山下由美子の山森(やまもり)ばなし


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これは2003年4月11日から2004年3月19日の保存版です。
2004年3月19日 金曜日
 セレモニーが苦手な私が、娘のたっての希望で、卒業式に出てきました。今、帰って来ました。そして話す人もいないので、ここに書いています。
 3年ぶりです。3年前の息子の中学校の卒業式はこんなに寒かったかなと思いました。みっちり2時間、寒い体育館でじっと座っていました。君が代の時も着席していたのは保護者席では私ともう一人くらいでした。
 当然のごとく壇上に輝く日の丸があり、ことある毎にそれに礼をするのは3年前より、巧みに誘導される感じがしました。強制というより当たり前という感じです。大きな声で「礼!」と言われて頭をたれる習慣がないので、ぽかんとしているのは保護者の方で、子どもたちは練習の成果かタイミングがそろっていました。
 式全体への感想は「なんだか、3年前よりもっとウソくさい・・・・・」。というものです。
 学校はそんなに楽しかったのか、先輩はそんなに優しく導いてくれたのか、人生の相談にそんなに先生が親身になってくれたのか、そんなに将来は明るいのか・・・・・・。本当か?という気持ちがわんさか湧いてしまいました。
 泣きながら退場する女子を見て、もらい泣き得意な私も思わず、涙が出そうになります。(バラ珍では必ず泣いていました)が、今日はウソくささが強すぎて、涙も止まってしまいました。
本当は、我が子らの成長を学校で出会った地域の人たちともっと、楽しく祝えないのかと思います。そこは国家に対して忠誠を誓う場所にしてはいけないんじゃないかと痛感します。本来の目的である「子どもの成長を祝うこと」が中心にないので、それを隠すために「ウソくさい演出」が必要になるのでしょうか。それとも、日本人はセレモニーに関して先例に縛られたり、タプーを作ることはあっても、みんなで新しく演出する事の出来ない国民性を持っているのでしょうか?

 今、娘が帰ってきました。
 開口一番、「なぜ、みんなあんなに泣けるんだろう?教頭先生カミ過ぎ!」でした。

 思い出します。あ〜あ、9年前の保育園の卒園式は泣けたな・・・。2歳から6歳の成長を共有してくれた保育士さんや職員さんに心から感謝して泣けてしまいました。

2004年3月10日 水曜日
 やっと、受験生の母、終了しました。
 息子は春より大学生として一人暮らしが始まり、娘は携帯電話を持つ高校生になります。物いりなこの時期にもう一つの物いり話です。
 
 我が家の勝手口の土が2年ほど前から陥没を始めました。一度土を入れて、解決を見たと思って放置していたら、先日また、がぼっと陥没しました。「これじゃ、家が傾く〜」と子どもや隣家の母が騒ぐので、区役所に相談しました。早速、下水道のチームがやって来てくれて、いろいろ調べてくれました。
 結論は下水道管の不具合のための宅地内陥没という状況だそうで、業者さんを紹介されました。どうも、勝手口に生えている竹の根が地下で下水管をどうにかしたのだということでした。下水管というのは地下に埋まっているので当然、掘り返して工事します。「こりゃ、だいぶかかるかな・・・」と覚悟して工事を頼みました。
 業者さんはやって来て、下水管を掘り返してみて、「こりゃ珍しい、土管だね・・・。」といいながら、工事の日程を約束して帰っていきました。
 そしてこの火曜日に工事の日はやってきました。その業者さんはちょうど息子が春から生活する宇都宮の近隣市「鹿沼」の出身の方で、気さくに世間話を福島としてから、一人でせっせと工事を進めました。午前中にお茶を出して、私は家で書類仕事をしていました。
 午後になって、工事がほぼ終わったあたりに呼ばれて、塩ビ管を覗きました。下水がマスに集まって、道路の大きな管に入っていく様子がよく分かります。おじさんはその水の音に聞き入っています。
 「あ〜、イイ音だね〜。」
 まるで、水琴くつにでも聞き入っているような風情です。
 下水の工事をする人にとって、地下を流れる下水管をつつがなく埋め終わった時はこんな風にして音を楽しむんだなと感心しました。職人さんの世界にも通じるのかなと一人で思っていました。
 工事費は計35,000円に消費税で、この時期目にしみる出費でした。
 
 でも、一人で満足そうに音に聞き入るおじさんの姿は良いものでした。

2004年2月24日 火曜日
 ぎっくり腰になりました。先週の木曜日2月20日のことです。
 部位は腰と肩胛骨の間の、左の背中です。
 いろいろ思い当たるのですが、原因は運動不足と書類仕事でしょう。
 出先でギックリやったので、電話で福島に「やっちまったよ」と告げると、彼は「迎えにいくよ。今から百観音に行こう。」と即座にいいます。その日はおとなしく家で体操をして過ごして、翌日と3日後にその百観音に行きました。
 百観音とは鷲宮にある化石海水温泉で、毎分2,250リットルものお湯が自噴している源泉です。
 平日でも実に混んでる温泉で、身体の不調を覚える人がたくさん来ています。以前に一度娘と3人で訪れていたのです。その時「何か不調があったら、ココで治療しよう」と考えていました。
 場所は東北自動車道「久喜」ICから5分程度の3号線沿いです。近くにくると「自噴、自噴」と看板があります。人の森のK君がこの辺りに住んでいますが、あまりの看板の激しさに敬遠していたといいます。
 さて、ギックリ腰のその後ですが、温泉治療の甲斐あって日常生活にほとんど支障はなくなりました。でも、再発の予感がいつもあるので、そろそろ動いています。(参考までに、温泉治療の後は絶対身体の冷えない環境に置くことが大切だそうです。温泉でゆるんだあと普通の生活をすると急激に冷えることになり、逆効果になると指摘する方がいます。)
 
 今日は都立一般入試。明日は国立大学の二次試験です。
 この一年、受験生の母として「ご飯づくり」役に徹してきました。こういうストレスもギックリ腰発作に繋がっていないでしょうかね。

2004年2月10日 火曜日
 源泉めぐりは続いています。あまり回りの人に言うと「この時期にノンキな・・・」とあきれられそうなので、静かにめぐっています。
 最近は那須塩原に通っています。「湯めぐり手形」を購入して、源泉を1つ1つ訪ねています。先日は目指すお湯にたどり着くまでに路面の凍結という厳しい現実と直面し、ノーマルタイヤのシャリオは涙をのんで撤退しました。道路状態の良いお湯に切り替えて、たどり着いた硫化水素系の硫黄泉はお湯が強烈で、満足!満足!で帰路につきました。
 80度近い源泉は湯船に溜まると白濁して強烈な臭いを発しています。大きな窓で喚起しながら、白濁の湯を心ゆくまで楽しみました。那須塩原は硫黄泉の他にたくさんのタイプの源泉を持つ、古い温泉地です。日光・会津などへのアクセスもよく、月曜日でもたくさんの人が訪れ、根強い人気を持つ温泉地だと分かります。
 タオルや下着などにかすかに残る硫黄臭を元気の元として一週間生活して、また次の月曜日に塩原に気持ちが向かっているのです。
 今のイチオシは新湯(あらゆ)温泉の「湯荘白樺」です。この辺りは標高950位の高さにありますが、徐々に登っているのでわかりません。そしてこの湯の裏に噴火の爆裂火口跡があり、今も白い噴煙をあげています。景色からも「温泉〜!」を楽しめます。
 経費節減でお昼はお弁当にし、片道は一般道と決めて、湯めぐりを続けています。運転は福島で私はナビ役です。穏やかな晴天のなか、昨日は日光の山々がきれいに見渡せました。那須塩原が一回りしたら、次は日光・鬼怒川と決めています。

2004年1月28日 水曜日
 駆け込みで新規募集要項の更新をしました。
 
 04年度からは丹誠塾のクラスが構成を変えて、登場します。
Tメソッドクラス・・・・・・今までの小中高クラスにあたります。丹誠塾の根幹をなす、授業を売りとするとクラスです。DIGもこれに属します。
U土曜クラス・・・・・・土曜に設定されているというだけで、各クラスの内容はいろいろです。漢字・計算演習のベイシックと遊び中心のプレイ・パーク、音楽のjamとバエラエティーに富んでいます。
Vパーソナルクラス・・・・旧「土曜クリニック」の完全マンスーマンクラスです。その子の理解に合わせて、ペースも一人一人違います。土曜だけでなく、平日にも設定し、リニューアルしました。曜日と担当の希望を出して、申し込みます。

 新規書類の作成進行が、やっとホームページまでたどり着きました。
 今年の目標、もう少しまめにホームページを更新したいと思います。

 明日は都立の推薦入試です。そして宣伝ポスティング作業もスタートです。今年のカードは非常にアートしています。お知り合いに手渡しして下されば、幸いです。いつでもお手許にお届けします。

2004年1月1日 木曜日
 あけましておめでとうございます。
 今年もヨロシクお願いします。元旦からパソコンを開くと今年一年こんな年になると思いつつ、更新しています。
 今年の年賀状には同級生から「50になります」というセリフが踊っています。福島は今年で50、私は2月生まれなのでまだまだ(?)・・・・です。

 元旦は読書三昧でした。その本の中に1930年代が出てきます。私の亡くなった父が1930年生まれなので中高時代、1930年代の出来事を「お父ちゃんが2歳の時、お父ちゃんが3歳の時・・・」と覚えていました。くせになってしまったので、今日も本を読みながら、1933年・・・・お父ちゃんが3歳の時だなと考えていました。そしてフッと浮かんだ事があります。
 父は1930年から1986年まで生きました。でも同い年の親戚の叔父さんは今も健在です。「この差は大きいな」ということです。人生の長さは同級生の中でも人それぞれだということに気がついたのです。
 今はまだ50を前に同じように年を重ねる実感を年賀状で共有できる段階ですが、それぞれの寿命は共有できないと感じました。

 それが・・・何か?と言われそうですが、「人生の長さは人それぞれ・・・」という話でした。2004年まで生きていて、21世紀を父に見せたかったし、孫がこんなに大きくなった姿も見せたかったなと思いました。
 

2003年12月9日 火曜日
 久しぶりに風邪をひいたようでした。
 初めはパソコン仕事の眼性疲労かなと思っていました。背中と腕の筋肉が固まって、関節が痛むのです。自分でもみほぐしたり、娘と息子に背中をマッサージしてもらったりしましたが、気分の悪さは増す一方です。食欲もなく、倦怠感が強くなり、食事後の洗いものがつらくなり、パソコンが開けれなくなり、とうとう何もできなくなっていました。のども痛くないし、咳もでないし・・・・、何だろうと思いながら、ベットに入るとなんと、金曜日の夜から土曜日の朝までコンコンと寝続けました。土曜日もグダグダ過ごしてしまい、とうとう、日曜日の楽しみにしていたオノ・ヨーコ展も欠席となってしまいました。残念でした。日曜日も13時間以上寝続けてやっと、日常生活に戻ってきました。
 いろいろ考えますが、やっぱり風邪だったようで、12月始め提出の助成書類づくりの疲れがこういう形で出たのかと思います。「とにかく休め」と緊急指令だったのかもしれません。
 この風邪の最終章は昨日の「古代蓮物語」でした。これは行田にある天然温泉です。昨今どこも天然温泉を謳っていますが、ここは本当にかけ流しの源泉が楽しめる温泉でした。ここで岩盤浴という浴衣を着て、暖かい薬石の上に30分寝転がってリラックスするというものを体験しました。思ったほど熱くなく、のぼせることもなく、スッキリした感じで終わりました。平日とくとくプランで入浴+岩盤浴+食事=1000円とは本当にお得です。
 帰路に着く頃、私のがちがちの背中はこの岩盤浴で羽が生えたように軽くなっていました。効果はすぐ分かりませんでしたが、後でじっくり聞いてくる岩盤浴効果は素晴らしかったです。
 
 山森も雪を迎え、これからのコラムは各所の源泉お風呂を紹介しようかと思います。
 その第一弾埼玉県行田の「古代蓮物語」はイチオシの温泉です。ここをご覧の方は「古代蓮物語」で検索して下さい。公式ホームページもあり、苦情をBBSへ書き込めば即支配人の返事が返ってくるシステムもあります。この温泉の良いところは正直に表示があるところです。スーパー銭湯ばりのジェットバスの浴槽には「加熱循環」と表示してあります。露天は加熱してかけ流してあります。源泉はそれほど臭いもないので油臭の苦手な人は良いかも知れません。短所をあげれば、平日でも混んでいる事かな。オープン一年ということですが、館内案内のパンフが品キレしてコピーで賄うほどの盛況ぶりでした。もう少し、ゆったりした空間があれば、最高でした。
 
 温泉の効果は出たすぐ後より、翌日の目覚めに一番現れます。翌日の朝までホコホコ身体の芯が暖かいのが温泉効果です。その効果をほのかに感じながら一日をスタートするのは気持ちの良いものです。岩盤浴のおかげで今週も良いスタートがきれそうです。

2003年11月30日 日曜日
【草木ダムの流木無料配布】 
11月は塾の面談月間でした。夜の面談を終えてかえってきた福島が「今日と明日でダムの流木を無料配布しているけど、明日行って、帰って来て即、塾で授業やるの無理かな?」といいます。。配布場所は群馬県の奥の草木ダム。足尾銅山へ続く「銅山街道」にそって広がる草木湖です。
 その時なんだか異常に元気だった私は「行こうよ」と言って、明日のお弁当と洗濯の準備を始めました。

 朝6時に起き、3人分のお弁当を作り、洗濯をして、7時に福島が起きてきました。2人で7時30分に家を出て、10時過ぎには草木ダムに到着していました。
 配布会場はどこからこんなに人が集まったのかと思うほど、人・人・人・・・・。そして車・車・車・・・・・。途中の銅山街道は閑散としたモノです。でも草木ダムのこの場所だけすごい熱気でした。

 入り口のゲート付近で「ここなら駐車してもいいよ。配布会場に直接乗り入れるなら、順番を待ってください」という係りの人の言葉に「はい、ここでいいです。後は手で運びます。」と答えました。
 配布会場は流木の山があちこちに積まれていて、人が山にのって検分しています。大きな流木をチェーンソーで切ってもらっている人もいます。クレーンで運ぶ人もいます。配布会場へ直接、乗り入れた人たちは○○造園などと書かれたトラックに乗ってきた業者さんのようです。その他に山野草を寄せ植えする鉢を探す人も多かったです。流木アートを念頭に探す人もいます。そんな中で異様に目立ったのは私と福島の格好です。特に私は純毛のチェックのジャケットを来ていました。決して作業着ではありません。どうも、その格好はずいぶん浮いていたようです。だれも、塾の先生が授業前にここに来ているとは想像しませんよね。
 福島はこの流木で「木・根・」の授業を考えていると話していました。流木を見るといろんなイメージが湧いてきます。(今はウチの自転車置き場で雨に当たっています。息子が「酸性雨にあてていいのか?」と心配します。)
 約一時間、私が流木を吟味して袋にいれ、福島が20sから30sの袋をどんどん、車に運び入れる作業が続きました。合計8袋でとうとう、体力が付きました。福島は腕が限界で、帰りの車で紙コップのコーヒーも上手くつかめませんでした。
 
【おばあさんのイノシシの話】
 「このままでは危険!」と、疲れた体を水沼温泉センターで休ませました。ここの内湯でご一緒のおばあさんの話に衝撃を受けました。おばあさんは私を土地の人だと思って話しかけられました。(非常にローカルな場だし、平日だったので)
 おばあさんの話はイノシシの話でした。最近この付近で小学生がイノシシに襲われ、内臓が食べられてしまったというのです。「エッ、そんなら、命は?」と聞くと、当然なくなったと言います。
 山で一人になってしまった子どもをイノシシが襲って、雑食の空腹のイノシシは子どもの柔らかい内臓を食べてしまったという話で、その話は初耳で「本当に今年の話?」と念をおして尋ねてしまいました。だって新聞にも出た無かったように思えるのです。
 おばあさんは話を続けて、「最近はへびもいない。みんなイノシシが食ってしまう。石垣に寝ているヘビを石を壊して食ってしまう。本当にイノシシには困ったことだわ・・・。」
 おばあさんの話にたまげて、早々に内湯を立ち去って帰路に着いた私達でした。

 塾には3時に到着しました。福島は4時から面談。私は月末事務が待っていました。
綱渡りのような一日でしたが、熱気にあふれる配布会場・おばあさんのイノシシ話に強烈な印象を受けながら、忙しい11月28日は終わりました。

【琥珀イベントも無事終わりました】
 これは「虫入り琥珀とパインクラフト」の活動が終わった30日に書いています。
 今日のイベントも雨でスタートしたにも関わらず、雨上がりの素晴らしい展望が私達を待っていました。新宿のビルまでうっすら浮かび上がる超幻想的な遠景でした。参加者がチビちゃん達が多かったにも関わらず、整然と運営できたと自負しています。スタッフの技量が上がってきたせいかと思います。
 今日はもう1つ仕事が御岳山でありました。来年の春合宿の宿泊を富士山と決めて案を練っています。そのため、春には御岳山に来ないことになり、いつも合宿でお世話になっている嶺雲荘さんへその報告と挨拶にお邪魔してきました。急な訪問の上、残念な内容の報告にも関わらず、丁重に対応していただいて恐縮でした。若奥さんの残念そうな顔が申し訳なかったです。「また、戻って来たらよろしく。」といって帰ってきました。

2003年11月15日 土曜日
 高校時代、中間期末考査が近づくとやたら、推理小説が読みたくなり、あとに回せばいいのにまず読み終わってから試験準備をしていることがありました。
 こんなに年を重ねてもその傾向は残っていて、助成書類や会計書類のタイムリミットがドンドンやってきて、足元に火がついてきている中で、10月は連日たくさんの推理モノを読んでいました。ブックオッフで2〜3年遅れて推理モノの話題作を読んで、一人「おもしろ〜い!」と感動していました。次々と読んで内容を味わう間もなく、次の世界に入っていました。宮部みゆき・原僚・深谷忠記・桐野夏生・乃南アサ・内田康夫・藤原伊織・熊谷達也・高村薫・逢坂剛・・・・ など、みんな100円コーナーです。今は桐野夏生・高村薫に脱帽状態です。(でも、松本清張の次は宮部みゆきと思っていますが・・・。)
 そして、次はいよいよパソコンに向かうと思うきや、ミシンに手が向かってしまいました。家にある余り布を使ってポットカバーを作製する手が止まらなくなりました。で、合計7作品を作って、やっとミシンから解放されました。1つ1つ創作するたびに改良が進み、面白くてたまらくなってしまったのです。
 冬にお茶を飲むと我が家では必ず、ポットカバーを使っています。ちょっとしたキルティングですごい保温力があるのです。だから、前回のきのこツアーの時、山荘でお茶を入れたとき、あまりの冷え方に閉口したのです。まず山荘用にポットカバーを作ったのが、始まりでした。いろいろ作って、最後は日頃からお世話になっているご家庭に差し上げて、THE・EDNとなりました。もらった人は迷惑かもしれませんが、こうしないと終結しなかった私の創作願望でした。
 ・・・・そうこうして、もうじたばたできない所まで来たので、会計ソフトや助成書類の世界にもどってきたのでした。助成書類は04年度の申請です。この一年で福島と下見を重ねたフィールドを書類に仕立てて、役所に提出する作業です。イチオシはビーチコウミング・ウミホタル・砂金とりでしょう。これから1ヶ月、ぎっくり腰を気にしつつ、パソコン作業に精を出すことにします。

 このコラムもう2年近くなりますね。季節が2回巡ったわけです。更新回数は減りましたが、もう習慣になっています。8年連用の日記の夕食記録も続いています。一度やりだしたら、やめられない性分のようです。

2003年10月30日 木曜日
 生まれて初めて旅行積み立てをして温泉に行ってきました。
 言いだしたのは卒業生の3人で、それに私と福島が乗った温泉積み立てでした。一年をかけて3万円を積み立て、この10月にやっと、実施にこぎ着けました。本当は去年に行く筈だったのですが、メンバーの親族の健康上の理由などで繰り延べ、繰り延べできた結果です。
 選んだ温泉は新潟の松之山温泉。
 草津温泉・有馬温泉と並んで日本三大薬湯の1つと言われ、薬となる温泉ということです。
 宿は「凌雲閣」という木造三階建ての古い宿でした。この宿には私達のきのこの先生が料理長をなさっていて、このシーズンはその先生が山で収穫した野生キノコがふんだんに食卓に登場するのでした。
 思った以上に料理は質も量もすごくて、満足と満腹でその夜は終わりました。

 この休日で温泉の力について感じることがありました。
 松之山温泉は1000万年以上前の海水が地中に閉じこめれ、高圧・高熱で薬効深い温泉になったものです。地球の中から押されて吹き出す温泉という意味でジオプレッシャー型温泉というそうです。その化石海水温泉の中でも松之山温泉はホウ酸含有量が非常に高く、独特の石油のような臭いがあります。これが苦手な人にはつらい臭いですが、私と福島はこの種の温泉が大好きなのです。最近は内海フォレストパークの帰りに寄った「白砂の湯」もこの種のもので非常に気に入って帰ってきました。他には渋川のスカイテルメ・柏の湯の華もこのての臭いでした。詳しい泉質は分かりませんが、私達は臭いと色でよく温泉を見分けています。

 夜11時ごろ温泉に浸かりに行くと先客として女将さんが入浴されていました。「いい温泉ですね。お湯が良ければ、豪華な施設は必要ありませんね。」と私がいうと、「そうですね。そうおっしゃってくださるとうれしいです。限りある資源だから、いつの日か枯れてしまうんじゃないかと心配してますよ。大切に使わないとダメですね・・・。」とおっしゃいました。お湯の前に非常に謙虚な姿が印象に残っています。

 あとで福島の蔵書からたくさん、温泉の本を借りて読んでみました。有名な温泉博士の新書や雑誌が面白く、思わずひざをたたくようなシーンがありました。
 女将さんと話した内容が非常に興味深く残って、凌雲閣の泉質・湯量などを調べてみました。思った通り、湧出量は少なく、大浴場はお湯の入れ口が2個あり、1つは源泉でもう1つは循環でした。小さい家族風呂のみかけ流しでした。だから、大浴場の湯船を大きくしたり、露天風呂をつくったりすると、湯量が必要になるので、循環風呂の交換日数にも支障を来すということです。凌雲閣は2日〜3日に一度必ず、湯を抜いて清掃しているそうです。福島の話だと、出発の朝、専門の清掃業者が大浴場にやってきていたそうです。ほとんどの町営温泉は循環風呂で多くても1週間に一度の交換のようです。天然温泉と謳っても、非道い場合は1ヶ月同じお湯を循環させている場合もあるそうです。東京の奥の温泉に行ったとき、プールにいるような気分になったことがあります。塩素の臭いが堪らず、早々に引き上げた経験があります。循環→塩素殺菌ということになるのなら、あんなに大きな露天風呂や数々の風呂をつくらずに小さな湯船を大切に使えばいいのにと思います。凌雲閣は泉質・温度は申し分なくても、湯量に限界があるので、湯を大切にする姿勢が貫かれているわけでしょう。
 
 このコラムがスタートしたころ、四万温泉のことを書きました。温泉体験のビギナーの時代とはいえ、大きな露天風呂・数々のお湯のバリエイション・かけ流し・湯量豊富を礼賛したことが恥ずかしいです。
 
 今の心境は「限りある資源」を慈しみながら、地中からの贈り物を感謝を持って入らせていただく・・・・・と、謙虚な温泉人でありたいと思っています。

 本当に松之山のお湯は指先から脳まで浸り込んでくる・・・、そして「ほこほこした感じ」がずっと持続する温泉でした。同行した若者は各自の人脈できっとリピーターになるでしょうし、私達も近い将来、再び松之山を訪れるはずです。いいお湯は確実にリピーターを増やすと信じています。

2003年10月15日 水曜日
 今年のきのこはサッパリです。
 この連休は山荘の整備も兼ねて「きのこツアー」を実施しました。講師に三村さんをお願いして、和田小屋付近の紅葉も楽しんできました。でも、残念なことに収穫の方はサッパリだめで、天然きのこオンリーのナベは不可能でした。栽培モノのマイタケなどでかさを増やして、なんとかしのぎました。
 三村さん曰く、「今年の8月に秋を感じて動き出した菌が、9月の暑さにやられたんだろう・・・。」ということです。長野はまだ収穫できたらしく、群馬・新潟はひどいねと言っていました。本当になんにも無いのです。毒キノコすら出てないのです。
 こうなると、もう腹をくくって、きのこ以外で楽しもうとウルシやモミジなどの赤い色を楽しむことにしました。糸魚川からおみやげに秋鮭をいただいたので、三村さんの指導のもと、まな板を2つ繋いで、鮭をさばきました。それは夜になって「マリネ」になって食卓に登場しました。結果、きのこ鍋、きのこの春巻き、手作り豆腐、いくらの醤油漬けに並んで鮭のマリネはテーブルに彩りを添えました。豪華な夕食になりました。
 最終日は渋滞を避けて、早く山荘を出たので、豪雨の去った明るい東京に帰ってくることになりました。

2003年9月16日 火曜日
 やっと涼しくなりました。
 この夏は暑さが後半に偏り、2学期開始の熱帯夜には困りものでした。
しばらく、ご無沙汰でしたので、まとめて夏の報告をします。こまめに覗いてくださった方には失礼しました。

その1:「東北旅行」
 息子の東北地方の大学見学にかこつけて、栃木→福島→山形→宮城→岩手→秋田→新潟を回りました。総勢1540qを走破。でも、5人家族で費用は17万ちょっとだったのは、最終宿泊地が山荘だったせいかと思います。
 1泊目は山形蔵王のペンション「ぼくのうち」。学生時代から10年通い続けた蔵王スキー場も出産を機に縁遠くなってしまいました。一度夏の蔵王に出かけてみたいと思っていましたので、最初の宿泊地を雪の積もってない蔵王温泉と決めました。
 緑の中央ロープーウエイ駅は20代のころの印象とは違い、何だか小さい駅でした。10年お世話になった「喜らく」はペンションからホテルに変身していました。ペンションで調べるとリストになかったので、なくなったと思っていたので、とても嬉しかったです。思い出の場所が今も元気で健在というのは嬉しいな、とじみじみ思いました。泊まったペンション「ぼくのうち」は昔は若者であふれるカフェラウンジのようなスポットで、なかなか店内には入れない超売れ筋の店でした。それが、20年後には半分コンビニ、残りはペンションとなって続いていました。こちらは華々しい時代を知っている分、ちょっと複雑でした。
 ここで特筆すべきは河原にある「大露天風呂」でした。奥の女湯は河原を流れる水(?)が熱〜いのです。熱湯に近いのです。そこから竹の管で上部の露天に注ぎ入れ、大多数のお湯はそのまま流れていきます。その流れをせき止めて四角い熱湯のたまりもありますが、入ることは不可能です。足をつけるのも厳しいです。でも、中にはそのたまりにも平気で浸かる人もいましたが・・・。
 上部のお湯から次々と温度が下がって下部のお湯は「ぬるめ」になるます。すべて露天で、硫黄の臭いの中で饅頭のように蒸される感覚です。母と一緒に入りましたが、温泉好きの彼女曰く「ごっつい露天風呂やな、こんなん初めて・・・」。私達はふかふかの肉まんとなって、宿に帰りました。

 2日目は七夕準備の山形や仙台を回って、盛岡へ行きました。小岩井牧場で蕎麦を食べ、秋田乳頭温泉入り口の「田沢湖国民休暇村」に到着。さっそく、娘と息子はコートを借りてテニスをし始めました。私と母と福島はもちろん施設内の温泉です。ここは国民休暇村ですが、すばらしい温泉があります。源泉が2種あり、どちらも気に入っています。透明の湯と緑白色の湯です。乳頭温泉は昨年の経験から、四万・白骨に並ぶ私達イチオシのお湯になっています。昨年は鶴の湯・黒湯・妙の湯などいろいろなお湯を巡り、最後に国民休暇村に来ました。公共施設のお湯なんて・・・と思って入りましたが、ココも他に負けず「いいお湯」だったので、驚きました。その時娘が「来年はココに泊まろうよ」と言っていたので、今年は試しに春に予約の電話をいれたのです。
 この温泉で若い娘は温泉好きになりました。ことの顛末はこうです。兄とさんざんテニスをした娘は汗が冷えてどうも体調を崩した様子で夕食時に元気がありません。川魚や彼女の好きな生サーモンも手が出ません。トイレに行く回数も多く、どうも本格的にダウンの様子でした。最後にデザートのケーキを食べたくらいで、かわいそうな事でした。食事が終わって、「温泉で暖まってきたら・・」というと、素直にそうすると出ていきました。そして帰ってきた娘は興奮しています。「すごい、すごい、温泉はすごい。ねえ、身体に温泉の力がフワッて、入ってきて、もう、じーんとして、身体が元気になるんだよね。わかる?すごいよ。温泉は・・・。」・・・・『わかるかって、分かってるからいつも温泉いってるんじゃないか・・・。お母さん達は・・・』と内心つぶやいている私でしたが、娘の回復ぶりに驚いてただ、聞いていました。「お母さん、温泉は身体を治す力があるよ。すごいよ。初めて知ったよ。もっと、早く治って夕食ばりばり食べたかった・・。」と言っていました。

 3日目には秋田大学に行き、併設の鉱物博物館を見学しました。研究者のつくった博物館って言う感じで面白かったのですが、富士山の「奇石博物館」を知っている娘・息子たちは「あっちのほうが面白い」と一言で片づけられていました。
 その後はひたすら、日本海の海岸線を新潟に向かって旅をしました。もちろん、途中の笹川流れでは「きれいな砂」を採取しました。また、タコを干している家で干した物を分けてもらったり、ひまわりの迷路のある道の駅で休んだり・・・、道々楽しんで新潟の山荘に夜つきました。
 その後2日間は山荘でプレイパークの片づけをしたり、テニスをしたりして過ごしました。

 もう、家族で旅行する機会はないだろうという見込みで、計画した東北旅行でした。息子に残った物は携帯に記録した各大学の農学部校舎とテニスコートの画像です。娘に残った物は「温泉は身体に効く」という実感でした。

その2「館山のビーチ・コウミング」
 海岸を歩いて波打ち際に打ち上げられた物をひろって楽しむことをビーチ・コウミング」といいます。コウムは櫛のことのようです。それに一番適しているのが千葉の館山だと聞いて、いつか出かけてみたいと思っていました。
 東北旅行を終えて、娘は大の温泉好きになって、出かける機会をねらっています。そしてなりより、福島が国民休暇村のファンになっていました。専門の雑誌を買って、調べていると「国民休暇村が館山にある」ということを知りました。試しに電話して予約状況を聞くと、満室という答えでした。ところが、ちょうどそのころは8月なのに超低温でした。台風が去った後の関東地方はブルッとふるえたくるほど温度が下がって、海水浴っていう感じではありません。可能性はあるのでは・・・と福島は電話を2度・3度とかけてみました。そうしたら、運良くひと部屋キャンセルがあり、娘を誘って出かけることになりました。
 館山は黒潮が先を流れ、江戸時代は航路がありました。また、水が非常にきれいな場所です。館山国民休暇村に泊まって初めて分かりましたが、その宿にはプラネタリウムがが併設されているのです。天体観察にも適しているのです。なんと、泊まったその日はそのプラネタリウムで「海ホタルの発行実験」がありました。たくさんの子どもたちや親が参加して大盛況でした。私達ももちろん、参加しました。
 海ホタルは神秘でした。採集した海ホタルを大きめのワイングラスに入れ、ステージに置きます。電気を消して電極を入れ、軽くショックを与えます。すると、今まで真っ暗だったステージがワイングラスの形に発光してきます。電気で危険を察知した海ホタルから光る物質が放出された瞬間でした。光るブルーの力はだんだん弱くなってまた、暗闇に戻りますが、体験した人はみんな海ホタルの美しさに未了させていました。
 偶然、発光実験をしきって下さった方がびーち・コウミングの第一人者でもあるA氏で、福島は発光実験のあと、少しビーチ・コウミングの話を伺うことができました。本当にラッキーな宿泊場所でした。
 翌日は申し込んでおいた観光協会の主催で館山の浜辺を歩き、採集・考察するビーチ・コウミングに参加しました。陶器のカケラもおおく、大多数は近年の作ですが、前夜のA氏のように古伊万里のやきものも拾う可能性もあるので、やきもの好きの私は懸命に探しました。なぜ館山に古伊万里が流れ着くのかと尋ねると、江戸時代、沖で難破した船から古伊万里などのお宝が波に漂って打ち上げられるからだという答でした。
 また、同じ講習会の参加者は「いるかの耳骨」を懸命に探している人が多かったです。幸せになれるそうです。でも、数が非常に少なくて、なかなか見つからないものだそうです。館山の沖にはイルカもたくさんいたことがわかります。黒潮のダイナミックな動きは地球規模で想像しないとわからないものでした。

その3「金山博物館」
 9月に入ってからですが、これも前々から計画していた「砂金採り」を実現させるために、山梨県の「湯の奥金山博物館」に行って来ました。砂金採りは多摩川・秋川でもできるそうですが、まず金山の歴史から・・・ということで博物館へ出かけました。ココには体験コーナーもあるそうなので。
 行って驚いたのは金山博物館の建物・視聴覚室のしゃれたこと。金山のビデオを見ながら、「私の次の目標は塾でコレくらいの小ホールを持つこと」と決めていました。ビデオで分かったことは湯の奥金山を運営していたグループは金の鉱石から純粋に近い金を取り出す技術を持っていたこと。その技術は大変な重労働と巧みな技術で成り立っており、当時為政者に熱く保護されていたこと。当時の日本の金は世界でも貴重で、戦国大名は鉄砲を手に入れる手段として金を使い、外国に日本の金が流出したこと・・・・。などなど、思わず金の歴史、戦国時代の歴史の世界に引っ張り込まれてしましました。「だから、ジパングか・・・・。」とひとり納得したりしていました。
 最後に砂金採り体験ルームにも行って、砂金を採りました。遠心力で比重の重いものを沈ませて、最後砂鉄と砂金のみにして、砂金を取り出す方法は2度3度繰り返して、修得することができました。これも非常に面白い体験です。私は22個採って、番付に載せてもらえることになりました。残念ながら、福島は10個も取れないで、一般参加者となりました。帰りに砂金採りグッズを購入し、多摩川で実際に採ってみようと話しました。

 その後、9月14日に多摩川「沢井付近」を目指して吉野街道を走っていましたが、あまりの渋滞に断念し、五日市に抜け、「秋川」に場所を変えて、砂金採りをしました。福島と私、おかしなひらべったい洗面器様の道具を水に付けながら、何やら探す様子は、さすがにバーベキューの人々の目を引かないわけがなく、あちこちから「何とってんの?」と声がかかります。私は少し、間をおいて、声を潜めて「金」というと、対外の人は喜んで、「ええーっ」と言います。そのリアクションが面白くて面白くて、どんどん芝居かがっていく私でした。「キャー、こんな所でも金が取れるの?」「わあ〜すごい〜」・・・・。砂金採りは周りのリアクションも最高の企画となりそうです。
参考までに秋川での収穫は「微妙な粒」が5粒ほどでした。体験コーナーってわけには行かなかったです。また、平日の空いた日に多摩川にも挑戦してみるつもりです。

以上がこの夏報告です。

2003年8月11日 月曜日
 ひさびさの更新です。今はどこもお盆休みの真っ最中でしょう。私は冷房のない塾で会計や事務仕事に精を出しています。
 夏休みの毎日のことですが、受験生2人をかかえた母親としては昼ご飯が憂うつです。食べることが一番楽しみの受験生は、お昼も一応のものを要求するのです。朝は7時に起きると決めた我が家の2人は『昼を抜く』という発想がありません。だから、ざるうどんでも、冷やし中華でもなんでもいいから、メニューを聞きたがります。明日は山梨でかってきた『ほうとう』を作って、汗をダラダラかかせてやろうかと思っています。

 ちょっとした、夏休みの途中報告でした。
 あ〜、これがあと3週間続くのか・・・。他人の子どもを預かって勉強させている方がなんぼか楽・・・。

2003年7月1日 火曜日
 29日の夕方、ホタルを待つ夕暮れという企画が終了しました。昨年と違い、ヘイケボタル・ゲンジボタルの両方が群れ飛ぶのを見ることができました。
 活動場所となった「横沢入」はJR東日本が所有管理している場所です。東京都では珍しく、貴重な自然が残る場所で、夕暮れからたくさんの人が集まりホタルを楽しむスポットとなっています。武蔵増戸の駅から歩く途中でも地元の方に「どこいくの?ホタル?」と声をかけていただきました。気の早い参加者が虫取り網を持っているのを見て、「ホタルは取らないで見るだけだよ。」と庭先から注意される方もいました。このあたりの人たちが一体になってホタルの環境を守っているんだなと実感するひとこまでした。
 徒歩約20分で目的の谷戸田に到着しました。ホタルが飛ぶにはまだ、早いので湿地の生物の観察や林の虫たちの観察をしながら、時間を待ちました。防空壕らしい穴もありました。先に山の方に歩いていたので、沢の上部から降りてホタルのフィールドに近づくことになりました。初めは沢の上部を探していたのですが光るものは見あたりません。参加者のMちゃんが「あそこ光ってる、青いの、木と木の間・・・。」という声に何人かが反応し、「ああ〜、光ってる光ってる・・・。」もう、見たい見たいという気持ちが光るものを生み出しているのでしょうか?私には全然見えません。生物指導の上村氏も「見えないな、木と木の間の空じゃないの・・・」と懐疑です。
 そのやりとりも沢を下って景色の開けたあたりでおしまいとなりました。なぜかって。本当のホタルが飛んでいたからです。「あ〜あ、いた〜。」「飛んでる飛んでる〜」「うわ〜きれい〜。」口々に発せられるホタルへの賛辞の言葉です。
 ホタルはふわりふわり、遠方を渡るもの、点滅を激しく繰り返して小さく光ってこちらに向かうもの・・・。たまたま点滅の周期があって、急に点火されたような気分になるときもありました。さながら、夕暮れの光のシンフォニーです。私は幼いときに川べりで見たホタルを思い出しました。
 あちこち約2時間半、歩き回って、観察は終了しました。最後はみんなくたくたでした。「歩くのは20分ときいていたのに・・・。」と途中恨まれるシーンもありましたが、私は「駅からフィールドまでが20分という意味です」と苦しく言い訳していました。
 田無の駅にはきっちり午後10時に到着しました。こんなに遅い企画は珍しいです。東京都にもホタルの飛ぶ場所があり、その自然を懸命に守っている地元の方の存在を知り、本当に感謝して帰ってきました。また、福島は以前「麦わら」をいただいた農家に寄って、実際のホタルカゴを届けて帰ってきました。農家の方は「また、あげますよ」といってくださったそうです。この企画はたぶん来年も何かの形で引き継がれそうです。

 最後に、ホタルの光を体験することは、ほんものの暗闇を体験することでもありました。そのあたりは電柱が一本もなく、まったくの暗闇が存在する谷戸田だったのです。意識して残すのが自然なんだなと実感しました。

2003年6月10日 火曜日
 この数ヶ月、あるものを探していました。
 それは、ワラです。麦のワラです。

 田舎の母がウチにやってきたとき、「新しく郷土資料館ができたので、見に行ったら、昔よく作って遊んだホタルカゴが展示してあって、なつかしい〜と友達と話していると、その係りの人がやってきて、『ホタルカゴ編めますか』とたずねてきたのよ。友達は全員編み方を忘れていたけど、私は自信があったから、『はい。』と答えたら、麦のワラをひと束、持ってきて『すみません、これで編んで下さい。今展示されている物がボロボロになったら、編める人は誰もいないのです。』と渡されたんよ。後日、母はそのワラでホタルカゴを7つほど作ってその郷土資料館へ届けたといいます。今は新しくなったホタルカゴが展示されているということです・・・・・・・。
 この話を聞いて私は俄然ホタルカゴの編み方を習いたくなり、台所のストローをつないで、編み方を習いました。その後、近郊へ出かけるたびに麦を作っている場所を気にしていました。
 
『麦は最近あまり作らないな・・・』という答えが良く返ってきます。秋に群馬・栃木の田園風景の中にきつね色に光る麦がよく見られます。でも、なかなか知り合いがいないので、方々手を尽くして探していました。

 ところが、先日「ホタルを待つ夕暮れ」の企画でフィールドに選んだ「武蔵増戸」へ下見に行った際、農家でひと畝だけ作られている麦を見つけました。幸い、その家の方が畑仕事をしていたので、声をかけました。「ホタルカゴを編みたいので麦ワラを分けて下さいませんか?」
 そのご婦人は大変親切な方で、「今日刈り取ったのは脱穀前なので、昨年のをあげましょう。」と、納屋からひと束下さいました。私は心より感謝して押し頂いて帰ってきました。ずっと、手を尽くして探していたものが、いとも簡単にそれも東京都で手に入ってしまったのです。ラッキーとしか言いようがありませんでした。

 帰ってから、母のレクチャーを思い出し、記憶をたどりたどり麦ワラを細工してみました。
 十文字に組んで一本足して、左に倒して倒して、螺旋状に連続していく作業です。でも、途中でポキポキ折れてしまいます。曲げるとき、節がくると即アウトです。「う〜ん・・・。」と1作品目は途中で断念し、母にSOSの電話をしました。母のアドバイスは『まず、水で湿らせること。ワラを継ぎ足す時はどこで角がくるかを考えること。』
 2作品目は無事完成。でも、2カ所ほどワラが絡んでない場所があり、3作品目に挑戦。今度は巧くいきました。夜もふけて11時になっていましたが、あまりに面白いので4作品目に挑戦しました。今度は底面を大きくして大作に挑みました。でも、大きいのは大変でした。とうとう半分編んだ段階で限界がきました。翌日の楽しみに取っておこうと決め、休みました。

 今夜も夜の楽しみが待っています。編めば編むほど上達し、ワラの渋い色と光沢は「自然の感触」そのものです。螺旋状に編みあがっていくデザインはチョット目には構造が分かりません。素晴らしい、手作業の世界です。 親たちの農作業の傍ら、子どもがワラを渡されて遊んでいた・・・と母は言います。そして、ホタルを捕まえてかごに入れ、そのあと、底面にホタル草を敷き詰めて逃げないようにすると、「ポッ・・」と明かりが点って美しいといいます。

 出来上がったホタルカゴを娘や息子が見ていいます。「お母さん、その隙間から、ホタルが逃げるよ。もっと緻密に編まなきゃだめじゃないの・・・。」
 はい、見てて下さい。夜な夜なの手仕事でスキルが上がり、母と同じようなホタルカゴがすぐできるから・・。

2003年6月2日 月曜日
 この土曜・日曜は山菜ツアーでした。10代から40代まで総勢10名が2台の乗用車で山荘に向かいました。
 天気は台風4号を南ににらみ、北陸で到着を待つ感じでした。行きの高速ではほとんど山菜採りは諦めていました。途中、子持村で農産物や雑貨を買い、蕎麦を食べ、上越クリスタルに寄り、真沢の施設を下見し・・・・、と早く到着する必要のない気楽さで、寄り道につぐ、寄り道をしました。
 苗場山荘で私達を待っていたのは、10年近くお世話になった管理棟の管理人渡辺さんの退職の話。6月5日が最後とかで、ひとめでも会えて今までのお礼が言えたのが、せめてもの慰めでした。10年ほど前、彼は森の教室のカレーバトルの審査員を快く引き受けて下さり、夕方スーツに着替えて私達のところにやってきてくれました。そして一生懸命、各班のカレーを審査してくれました。最後に「カレーばかり食べてたら、味がよく分からなくなっちゃったよ。」とすまなさそうに言っていました。私達のお楽しみの企画に「まじめに」参加してくれたその姿が今も申し訳なく、思い出されます。60名近くの参加者の見守る中、汗をかきながら6種類のカレーの感想を一生懸命考える渡辺さんを見て、もう来年はこれをさせちゃ悪いなと感じた私でした。
 また、森のプレイ・パークのそうめん流しではいつも快く道具を貸してくれました。パトロールの際に立ち寄って、ちょっと話をするのも楽しい時間でした。子どもたちの遊ぶ様を目を細めて眺めていた人でした。

 今回の山菜ツアーは風と雨のため、山荘周りだけを回りました。雨具に長靴スタイルで山ウド・わらび・タラの芽などを収穫し、途中シイタケも採りました。(これは菌を打って置いておいたもの。)下半身は濡れた藪の中を歩くので、すぐびしょびしょになりました。5月末の山は去年よりうんと春の進みが早く、ウドは成長しきって、タラの芽は食用のモノを探すのに苦労しました。去年好評のコシアブラは成長しすぎ、ヤマブドウは立派な葉っぱが出ていました。結局、夕食材料は柔らかい部分の山ウド中心となりました。

 夕食はウドときのこのパスタ・鶏肉のカリカリ焼きクリームソースかけ・山菜の天ぷらとなりました。ふくしまが途中で買った蒸し鶏の手羽もサラダに添えられました。
 
 翌朝の朝ご飯は若手が担当。みそ汁・ベーコンエッグ・ほうれん草・白菜サラダ・納豆などなど・・。みんなで準備して、楽しく食べて、みんなで片づけて、と山荘の生活は進みました。山荘の整備作業も短時間で終わり、帰りは久々の遊神館で汗を流しました。そして高い雲を見ながら、渋滞なしの関越をスイスイ帰ってきました。関越での話「この天気が一日前に欲しかった・・・。」
 運転なし、朝ご飯準備なしの生活は私達40代には快適そのものでした。ちょっとずつ若手にシフトを変えていっている企てを彼らは気付いているだろうか・・・。完成形は「お客様状態」です。

2003年5月13日 火曜日
 5月の連休が明けて塾では通常の生活が戻ってきました。
 先日、2月についで、ポスティング第2弾が行われました。高校生や卒業生が協力してくれて、塾の案内ハガキを配りました。もちろん講師の福島も嶋田くんも走りました。ポスティングから帰ってきた福島が「良い公園が途中にあってね、ちょっと休んでいたら、○○に逢ったよ。5才の息子を連れて遊ばせていたよ。」と言いました。
 話をきくとその公園はいわゆる土・木・池のシンプルな構成で、狭いけど居心地の良い場所のようです。特別地面をオシャレにしたり、遊具をおいてあるわけじゃないけど、自分が子どもを遊ばせるなら選ぶような公園だといいます。「○○の自宅はそのあたりじゃないけど、息子が何かの機会にその場所で遊んで、それから気にいってわざわざ連れて来ているそうだよ。同じような感覚だな、昔の俺等と・・・。」といっていました。

 ここに登場する○○さんは、塾の卒業生で、そのお父さんやお母さんともつき合いが深く、いろんなことを教わりました。私達の子どもが保育園の頃は「早期教育」がまだ主流で、「子どもの頃の早い刺激が脳を活発にする・・・」なんて、まともに信じてる親がたくさんいたように記憶しています。そんな中、○○さんのお父さんは「子どもには子ども時代を十分生きさせることが大事。何よりも情緒、情緒が安定していることが一番。小さい頃は知識より体験。その体験の中からいろんなものをつかみ取るよ・・・。」とこともなげにおっしゃる人でした。非常に博学でどんなジャンルの本も読んでいました。私達は彼から、教育・心理学・哲学・フェミニズム・建築・詩・・・・など、本当にいろんなことを学びました。彼の娘さんを塾で預かりながら、逆に彼の書斎から「私達の子育て感覚の裏付けになる部分」を学んでいたような気がします。絵本もたくさん紹介されました。
 今でこそ、公教育が、「子どもには体験を」という時代ですが、当時は、お腹の赤ちゃんにいち早く「ひらなが」や「英語」を教えてようとしていた時代です。私達は彼の子育ての裏にあるものに非常に共感し、その中味を知ろうとした時代でした。
 彼の発言で、「わたしは子どもが夢中になっている姿が好きです。だから、子どもが夢中になっている時に外からの力でやめさせてはいけません。」というものがあります。これは私達の子育ての原点です。事実、子どもを育ててみて実感したことですが、子どもはどの年齢でも夢中になるものがあります。今はもう、記憶も薄れましたが、わが息子の歴史をざっと振り返ると・・・。NHKのお母さんといっしょのキャラクター・アンパンマ時代→戦隊ものキャラクター(ターボレンジャーから参加)→牛乳キャップ集め→ドラゴンボールのカード→カンダムのプラモデル→ミニ四駆→マジック・ザ・ギャザリング→もちろんファイナルファンタジーなどのゲーム→ディア・ブロ→麻雀・・・・。 今も麻雀は継続中です。我が家の狭い庭に友人の自転車をきつきつに並べて、音をたてずに日がな一日やっています。
 忘れもしません。ドラコンボールのカードを手に息子が発した言葉、「あ〜あ、なんでこんなカードのためにオ
レのおこづかいをつぎ込んだんだろう?もったいないことをした・・・。あれだけの金があれば、ガンダムのプラモが相当買えたのに・・・!」。夢中の対象がドラコンボールのカードからガンダムのプラモに移った瞬間でした。その日からカードは卒業し、プラモづくりの世界に突入していきました。どの時代にも、夢中になる対象はあり、卒業があるのでした。今のところソフトテニス・ミスチル・麻雀は卒業がないようですが・・・。

 我が家の子育て感覚のバックグラウンドとなった○○家も次の世代に子育てが移っています。先日の「○○もきっとオレたちと同じような感覚で子どもを育てているよ。その証拠に同じような公園を選ぶだろう?」という話は私達にとって、安心感を伴うものなのでした。

2003年4月25日 金曜日
 田舎の母が大きな手術を受けました。腹部動脈瘤の人工血管置き換え手術です。
 昨夜遅く帰宅するまで、4泊5日の帰郷生活を送りました。
 母の兄弟は7人で一人を除いて健在です。その兄弟姉妹5人(配偶者を入れると8人)が手術の日に集まり、私達娘3人と、家族待機室に控えていました。手術は5時間にわたり、窮屈な長椅子に座り続けました。話題に事欠かないものの、同窓会ではありません。「手術のゆくえ」という気がかりを抱えて、みんな口には出さないまま、あたりさわりのない話をしています。一番印象に残っているのが、男性陣が話していた『トンカツ』談義です。昔の旨いトンカツの話。現在うけているトンカツ屋の話。母の兄が「最近うまいトンカツがない。昔の姫路の○○筋の○○のトンカツは旨かった・・・・、今もあるかな・・・」
 聞くともなく聞いていた私は翌日、ICUの面会時間の空き時間に姫路駅に出たとき、フラッと「トンカツ・むさし」に入ってしまいました。店の前を通ったとき、やたら「トンカツが食べたい」と思ってしまったのです。不思議なもので昨日の控え室でトンカツ談義を聞いていたときはそんなことを全然思ってなかったのに、さも当然のようにトンカツを選んでいました。これはみごとに暗示にかかってしまった結果のようです。
 さて、術後の母は順調に回復し、独力でトイレにも行けるようになり、大部屋で友人もできて、健やかに過ごせるようになりました。ICUから出てきた直後は「目をつむると食べ物の映像ばかりが浮かんでくる。夢を見ても食べている最中に目が覚める・・・・。おかしいな。食べ物ばっかりよ・・。」と言っていました。三分粥からスタートした母の胃袋はいろんな料理を夢見て母を駆り立てているようでした。
 
 美味しいものを楽しく食べて、食べる幸せをこれからも実感して生きていってほしいと思いました。
 
 食べ物報告ついでに、今回帰郷して食べた美味しいものリスト
 *松葉・・・・・ヤキトリ屋さんのメニューで、V字の骨に淡泊な鶏肉が香ばしく焼かれている。このヤキトリ屋さんは非常に工夫のある店。帰ったら一度は行きたい店。
 *牛スジのお好み焼き・・・・・キャベツの量を抑え、マッシュのジャガイモやお餅をいれていろんなバリエーションで食べさせる、一番の特徴は薄味と柔らかさ。
 *豆腐料理・・・・・時間があいたので友人に連絡をとったら、病院に現れ、お昼に連れて行ってくれたお店。黒豆のざる豆腐、ユズ味噌の和え物、揚げ出し豆腐が美味しかった。
 *リンゴジャム・・・・・毎朝リンゴを食べている母が入院を前に冷蔵庫の整理をした際、あぶれて持ってきたリンゴを妹がスライスしてジャムにしたところ、フルーティーな絶品ができた。

 ええっ、山森話じゃなくて、美味いもん話になってるって?

2003年4月11日 金曜日
 新学期が始まりました。いつもながら、1つ学年が増えた子どもを見て「なんだか、心もとないな、変だな・・・」という感じが否めません。5月ごろになってやっと、進級した学年に合っていくことになります。
 我が家も中3と高3の受験生が誕生。部屋の模様替えをして、雀卓を片づけてデスクを復活させたり、本棚を移動したり、春休みはもっぱら「勉強への環境整備」に時間を費やした彼らです。中3の娘は父に似て、逃げて逃げてよけいなことをして、追いつめられることを楽しむタイプ。高3の息子は私に似て、追いつめられながらタイムスケジュールを立てているタイプ。前者は休み休みの長距離ランナー。後者は短期決戦。さて、どんな一年になりますことやら。
 
 NPOの活動で助成書類を作ることも7日で完了し、やっと塾の仕事に目が向いてきました。塾通信が一番の急務です。5月の連休までにはなんとか発行の予定。塾生のご家庭には予定などの告知が遅れて本当に昨年度は迷惑をかけてしまいました。

 さて、梅は終わり、ソメイヨシノも散りはじめ、これからは八重桜やハナミズキの出番です。
また、山の桜はこれからです。山菜も、もうぼちぼちですね。塾では5月31日の土日に整備を兼ねて「山菜ツアー」を企画しています。家族ツアーとなりますので、子どもたちの参加は限られますが、春の山に興味のある方は是非、挑戦してみて下さい。山ウドは必ず待ってくれています。
 山森話も始動です。今年度もよろしくお願いします。

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