きました。黒い上着にひき茶色のスカートをエレガントに着こなしたご婦人でした。

ものの、30分くらいの間の出来事です。いや〜、今日の報告は何なんでしょう?
月曜日は女の人を非情にし、怒りっぽくするのでしょうか?

2003年2月12日 水曜日
 先日、水戸の偕楽園へ行って来ました。北茨城の病院にいる友人を見舞うのに一度高速を水戸で降りて、立ち寄ってみました。
 偕楽園は話には聞いていたのですが、行くのは初めて。この22日あたりから「梅まつり」の開催に向け、公園施設の準備中でした。梅は八重寒紅という紅梅が咲き始めている感じで他の種類のはまだ、固い蕾状態でした。たまに白梅で5〜6輪咲いている木もありました。鼻を近づけるとほのかな梅の香がただよい、幸せ感が広がります。グリーンがかった白梅は「月影」という名前がついているようで、ネーミングに参ってしまいました。
 公園は年に一度のかきいれどきを前に散策道の整備に余念がありません。でも柵に塗った腐り止めの塗料の臭いがきつく、ほのかに芳る梅の香をけちらしてしましっていました。梅まつりまで、あの臭いは退散してくれるのでしょうか?少々心配して歩いていました。
 梅の数・3000本とガイドには書いてありました。これだけの梅が咲けば、本当に見事な景観と梅の香だなあと想像していました。日本3園の1つと言われるだけあると思います。
 
 私と福島は梅が好きです。季節的にはまだ寒いのですが、春を告げる一番の香りとして梅のほころびが気になって仕方がありません。我が家の白梅もひとつ咲きました。寒い中でちょっとした寒気のゆるみを反映してほころぶ梅はまさしく春の使者です。
 マスクをして偕楽園を散策する人の姿も目立ちます。春の到来は花粉の季節の到来でもあるようです。幸い花粉の憂鬱さを知らない私達ですので、この次はどの梅を観るか相談の最中です。
 一度も行ってないのは小田原です。曽我梅林はシーズンを逃してしまいがちで、いつも吉野か近くの小金井公園へいって観梅してます。いちど越生にも行きました。
 
 先週の土曜、新年度の継続書類が出そろい、今年度の私達の通信簿が出た感じです。今回はほとんど読み通り、継続・退塾の予想外な返事を持ってくる生徒はいませんでした。「迷っている」と表現した家庭には後者をとってもらいました。根拠なく続けるにはハードな関係を求め合う塾だから一年持たないと伝えます。
 さあ、本格的に今週から新規募集のスタートです。梅の香りを背景に頑張りたいと思います。

2003年2月3日 月曜日
 昨日久しぶりに山へ行きました。
 「チャートと火おこし」の企画で御岳山へ行って来ました。予定では山歩きの後ロックガーデンという山の上の河原でチャートを探すはずだったのですが、前日からの積雪で凍結して危険という状態でした。予定を変更して麓の多摩川の河原でチャートを採取してから、御岳ビジターセンターへ行きました。あまりの寒さにビジターセンターのコンロを借りてトン汁を作らせてもらいました。寒中のトン汁の美味いこと、美味いこと・・・。
 たくさんのスタッフの努力の結果、無事火打ち石から火がおこり、火おこしは成功しました。
 一年で一番寒い時期に野外の活動を組むのが無謀というものです。3人の子どもがインフルエンザでキャンセルということになり、可愛そうなことをしました。でも、今年度、出した企画が多かったのでこんな日程で消化するしかなかったのです。本当はもっと気候のいい時期にチャートを企画してあげたかったのですが・・・。なんせ季節限定モノの活動を優先していたら、年間を通じて実施可能なイベントが残ってしまったのです。(冬にトンボやセミの企画はできないでしょう?)
 あとはカニの巣穴・水生昆虫・寒じきづくり・残雪体験を残すだけとなりました。2月にはイベントはやめて、すべて3月に回しました。だから、3月は毎週野外活動があることになりました。

 寒中の活動で意外な発見。極寒の御岳はバードウォッチングに最適ということです。葉っぱを落とした木々に冬でお腹を空かせた野鳥達がやってきます。4月には想像もつかないくらいの飛来の量です。ヤマガラ・シジュウカラ・キビタキ・カケスが殻を振りまいて実を食べていました。見ていると時がたつのを忘れる感じです。特に羽を動かして飛ぶ際に内部の羽の色が目にしみます。強烈な美しさです。
 この時期の御岳は一見の価値有り。

2003年1月28日 火曜日
 友人が昨年の11月に脳出血で倒れました。ヨットの企画でいつも現地でバックアップしてくれている昔の仲間です。大学時代から丹誠塾を手伝ってくれていた彼は20台の半ば、両親の住む福島県へ帰っていきました。福島ではウィンドサーフィンのお店を開き、若い人を相手に講習や販売をして、かの地で新しいマリンスポーツを紹介した草分けの一人となりました。10年ほどまえから、丹誠塾のヨットの企画がうまい具合に実現したのは彼の献身的な協力があってのことです。
 発作はウィンドサーフィンの講習のために鮫川の河口に到着した時、起こりました。
 その日から彼は半身がマヒした身体とつき合いながら、生きていくことになりました。
 私達は昨年に3回、今年になって1回見舞いに行きました。合うたびに元気になっていく彼を見ると、人間の快復力に驚きます。最初の時は昔の話ばかりしました。なくなった私の父に聞いた父の発作の時の模様を思い出した様子で「山下さんのお父さんが言ってたのと同じだよ。」と繰り返していました。次のお見舞いの時はもう、リハビリが始まっていて、福島のマッサージを気持ちよさそうに受けながら、自分の身体の状態を詳しく説明してくれました。一番最近のお見舞いの時、動かない方の足が角度でいうと30度くらい持ち上がったことを話してくれました。ひとつひとつの発見がうれしく、発作前の身体には戻れないという覚悟とこれからを生き抜く覚悟が徐々に彼の中に生まれていくような気持ちがしてました。
 現地でヨットの指導を彼といっしょにいつも助けてくれるO氏が言いました。「快気祝いクルージングをやるからな。おまえ専用の椅子も作ってやるから、リハビリがんばれ。」
 彼が今度海に出るのはずいぶん先のことになると思いますが、きっとそのイメージを胸に毎日リハビリに励んでいることと思います。半身マヒになって、出来ないことが多くなったけど、その身体で何ができるか、何をしたいか・・・・、たくさんの時間が彼にそんな機会をあたえてくれることを友人として祈って見守っています。
 すごく個人的で共通の知人でもない読者を前にここに報告するのも・・・といつもためらっていましたが、今日「徹子の部屋」で真屋順子さんを見て、書きたくなりました。彼女も同じ病気と闘い、見事舞台に復帰するようになった女優さんです。彼女の話で、「こんな身体になったけど、こんな身体になった私にどんな事ができるか挑戦しています。」という言葉を聞いたとき、一年後には私の友人がこういって海に出ているのを想像してしまいました。
 来年の今頃の彼の姿を想って、ココに書いて応援のメッセージを残したいと思いました。

2003年1月19日 日曜日
 2003年があっという間に20日を過ぎようとしています。こんな風に早足で今年も過ぎていくのでしょうか?
 
 2003年度の塾のテーマは「SLOW STUDY(スロー スタディー)」です。昨年より福島がよく使っている言葉です。深夜のニュースでもよく取り上げられている言葉でもあります。これはスローフードの教育バージョンです。
 スローフードはもちろんファーストフードの反対概念として登場した言葉です。カンタンにいうとお手軽な食べ物ではなく、安全や美味しさにこだわった食のあり方をいったものです。
 さて、その教育バージョンとなると、どんな教育の反対概念か考えました。
 @競争させて点数獲得のみに目標をおく教育
 A子育てを親以外の第三者にお手軽に任せてしまおうとする態度
 B子どもから出発したものでなく、大人がしかけて子どもをその型にはめようとする教育

 ・・・・・・どんどん、わかりづらくなってしましました。
 スロースタディーとはゆっくり確実に必要なことを身につけていく。それも子ども自身の興味に従って、子ども自身の選択のもと、子ども自身の幸せのために。なんだか、当たり前のことのようなのでが、この辺のところが今一番抜けているポイントなのだと感じます。そして親の手抜きを厳しく指摘しそうな感じです。

 塾の日常は21日から在塾生の来年度の動向をたずねる、継続確認書のスタートです。一番ナーバスな時期です。今年度の塾の生活を振り返ってもらって来年度一年のつき合い方を家庭に尋ねる儀式です。

 そして、新規の募集がスタートします。その時までスロースタディーの説明を熟考するつもりです。 

2002年12月24日 火曜日
 えらいブランクです。ご無沙汰です。
 塾の年末企画・ブチとボーリングや忘年会も無事終わり、あとは冬期講習を残すのみとなりました。年末企画は両方とも多いに盛り上がり、塾の収容人員をはるかに越えて靴や洋服の置き場所がないくらいでした。有り難い年の瀬となりました。忘年会では大人部屋と子ども部屋に別れ、子ども部屋はスタッフ希望の中高生が小学生以下の面倒をよく見てくれました。おかげで大人部屋の親達は独身状態で楽しめました。生ビールのサーバーからつぐビールは最高に美味しく、3升以上の日本酒もアッという間にゼロになりました。
 
 来年の1月でこの「山森話」も満2才になります。山や森の話しも2周したわけです。山に入れないときは家族ネタでした。最近は仕事に力をとられ、文を打つだけのエネルギーが残っていない状態でした。もちろん10月の末からは山に入っていません。残念、もう一度、あのナメコパークを狙いたかったです。
 来年はまた、新しい塾の企画が登場します。先日のスカイテルメ会議で煮詰まった企画です。どうなりますことやら・・・。

 また、このコラムの更新が滞ったら、許してください。

2002年11月29日 金曜日
 あれよあれよという間にもう、12月です。今年を振り返る間もなく、来年度の企画をただ今検討中です。参加者の人数も1つの指標ですが、一番はやはり「その時の充実感」です。
 セミの羽化の企画は実際、泊まりの手配が大変だったし、羽化の時期がずれて観察はできませんでしたが、妙に心残りで、来年もリベンジをかけることに自然に決定していました。
 また、城ヶ島というスポットもクルーザーで訪れた時と違う顔を見せてくれて、今は私達の中でイチオシのスポットとなっています。この場所も磯と地層で来年も行きたいなと思っています。
 
 来年度の企画が一段落すると今度は来年度の塾のクラス編成です。少しずつ話し合っていき、最後は場所を変えてエイッと一息に仕上げます。称して来年度の未来会議です。去年は名栗方面の「さわらびの湯」で会議をしました。空間のもつ力があります。さわらびの湯の丸太の作る柔らかい空間で2002年度の戦略を練りました。
 さあ、今年の未来会議の最終会場は・・・・。一番の候補は渋川のスカイテルメです。高速を降りてすぐのアクセスの良い「天空」にある湯です。広間で静かに2003年度の戦略を練る丹誠塾の講師陣を想像してみて下さい。えっ、いい商売だって?いや、これでもキツイところの多い仕事なんですよ。子どもたちとつき合う強靱な体力と日々興味を追い求める柔らかい感性を要求される商売なんですよ。
 でも、なにより、みんな(私が?)大の温泉好きなのです。

2002年11月21日 木曜日
 日常の会話です。娘とテレビを見ていた時のことで、物事をハッキリいう人と黙っている人が話題になっていました。
 娘「ハッキリ言った方がいいとは思うけど、言われた方がキズつくことがあるよ。」
 私・・・・仕事をしながら、生返事、「ふ〜ん」
 娘「お母さんはハッキリ言いすぎだよ。時には人はキズつくんだからね。」
 私「へっ、お母さんは普通だよ。」(急に玉が自分に飛んできてビックリ)
 娘「お母さんは思いやりがね、わかってないよ。」
 私・・・体制を立て直して、「何いってんのよ、私は思いやってるよ。」
 娘「お母さんはね、正しいのよ。でも思いやりが分かってないときもある。」
 
 ものすごい娘の決めつけに「なにか思いやりに欠けるようなことがあったのかな?」と考えましたが、私自身、これといって思い当たりません。
 「は〜ん、娘は私のことをある面では、批判的に見てるんだ。」と初めて知り、ちょっと考えました。
 そして「お母さんは正しいんだよ。」という言葉にも驚きです。
 私自身、規範が勝ちすぎて、不正なこと・いいかげんなことが許せないモードに入ってしまうことがあり、それが私の特徴でもあり、弱点でもあることは日頃から感じています。
 正しいけど、融通が利かない・・・・・・。例えば、夕方営業の電話がかかってきた時などは適当にあしらって電話を切ればいいのに、「そういう営業の仕方は良くないよ。相手の事情が分からないから、やめた方がいい。」ということをまともに伝えて、逆に相手からいきなりガチャンと切られ、私も憤慨して電話を切る姿を娘は覚えているのでしょう。
 また、お小遣いを使い切っても、一度も特別に温情措置をしたこともありません。娘を問いつめる言葉で、「行ったことはやりなさい。」「自分で決めたことでしょう。」「それとこれは別のことでしょう。」「後回しにしないでやることをやりなさん」などが思い出されます。う〜ん、たしかに正しい・・・・・・。

 確実に娘は成長していると苦く、実感した瞬間でした。

2002年11月12日 火曜日
 たくさんの企画をこなして11月まで来ました。先日の「葉っぱと木の実採集」は思ったほど、落葉がなくて木の実の種類も少なかったです。季節モノの企画は難しいですね。でも奥多摩の紅葉はじめの景色を楽しんで来ました。3連休の人手を予想して、青梅街道を敬遠し、五日市の都民の森経由で大菩薩の登山道へ向かいました。帰りもそのルートでした。高度をかせいで奥多摩道路から下の青梅街道をみると、車のランプの列が湖を取り巻いていて、「ギョ!あっちのルートだと大変な混雑の中にいたんだ!」と参加者が叫んでいました。
 秋まだ浅い森の中をゆっくり歩いた静かな一日でした。
 そして、きのうは来年の企画のために千葉の成田層の化石を下見に行ってきました。常磐高速の柏で降りて、一般道を成田方面へ向かいました。この道は全く初めてで、地図で確認しながら進みました。恐竜体験でお世話になった福嶋徹さんの案内がなければ、下見はできなかったと思うくらい、化石の露頭を探す出すのは難しい仕事でした。すでに地主が「立ち入り禁止」と立て札を立ててしまった場所はあきらめ、他の露頭を探します。貝化石の層でも高度のあるところだと危険なので、崖の急でない露出部分を求めて歩きました。
 最後に民家の畑の側の露頭にたどり着き、そこのおばあちゃんに詳しく話をして、立ち入り許可をもらいました。砂地の中にいろんな化石がたっぷり入っています。二枚貝、東京ホタテ、マテ貝、ウニ、巻き貝などのハッキリしたものがたくさんつまっています。硬い石の中にではなく、砂の中に普通にある化石です。山の斜面を見上げると地層がハッキリ分かって、このあたりの土地の歴史が一目瞭然です。
 千葉の土地は思ったより、起伏のある土地でした。案内の福嶋さんいわく、「この辺の隆起はすべて海底の時代のそのままの起伏」だそうです。すごくスケールの大きい話に見ている風景がグッと変わって見えました。
 今度の日曜日は城ヶ島の地層観察です。すごくマイナーな企画かもしれませんが、実際みると面白い地層です。山をみると露頭を探すクセがまだ治ってない山下です。

2002年10月29日 火曜日
 きのう念願の山に入ってきました。田んぼの学校でお世話になった清水さんは「山ときのこの先生」でもあるので、きのうは一緒に山に入ってもらいました。
 山荘を冬仕様にする仕事もあったので、日帰りで新潟へ出かけました。
 雲が少なく、秋晴れの一日で、プロの山岳ガイドの清水さんはどの山の名前も標高もすぐ出てきます。きのうは妙義山・浅間山・榛名山などの名前と位置を確認しながら、中腹の道をドライブしました。
 山荘が初めての清水さんは珍しそうに室内を見回して、「こんなところで遊んだり、勉強したりするのは最高だね」といってくれました。
 
 いろんな企画の実施や下見で忙しかった私はほとんど、山にはいってきのこを採るチャンスがなかったので、急斜面を枝をつかみつつ登るのは身体が悲鳴をあげる動きでした。周りは紅葉の真っ最中。息が切れ、前を行く先生の姿をキープしつつ、後ろを振り返ると黄色や赤の色彩の中に自分がいることに気づきます。
 先生は「ココにクマの糞がある」「ここは獣の臭いがキツイ」「これはけもの道だな」「あっちの山のあそこにきのこがある」「この斜面は日が当たりすぎる」「うっ、きのこの臭い」などと森の中の情報を私に伝えてくれます。クマの糞は確かに大きく、なるべくなら、お会いしたくないなと願って登っていました。
 私と福島が昨年「なめこパーク」と名付けた場所は大変高い所にあり、ココまでは誰も登ってこないと思われる場所です。そして今年も期待を裏切らないで「天然ナメコ」はそこにありました。2週間の間にきのこツアーの時より大きくなって、倒木の周りに見事についていました。その光景は今までの登りの疲れを一気に飛ばしてくれました。ナメコはそのぬめりが特徴です。小さなものは特にヌメヌメで、それが我が身をまもっている感じです。
 清水さんにナメコの採り方を教わりました。早く、きれいに傷つけないようにサッサと採るやり方です。さすが、大量にナメコを採りつけている人でした。私はひとつひとつを時間をかけて楽しんで収穫しました。そばに立派な肉厚のヒラタケもあり、登る途中の大量のムキタケと合わせて、帰りはきのこの重さを感じて山を下りました。
 きのこの収穫としては短時間にしては満足のいくモノでした。ナメコ・ヒラタケ・ムキタケの他にクリタケ・チャナメツムタケ・ヌメリスギタケモドキ・スギヒラタケに少量のエノキを収穫しました。ナメコの隣にナラタケもあったのですが、老菌になりつつあったので、収穫しませんでした。
 山荘で、さっそく収穫したきのこの処理をしました。ナメコは水で洗って石突きをとり、その他のきのこはゴミや虫をとって塩でさっとゆで、水洗いをしました。ナメコやヒラタケにはほとんど虫がおらず、洗いながら、その美しさに見とれていました。その間清水さんと福島は山荘の前の山に入って、山ぶどうのツルを苅ってきました。知人に頼まれていたので・・・。
 報告することは尽きませんが、今日も忙しい一日がスタートしました。来週の日曜日は大菩薩登山道を歩く予定です。これも遊学会の企画です。葉っぱや木の実を採集しがてら、きのこに出会えることを期待して、歩いてきます。

2002年10月18日 金曜日
 昨年の11月に人の森で味噌を仕込みました。夏ごろから少しずつ消費していって、きのうイベントのためにごっそり取り出しました。そのイベントは人の森で企画した「味噌の森」と称する「味噌料理パーティー」です。
 私は味噌料理といってもあまりレパートリーがなく、みんなで知恵を出し合って、メニューを考えました。今の候補は

 @赤米を炊き込んだおにぎりに味噌を塗って焼くというもの。
 A鮭のちゃんちゃん焼き
 B鯖の味噌煮
 Cもつ煮込み
 この中には自宅で作って持参してくれるものもあり、「味噌の森」に向かって着着と準備を整えてくれています。私はいろいろ会計仕事や書類仕事に追われ、ずっと家ではパソコン仕事をしているので、全然料理のアイデアが浮かびません。先日のきのこツアーで料理三昧の生活にちょっと疲れている部分もあります。
 
 ただ、先日きのこに参加した子どものお母さんから「何を聞いても、帰ってくる言葉は『ヤマセンのきのこ料理が美味かった』です。なかでもお肉の上にきのこソースをかけたのがすごく美味かったそうです。」と伝えられて疲れが吹っ飛んだはすだったのですが・・・。
 ええっ?きのこの報告がないって?そうなんです。実は私は今年ほとんど山や森に入ってないのです。先日のきのこツアーもずっと山荘でおさんどんだったのです。
 今年のきのこは早いです。福島と講師の三村さんは相当の場所に登って「天然のなめこ」を採ってきました。これはすごいぬめりのきのこでした。たくさん「天然なめこ」の入ったきのこ汁に子どもたちは一斉に「これはヤバイよ。すっごい美味い〜。」と叫んで食べていました。
 
 明日の味噌の森には高校生も招待して、にぎやかになりそうです。

2002年10月9日 水曜日
 ずいぶんブランクをつくってしまいました。
 もう、みなさんご存じのとおり、塾の協賛しているNOP遊学会の活動が多くてこの3週間ほど、休日らしい日がなかったので、アップアップしていました。その上塾通信の発行が開塾以来、最悪というくらい滞ってしまい、きのうやっと10月号を発行する状況でした。そういう言い訳です。
 めっきり涼しくなって風邪をひく子どもが出てきました。この夏は暑く、長く続きましたね。最近まで半袖を着ていた10月です。こういう気温差がくせ者です。
 今朝、小柴昌俊教授がノーベル物理学賞を受賞したと新聞が報じています。テレビでその「ニュートリノ」なるものの説明をしています。「ニュートリノとはそれくらい捕らえにくいものなのです。」という説明のところで、我が息子が『捕まえにくいならトンボだってそうだよ。』といっています。・・・・・・なんと!文系的発想!

 息子は高校2年生で今、来年の履修の最終段階です。先日父親に科目の履修の相談をしていました。父親は「まず、どんなことを大学で研究したいか、そこからだよ。まだハッキリしないなら、少なくとも理系か文系くらいは自分の適応を考えなよ。」とアドバイスしてます。
 息子は「理系か文系かは古典か数学に関係する選択なんだな。オレは先のことはまだ分かんないけど・・・。満員電車に乗りたくない・・・。」とぼっそり言っていました。あれっ?どこかで聞いたこの言葉。私が東京に来て初めて山の手線に乗ったとき、乗れなくて3つ程電車を見送ったこともあり、就職に当たっても「スカートをはいて、満員電車で通勤する姿」をどうしてもイメージできなかったのです。
 『同じことをいうな。私達親が話しているのを聞いたのかな?それとも自分の感覚なのかな?』と内心思いました。息子はぼんやりながら、地学と食べ物(農産物・魚)に感心があるようです。結局、理系としておこうということになり、私のようにいち早く数学にサヨナラを言わないでもうすこしつき合うことにしたようです。

 そういう会話が最近あったので、ニュートリノの説明に文系的発想を聞いて、「おい、その選択で大丈夫なのか?」と思った今朝の食卓でした。

 息子を見ていて「何でも選べる幸せ」と「1つを選ぶ苦しさ」を感じます。私の17才は何を考えていたのかな?

2002年9月17日 火曜日
 山荘へ行って来ました。来週のイベントに向けて、備品の確認や段取りの準備に行ってきました。というのは口実で本当は「きのこ」が気になって、気になって・・・・。
 娘の友人と親しい一家族と総勢8人で美味しいモノを食べ、テニスあり、きのこ探しありの、健康的な2日間を過ごしました。
 きのこの出現状況は昨年とガラッと違い、昨年あれだけ大収穫だったタマゴタケがお盆ごろに姿を見せ、それも量がめっきり少なかったという・・・。サマースクールで探した時はもう終わっていたのだと分かって、びっくり。
 今回はスギの林に入りました。丈のあるクマザサの部分をガマンすると、そこは薄日が差すスギの林。フワフワする下の草を踏みながら歩くと、薄暗い中に真っ白の「スギヒラタケ」が光っています。思わず歓声・・・。
 小学2年のMちゃんが「わっ、でっかい」という声が離れて聞こえてきます。福島と小学生はどんどん先に行って、大きな「スギヒラタケ」を中心に収穫します。私と彼らの父親は後についていって、取り残したたくさんの「スギヒラタケ」を収穫していきました。
 山荘で虫だしをして、ザルにとると、大きなザル一杯の「スギヒラタケ」の収穫でした。「スギヒラタケ」はまず、間違いなく、名前が分かるきのこで、上手に収穫すると、すぐ料理に使え、味もクセがなく、食感もイイです。福島の好きなきのこです。
 その他にスギの中で「アカアザタケ」という白っぽい肉厚のきのこも確認しました。近くの公園の管理者の方に教えてもらって、初めて確認したきのこでした。もう、きのこシーズンはスタートしています。
 
 その夜は「スギヒラタケ」はニンニクで炒めて、八海山のアテ(酒の肴のこと)になりました。
 翌日はその残ったモノをイタリアンオムレツの中にいれて、すごく上品なゴージャスな料理に生まれ変わりました。
 一緒にいったその家族には腕ききのシェフがいて、今回いろんなお料理を教わって帰ってきました。
 骨付き肉のポークソテー赤ワイン風味は絶品でした。今回の山荘の料理水準はグッとはね上がって、大満足の連続でした。何よりきのこ料理のバリエーションが増えたのはうれしいです。
 次回のきのこイベントにはイタリアンオムレツの中に「山きのこ」がしこんであると思っていてください。

2002年9月10日 火曜日
 先日テレビのバラエティーで元海軍特攻隊の生き残りでマグロ釣りの漁労長の出演するものを見ました。80才の方の話は深く、そしてユーモラスで聞き手のタレントがじゃまなくらいです。
 その時の話で「私の家は農業だったので、畑違いの漁業の世界で非常識なことをドンドンやれたのでマグロを釣ることにいろいろ思いつきで挑戦できたんだろうと思います。畑違いの出身だったことがここで幸いしました。たとえば、マグロが・・・・」と述懐しておられました。
 今日我が家の海水魚の水槽の生き物が元気がなくなり、水面に浮く姿もあり、福島が隣の淡水魚のブクブクをいとも簡単に入れました。
 私は海水魚の水槽のマニュアルを信じてその通りにセットして、いたので「まさか酸欠には・・・」と思って他の原因を考え、明日水を取り替えるつもりでいました。福島はマニュアルを一切読まないタイプです。目の前の事柄から判断して、ことを簡単に考えます。それによって事態がとんでもない方向に転じてしまう場合もありますが、海水魚の場合は正解でした。ブクブクで状態が改善されたので、今度は水槽の装置をマニュアルにはないことですが、もっと酸素が水に入るように工夫してみました。
 このとき先日の漁労長の方の話を思い出し、「説明書ではこれで酸素は充分とあるよ。」といっていた自分を常識(自分以外の人が設定した基準を受け入れている姿)の虜になってるなと感じました。目の前の状況からアレコレやってみる力こそ、「知恵の力」だなと感じました。

 丹誠塾のHPのトップを飾る言葉をきょうも確認できました。
『大切なことは簡単なこと。』

2002年9月3日 火曜日
 今日から塾の2学期がスタートします。
 この夏も暑かったです。とくに7月が・・・。今朝も汗をかいて起き、早速息子の弁当づくりが始まりました。
 洗濯をしながら、夏の間のイベントの会計を締めて、ホームページの仕事に取りかかりました。このコラムの表示が遅いので、古い分はまた倉庫に入ってもらいました。よくも長々とどうでもよいことを脈絡もなく、書き貯めたものだと、我ながら感心。書いておかないと忘れてしまうようなちょっとしたことが多いので、このコラムはもっぱら私自身のためのようです。

 さて、今日は小学4年生の算数クラスから2学期開始です。面積から始めようが考えています。
 娘・息子は部活生活が再開で、毎日のお茶作りもスタート。夏の間慣れた野草茶を変えて、緑茶を冷やしたら、大好評でした。弁当→洗濯→パソコン仕事→昼→塾という流れはやっぱり、一番収まる感じです。

 2学期もたくさんの体験活動が待っています。中でも一番楽しみなのが「翡翠拾い」です。私はこれで3度目の挑戦です。前回まではどうしてもほんものの翡翠が拾えなくて、悔しい思いで帰ってきました。糸魚川の翡翠は白くて光にかざすと小さい味の素みたいな模様があるのが特徴。分かっていても中国産のあの青い石を探してしまうのです。今回は「これが翡翠です」と鑑定の学芸員の方に言ってもらえるよう頑張ります。

 とにかく「いつもの日常」は始まりました。

2002年8月13日 火曜日
 きのう「田んぼの学校」でお世話になっている清水さんから連絡がありました。「無事育ってるから・・」という内容で8月25日の草取りの段取りなどを話しました。
 その時、気になったので「秋田はずっと雨で寒かったよ。」というと、「じゃ、花の咲く頃の雨はイヤだろうな・・・」という返事でした。
 「田んぼの学校」を企画してから、各地の稲作地帯が気になって、遠出をすると必ず水田を眺めて私たちの田んぼと成長具合を比べるようになっています。
 テレビを見ていると、秋田の天気はここのところ東京が晴れていても、やはり曇りや雨の日が多いようです。北海道も低温で晴れませんね。関東以南は酷暑で東北以北は冷夏なのでしょうか?

 この2日〜3日は家で日頃のできない整理や片づけをやってます。といっても冷房をしない我が家の温度は昨日36度を記録。少し動くだけて汗が噴き出します。連日の猛暑で食堂のテーブルやイスが熱を持っています。グラスは冷凍庫で冷やさないと、冷たいものをいれてもすぐ常温に戻っています。

 みなさん、残暑お見舞い申し上げます。

2002年8月8日 木曜日
 秋田は雨でした。
 それも豪雨です。福島と娘と3人で田沢湖奥の乳頭温泉郷へ行ってきました。34度を超える猛暑の東京を離れ、650q走って着いた田沢湖は水が澄んで、小魚とトンボが群れていました。ただ3日間ともあいにくの雨で、とくに二日目は豪雨となり、至る所で道路が冠水し、山からの吹き出す沢水が道路を横断していました。鉄分の多い山土のため、沢は赤茶色となり、湖への注ぎ口も同じようないろに染まっていました。
 そんな中、秋田の深い自然を楽しみ、宿から宿へ湯巡りをしました。豪雨の中の露天風呂はしずくの王冠を見ながら、瞑想気分でした。乳頭温泉郷は乳頭山への登り口にある温泉郷です。7つの宿のお湯を楽しめる秘湯です。九州の湯布院と並んで、長年の私達の憧れの温泉郷でした。
 宿は一番奥の「黒湯温泉」で、2泊しました。宿で湯巡り帳を購入して、妙の湯・鶴の湯・休暇村と3つのお湯を巡りました。それぞれに趣が違い、さすが江戸時代からの湯治場・・・と、感心しました。宿泊した黒湯温泉は白濁したお湯で、源泉温度が80度以上もあり、本格的湯治場という風情でした。混浴の部分をのぞいても内湯も露天も充分満足できるお湯でした。殆ど今風の設備はありませんが、お湯の力だけで満足できる「本格派」です。ただ、内湯の温度管理が大変でした。このへんは全部手作業で、お湯加減を利用者が調整するシステムで、こどもが入った後などは水でうめすぎて、ぬるくなっていたりします。でも、そんな時水栓を閉じて、源泉を入れっぱなしにすると、ほどなく、ピリッとしたお湯にもどるのです。私はヒマがあると、内湯へ行って、お湯の状態を見ます、ほとんど「ちょい熱」状態です。そんな時はそのまま、入浴しますが、たまに「極熱」状態のときがあります。そんな時は水を出して、時間を見計らって入浴していました。
 滞在中やったことは秋田の素朴な料理をいただいたことと、お湯を楽しんだことだけです。テレビもなにもない生活でした。

 そして、きのう日本海周りで帰ってきました。秋田・山形・新潟・群馬・埼玉・東京・・・と我が家のシャリオはおじいさんにも関わらず、文句も言わずよく走ってくれました。
 途中、「笹川流れ」という景勝地で海岸の砂をいただいて、きょう金魚鉢(火鉢)の下に敷き詰めました。透明の小石とオレンジっぽい小石の混ざるきれいな砂です。20年ほど前、福島が塾生からお土産にもらったのを、今も持っていて、「どうも笹川流れという言葉が気になっちゃって、一度いってみなけりゃダメな感じになっちゃた・・・」というので、寄ってみたのです。日本海の海岸はもちろんダイナミックです。でも海岸の砂はなんと繊細なものなんでしょう・・・。参考までに福島は各地の砂の収集家です。

 最後にお土産や記念に買った物リスト・・・・・・ 
 稲庭うどん・いぶりがっこ・湯通しわらび・アスパラ・ブナ林の絵はがき・牛タンのスモーク・村上の鮭・メロン・GRAND Aー1・初孫・〆張鶴・飛良泉(最後4つは日本酒)

 これらのモノで楽しい旅を2度楽しみます。

2002年7月24日 水曜日
 今年のセミはゆっくり出てくるようです。
 先日埼玉県へ「セミの羽化と蛍の観察」にいってきました。蛍は合計で5〜6匹飛んでいるのを確認。小さい平家蛍の強烈な光に一同ビックリ!
 でもセミの羽化はまだ観察できませんでした。
 夕方7時から10時まで約3時間、自然公園を歩き回り、いろいろな生き物の夜の生活を観察しました。トンボが眠っている姿もありました。観察の案内人に地元の磯野さんが来て下さり、花や草の話も交えて、たくさんの生き物の話をしてくれました。磯野さんは足を捻挫しているにも関わらず、一緒に歩いて下さり、彼の話で3時間があっという間に過ぎていきました。帰りに神社の境内にも案内してくれてクワガタをたくさん捕りました。
 テント泊に子どもたちは興奮しながらも、12時にはみんな静かに眠っていました。聞こえるのはウシガエルの超低音です。
 翌日は近くのトンボ公園予定地(まだ水田)へいって、ヤンマを追いかけて過ごしました。参加者は小学1年から高校生まででしたが、スタッフの大人も含めて、みんなヤンマの前では同じ少年でした。飛んでる姿もとまっている姿もキレイです。
 
 なんだか、季節ごとに夢中になるモノが決まってしまいました。春は梅から始まる木々の芽吹き。夏は生き物。それも山のモノに磯のモノが加わりました。秋はもちろんキノコ。冬は雪がらみのスポーツかな?そして合間に鉱物をコンコン採っていますね。
 こうやって一年が巡り、年を重ねていくんでしょうね。

 塾やNPOの企画でたくさんの子どもたちと一緒に季節モノに夢中になっています。今年から塾外の子どもたちの参加も多く、会ってすぐ仲良くなれるのに、内心驚いていたりします。夢中になるモノを共有するということは仲良くなる近道のようです。

 気がつくと学校の夏休みが始まっています。今は塾の夏期講習中です。日曜日からは「森のプレイ・パーク」が始まり、南の台風の進路に神経をとがらせている山下です。

 前年と同様、コラムの更新はちょっと2学期まで半分休み状態です。
 東京に帰ってきた合間にちょっと更新させていただきます。今年は何処に行くかって?家族の旅行としては東北の乳頭温泉郷を予約してます。それを楽しみに仕事に励みます。
 
 皆様もよい夏休みをお過ごし下さい。

コラムは01年1月24日からスタートしています。以前のものをお読みにないたい方は最新版の巻末へへ戻って下さい。